2025年 03月 01日
第6回 阿部の島 宮地嶽古墳の高鉛ガラス 磐井の菩提寺 安曇族シリーズ
百済の聖明王が筑紫に救援を依頼し続けたことが日本書紀に書かれています。
当時の筑紫君は葛子君です。葛子君は我が子の鞍橋君を百済支援に派遣しました。
ただ、磐井君が阿倍氏であることが伏せられていたため、磐井君と葛子君、鞍橋君が一族だったことが分からなくなっていました。
同じ「あべ」で、磐井君は正系の阿倍氏。
発音は同じでも阿部氏と書けば傍系だと「福岡県神社誌」に書かれています。宮地嶽神社がその阿部氏です。当社では祭神の勝村、勝頼が葛子君の子と伝えています。
宮地嶽神社は光の道が有名ですが、その先に見える島は相島(あいのしま)といいます。
ただ、江戸時代まで阿部の島と呼ばれていました。万葉集には「玉勝間 阿倍島」と書かれています。
宮地嶽古墳は国宝が出土していますが、そこから出た緑色の高鉛ガラス板に注目しました。
高鉛ガラスは当時、大陸で製造法が失われていたものが、隋王朝の時代になって再び作られるようになったばかりのものなのです。宮地嶽古墳とほぼ同時代のものです。
この頃、百済では弥勒寺が建立されました。ちょうど鞍橋君が助けた威徳王が亡くなったばかりです。その弥勒寺の仏塔の下には同じ高鉛板ガラスが敷き詰められ、仏舎利が安置されていました。
これは、隋で製造法が再発見されたばかりの高鉛ガラスが、百済経由でリアルタイムに宮地嶽古墳に奉納されたことを意味します。
祭神の勝村、勝頼の父の葛子君が百済を支援したことから、高鉛ガラス板が届けられたと考えられます。
また、同じ時期に宮地嶽神社の北、数キロの所に磐井の菩提寺が建立されました。龍光山恵華寺と言います。
これは磐井の孫、三兄弟・大石麻呂、須多田麻呂、磐の津丸によって建立されています。
この寺には聖徳太子が仏像を奉納しました。
聖徳太子は飛鳥寺の建設中で、磐井君の菩提寺のことを知っていたからにほかなりません。
飛鳥寺は百済の支援があったことが日本書紀に書かれています。百済王家を救った磐井一族の龍光山恵華寺も百済の技術援助があったと思われます。
こんな話をRKBラジオで語りました。
アーカイブはコチラです。
https://rkb-radio.jp/kodai/250223kodai.mp3
<20250301>
【神功皇后伝承を歩く】
第1回 1忌宮神社 2024年3月24放送
26回目 https://rkb.jp/contents/202403/188281/
豊浦宮 新羅軍の襲来 数方庭の祭 秦氏の渡来 仲哀天皇の殯斂地
第2回 2一宮神社 3勝山勝田神社 4織幡神社
2024年3月28日 放送
27回目 https://rkb-radio.jp/kodai/240331kodai.mp3
磐境神籬と神武天皇 旗竿 八本の旗 旗を織る 武内宿禰の沓塚
壱岐真根子
【安曇族の足跡を探る】
干珠満珠の動画を見ると分かりやすいです。
https://www.youtube.com/watch?v=ZlSaFlET898&t=48s
第1回 歩射祭のガラモ採りと干珠満珠 2024年4月28日放送
安曇族の神々 歩射祭 香椎宮の綾杉 和布刈神事 筥崎宮のお汐井採り
rkb-radio.jp/kodai/240428kodai.mp3
第2回 磯良の白い覆面とシリウス 2024年9月8日放送
神楽・磯良舞 早魚神事 八 中西の風 大西の風 対馬の嵐と三苫
https://rkb-radio.jp/kodai/240908kodai.mp3
第5回 百済王子余昌を助けた鞍橋君
2025年2月16日放送
長野県安曇野から出る百済仏の時代は筑紫君葛子の時代に重なります。
百済聖明王の救援軍要請に応じた葛子君は子の鞍橋君を百済に派遣して、百済王子を救ったことが日本書紀に書かれています。ただ、日本書紀には葛子君と鞍橋君が親子であることが分からないように記述しています。磐井君一族が百済を救ったことが安曇野から百済仏が出てくる背景にあるのではないでしょうか。
https://rkb-radio.jp/kodai/250216kodai.mp3
第6回 高鉛ガラスが語る百済と磐井一族の深い関わり
2025年2月25日放送
阿部の島 相島はかつて阿部の島と呼ばれていました。宮地嶽神社の光の道はそこに届いています。宮地嶽神社の祭神の勝村、勝頼は磐井君の孫に当たります。やはり安曇族の一員です。
阿部氏の古墳である宮地嶽古墳から出土した高鉛ガラス板は百済弥勒寺の仏舎利の下に敷かれたものと同等のものです。同じころ、磐井の菩提寺が大石丸三兄弟によって建立されました。龍光山恵華寺といいます。百済人から支援されて出来た飛鳥寺と龍光山恵華寺は同時期のもので、聖徳太子が磐井君のために仏像を奉納しています。
