2026年 01月 08日
朝倉の羽白熊鷲と平塚川添遺跡
1月11日(日)はバスハイクで朝倉に行きますが、
テーマの一つは斉明天皇と中大兄皇子。
そして、もう一つが羽白熊鷲と平塚川添遺跡です。

この地図は『日本書紀』に書かれた羽白熊鷲攻めのルートと関連する神社群を記したものです。
神功皇后は陣営を敷いて、どんどん攻めていきますが、陣営の跡は「森」という地名が付いて七か所残されています。
それを順に追ってみて、行軍ルートが分かりました。
羽白熊鷲は最終的に50番の所、寺内ダムのそばで討たれ、その墓が残されました。
ダム建設のために移動されて、今は円墳のような形の墓になっています。

詳細は拙著『神功皇后伝承を歩く上下』に記していますが、今回バスハイクでその一部を訪れるので、地図を引っ張り出して見直しました。それが上の地図です。
羽白熊鷲(はじろくまわし)が討たれたのは西暦200年です。(『日本書紀』による)
今回訪れる平塚川添遺跡が紀元前1世紀から4世紀というので、羽白熊鷲がいた時代と重なっているんですね。
羽白熊鷲は冶金の民で主に褐鉄鉱による製鉄を行っていて、刀剣を作っては近くの集落を襲って蛮勇を振るっていました。古処山から降りては太宰府市や飯塚市などを襲い、その名を残しています。
拠点の秋月に行くと分かりますが、農業には適さない土地なので、食糧を周辺の弥生集落に求めた可能性は十分に考えられます。
また、製鉄の時に出てくる猛毒ガスによって亡くなる工人も出て、人員確保のために人をさらったと考えられます。
この辺りは、近作『星の迷宮へのいざない』にも記しました。


平塚川添遺跡と羽白熊鷲塚を地図でみると、両者はわずか数キロの距離で、歩いても1~2時間ほどになります。どんな緊張関係があったか、想像できます。
平塚川添遺跡は邪馬台国論争において、邪馬台国の候補地に挙げる人もいます。広大な微高地は弥生人がいかにも選ぶ地形です。そして、それを囲んで守るかのように玉垂宮や海神社が鎮座しています。玉垂宮の祭神は安曇磯良神、海神社は志賀島の神々です。興味深い配置です。
さらに広い地域を見ると、水沼君が三女神を祀っています。水沼の君は巫女を出す家柄で、大分県の安心院(あじむ)にもその祭祀が残されています。どれほど広大な信仰圏を持っていたかが伺えます。
朝倉はかなり重要な土地だということを改めて認識しました。
バスの中で史料を読みながら、古代の朝倉について理解を深めていきましょう。
「安の里」の「山犬」も見ますよ。
「安」「夜須」(やす)とは神功皇后が羽白熊鷲を討ったあと、「私の心は安らかだ」と言ったことにちなむ地名です。『日本書紀』に書かれた地名です。
甘木歴史資料館にも行きますが、前回、考古資料がまったく展示されておらず、富士山の画ばかりでした。今年はどうなのか、今回もお正月なので、ちょっと心配しています。
<20260108>
バスハイクの申し込みは「歴史と自然をまもる会」
092-406-8725(2024年7月から)
(火曜日~金曜日 10時~16時)
参加費 5000円 当日払い
集合場所 天神日銀横(ファミマ横)勝立寺の前
出発時間 9時出発
集合時間 8時45分
初めての方、日銀前ではなく、日銀横の勝立寺の前です。ファミリーマートまで出るとバスが見えます。
雨天決行です。










