2023年 03月 21日
ワダツミ41 相島 海亀の立岩
2023年3月3日、私は崋山とアリサと一緒に相島に渡った。
私は数回、相島に渡ったことがあるが、崋山とアリサは初めてだという。
相島の島の若宮神社については福岡県の「ご来福しよう」にも紹介している。
確かタイトルは
「相島 新宮町 猫にも会いたいけど、豊玉姫の出会いの井戸に行かなくちゃ」
だったと思う。
猫の島で有名になったが、もともと豊玉姫の伝承地なのだ。
KBCテレビ「アサです」のおかげで、現地の参拝法を知ることが出来た。

まずは若宮神社の正面の海で手を洗う。
あの日は寒い日だったが、海の水は温かかった。

それから、神社の手前両脇にある黒い小石を両手ですくい、境内のすべての祠や木に小石を捧げる。
右回りで、最後に本殿に小石を捧げる。
それから再び正面に戻って、小石を奉納した祠や木に手を合わせていき、最後に本殿に参る。
この風習について、由来について尋ねられた。
私は、すぐにこれは「お汐井」(しおい)の代用だと思った。
相島はほぼ玄武岩で成り立ったような火山性の島で、島の岸は切り立ち、砂浜もほんの一部しかみられない。
お清め用の砂が採れないので、小石で代用しているのだ。
小石のサイズは2~3センチほど。
島を回ると、石は大きいので、特別に選り分けて運ばれた石だと分かる。
岸壁が切り立つ四角い島なので、万葉集には「玉勝間 阿部の島」と書かれている。
「玉勝間」(たまかつま)とは玉手箱のこと。
「あべ」は昔、濁点が無かったので、「あへ」と書かれた。
「あへ」が濁らない場合は「あえ」となり、「北」の意味となる。
「あえ」が「あい」に変化して相島となった。
「玉勝間」という枕詞があったことを知ってから陸地から相島を見ると、特に四角く見える浜辺がある。
それが志賀島や海の中道から見える形だ。

そして、フェリーで行くと右の方に見え始める穴の開いた岩。
眼鏡岩というが、もともと鼻繰瀬(はなぐりのせ)という。
で、驚いたのは人の鼻に見えるのは宮地嶽神社の光の道からなのだ。
おそらく、それぞれの岸辺から特徴的な呼称が付いている。
まさしく阿曇郷の各地から見える「北の島」だった。
さて、相島に行くことになった理由は、先日の繰り返しになるが、私が書いている小説が行き詰まったからだ。海神の封印解きをドラマ化している。
崋山に相談してみると、問題が起きた所に足を運べばいい、という。
豊玉姫の伝承地は糸島では志登神社があるが、染井神社で豊玉姫と山幸彦の間に何が起きたのか、私は知りたかった。
また、相島は豊玉姫と山幸彦が出会った島なので、そこも有りか、と考えていた。
豊玉姫たちの葬送の風習についても、相島の積石塚の話が出ていた。
相島には以前から崋山を誘っていたが、「海亀が死んでいた」というビジョンを見たらしく、なかなか行こうとしなかった。
しかし、テレビの件があってから、もう一度誘うと、意外にあっさりと行こうと言った。
誰か連絡して来たらその人も誘おうと思っていたら、電話を掛けて来たのがアリサだった。
アリサは第二豊玉姫の過去生を持っていた。飛んで火に入って来たアリサ。
話は上手くつながるものだ。
私たちはフェリーに乗ったが、予定は何も考えていなかった。
ま、若宮神社か、積石塚か。
帰りの船の時間から考えたら、積石塚の方を先に行く方がよいが、やはり若宮神社に挨拶するのが本筋だろう、と考えて崋山に尋ねると、「若宮神社」と即座に答えた。
若宮神社はフェリー乗り場のすぐ目の前にある。
その前の海で手を洗って石を取って参拝を始めたが、崋山がなかなか動かない。
海の方ばかり見ている。
で、尋ねると「向こうの岬の白い岩が海亀に見える」と言うのだ。

確かに緑の岬の海岸に立つ岩は、巨大な海亀が立ち上がって斜面に取りついているように見えた。
あとで、岩の名は「立岩」(たていわ)だと教えてもらったが、崋山が言い始めて、もう海亀にしか見えなかった。
「あの石に、役目を終えた海亀たちが最期に来て、命を終える」
と言った。
それで、崋山は死んだ海亀のビジョンを見せられたのだろう。
参拝を済ませると、立岩に行くことにした。
かつて、私はそこに行ったことがあるので、簡単に行けると思ったが、道に迷った。
結局、剣神社から急斜面を降りて、元寇の慰霊碑に行って、立岩にたどりついた。
<20230321>








