2026年 02月 05日
吉野ヶ里遺跡の南祭壇の真南に風浪宮の磯良塚があった

チェリーさんがまたまたとんでもないラインを発見しました。
今週バスハイクで行く吉野ヶ里遺跡では太陽祭祀線が高度に計算されていることはよく知られています。北内郭はその顕著な例で、私も何度が紹介しました。
ところが、あまり注目されないのがマウンドです。北のマウンドと南のマウンドがありますが、南の祭壇の真南に風浪宮の境内にある磯良塚があることをチェリーさんが発見しました。



磯良塚は人間が寝てもはみ出さないほど巨大なドルメンですが、磯良丸神社はそのそばに建てられており、長らく阿曇磯良丸の墓と伝えられました。
ただ、近年、考古学の専門家から、もっと昔に遡るものと鑑定されています。
阿曇磯良丸の墓については、私は高三瀦の「玉垂廟」がそれだと、何度か記しました。これは地元の伝承と『神秘書』の記述から割り出したものです。磯良丸を象徴する牡蠣殻が封土の上にびっしりと置かれて真っ白に輝いていた円墳です。(今はセメントで保護されています)
話を戻しますが、それでは、風浪宮の墓は誰のものか。墓そのものは複数あっても問題ないのですが、そのドルメンは阿曇磯良丸たちが上陸する時には既にあったもの、となります。
いったい誰の墓か。手掛かりが無かったのですが、ここと吉野ヶ里遺跡に南北の祭祀ラインがあるとなると、面白くなってきました。阿曇族が神功皇后と共に筑後にやってくる前の世界が見えてくるのかもしれません。
そこで、2月8日のバスハイクでは吉野ヶ里遺跡の南の祭壇に行ってみようと思っています。そこからどんな景色が見えるのか、実地踏査です。
滞在時間は前回、2時間半では足らなかったので、3時間以上を当てています。初めての方は北のエリアに行くべきです。是非とも。
ですから、私だけ南に行くのは問題かなあと考えています。それとも南を先に見て、北に行きますか?
とにかく広いので、何度行っても未踏査の地が沢山あります。
さて、拙著『星の迷宮へのいざない』をお持ちの方は第六章2「月ターラ 日ムツォ 星マル」
を御覧ください。

暦作りの話のページjですが、偶然にも風浪宮の剣先州浜紋が日、月、星を表していることと、吉野ヶ里の夏至冬至ラインを書いています。同じ項目の中で紹介していたので、自分でもびっくりしています。

とにかく、吉野ヶ里遺跡の北内郭の存在は、弥生時代から日本で高度な天体観測がなされていたことを証明しています。星の巫女(と私が勝手に呼ぶ)の星座の石棺も復元されて展示されたと聞いています。楽しみですね。
この日は、吉野ヶ里遺跡のすぐ手前の都紀女加(つきめか)王の墓にも行きますが、吉野ヶ里の時代と重なっています。
風浪宮も都紀女加も吉野ヶ里も時代は重なっているのです。
ただ、都紀女加を調べると、通説が矛盾しているので、この辺りもバスの中で整理したいと思います。
当日は、雪の予報もあります。
前回は交通機関がマヒする予報が出たので延期しました。飛行機で来て前泊された方には本当に申し訳ありませんでした。
今回は雪が降る程度なので、変更はないかと思います。
かなり寒い日になりそうです。着込んで参りましょう。
弥生時代の人はこんな寒い日は、どうやって生きていたのでしょうか!
竪穴住居はどんな気温かな。
<20260202>
バスハイクの申し込みは「歴史と自然をまもる会」092-408-7140
092-406-8725(2024年7月から)
(火曜日~金曜日 10時~16時)
参加費 5000円 当日払い
集合場所 天神日銀横(ファミマ横)勝立寺の前
出発時間 9時出発
集合時間 8時45分
初めての方、日銀前ではなく、日銀横の勝立寺の前です。ファミリーマートまで出るとバスが見えます。
雨天決行です。

磯良塚の真北に祭壇が築かれたと想像しています。祭壇から真南の磯良塚に祈ったのではないかと。真南であることは、祈りが強く通じたのでしょうか…
伊勢の二見興玉神社の夫婦岩からは、夏至の太陽が富士山の中腹から昇ります。少し山に登って、朝熊山(あさまやま)の稜線には、夏至の太陽が富士山頂上から昇る地点があります。富士山頂とその地点を反対側に延長すると、内宮だったのです!
夏至と冬至の見極めは古代の人にとって大事だったようですね。









