2025年 07月 24日
道の駅鹿島にて 有明海を見ながら隋書の阿蘇とか、磐井の砦とか
佐賀県の風土記の旅の昼食は「道の駅・鹿島」でした。
そこで弁当を買えば、展望デッキから有明海を眺めながら食事が出来ます。
誰かが海の向こうの山を指して言いました。
「あれ?阿蘇山じゃない?」
「え?」
「ほら。根子岳のギザギザが」
「あっ!そう。そう。あの形は阿蘇山!」
旅の途中で知っている山を見つけると嬉しいものです。

鹿島市から熊本県は有明海を挟んで至近距離に見えました。
「島原大変 肥後迷惑」
という言葉を思い出します。
平成2年に島原の普賢岳が噴火した時、大変な災害になりましたが、江戸時代の噴火はもっとひどかったようで、雲仙岳の山体が崩壊して津波が起き、熊本まで押し寄せて大きな被害が出たといいます。
これが「島原大変、肥後迷惑」の由来です。
平成に普賢岳が噴火した頃、私は福岡県の宝満山に登りました。
そこから遠く黒い噴煙が二か所見えました。
方角から普賢岳と阿蘇山ではないかと考えたのですが、遠いはずの黒い噴煙が見えるのは、ちょっと不気味に思ったものです。
さて、連想はいろいろと続き、
『隋書』に「倭国」の阿蘇山の話が書かれているのを思い出しました。
<阿蘇山がある。その岩山は理由も無く、突然ゆえなくして噴火し、火は天にまで届いた。人々は天変地異だといって祈祷祭祀を行う。>
という一文です。
その祈祷祭祀を行った中心の宮が阿蘇神社です。
阿蘇山の噴火は隋まで届いたのでした。
『隋書』を読むと、弥生時代や古墳時代のことが書かれています。
長崎や佐賀の人々は古墳時代も阿蘇の噴煙を眺めたことでしょう。
そして、熊本側からも島原の噴煙を心配して眺めたかもしれません。
さて、今週は筑紫君磐井の原稿の推敲をしています。
今日はちょうど佐賀県の武雄市の磐井の砦の部分でした。
筑紫君葛子が百済王家を匿(かくま)ったのは、その近くの杵島(きしま)です。杵島の稲佐神社に聖明王は祀られています。
百済の聖明王の亡骸を抱えた余昌王子も、有明海を通って同じ光景を見たのだなあ、と感慨深く思われるのでした。
<20250724>









