白村江戦を前にして斉明天皇が百官百寮を連れて福岡に来ました。
嵐にあって遠賀川流域に避難して中間市に滞在しています。ここを磐瀬宮といいます。
日本書紀には磐瀬宮の名前を長津宮に変えたとありますが、那珂川市にありました。
そこは広大な敷地で、のちの天智天皇は持統天皇なども滞在しています。
これほどの規模の宮が何処にあるか、これまで不明でしたが、それぞれ神社誌や真鍋大覚の記録から復元を試みました。
ブログでもバラバラに書き、バスハイクでもエリアごとに訪問したので、点と点が繋がる話になります。
福岡県の古代の歴史を知るのに、斉明、天智天皇の動向も必要不可欠です。
5回ほど連載する予定です。
季刊「邪馬台国」145号
順次、書店に並びます。
是非、手に取ってごらんくださいね。
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