2024年 11月 12日
10 大原八幡宮 日田と苅田町にある二社の繋がり 大原足尼
日田盆地を見下ろす岬の地に鎮座している。

宇佐八幡宮からの勧請ということで、短いながら参道も「横参道」の様式を踏襲していた。

祭神は
誉田別命(応神天皇)、大帯姫命(神功皇后)、比売大神(三女神)
宇佐八幡宮と同じだ。
この神社は四度の遷宮を経て現在地に鎮座している。
始まりは西暦680年のことで、靭負郷岩松峰(天ケ瀬町)に「宇佐の鷹の居の社にいます神」が顕れて鞍形尾神社になった。その社号も変化しながら「大原」に至っている。
苅田町の同名の大原は?
注目する点は、同じ社号が豊前の苅田町にあり、そことの関わりがどうなっているのか、ということだった。
苅田町の「大原」は、饒速日の末裔の大原足尼(すくね)の名にちなむもので、日田市の方も同様の可能性はないかと考えていた。しかし、日田市には大原足尼の名はなかった。
推論もここまでかと思ったが、ダンワラ古墳を案内してくださった熊谷久美子氏から「遷座を繰り返す大原八幡宮 その元の祭神とは」という小論文をいただいた。
結論として日田の大原八幡宮の本来の神とは大原足尼命とその子の小登與命ではないか、と推定されていた。
もしかしたら、日田市には八幡神とは別に大原神の祭祀があって、上書きされたのかもしれない。
そして、思いがけない話があった。
苅田の方が火事に遭った時、日田の方から宝物の一部が奉納されたという。
それは鎧の脛当てで、一対のものであることを熊谷久美子氏は確認した。
ある時代まで、やはり大原足尼の名が残っていた証しだ。
大原足尼という人
福岡県東部と大分県にまたがる豊国全体の国造なのである。
物部氏だ。
日田市と苅田町はそれぞれ豊国の西と東にある。
豊国の開拓の祖とされる大原足尼を豊国の東西で祀るのは理にかなう。
大原足尼は神功皇后の時代の人だということで、時代的な手掛かりも残されていた。
日田には三韓討伐の時に軍事会議を開いた話があり、大原足尼の時代と考えれば、かなり具体的に歴史が描ける。興味深い話だが、これに関してはまた別の機会に考察しようと思う。
12月のバスハイクでも、豊前の大原八幡神社に再訪する予定だ。
<20241112>