2023年 04月 12日
豊玉姫の言の葉
新宮町相島 若宮神社にて
出会いの井戸の前で、崋山に懸かった豊玉姫に尋ねた。
「私の事なんですが、今、豊玉姫のことを小説に書いているんですけれど、これは世に出す必要がありますか」
「私の物語を読みたいと言う者がいれば。知りたいと思う者がいれば。
私が答えることができることは、世に出して良いか悪いかということではなく、あなた方に見せた事というのは、世に出しても構わないということ。
ただし何らかの滞りで、それがたとえ世に出なくても、私は、それはそれで仕方ないというもの。
私の本意としましては、誰か一人でも真実を知りたいという者の気持ちに答えただけのことであって、ただそれがみんなにみんな認めてもらわねばならぬということではないのです」
「例えば、神と人間が共に響きあって動く。
そういう意味で、私たちの活動というのが何らかの形で世界に届くのはメリットがあるんじゃないかな、とは思うんですけれど」
「昔に戻り、昔を思い出すと言う事。
昔、神も人間も当然のごとく、至極、当然のごとく共に生きていたではありませんか。
いつから神と人間とを分けて暮らすようになったのでしょうか。
もう一度、人間の人たちに思い出して欲しい。あなたたちが受けている恩恵と言うものを。
太陽の光ですら、雨、風、季節、それも全て、あなた方人間が作り出したものではありませんよ。
太陽の光、地の栄養はあなた方が作ったものではありませんが、そこに何らかの神の祝福があるということを、そこを今一度思い出すという事です。
大きなことをしなくても良いのです。
ただ思い出し、自分たちが生きているのは、様々な人たちの恩恵によるものという、その気持ち一つですよね。
その思いが芽を吹き、そこから様々な魂の輝きが満ち、そしてそこからそれぞれの行動に移せることがあるのではないですか?
そこは得手不得手がそれぞれあります。
役割も違います。
ただ、まるで黒い煙に包まれているように人間は賢くなって頭で物を考え、心を輝かせる、魂を輝かせると言うことを忘れてしまっているのです。
まずその心を思い出すこと。
それを、一人でも多くの人がそのことに気づき感謝すること。
ただ私の神社や仏閣に参るという事ではありません。手を合わせるという事はそういうことでは無いのです。
あなた方が朝起きて当たり前のように太陽の光が上がる。そこに太陽の光を浴びて暖かいと感じそれに感謝する。
その当たり前のことこそ、そのあなた方が一人ずつが、そう思う温かい心が一つとなり、そのカケラが集まり、それが神に届くのですよ。
大きなことをする必要はありません。
ただ、その心が、魂があなたたち自身に訴えることに耳を傾け、それぞれの人たちができることをしていけば良いのです。
その願いの一つが、まず、この国が危なかったので、海神を封印から解き、まずは守りを固めました。
守りを固めたあと、正直納得いかないのが、多分、あなた方が海神を復活したことを、世の人間たちは知らぬまま恩恵を受けていることです。
でもそれでも良いのです。
なぜそれをするかと言うと、あなた自身が、それをしたいという思いが心の奥底にあるからです。
あなたの呼びかけで、何が立ち上がるか分かりません。
知らぬ存ぜぬとする人間もいるかもしれません。でもそこが問題なのではないのです。たった一人でも、そこが分かり、己ができることをすれば、その思いは届くのです。
要は結果がどうであるということではなく、それをその事柄を、状況を捉え、自分がどう動くかが大事なので、そこを神は見るのです。
あなたにこの事が降りかかってきたということは、あなたにそれが出来るということ。そして心の奥底では、それを伝えたいという思いがあるという事。
そういう人たちの元に、その心の奥底にある光に沿って、神々はそこに白羽の矢を当てているのです。
たまたまあなたに当たったわけではありません。
たまたまな出来事なんてありません。
そこがもしあなたの意思に反することであるのであればやめればいい。ただそこは私がこう言ったから、こうしろというのは違うのです。
私が全部の神々を代表して話すことはできませんが、なぜ神は拝むものになったのでしょうか。
わたくしが伝えたいのは、神と人間は手を繋ぎ合うことなのです。
拝むものではないのです。共に生きるものなのです。
この違いが分かってほしいのです、共に生きるものなのです。
神はあると思ったところに宿るのです。
神はいると思ったところに宿るのです。
神が宿るのも人間の心次第なのです。
神が突然そこに宿るものでは無いのです。そこに宿って欲しいと思う者がいたから、神が宿ったのです。
天津太祝詞にもあります。
『神は造りてあると知れ。哀れ消えゆく露さえも、神の命の籠りなば』
どこにでも人間が願えば、心の奥底から願えば、そこには神が宿るのです。
共に生きるということを私は強く思います。
拝むものでは無いのです。祈るものでは無いのです。共に生きるものなのです」









