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ひもろぎ逍遥

万葉532,3 宮仕えするあの子に「行くな」とは言えない



大伴宿奈麿(すくなまろ)宿禰の歌二首


532

うち日さす 宮に行く児を ま悲しみ 留むれば苦し やれば術なし


(うちひさす みやにゆくこを まがなしみ とむればくるし やればすべなし)


訳【宮中に上がるあの子が とても好きなんだ 行くなと止めれば苦しいし 行かせてしまえば二度と会えない】

(「うち日さす」は枕詞で訳さない)


533

難波潟 潮干の名残 飽くまでに 人の見る児を われし乏しも


(なにわがた しおひのなごり あくまでに ひとのみるこを われしともしも)


訳【難波潟の 潮が引いた名残を 飽きるほど見るように 宮中の人はあの子を見るのに、僕にはもう会えないなんて】


大伴宿奈麿の想い人は、宮中に上がるほど可愛くて、姿も美しい子だったのだろう。

二人は言葉は交わさないが、お互いの事を気にかけていたようだ。


「宮中になんか行くなよ」と言えば、言えるくらい身近な存在だったが、宿奈麿は言えなかった。


遠い存在になった、あの子。

宮中の人はこれからあの子を飽くほど見られるのに、もう会えないなんて、嫌だ。


詠み人は大伴宿奈麿だ。のちに坂上郎女と結婚する。


坂上郎女はその前に二人の男性と結婚していたが、二人とも他界していた。

坂上郎女にとっては三度目の結婚だ。


もともと宿奈麿と坂上郎女は腹違いの兄妹だったので、気心も知れていたのだろう。


二人は仲睦まじかったらしく、二人の娘を授かった。

しかし、その宿奈麿もまた、早くに亡くなってしまう。


三人の夫を次々に亡くして絶望的だった坂上郎女に、さらにもう一人の兄、大伴旅人が大宰府で死の病の床についたと連絡が入る。


坂上郎女は筑紫にかけつけた。


兄を見舞い、その子の家持の世話をした。


その後、大伴旅人が回復したので、坂上郎女は帰郷した。


その道中、宗像で、名児(なご)山の名はオオナムチと「スクナヒコナ」が付けたと聞いて、亡くなった夫「すくなまろ」を思い出してしまい、再び悲しみに暮れてしまう。


その夫を偲ぶ歌が963番の歌だ。


大汝 少彦名の 神こそは 名付け始めけめ 

名のみを 名児山と負ひて わが恋の 千重の一重も 慰めなくに



(おおなむち すくなひこなの かみこそは なづけそめけめ 


なのみを なごやまとおいて わがこいの ちえのひとえも なぐさめなくに


【大己貴と少彦名の神が初めて名付けたっていうの? 

ナゴ山という名前が付いていても、私の恋は千分の一もナグさめられないのに】


三人目の夫が宿奈麿(すくなまろ)で、この人もまた亡くなった事を知ると、上の歌の「恋」が単なる恋ではないことが分かる。


さて、宿奈麿の歌は上の二首だけが万葉集に載っている。


坂上郎女と宿奈麿の間に生まれた長女は大伴家持に嫁いだ。

万葉集の最終編者だ。


その家持が選んだ義父の歌が冒頭の二つだった。


20221108



by lunabura | 2022-11-08 21:30 | 万葉・日本書紀の風景 | Comments(0)

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