2024年 08月 23日
阿蘇神社 霜神社 上色見熊野座神社 炎のピラミッド
2024年8月18日のバスハイクで阿蘇山を一周してきました。
阿蘇はよくドライブに行きますが、歴史を訪ねていくと、全く別の世界が見えてきます。今回は、霜神社―阿蘇神社ー上色見熊野座神社-草千里―米塚のコースを採りました。
予定の反対回りをしましたが、コースが変わると、これまでとは異なる阿蘇の風景を見ることになりました。印象的だったのが、霜神社と阿蘇神社を繋ぐ旧街道とずっと視野に入って来る根子岳(ねこだけ)でした。
最初に行ったのが霜神社です。
この霜神社の境内の形はもともと真円で、参道から入って行くと、まるでフラットな前方後円墳を訪れているような印象を受けました。今は左手の方が道路で直線的に削られています。
霜の字から、鬼八の霜の害を受けぬように火を焚くという話になっていますが、本来は阿蘇神社の下宮が、霜宮になったのではないかという田尻宮司の説が納得できました。
霜の字は後付けだろうという印象を持ちました。
「炎のピラミッド」の発見者が田尻盛永宮司です。
田尻宮司の説は、阿蘇カルデラの湖を健磐龍命(たけいわたつ)が大岩を蹴破ったという神話の実際は、水路をふさぐ大岩を真夏に焼き続け、真冬には水を掛けて凍らせて、ヒビを入れて割って水を通したことを、火焚き神事として伝えたというものです。
石や木を割る方法の巨大版ということです。
霜神社を後にして阿蘇神社に行きました。途中の旧街道がよく残っていて、かつては阿蘇神社と霜神社を一緒に参拝するブームがあったのではないかと思われました。ここを通れたのは良かったです。
そして、地震のために倒壊した楼門は見事に復興していました。
色も蘇って美しかったです。参拝者も列をなして、阿蘇開拓神として健磐龍命が慕われているのが伝わってきました。
上色見熊野座神社とウゲド岩と根子岳
それから外輪山を乗り越えて上色見熊野座神社に。
ギザギザの山頂が特徴なので、すぐに分かります。
神社の駐車場が整備されていました。
長い参道もゆるやかな石段です。
真夏の暑い日差しの日でも、参道は日陰で涼しく登ることが出来ました。
神社の左手から舗装された小道をさらに登って行って穿戸岩(うげどいわ)へ。
10メートルほどの厚みの堆積岩の壁にアーチ型の穴が開いています。
裏手から見上げると波の浸食後があり、造山活動があって今、山頂部に君臨しているのが驚
参道を降りて来て見えたのが根子岳。
杉の木がなかったら全容が見えていたことでしょう。
この神社は根子岳を見ていました。
神社の祭神は伊邪那岐命と伊邪那美命です。
熊野の社号から、和歌山の熊野神社との関わりが指摘されていますが、熊野神社なら伊邪那美尊と二神なので、異なっています。
高千穂地方の神官系の子孫の方が、安曇族が高千穂に入って来てこの二神を一帯で祀った話を伝えているので、その関係で見ると、歴史が見えてきそうだと思いました。
帰りは草千里を通り、米塚が時折姿を見せるのを車窓から見ながら帰りました。
米塚は俯瞰した観光写真をよく見ますが、それを見る展望所はありませんでした。
3000年前に噴火したものということで、縄文時代に出現した火山だそうです。
さて、9月29日(日)は八代の古代史を見に行きます。こちらは渡来の話が沢山でてきます。
10月は27日(日)、日田市に行きます。魏の曹操の鏡と同じデザインの鉄鏡が出土しています。現物の見学を期待していましたが、現物は九博にあるそうです。
これほどの物が出土する日田市の古代とはどんな所か。
コースが決まったら、また案内します。
<20240823>
バスハイクの申し込みは「歴史と自然をまもる会」092-408-7140
092-406-8725(2024年7月から)
(火曜日~金曜日 10時~16時)
参加費 5000円 当日払い
集合場所 天神日銀横(ファミマ横)勝立寺の前
出発時間 9時出発 1
集合時間 8時45分
初めての方、日銀前ではなく、日銀横の勝立寺の前です。ファミリーマートまで出るとバスが見えます。
雨天決行です。
パソコンでの作業になりますが、Google マップを開いて「霜神社」を検索します。+を2回ほど押して、少し拡大します。マウスを使って、地図をほんの少し動かして、カーソルの矢印を霜神社に合わせます。
その後は、キーボードの→を押して、地図を右方向に動かしますと…まず、火炊殿を通ります(Google マップが印している、その左の建物だと思います。更にその左は神楽殿だと思います)。そのままずーっと地図を右方向に動かしますと…阿蘇神社に至るのです!
霜神社本殿・神楽殿・火炊殿・阿蘇神社は、一体のものだったかもしれません!!