2024年 11月 02日
4 日隈神社 磐座の山だった
さて、日隈神社の御題は人工かどうか。
これはチェリーさんが調べてくれた画像だ。
北側に駐車場が完備されていて亀山公園という名になっていた。

北に鳥居があり、そこから登っていくと、普通の道だったが、
途中から岩が出て来た。
そして、少し開けて広場になっている所に沢山の岩があった。
ここは磐座の山ではないか。
広場の石を見ていると、割れた石が気になった。

道からコンパスを当てて観察すると、割れ目が東西に平行になっている。
割れ目の前に立てば真東を確認する地点があるのだ。
小さな磐座だが、天文観測にはもってこいの大きさだった。
ここから東の日の出を観測したのだろうか。
あとから確認しようと思ったが、道に迷って違う道から帰ることになって、それ以上調べることはできなかった。
この山の石は月隈山の石とは全く異なっていた。
この壁を超えると神社の前に出た。

真っすぐだ。いずれの時代かに整地されている。
祭神がとても珍しい。
後醍醐天皇、楠木正成、春日大神となっていた。
後醍醐天皇と楠木正成は明治維新後、明治3年にこちらに遷宮して日隈神社と称すようになったという。
一番古いのが春日大神で、天正以前から鎮座していたのが、慶長6年(1601)にいったん他所に遷され、安政3年(1856)にこの山に戻り、大正9年(1920)に合祀されたという。
春日大神しか分からないが、春日大社では武甕槌命、経津主命、天児屋根命、比売神で、中臣氏(藤原氏)の氏神だ。思い起こせば、最初に参拝した月隈神社にもこの四柱が祀られている。
「春日」はもちろん「かすが」と読むが、倭人は春の彼岸の中日を「しゅんぴ」と呼んでいたという。それはスピカが変化した言葉でもあり、そしてスピカは春分の日に出る時代があって、暦の女神として信仰された時代がある。
まさしく、日隈にふさわしい暦の痕跡があった。
フラットな山頂の木々が無ければもちろん朝日が観測できただろう。
もし東に二上山があれば最高だが。どうだろうか。
さて、帰り道に左折するべき所を右折してしまったらしい。違う道に出て迷ってしまった。

そこから降りた所に大きな磐座があった。
そこから東の日の出を祭祀したのではないか。

そんなことを想像しながら、振り返ると、巨大な岩盤があった。
そこには何と、稲荷社が祀られていた。
磐座と岩盤はかつての造山活動が生み出した地形なのだろう。
この山が三段構成になっているのは、これらを基盤として成形したのか。
その結論は出なかった。
こうして、三隈(みくま)という月、星、日の三つの丘を回った。
稲荷社や地名や地形。
それらは、やはり三つの氏族によるそれぞれの天文観測所と考えても問題はなかった。
<20241102>











