2023年 04月 13日
脊翁律の言の葉
神湊 宗像神社にて
烏帽子を被って装束を着た男神が崋山に懸かった。私は尋ねた。
「どなた様でしょうか」
「私はセオリツ。三体に分かれた。我々は女神として、そして男神として。そして大きな一つとして、三体。
私はセオリツ。男神の形としてこちらに。あの祠には女神はおらんぞ。私がずっと入っていた。ここの神は最初から女神なぞはおらん。
もともとは二女神とイチキシマヒメ。
まあ、思っていたものが入っていなかったとして、思いは同じ。
この国の人々、この国、そしてこの国から繋がるいろいろな国の人たち、そしてこの地球という大きなもの。
それが上手く回るように、様々な神々がいるが、それはそなたたちも話していたように、人間が思い願うこと、その思いに呼応してそれぞれの神が成り立つ。
神というものは様々なものに姿形を変えることが可能で、そういう意味では八百万の神たちも、ほんとにあの姿をしているのかどうかは大きな問題ではない。
神々が、自分たちが作り上げたこの国、そしてこの地球と言うものを壊す前に、固め直す前に、少しの願いの元、まだ人間は信ずるに値するのか、そのお試しが今、様々な者たちによって行われているということ。
そなたたちはあの電波を通じて、様々なものを見ておる。今世界的な規模で行われているこの疫病。
最初はその疫病に恐れおののいていたが、今ではどうだ。その疫病を知ることにより恐怖というものがなくなった。そうやって人類は進化していった。
今ここにきて何を知るか。何を得るか。また元の位置に戻り、今から各々が各々を固め直す時期。
神々にしかできない事は神々に任せれば良い。そしてその神々が出した答え。それを受け入れるだけじゃ。
そなたたちは何ができるか。各々が今立っている場所にいて何を見て、何を考え、そして何を発信していくのか。そして何を後世につなげるのか。
そうやって奏でる音楽のように流れ、時は時を越え、魂の旋律は永遠に続いていく。
その風がなびく様に流れた旋律。
それが現在から未来へと。
それを知った者たちが後世に何を伝えていけるのか。
各々が立ち止まり考える時。それを持ち、またそなたたちのように心ある者たちが育っていく。
すべては流れていく。その流れにあらがうことなく、今一度できることを。
これが、私がセオリツとして見届けるよう、天から命令されたことだ」
私は尋ねた。
「見届けるというのは、私達を、ですか」
セオリツはうなずいた。
「人というものは、もちろん最初は神から作られたもの。
それが何千年の時を越え、どういうものになっているか。
まだ生かして進化をさせていくべきものなのか、ここで一旦断ち切り、また創造し直すか、生み出した者には責任がある。
見届けるのは神。
手を貸すのも責任。
そして破壊し、また作り直す、固め直すのも責任。
それはそなたたち人間がすることではない。
何かをしたから安泰ということもない。
日々、慎み、考え、人間として為すべきものを為す。
神や仏につながる。
恐れることはない。
一番の恐怖は、何のために生まれたか、何も為さぬまま、命が尽きる事。
その中で、与えられた時間というのは、大差ない。
与えられた時間で、やみくもに時を過ごすこともあろうが、案ずるでない。
この国が、全世界が、地球が、安泰であるということはない。
神を知り、仏を知り、人間という己を知り、何が芽生えるか。
恐怖で抗う必要はない。
起こったことは、起きた事。
何もできなかったことは、出来なかった事。
今から起こるやも知れぬ。起らぬやも知れぬ。
すべて時という流れの中での旋律。
起承転結。
そなたたち人間の中で、自分の肉体が朽ちるまで、成したいと思う事を為せばよい。
天はここに、生きとし生ける者、何千億人のことは、必ず見ている。
あらがうことなかれ。
あらがうことなかれ」
セオリツはそう言うと、次のように指示した。
「私を一体にし、ワダツミの元へ。そなたたちがすべき事は終わる。
六角形の箱に三つを入れて太陽へ」
こうして、セオリツの三つの分霊は一つになった。









