2024年 11月 10日
9 鏡坂 風土記 景行天皇が国見をした
複数の地図を見比べていると、日隈丘の南に鏡坂公園が出て来た。
そこは風土記に書かれている「鏡坂」だった。景行天皇がこの坂から国見をして「この国は鏡の面のようだ」と言ったという。
これは明らかに日田盆地が湖沼の水を抜いて生じた平地を表現したものだ。
日田で水を抜いたのが第五代ウガヤフキアエズの代だったというので、叔父の穂高見命が安曇野の水を抜いた後の頃の話だ。
日本は山がちの土地なので、平地といったら扇状地か湖の跡ぐらいなのだ。

今は家々が立ち並ぶが、景行天皇の時代には家もなく、田畑もない平地だったのだ。
その奥に山脈があるが、手前の方の台地に小迫辻原遺跡(おざこつじばる)がある。弥生時代末から古墳時代初頭にかけて三つもの環濠集落などが形成されたという。
小迫辻原の民と久津媛は同族なのか、あるいは別の民か。
別なら、互いを認知していたのか。
平和だったのか、敵対したのか、興味はつきない。

公園には天満神社が鎮座していた。
掲示板がないが、菅原道真公だろう。

そして、上を見ると龍の顔が。
安心院で現われた顔と同じだった……。
<20241109>