2026年 02月 03日
豊玉姫と山幸彦② 出産 ウガヤ(鸕鶿草)とは ワニと龍女

一方、海神の娘の豊玉姫は、夫のホオリノミコトがいなくなった後、妊娠している事に気付きました。みずから夫の国に行って、言いました。
「赤ちゃんが出来たわ。もうすぐ生まれるの。どこで出産したらいいかと考えて。天神の御子となる子だから、海原じゃなくて、陸の方がいいと思ったの」
そう言うと、すぐに海辺の波打ち際で、ウガヤ(カヤツリグサ)を屋根に葺いて、産殿(うぶや)を造らせました。
ところがまだ屋根が葺きあがらない内に急に産気づいてしまいました。産屋に入ってお産をしようとする時に、夫に言いました。
「人間界とは違って異世界の者は生む時になると、本来の世界の姿になって生むの。私も本来の姿で生むから、見ないでね」と。
しかし、ホオリノミコトは「妙だな」と思って、産屋を覗き見しました。すると、妻は八尋和邇(やひろワニ)となって腹這って、うごめいていました。これを見たホオリノミコトは驚いて逃げてしまいました。
豊玉姫は夫が覗き見した事を知って、本当の姿を見られたのを恥じに思い、
「この子を生んだ後は、いつも海の道を通って育てようと思っていたのに」
と言って、御子を残し、海坂(うなざか)を塞いで帰ってしまいました。
生まれた御子はこの話から、天津日高日子波限建鵜萱草葺不合命(あまつひこ・ひこなぎさたけ・うがやふきあえずのみこと)と名付けられました。
龍宮に戻った豊玉姫は、夫が覗き見しなかったら、こんな事にはならなかったのにと、恨みましたが、夫が恋しくて仕方がありませんでした。
妹の玉依姫が御子を養育することになった時、夫への歌を預けました。
赤玉は 緒さへ光れど 白玉の 君が装し 貴くありけり
【読み】 あかたまは おさえひかれど しらたまの きみがよそいし とうとくありけり
赤い玉はその紐までも輝かせるほど、光輝いているけど
それにも増して白い玉のようなあなたの姿は貴いものだったわ
これを見てホオリノミコトは返歌を贈りました。
沖つ鳥 鴨つく島に 我がいねし 妹は忘れじ 世のことごとに
【読み】おきつとり かもつくしまに わがいねし いもはわすれじ よのことごとに
沖の鳥の鴨が棲むような遠い島で、
一緒に寝たお前を忘れない 生きている限り
こうして日子穂々出見命(ひこほほでみのみこと)は高千穂宮に580年間住みました。
お墓は高千穂の山の西にあります。
(古事記 火遠理命の巻より)
※ ※
『古事記』から豊玉姫と山幸彦の出会いと別れを紹介しました。
こののち、豊玉姫が生んだウガヤフキアエズノミコトは玉依姫と結婚して、その第四子が神武天皇になっています。
山幸彦の名前
さて、『古事記』を訳していると、山幸彦の名前は天津日高日子穂々出見命だったり、火遠理(ほおり)の命だったり、虚空津日高(そらつひこ)だったりします。名前の違いは出典の違いでしょうか。複数の資料を合わせた時、そのままにしたり、書き換えたりしているように思われます。
八尋和珥とは
豊玉姫が出産した時、どんな姿だったのでしょうか。ここでは「八尋和珥」になったと書かれていますが、「尋」(ひろ)とは両手を広げた大きさで、八尋となると、相当大きいものになります。
「和珥」はワニと読みますが、鰐(ワニ)と訳すと海に生息していないので不都合です。一般にはサメと訳す例が多いのですが、由来が繋がりません。
このほか、「和珥」には亀の意味があります。例えば太占(ふとまに)という言葉に出てきますが、これは亀の甲羅を焼いて占うもので、バニ(亀)がマニ・ワニと変化したものです。
豊玉姫の出産の様子はどことなく海亀を連想させます。古代の人は砂浜で涙を流して出産する海亀の姿を豊玉姫に重ねたのかもしれません。
これ以外に、『日本書紀』の一書には龍の姿に戻って出産したように描かれています。大綿津見神が海龍なので、娘の豊玉姫は「龍女」と記される例もあります。理屈から言えば、龍の娘は龍がナチュラルですよね。
鵜萱草とは
「ウガヤ」は一般には「鵜の羽根」と解釈されますが、鵜の羽根を屋根に葺くとなると、大変な数の鵜が必要になって現実的ではありません。
ウガヤの字をよく見ると、「鵜萱草」と書かれており、「草」の字がついているように植物のことです。この草はオオカヤツリグサのことだと伝えるのが真鍋大覚です。これなら自然な状況になりますね。
拙著『星の迷宮へのいざない』でそれを紹介しました。

豊玉姫の伝承が集中する玄界灘
豊玉姫の伝承は福岡市を中心とした海岸地域に集中しています。
糟屋郡新宮町の相島(あいのしま)には二人が出会った井戸とユツカツラの木が伝えられています。
また糸島市の志登(しと)神社は豊玉姫が上陸して髪を櫛削った岩が伝えられています。
福岡市の志式(ししき)神社ではなんと、荒ぶる神として祀られています。
長崎県対馬では豊玉姫と山幸彦が一緒に住んだところが神社になっています。このように伝承が集中するところは他にありません。
拙作『豊玉』の舞台としても海のそばの神社が沢山登場します。
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