真鍋大覚の星の話の推敲、6回目を終了しました。
6回目から印刷したものを推敲していますが、パソコンの画面とはまた違って、訂正するところが沢山でてきます。
これは、ブログに書いた内容ですが、まとめてみると、なかなかのものです。
書くスピードから読むスピードに変えて、構成を見直し、また新たな構成で読み返す。そんな事をこの先も繰り返していきます。
まだまだ気持ちを緩められません。
でも、少し離れて内容を忘れるという作業も必要です。
で、今日はずっと気になっていたラジオ放送の続きのデータを整理しつつあります。
今、RKBラジオは安曇族に関して、長野県の安曇野市を探求してあります。
安曇野市で出た百済仏と対馬の百済仏が似ている点。
また、明科(あかしな)廃寺が安曇族の寺、という説が有力だという点。
などを放送されました。
それに注目して、宮地嶽神社の阿部氏が安曇族であること。
その祭神は葛子の子であること。
磐井の孫が磐井の菩提寺を建立した時期と比較すると、安曇野市の仏像や廃寺との接点がきちんと出てくること。
など、伝えたいことが沢山出てきました。
すでに『季刊邪馬台国』で発表したことですが、視点を変えるとまた理解が深まります。ラジオで上手く解説できるように、準備だけはしておきたいと思います。
また、バスハイクでは八代市に行きますが、そこで伝わる百済王子、また、磐井を討った張本人の大伴金村の伝承が出てきました。
何故、大伴金村は朝鮮半島の四県や港を百済に無償で渡したか。
その理由が見えてきそうです。
また、おいおい文章化できたらと思います。
<20240806>