2024年 11月 05日
安曇族の足跡を探る 第3回 高良玉垂宮 安曇磯良と武内宿禰 『高良玉垂宮神秘書』
安曇族の足跡を探る 第3回
高良玉垂宮 安曇磯良と武内宿禰 『高良玉垂宮神秘書』から
【RKB案内文】
安曇族の長である安曇磯良は大川市の風浪宮の初代宮司となりますが、磯良は高良山とも関係が深いといわれます。
磯良は神功皇后に仕え、朝鮮出兵では水先案内したり、神功皇后の手足となって大活躍します。
その功績で、神功皇后は高良山の支配権を磯良に与えたといいます。
当時、高良山では銅が採れていたそうですから大変な支配権です。
古代でも、船代や軍備費は必要だったようで、住吉族には水田~裂田の溝を与えたのだそうです。
【綾杉るな】
安曇族を探るというテーマに沿って、第3回は『高良玉垂宮神秘書』の内容から話をしました。
高良大社と志賀海神社には多くの共通点があります。
一つは拝殿の上の海龍の彫り物です。龍の背景には波が描かれています。
二つ目に、祭神には覆面の布を奉納していたと記録されています。覆面の神といえば安曇磯良です。
三つ目に、神が高良山に来た時、三本の小松を持ちこんで植えた行事を「子(ね)の日の松」といって、平成になって再現されました。「子の日の松」は志賀海神社の祭事にたびたび登場します。
四つ目として、「玉垂」とは干珠満珠を授けたという意味だと記されています。このほか、高良山の始まりを記す縁起書には武内宿禰が安曇磯良から干珠満珠を借りて朝鮮半島の敵船に勝った話が記されています。
「高良玉垂命」と「高良の神」は別神で、それぞれ安曇磯良、武内宿禰を指しています。
かつては上宮が安曇磯良で、下宮が武内宿禰でした。
高良山に安曇磯良が高良玉垂命として祀られる理由は、神功皇后は軍の支払いとしてその支配権を与えたからと考えられます。高良山は銅と温石が採れる山です。
神功皇后がさらに風浪宮に綿津見神を祀らせたのも、国際港だった榎津の支配権を宣言したものと考えられます。
支払いについて、住吉族に関しては日本書紀に書かれています。
そこには天皇の龍船と水田が要求されたとあります。この時、仲哀天皇は大変怒り、それが神の怒りに触れて死の原因になったように書かれています。
水田については那珂川市に裂田溝(さくたのうなで)を作ることによって水を保障した話が現人神社に伝わっています。
高良山の祭神が安曇磯良から武内宿禰に入れ替わったのは白村江戦での敗戦が契機となりました。
仏教を拒んでいた高良山ですが、物部美濃理麿保続という大祝(おおほうり)が高良山を守るために「玉垂命が発心して菩薩になる」という託宣が降り、美濃理麿保続は「神の俗体を受けた」と宣言したのです。
これが「秘すべし」という『神秘書』の秘密の一つでもあります。
ラジオ放送はこちら
rkb-radio.jp/kodai/241020kodai.mp3
【神功皇后伝承を歩く】
第1回 1忌宮神社 2024年3月24放送
26回目 https://rkb.jp/contents/202403/188281/
豊浦宮 新羅軍の襲来 数方庭の祭 秦氏の渡来 仲哀天皇の殯斂地
第2回 2一宮神社 3勝山勝田神社 4織幡神社
2024年3月28日 放送
27回目 https://rkb-radio.jp/kodai/240331kodai.mp3
磐境神籬と神武天皇 旗竿 八本の旗 旗を織る 武内宿禰の沓塚
壱岐真根子
【安曇族の足跡を探る】
干珠満珠の動画を見ると分かりやすいです。
https://www.youtube.com/watch?v=ZlSaFlET898&t=48s
第1回 歩射祭のガラモ採りと干珠満珠 2024年4月28日放送
安曇族の神々 歩射祭 香椎宮の綾杉 和布刈神事 筥崎宮のお汐井採り
rkb-radio.jp/kodai/240428kodai.mp3
第2回 磯良の白い覆面とシリウス 2024年9月8日放送
神楽・磯良舞 早魚神事 八 中西の風 大西の風 対馬の嵐と三苫
https://rkb-radio.jp/kodai/240908kodai.mp3








