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ひもろぎ逍遥

藤原四兄弟 宇合(うまかい)の場合 万葉集より


藤原宇合(うまかい)は藤原四兄弟の第三男だ。


万葉集に彼の歌が出てきた。


藤原宇合はある時、奈良の都から近江に向かう道中、石田の神社で幣(ぬさ)を捧げて祈った。


1731

山科(やましな)の 石田(いわた)(もり)に 布麻(ぬさ)()かば けだし()(ぎも)に (ただ)()はむかも


(山科の石田にある神の社に 幣を捧げて祈れば もしかしたら またお前に直接逢えるのか)



宇合が祈るのは都に残した妻との再会だった。


――こうして神に祈れば、生きて再びお前を胸に抱けるのか

今度はもしかしたら生きて戻れないかもしれない


そんな不安が頭をよぎったが、宇合はそれを打ち消した。








次の歌は福岡県の宗像市にある勝島で詠まれたと言われている。


1729

(あかとき)の (ゆめ)()えつつ (かじ)(しま)の (いそ)()(なみ)の しきてし(おも)ほゆ


(暁の夢にお前が出て来た 梶島の磯を越す波のようにしきりに思い出される)


旅の途中、明け方の夢に妻が出て来た。はっとして目が覚めた宇合は不安に駆られた。


――何故、お前が夢に出て来た

何かあったのか

お前は無事か。泣いてはいないか


宇合は何度も妻を思い出さずにはいられなかった。


寄せる波のように繰り返し、繰り返し。


ここに出てくる梶島とは福岡県宗像市の勝島だと言われている。






藤原四兄弟 宇合(うまかい)の場合 万葉集より_c0222861_21303255.jpg


(手前がアチメ浦。目の前の島が勝島。その奥の島が大島)


ブログではセオリツを探してアチメ浦に行った話を書いたが、その目の前にあったのが勝島だ。



三女神の筑前大島のすぐ手前にある。


アチメ浦と勝島の間はとても狭く、急な流れだった。


岸部では拳の大きさの石が波に流されてゴロゴロと音を立てるのを私は初めて聞いた。


そこで、藤原宇合はこの歌を詠んだのである。


宇合の人生を大まかにみると、22歳の頃に遣唐副使として唐に渡っている。


帰国すると按察使(あぜち)として常陸(ひたち)へ。


()(せつ)大将軍として蝦夷討伐へ。


また、知造難波宮事として難波へ。


長屋王の変では妹の為に、六衛府の兵を率いて長屋王討伐へ。


そして西海道節度使として筑紫へ。


その数は少々のものではない。


宇合は天然痘に罹って四十三歳で亡くなっている。


約二十年間の間にこれほどの任務があったのだ。


命がけの日々だった。


ようやく無事に家に戻っても妻とゆっくりする暇もなく、再び任地へ、あるいは戦いに赴(おもむ)いた。


藤原四兄弟が無体に栄華を極めたように言われるが、本当にそうだろうか。


万葉集を見ていて私は疑問に思うようになった。



宇合と妻の間に生まれたのが藤原広嗣だ。


宇合が死んで、わずか三年後のことだった。

「広嗣の乱」が起きたのは。


私は福岡や佐賀の伝承地を回ったが、謀反を起こしたというのは「濡れ衣だ」と思うようになった。


この歌を記録してほしい、という思いが何度も浮かび、今こうして書いている。


20230201


この話のカテゴリは「万葉と広嗣の乱」に入れています。


パソコンでは下に出てくる「万葉と広嗣の乱」をクリックすれば関連する過去記事がずらりと見れますが、スマホにはその仕様がない事に気づきました。


試みに「万葉集」でタグを作ってそこに入れてみます。


過去記事は入れてませんが、今日から、新しくという感じです。


バスハイクとか、玉垂とかも、スマホでは過去記事に辿れなかったんですね。


これから、新しくタグを作っていこうと思います。


(昔は20個しか作れなかったので使わなくなっていました)



by lunabura | 2023-02-01 21:33 | 万葉と広嗣の乱 | Comments(0)

綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『豊玉』『星の迷宮へのいざない』   Since2009.10.25
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