2024年 06月 01日
謎解き万葉集 筑紫館は雁ノ巣にあった?
鴻臚館(こうろかん)が発見されるきっかけとなったのは万葉集の「筑紫館」で詠まれた四首だ。
が、それを読むと、何度見ても位置関係がおかしい。
四つの歌が描く景色は次のようになる。3652番~3655番
① 海ノ中道の塩焼きが見える。(海ノ中道遺跡は塩焼きの跡が出た遺跡)。
② 志賀浦の夜釣りの船の明かりが見える。
③ 香椎江に鶴が鳴いて飛んでいくのが見える。
④ 山の松陰でひぐらしが鳴いている。
ところが、鴻臚館からは香椎が見えない。海ノ中道の塩焼きの煙も見えない。
これは問題が大きい。
鴻臚館と筑紫館は別だったのではないか。
そんなことを以前、書いた。
今回、バスハイクで四首を読みながら船に乗って志賀島に行った。
フェリーが着いた所は志賀海神社のすぐ近くだ。
港から真っすぐ歩けば志賀海神社に着いた。
車で行っては掴めない新たな感覚だった。
そして、志賀海神社の境内に印鑰神社(いんにゃくじんじゃ)があることを思い出した。
印鑰とは「印鑑と鍵」のことだ。
役所があった証しになる。
印鑰神社が何処からか移されたのは記憶にあった。
いったい何処から遷されたのか。
今回、あらためて見ると、「雁ノ巣」(がんのす)と書かれていた。
雁ノ巣は飛行場があった所だ。そこに役所があっのだ。
飛行場が造れるほど平地がある。

看板の説明は次のようなものだった。
「末社 印鑰社(いんやくしゃ)
御祭神 久那土神、天磐楠船神、迦具土神
御神徳 入口の神として邪厄を祓う
不勿来社、船玉社、愛宕社の三社が雁の巣にあった航空隊の奉安殿移築とともに合祀された社」
雁ノ巣に三社あって、入り口を守る神、船を守る神、火の神がそれぞれに祀られていたがそれが、合祀されて印鑰社となったらしい。
三社合わせて新しく社号を付けたのだろうか。
もともと印鑰社もあったのか。
これ以上は分からない。
とりあえず、雁ノ巣を前回の地図に加えた。

何だよ。志式神社の裏手じゃん!!!
安曇水軍と書いている所に志式神社がある。
そこに外洋船を付ければ、香椎宮に小舟で簡単に行ける場所ではないか。
大伴旅人のような大宰帥(だざいのそち)は、まずは香椎宮で赴任の挨拶をし、綾杉の小枝を冠に挿すしきたりがある。
航路を考えると、志賀島の沖を回るより、奈多で上陸した方が簡単だ。
そこに印鑰社があって事務手続きをしたに違いない。
その役所とは筑紫館だ!
雁ノ巣ならすべての条件が当てはまる。
以前は志賀島ではないかという仮説を出したが、訂正しよう。
「筑紫館」は雁ノ巣にあり、まずは都から来たり、あるいは向かう人たちの事務処理をした所。
「鴻臚館」は本格的な外交施設。
二つがそれぞれ機能していたと考える。
<20240531>