いよいよ「筑紫君磐井をたずねて」の第五回は最終回になります。
「季刊邪馬台国」に連載中ですが、12月号で完結します。
第五回のタイトルは「磐井君の菩提寺が建立されていた」です。
バスハイクや歴史カフェ、久留米大学で解説した磐井君の菩提寺。
それは龍光山恵華寺という名で、福津市にありました。
何度も火災にあって、椎ケ元観音に焼け出された本尊が残るだけですが、
その史料を読むことが出来て、皆さんに公開することができました。
この菩提寺の建立時期が奈良県の飛鳥寺とほぼ同時期で、日本の寺史がひっくり返る可能性もあり得ますが、その時代や背景の考証を丁寧に記述しました。
こうして五回分のタイトルを並べると壮観です。
宮地嶽古墳の謎から始まって、いわゆる磐井の乱(528)の後に起こった磐井残党の乱、大伴金村によって娘婿を殺された物部麁鹿火(あらかひ)が磐井討伐の総大将にならねばならなかった背景、
求菩提山(くぼてやま)に伝わる鬼会(おにえ)の鬼。
バラバラにされた磐井君の亡骸。
そうそう、磐井君が死んだという鬼の木にバスハイクで訪ねた時には、突然の雷と猛烈な雨に遭いましたね。
磐井城が何処にあったのかと言う謎も「高良山雑記」をクジラさんがくれて高良山の麓にあったことが分かりました。
そして、鞍橋君が磐井君の孫だったことを伝える熱田神社。これを教えてくれたKさん。
熱田神社は今月のバスハイクで探訪します。
もうどれもこれも、ブログを通して出会った皆さんからの情報に支えられていました。
飛形神宮の動画が出来た時、理由もなく宮司さんと繋がった電話。
そんな不思議な事もありました。
とりあえずは、こうして形に残せて、本当にうれしいです。
これが書籍になるかどうかはわかりませんが、一本にまとめることまではしておこうと思っています。
ちなみに上の画像の石人、頭と腕がありませんが、熊本県立装飾古墳館で会えますよ。
雑誌が出たらまた案内します。
磐井君との不思議な縁でここまで形にできました。
結論は、磐井君は倭王だった。そして「磐井の乱」の真実は「磐井への乱」だった、です。
見えない世界の人々に導かれてここまで追求できたことに感謝したいと思います。
<20231025>
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