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ひもろぎ逍遥

万葉 417-9 河内王は鏡山を永遠の住処とした



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河内(かわち)(おおきみ)が豊前の国の鏡山に葬られたときに、手持(たもちの)女王(おおきみ)が作った歌三首


417 (おおきみ)の (むつ)(たま)相へや 豊国(とよくに)の 鏡の山を 宮と定むる

(王の慣れ親しんだ御魂にかなったのでしょうか 豊国の鏡の山を 永遠の住処と定められた)


418 豊国の 鏡山(かがみのやま)の 石戸(いわと)立て (こも)りにけらし 待てど()まさず

(豊国の鏡山に 岩戸を立てて 籠られたらしい 待ってもおいでにならない)


419 石戸破る 手力(たぢから)もがも 手弱(たよわ)き (おみな)にしあれば すべの知らなく

(岩戸を破る 手力がほしい か弱い 女なので どうしたらいいか分からない)


 これは河内王が田川で亡くなった時、手持女王が作った挽歌だ。


手持女王は王の御魂に語りかけた。


 私が慣れ親しんだ王の魂はここが良いと思われたのでしょうか。

都から遠く離れた豊国の鏡山を永遠の住処と定められたのですね。


岩戸を立てて、籠ってしまわれて、ずっと待っていても出て来られない。

私の方から岩戸を開けたいのに。お会いしたいのに、どうしようもない。


 河内王は持統天皇3年、大宰帥(だざいのそち)となって筑紫に赴任し、任期を終えて都に戻る途中だったのか。

ついに田川市の鏡山の所で亡くなり、その地に埋葬された。


 手持女王はおそらく妻として同行したのだろう。


「和魂」(にぎたま)でなく、「親魂」(むつたま)という表現に、慕い合ったようすが込められている。


 歌全体からは悲しみよりも、諦めの気持ちの方がより多く伝わって来る。


その様子からは、河内王は既に病気が重く、都まで持つか心配されながら、旅の途中で亡くなってしまうのではないか、そんな覚悟が手持女王には既に付いていたようにみえる。


 大宰府から田川まで厳しいショウケ越えをしたのだろうか。


病身なら、残る体力を使い果たしただろう。


鏡山まで至る道中の辛さが、手持女王に覚悟を決めさせたのかもしれない。



 この鏡山は香春三岳の東にある小さな丘で、神功皇后が自らの御魂を鏡に納めて戦勝祈願をした所だ。


山頂には鏡山大神社がある。


その麓の西側に河内王の陵墓が伝わっているが、実は時代が合わない。


地元では別の所に守り伝えており、陵墓の指定を受けるために、宮内庁からの使者を待ったが、待てど来ず。


後で、間違った墓を指定したと聞いたという。それが、今、陵墓とされている墓だ。


バスハイクでも昨年、当地を訪れる予定だったが、道路工事の為に参道が塞がれていて、行けなかった。通る度に、工事の様子を確認するが、一年以上塞がれたままだ。

 


20221117

 




by lunabura | 2022-11-17 20:17 | 万葉・日本書紀の風景 | Comments(0)

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