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ひもろぎ逍遥

終わったけど


磐井君の一本化、ようやく最後に辿り着きました。

それでも一晩経つと、まだまだ手を入れる所に気づかされます。

『隋書』は古墳時代の事が書かれていますが、今読み返すと、白黒版がカラー版になったように理解できます。

それを書き込んで、終わりにしよう。

そして、寝かせては推敲という繰り返しの日々が来るのを待ちましょう。


あさっては19日(日)はバスハイクです。

福岡市西区を回りますが、今回もガイドさんに古墳の案内をお願いしています。

弥生遺跡から神社、古墳と神社、古墳から神社

そんな感じです。

糸島から連なる西区。

糸島の豊玉姫から五十迹手、そして御食入沼(神武天皇のお兄さん)さらには壱岐真根子。
このような人たちが海沿いにずらりと祀られています。

そして、あの小戸の龍王神社へ。

最後は、博物館です。

何だか、有名な刀剣も限定で展示されていて、ホットな小旅行になりそうです。

気温も緩みそうですね。

<20240117>






Commented by 月巴の国の住人 at 2025-01-22 00:44 x
筑紫君磐井は月読尊の子孫だと思います。
筑紫と筑肥この二つ言葉の語感が似ていると長年思っていました。
遅ればせながら、最近月読尊の事を知りました。
その治めた国が夜之食国「よるのおすくに」...
夜須という地名があるな
それに月読尊が治めたのなら筑の国ではなく本当は月の国なのではないかと思い至りました。
筑紫野は月日野
神話は古代弥生時代の史実かも知れません。
Commented by 月巴の国の住人 at 2025-01-31 22:38 x
筑紫君磐井が月読尊の子孫だと思う理由その2
グーグルマップで北部九州を月読神社で検索すると筑後地方、しかも筑紫君磐井の本拠地である筑後地方南部の平野に多く分布(境内社含む)しているのが一目瞭然です。よほどの名君だったのでしょう。現在でもしっかりと祀られています。この事から月読尊が三貴子で最も影が薄い理由が推察できます。その活躍が九州内に限られた事と子孫が中央に対して反乱を起こした為に存在が消されたのではないかと....
ここで室町時代の連歌師宗祇の筑後川に関する歌を一つ「名月はふたつ(筑前・筑後)こそあれ一夜川(筑後川)」
この時代には、月の国も夜之食国も生きていたようです。
by lunabura | 2025-01-17 16:22 | にっき | Comments(2)

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