2023年 12月 19日
織姫神と機(はた)織りする娘たち
来年、2024年の2月には日本武尊と斉明天皇の史跡を巡ります。
場所は遠賀川の下流域。
中間市や水巻町を中心に回りますが、資料を作成していて、この地方には「稚産霊」(わくむすび)の神様があちこちに祀られていることが分かりました。
初めて出てくる神様ですが、その身体から蚕(かいこ)や五穀(ごこく)が生じたという女神です。
カイコ!
つまり「絹の女神様」なんですね。
筑豊地方は絹織物が盛んだったことが分かります。
「桑や蚕が無事に成長しますように。
美しい絹織物が織れますように。」
娘たちがそんな祈りを捧げたようすが目に浮かびます。
そこにいたのが砧姫(きぬたひめ)です。
日本武尊が見初めた彼女は砧を打っていた所を見初められます。
織り上がった麻や木綿(ゆふ)そして絹。
それらを砧で打って柔らかくして光沢を出したわけです。
で、ふと思ったんですね。
砧姫は都から流れてきた身分が高い人の娘らしいです。
つまり、何もできないお姫様だったんですね。
で、生きていくための生業として砧打ちしか出来なかったのではないかと考えました。
機織りなど、高度な技術を持ち合わせなかった姫君。
村の人たちが生活していけるように砧打ちの仕事を与えたのではないかと。
自分も、もし機織りの村に逃げ込んで生きていくとしたら、出来るのは砧打ちかな……。
しかし、砧打ちも、ムラなく同じ強度で打っていくのですから、大変な作業です。
大変でも、仕上がった布の輝きを見れば、苦労も吹き飛んだことでしょう。
稚産霊神からそんなことを考えました。
一方、天忍穂耳の妃はタクハタチヂ姫。こちらも機織りの女神です。
四国では紗(しゃ)のように透き通った布を織る技術があった女神として祀られています。
スケスケの布は古代の人にとっても、おしゃれに見えたようです。
源氏物語の絵巻にも、腕が透き通って見える着物が描かれています。
魏の出土品展が福岡であったとき、透き通った布が展示されていました。
当時からそんな技術があったんですね。
それには総刺繍がなされていたのですが、なんとチェーンステッチでしたよ。
万葉集には結婚を夢見て女の子が機織りする歌が載っています。
腕輪に足輪(アンクレット)。
おしゃれをして機を織っていました。
当時の結婚適齢期は中学生頃。
それまでに女の子は十数枚の布を織り上げなければなりませんでした。
「好きな人に出会って、着てもらうの」
そんな歌が詠まれています。
「隋書」には倭人は好き合った人と結婚すると書かれています。
自由恋愛だったんですね。
万葉の娘たちは、夏に腕まくりをして葛を採取して繊維にして機織りしました。
現代でも葛の布は艶があって高級品だとか。
娘や妻たちは露草を採って来てしぼり汁で布にデザインを描きました。
機織りは大変だけど、その手触りはきっと心を豊かにしてくれたことでしょう。
<20231219>









