2024年 08月 17日
健磐龍命の阿蘇カルデラの水抜き と 霜神社のお火焚き神事
健磐龍命の阿蘇カルデラの水抜き と 霜神社のお火焚き神事
熊本県に行くと、健磐龍(たけいわたつ)命を祀る神社が沢山あります。
健磐龍命は阿蘇を開発した人で、神武天皇の孫に当たります。
阿蘇を開発した、とは阿蘇カルデラの水を抜いたということです。
広大な阿蘇の外輪山の一部を蹴破って水を抜いた伝承がありますが、地形図を見ると、地震などで一部が破壊された可能性は十分に考えられます。
それが健磐龍命の伝承となったのかと思っていましたが、阿蘇の神社群による炎のピラミッドを改めて読み直すと、実際に人為的に岩が破壊されて、水抜きの水路が造られた可能性が出てきました。
その手掛かりが霜神社の火焚き神事にあるというのです。
霜神社は阿蘇神社のすぐ近くにあって、毎年幼い女子によって二か月余り、火を焚く神事があります。
現代でも形を変えて行われていて、スケジュールも決まっていますが、旧暦を見ると、7月7日から9月9日となっていて、すごく分かりやすいです。
この火焚きの目的は、通説では鬼八(きはち)が祟って霜を降らせるので、それを祀ったものと言われています。
阿蘇は盆地なので、遅霜が降りやすく、成長した夏の苗などが凍ってしまう害があるのでしょう。それを鬼八の祟りとして畏れた訳です。
鬼八の伝承に出会ったのは高千穂峡です。「鬼八の力石」という巨石が河原にあって、注連縄が張ってありました。
鬼八は三毛入野(みけいりの)命に討たれた人です。三毛入野命は神武天皇の兄に当たります。鬼八の伝承は宮崎から熊本に掛けて広大なエリアにありました。
鬼八に関しては健磐龍命の家来という伝説もあって、時代的に矛盾があります。しかし、天皇家に滅ぼされた宮崎の長として、各地に伝承をもたらしたようで、上色見熊野座神社の岩の穴も鬼八が蹴破ったという伝説になっています。
無残に討たれた鬼八の祟りが霜神社の火焚き神事に繋がるわけですが、炎のピラミッドを表した田尻宮司は、この神事は岩を焼いて破壊したことを神事にしたものではないかと記してあります。
夏に二か月間焼いて、冬に水を凍らせて岩を割るという技法です。
冬に水を掛けて凍らせる技法は木を縦に割る時も使われます。
あの糸島市の平原遺跡の木棺。
縦に割られていますが、これも同様です。
炎のピラミッドの神社群の基本的な思想は「水と火の祭祀」となっています。
健磐龍命の蹴破りの神話は、このような技術の神話化と考えられます。
由布院にも、湖の水抜き伝承がありました。
これは神武天皇と側近の道臣によるものです。
神武天皇には安曇族の血が四分の三、流れています。
母方の血統で歴史を見ると見えてくるものがあります。
長野県安曇野市の宇都志日金拆命(穂高見命)も水を抜いた話があります。
宇都志日金拆(ひがなさく)命は豊玉姫の弟です。もちろん安曇族。
こうして水抜き伝説を並べてみると、安曇族の土地開発が見えてきます。
目的は何でしょうか。
もちろん、褐鉄鉱です。
葦原の下に眠る「褐鉄鉱」リモナイトの膨大な地層。
それを求めての土地開発。
鉄や赤色のベンガラを求めての大工事だったと考えています。
安曇野の宇都志日金拆の字には金属に関わる字が使われています。
妃とされる氷鉋斗賣(ひがなとめ)も、氷のような出来栄えの鉋(かんな)という字です。
これらは、冶金の民だったことを示す字です。
鉄穴(かんな)の字の変化も考えられます。
安曇族が安曇野を開発したのは褐鉄鉱を求めのことだとすれば、謎は謎でなくなります。
明日はバスハイクで偶然にも、そのポイントを回ります。
上色見熊野座神社は鬼八の蹴破り伝説。
阿蘇神社と霜神社は健磐龍命とお火焚き神事。
そして、米塚は健磐龍が米を積んだという!壮大なストーリーです。
阿蘇山を一周します。
午後から雨が降るかもしれません。
また、残暑が厳しいので、熱中症対策も必要です。
明日も、沢山資料を読んでいきますよ。
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