2025年 02月 28日
四十八躰の皇子 『高良玉垂宮神秘書』 342条
『神秘書』をあらためて、構成し直しています。
最初は高良大菩薩が誰なのかを突き止めるために必死でしたが、安曇磯良が武内宿禰、底筒男へと変化していったことが分かりました。
これを理解して分かりやすく構成しなおしているのですが、またまた新しい発見が出てきました。
今回はその中でも、ドキドキするような光景を紹介します。
それは「四十八躰の皇子」という存在です。
「九躰皇子」(くたいおうじ)なら玉垂命(安曇磯良)の九人の子として知られていますが、「四十八躰の皇子」は知られていません。
三韓征伐のために新しい船が48艘造られたのですが、それぞれに高良大菩薩が顕現しました。それを「四十八躰の皇子」と呼んだというのです。海神の守護ですね。
そして凱旋の後、高良玉垂宮の神殿に四十八躰皇子が祀られました。
五間のうち、中の五間に高良大菩薩が鎮座し、左右に二十四体ずつ、合計四十八躰の皇子が祀られていたといいます。 四十八の像が並んでいたとしたらそれは壮観だったことでしょう。
三韓出兵の時には、船は西は唐津から糸島、福岡、東は北九州市から、日を決めて一斉に出航しました。
安曇磯良が「アへの方の星」(北の星)という祝詞を挙げると、火清鳴弦(ひきめん)で弓を鳴らしました。
各地で出航する四十八艘の船にも、それぞれ掲げていた海神の守護の御験(みしるし)に海神の守護が降臨しました。
心躍る光景が目に浮かびます。
そして高良玉垂宮の神殿の奥にその光景が留められというのです。
【四十八躰の皇子 三四二条】
【本文】(カタカナ書きを漢字平仮名分に直した)
高良の宮は八尺間、五間なり。中の三間は三所大菩薩おわします。両の端二間には、一間に二十四躰ずつ、四十八躰の皇子なり。異国征伐の時、四十八艘の御船に高良四十八人と顕じ給う。その例を忘れ給わず、四十八躰の皇子とは申すなり。
【訳】
高良の宮は八尺間で、五間である。中央の三間には三所大菩薩が鎮座されている。両端二間には一間に二十四体ずつ四十八躰の皇子が鎮座する。異国征伐の時、四十八艘の御船に高良大菩薩は四十八躰で顕現されたので、それを忘れず、四十八躰の皇子と申し上げる。
<20250227>









