季刊『邪馬台国』で筑紫君磐井の事を3年かけて五回書きました。
そして、次のテーマは朝倉橘広庭宮で崩御した斉明天皇と皇子の天智天皇の話です。
朝倉橘広庭宮は朝倉市にあるのですが、場所が特定されていません。
既にこのブログでは宮野神社の所であることを書いていますが。
斉明天皇の磐瀬行宮の場所も見つけることは、福岡の歴史人がしなくてはならないことと考えていました。
バスハイクでの案内では既に述べましたが、それは中間市にありました。
また、那珂川市には長洲宮。
現地を調査しながらバラバラに書いたので、それを総合したものを雑誌に書きます。
長洲宮に関しては、真鍋大覚が那珂川の広報誌に何度も書いていますが、誰も関心を持たないことを嘆いていました。
思えば、白村江戦で敗戦した後なので、忘れ去られていく運命なのかなと思いました。
そして、今も関心が薄いのが現状です。
それでも神社を訪ねていくと、不思議に全体像が見えていきました。
またもや「日本書紀」が書かなかった部分を描いていくことになります。
今日は第一回の推敲の目途が立って一息ついているところです。
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