
季刊『邪馬台国』で
「筑紫なる斉明天皇と天智天皇」
ー祭祀から読み解く白村江戦の前後の日々ー
の連載をしていますが、第3回の記事を書き終えました。
タイトルは
「乞食(こつじき)の相あり」中大兄皇子の西国修行と称制問題
です。
今、書店に出ているのは146号で、
「第2回 朝倉橘広庭宮での健やかな日々から殯まで」
というタイトルで、斉明天皇の朝倉橘広庭宮の場所の特定、また斉明天皇が何処で誰に祈ったのかを記しています。
朝倉市には沢山の伝承地があるんですね。
斉明天皇が病の床に就くと、中大兄皇子は各地で病気平癒の祈りを捧げるために新たに女神たちを祀りますが、ついに母帝が崩御すると、恵蘇八幡宮で殯(もがり)に伏しました。
その後、どうなったのかは『日本書紀』には書かれていませんが、天皇に即位する前に西国修行した話が伝えられています。
中大兄皇子は、ある卜者に「乞食(こつじき)の相があります」
と言われて、天皇になってそうならないように、皇太子の間にその相が無くなるまで修行することになりました。
中大兄皇子が何処で修行したのかが不明でしたが、福岡県の山門郡(やまとぐん)長島(おさじま)という所にその修行を伝えていました。
現在はみやま市瀬高町太神となっています。
太神は「おおみわ」と読んでいましたが、今は「おおが」と読みます。
なんと、近くにはあの七支刀を持った神像がある「磯上物部神社」があるんです。
そこでの祈りの日々について、フィールドワークした結果を記しています。
次号は来年の2月発刊だそうです。
記事は出来ても、私の場合は何度も推敲する必要があるために、早目に書き上げて、寝かしては推敲する、ということをやっています。
<20251108>