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ひもろぎ逍遥

7 玉垂神社 くろどん様とは武内宿禰

7 玉垂神社 くろどん様とは武内宿禰



月、星、日の三つの隈の中央にあるのが玉垂神社だ。そこで集約して暦作成をしたのではないか。そんな仮説を持って玉垂宮に参拝した。



7 玉垂神社 くろどん様とは武内宿禰_c0222861_12495645.jpg


これまでの三隈は階段ばかりだったが、初めて平地の神社だ。



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祭神は武内宿禰。



7 玉垂神社 くろどん様とは武内宿禰_c0222861_12505352.jpg


鳥居の神額にも「黒殿神社」と書かれている。「くろどん様」とは武内宿禰のことだ。


ちょうど、RKBラジオで高良玉垂宮の祭神について話をしたことを投稿したばかりだ。


「玉垂命」(たまたれみこと)とは安曇磯良で、「高良の神」が武内宿禰だ。


高良山の上宮は安曇、下宮は物部と分けていたが、白村江戦後、仏教を取り入れなくてはならなくなり、「玉垂命が発心して大菩薩になる」という託宣が出たことにした。


それが白鳳二年のこととして『神秘書』に出てくる。こののち数百年の時を経て、上下宮とも武内宿禰となっていった。



 武内宿禰が物部氏の祖と分かったのは日下部氏の系図に書かれていたからだ。その名は物部保連(やすつら)という。


 この日下部氏が日田の風土記に出てくるのである。


それによれば、日下部君の祖に当たる邑阿自(おうあじ)が日田の靭編郷(ゆぎあみのごう)に靭部として着任する。


時代は欽明天皇の時とあるので、磐井の乱から十年程たった頃だ。靭編郷は余所(よそ)神社がある所で、その丘陵の端にダンワラ古墳がある。


余所山はもともと日田郡の最初の国造鳥羽宿祢の館があった所なので、こここそ国長の地だったのである。そこに日下部氏が居館を構えた。


 話を玉垂神社に戻すと、祭神が武内宿禰となっているのは日下部氏の影響があったのかもしれない。時期は不明だ。縁起が残っていればと残念に思う。


冒頭の暦作成地の手がかりは無かった。ただ、全方位観測可能な地だった。


20241108


by lunabura | 2024-11-08 12:52 | 日と鷹と三隈 | Comments(0)

綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『豊玉』『星の迷宮へのいざない』   Since2009.10.25
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