2025年 03月 07日
RKBラジオ 志賀海神社の歩射祭のガラモ採りと干珠満珠
Noteのリンク先です。こちらは広告無しで読めます。
RKBラジオに「古代の福岡を歩く」という番組があります。
毎週日曜日の夜10時から10時半にかけて放送されていますが、2024年から25年にかけて「安曇族の足跡を探る」というシリーズがありました。
その内、6本ほど私がお話をしました。
アーカイブとその概要を紹介したいと思います。
放送圏外の方も、いつでも好きな時に聴けるようにリンクを貼りました。
安曇族とは
安曇族は阿曇族とも書きますが、福岡市東区にある志賀島を拠点として、古代から連綿と海の神を祀る一族です。
豊玉姫と玉依姫は安曇族の姫神です。
神功皇后の時代には阿曇磯良丸がその長(おさ)でした。
日本の歴史に多くの影響を与えた安曇族の歴史を神社の縁起からお話しました。

アーカイブをクリックすればラジオ番組が聴けます。
アナウンサーは坂田周大さんです。
【安曇族の足跡を探る】
第1回 歩射祭のガラモ採りと干珠満珠
2024年4月28日放送
rkb-radio.jp/kodai/240428kodai.mp3
今回のテーマは干珠満珠です。
綿津見神が持つ干珠満珠ですが、神功皇后が三韓征伐する時に、皇后は武内宿禰と一緒に志賀島に渡ってこれを借りました。朝鮮半島に着いた時、津波現象が起きて、戦わずに勝ったことから、二つの珠は勝利のアイテムになりました。
干珠満珠の秘法を安曇磯良が神功皇后に授けた事が和布刈神事になっています。

干珠満珠は香椎宮の綾杉に付けられて献上されたと志賀島では伝えていました。
そして、福津市の年毛神社では二つの玉藻を採って来て神前に供え、一つは自宅に持って帰ります。
これはミソギをした証しとなる行事ですが、もともと志賀島の大戸小戸で伊邪那岐命が禊をして綿津見神三神が生まれたことを象徴します。

サムネイルの小島がその舞台です。
そこでは今も志賀海神社の歩射祭の時に射手士が三回ガラモを採ってミソギとします。
それはのちに簡易化されてお汐井採りに変化しました。
山笠で筥崎宮にお汐井を採りに行くこと、「おっしょい、おっしょい」という掛け声も、みなここに繋がっています。
神功皇后は荒ぶる神となった豊玉姫に七日七晩の舞を捧げました。
志式神社の浜辺で神功皇后は干珠満珠を授けられました。
高良玉垂宮や大善寺玉垂宮の絵巻に描かれています。

【神功皇后伝承を歩く】
第1回 1忌宮神社 2024年3月24放送
26回目 https://rkb.jp/contents/202403/188281/
豊浦宮 新羅軍の襲来 数方庭の祭 秦氏の渡来 仲哀天皇の殯斂地
第2回 2一宮神社 3勝山勝田神社 4織幡神社
2024年3月28日 放送
27回目 https://rkb-radio.jp/kodai/240331kodai.mp3
磐境神籬と神武天皇 旗竿 八本の旗 旗を織る 武内宿禰の沓塚
壱岐真根子
【安曇族の足跡を探る】
干珠満珠の動画を見ると分かりやすいです。
https://www.youtube.com/watch?v=ZlSaFlET898&t=48s
第1回 歩射祭のガラモ採りと干珠満珠 2024年4月28日放送
安曇族の神々 歩射祭 香椎宮の綾杉 和布刈神事 筥崎宮のお汐井採り
rkb-radio.jp/kodai/240428kodai.mp3
第2回 磯良の白い覆面とシリウス 2024年9月8日放送
神楽・磯良舞 早魚神事 八 中西の風 大西の風 対馬の嵐と三苫
https://rkb-radio.jp/kodai/240908kodai.mp3
第5回 百済王子余昌を助けた鞍橋君
2025年2月16日放送
長野県安曇野から出る百済仏の時代は筑紫君葛子の時代に重なります。
百済聖明王の救援軍要請に応じた葛子君は子の鞍橋君を百済に派遣して、百済王子を救ったことが日本書紀に書かれています。ただ、日本書紀には葛子君と鞍橋君が親子であることが分からないように記述しています。磐井君一族が百済を救ったことが安曇野から百済仏が出てくる背景にあるのではないでしょうか。
https://rkb-radio.jp/kodai/250216kodai.mp3
第6回 高鉛ガラスが語る百済と磐井一族の深い関わり
2025年2月25日放送
阿部の島 相島はかつて阿部の島と呼ばれていました。宮地嶽神社の光の道はそこに届いています。宮地嶽神社の祭神の勝村、勝頼は磐井君の孫に当たります。やはり安曇族の一員です。
阿部氏の古墳である宮地嶽古墳から出土した高鉛ガラス板は百済弥勒寺の仏舎利の下に敷かれたものと同等のものです。同じころ、磐井の菩提寺が大石丸三兄弟によって建立されました。龍光山恵華寺といいます。百済人から支援されて出来た飛鳥寺と龍光山恵華寺は同時期のもので、聖徳太子が磐井君のために仏像を奉納しています。









