2023年 01月 02日
ウズ5 宮地嶽の二つの南北ラインが収束する恵蘇八幡宮
チェリーが宮地嶽神社の謎のラインを追ってくれている。
先日、八女市に行って、八女古墳群が龍の形をした長い丘陵地帯の上に並んでいる図をUPした。
その中で、チェリーが重要視したのが、龍の眼の位置にある宮地嶽神社だった。

そして、飯塚市の宮地嶽神社の南北ライン上に熱田神社と鞍橋神社が同様にあることも紹介した。
そして、それを統合して、改めて二つの南北ラインの図を描いてくれた。
二本の南北ラインは当然、平行になるのだが、図で見ると迫力がある。
ただ、飯塚市宮地嶽から南に向かうラインは途中で曲がり、恵蘇八幡宮で合流している。
このラインが曲がったのは、理想的な合流ポイントが海だったからではないか。
この付近はありなれ川の中でも、中津海と呼んでいた。
ここを多くの小船が行き交っていたようすが砥上山の古墳壁画に描かれている。
恵蘇八幡宮を収束点とした理由は、朝日山の宮地嶽神社の真東にあることが大きいだろう。
朝日山から見れば春分の太陽が昇る位置になる。
逆もまたしかり。
「恵蘇」(えそ)にはシリウス星の意味がある。
星々を観測する海の民にとって、意義ある名前が付けられている。
恵蘇八幡宮には斉明天皇の殯(もがり)の宮が造られた。
近くには関所があり、中大兄皇子(天智天皇)が「関所の名乗りの声が聞こえる」という歌を詠んでいる。
斉明天皇の殯斂地として選ばれた丘のピークは玉垣で囲われているが、そこには実際には、より古い時代の古墳がある。
この古墳を築造した一族が恵蘇八幡宮の地形を知っていて、斉明天皇の殯斂地として選び、天智天皇を案内したのだろう。
斉明天皇は朝倉橘広庭宮に到着した翌日には朝倉市宮地岳に登って神功皇后や勝村、勝頼に戦勝祈願をしている。
さらにその次の日には三女神を祀る宮へ。
斉明天皇の祭祀を見れば、そこに案内したのは安曇族と水沼族だと分かる。
斉明天皇も神功皇后の祭祀にならって、世話をしてくれる一族の祖を祀ったのだろう。
さて、この図を書いてくれたチェリーのコメントを記しておこう。
「いくら何でも、とは思うのですが…
熱田神社から真南のラインは、大将陣山を通過して南に進むと、筑後平野に抜ける手前で、「大平山(標高315.1m)」という山の頂上近くに達します。
何故か恵蘇八幡宮からピッタリ北西に見えるのが、この山なんですが、更に、恵蘇八幡宮からは、ほぼ真西に朝日山が見えるんです。
この方向は、来年の秋分の日の入とも一致しました。
これは「大平山」に、何らかの意味があるかどうかによるのですが、2本の南北ラインをつなぐのが恵蘇八幡宮というのは…いくらなんでもですよねぇ…」
チェリーのコメントを見て、改めて地図を開くと、筑紫野市宮地岳ー大平山ー朝倉市宮地岳ー麻氐良山(まてら)と重要な山が並んでいる。
大平山にもきっと意味があっただろうし、恵蘇八幡宮も太陽祭祀から割り出されたのかもしれない。
地図を見て、そう思った。
<20230102>
恵蘇八幡宮からのラインが北西方向になったこと、お見立てのとおり、海岸線に沿ってのことと思います。なるほどです。
現在、第3の南北ラインを検討中です!少し恐怖を感じつつありますが…
本年もよろしくお願いいたします。
こちらこそありがとうございます。
この画像を見て、ふと思ったのですが、熱田神社の方のラインを南に延長すると、耳納連山に届くのですが、実はその付近に三階松が彫られた石祠があります。
具体的な場所は私には分からないのですが、グーグルで人が確認するのを見ました。
耳納スカイラインに沿った所だと思います。
何故、山中にあるのかと思ったのですが、ラインの延長上にあるとすると、とんでもない大事件だと思います。
とても見つからないと思いますが、逆に、ラインの到達点にあるかどうか、それを確認することは出来ると思います。
あったら大変なことになりそうです。










