2022年 11月 21日
万葉 雪が降ったわ あなたと一緒だったらいいのに
雪が降り出した。妻は背子(夫)に歌を贈った。
一六五八番
わが背子と 二人見ませば 幾許か この降る雪の 嬉しからまし
(わがせこと ふたりみませば いくばくか このふるゆきの うれしからまし)
【あなたと 二人で見たなら どれほどか この降る雪が 嬉しいでしょうに】
これは光明皇后が聖武天皇に贈った歌だ。皇后が後宮で一人過ごしている時、雪が降り出した。
「雪だわ」
「皇后さま、雪ですよ」
侍女に促されて皇后も雪の降る庭に出た。
「帝と一緒だったら、もっと楽しいのに」
そんな気持ちを、何の力み(りきみ)もなく、思うがままに歌っている。二人の間の愛情が穏やかな、信頼に満ちたものだったことを伺わせる一首だ。
光明子は十六歳の時に同じ年の皇太子・首皇子(のちの聖武天皇)に嫁いだ。
そして、すぐに女の子が生まれた。
光明子が二十四歳の時、夫が即位して聖武天皇となった。
聖武天皇には妃(きさき)が五人いたが、皇后としたかったのは光明子だった。
ところが、長屋王がこれに反対し、これを契機として長屋王の変が起きる。
禁軍を指揮して長屋王の屋敷を包囲したのは光明子の異母兄の藤原宇合だった。
長屋王が自決すると、聖武天皇は堂々と光明子を皇后にした。
それから三年後、光明皇后は待望の男の子を出産した。
基王というが、基王は一年足らずで死んでしまう。光明子の哀しみは計り知れなかった。
興福寺の西金堂に納められた阿修羅像を発願したのは光明皇后だ。
興福寺は父の藤原不比等が建立した寺だ。

そこに納めた阿修羅像の顔は六歳児や十歳児の少年の顔で、死んだ基王の架空の成長を重ねたものではないか、という説がある。
愛児を失った光明子の尽きない哀しみが伺える。
こののち、光明皇后は立ち上がり、貧しい人、病の人のために施設を作った。
この歌は何時の歌だろうか。小さな事にも喜びを見出そうとする人柄が伺える。
<20221121>
プレヴュー画面とは違うように画面が出ています。
これ以上、手の施しようがありません。
エキサイトさん、何とかしてほしい。