2024年 11月 07日
6 日隈神社 中臣氏は「かづらみびと」 北天の星を見る民
6 日隈神社 中臣氏は「かづらみびと」 北天の星を見る民
日隈神社の真東に月出山岳(かんとうだけ)があり、太陽や月の出の観測に適した山脈があることが分かった。
当社には春日大明神が祀られていたことから、中臣氏の祭祀があったことも分かる。春日はスピカ祭祀でもあり、春分の日にスピカが出るのが仲哀天皇、神功皇后の時代だ。
もう一つ、思い出したことがある。それは、中臣氏は北天の星を観測する氏だったことだ。これを「かづらみびと」という。物部氏が南天の星を見ていたことと対になる。
日隈神社は日田盆地の南にあり、北側にも山脈が見えていて、北天を観測するのに適した丘だ。よって、ここでは月も星も太陽も観測されたことだろう。

チェリーが月出山岳から南西に烏宿(からとまり)神社があり、完全な南西に当たることを突き止めた。
宿の字から、二十八宿との関連がないか調べて、同名の宿は無かったと教えてくれた。
烏宿神社をネットで見ると、役行者が天忍穂耳を祀っている。英彦山の神だ。
だが、それより祭祀は古いのだろう。湧水があり、それが祭祀に重要な意味を持ったと思われる。
烏宿を「からとまり」と読む語源は不明だが、おそらく「からす」の人たちが祭祀をしたのだと思う。
カラスは賀茂氏だ。その長が八咫烏になる。カラスは鉱山を結ぶ山道をよく知っており、飯塚市で山道で迷った三女神を導いたというのも、賀茂氏が山道をよく知っているからだ。
さて、日田市には日の出の地名があったはずだと思い出して、地図で確認すると、それは月隈神社の東にあった。
そしてもう一つ、九州にある地名に「日出」(ひじ)がある。それは遠いな、と考えていたら、チェリーが同じ事を考えたらしく、日出もまた日隈の東にあることを知らせて来た。
だんだん、話が広がっていく。
何処まで広がるのか。
と困惑していた時に、ふと「ウズの結界」を思い出した。
飯塚市の宮地嶽神社の謎の祭神、勝守をチャネリングした時に教えられたものだ。
倭国、九州を守るために結界が張られたという。
それは福津市の宮地嶽神社から発している。
勝守は「それを探さなくても良い」と語った。
しかし、日田がそれの一部ではないか。
ふと、そう思った時、私の思考はぐるぐると巡りはじめ、途方に暮れるのだった。
<20241107>

スタートはスピカなんだ…
水巻町にはインド占星術も出てきますし……

ご紹介ありがとうございます。