「筑紫なる斉明天皇と天智天皇」の第一回を校了しました。
「季刊邪馬台国」の次号に掲載されます。
白村江戦を前にして斉明天皇が福岡に来たことが日本書紀に書かれていますが、具体的に何処から何処に行ったのかなどは全く分かっていません。
白村江戦の敗戦は福岡の歴史に多大な影響がありました。
特に斉明天皇の場合は戦争を前にして崩御したので、人々の心から早くに消えたのでしょう。
それは仲哀天皇が同様に戦争前に崩御したために、印象が薄れたのと同じような感じがします。
それでも、福岡には意外に沢山の神社に記録があったので、それを整理して、斉明天皇から天智天皇までの具体的な足跡を描くことが出来ました。
ブログの前の記事を見ると、もう6年以上も前から原稿に取り組んでいたんですね。
世に出ない6年間も必要な時間だったようで、その間も新たな伝承に出会い続け、さらに記録は詳細になっていきました。
斉明天皇は何処に滞在したのか。
今回は、中間市と那珂川市にそれぞれの宮があったことを具体的に記しました。
那珂川市に関しては真鍋大覚が市の広報誌に掲載していたのを復元するスタイルになりました。
真鍋大覚にはお世話になりっぱなしです。
また、チェリーさんに正確な地図を描いてもらって、すごく分かりやすくなりました。
雑誌の発行が11月から12月頃になるそうで、ずいぶん先のことになりますが、具体的になったらまた案内します。
磐井君の号の場合は第一回と第二回がすぐに売り切れていまいました。今回は大丈夫と思いますが、梓書院に直接送ってもらうのが確実です。
福岡の歴史を後世に伝えたい。
そんな思いだけで原稿に取り組んでいます。
テーマが沢山あるので、分類しながら一つずつ仕上げていきたいと思います。
磐井君の話もまた一冊になるように時期を見て取り組んでいきます。
私のライフワークですね。
<20240808>