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ひもろぎ逍遥

高良玉垂命の最期 『高良玉垂宮神秘書』536条534条


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福岡県久留米市の高良大社に伝わる『高良玉垂宮神秘書』(以下『神秘書』)のトリセツを推敲しています。

いつも、この条に来ると胸が熱くなります。そこには高良玉垂命が自分の死期を悟った時、高良山を下って大善寺玉垂宮に行き、係留していた御座船を見に行ったことが書かれています。玉垂命とは安曇磯良のことで、御座船は神功皇后の船です。

大海を渡る海の男。陸では馬で駆け巡った安曇磯良も、最期は御輿に揺られての道行で、山を下って大善寺玉垂宮までやって来ます。

そこには神功皇后の御座船が係留されていました。神功皇后は既に自分より先に亡くなっていました。

『神秘書』はカタカナで書かれていますが、ここでは現代語訳で紹介します。

早津崎を御廟と観念す 五三六条 

【訳】
かの御座船の上に取り付けられていた棚や、そのほかの道具は早津崎という所で焼いて収めた。これを御廟と観念して五月七日に下られ、御輿を留めた所である。
   ***
 玉垂命は早津崎を自分の廟にすると決意すると五月七日に輿で下りました。早津崎は大善寺玉垂宮の南一キロの所にあり、玉垂命はそこで船の棚や道具を燃やさせました。


船の跡に神功皇后を祀る 五三四条

【訳】
大善寺川に乗り捨てた御船を置いた跡に朝妻を勧請したのである。乗り捨てた御船には上葺きをして置いていた。
   ***
 玉垂命が一番気がかりだったのは、大善寺川に残した神功皇后の御座船でした。船の覆いを取らせると、棚や道具を早津崎で燃やさせました。


 御座船の上に取り付けられた棚については志賀島の方にも、神功皇后が三韓に向かう時、急遽、棚を作らせた話が伝わっています。そこは「棚の浜」という地名になり、今はフェリーの着く港になっています。


 航海中、神功皇后はその棚に供え物をして綿津見神に航海の安全を日々祈りました。


 ところが、対馬を出た時に大嵐になり、舵取りの磯良は御座船を命がけで守りました。
 神功皇后もその棚に三つの苫を並べてお供え物をして、「嵐が収まったら、この三つの苫が流れ着いた所に必ず綿津見神を祀ります」と祈り、お供え物を包んだ苫を流しました。

 その三つの苫は福岡県新宮町の浜に流れ着き、三苫(みとま)という地名になり、岬の上に綿津見神社が祀られました。

安曇磯良が燃やさせた棚にはそんな思い出がありました。磯良は船の跡に朝妻(あさづま)を勧請しました。

「朝妻」とは久留米市御井町朝妻にある味水御井(うましみずみい)神社の祭神・神功皇后のことです。神功皇后を「香椎朝妻」ともいいます。

<20250821>


by lunabura | 2025-08-21 10:52 | 高良大社・玉垂宮・久留米市 | Comments(0)

綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『豊玉』『星の迷宮へのいざない』   Since2009.10.25