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ひもろぎ逍遥

豊玉姫と山幸彦の出会いの井戸 若宮神社 新宮町相島

豊玉姫と山幸彦の出会いの井戸 若宮神社 新宮町相島_c0222861_15184581.gif

先日、豊玉姫と山幸彦(日子穂々出見)の出会いと別れの話を『古事記』から紹介しました。

この出会いのシーンを青木繁が描いています。
この絵が久留米市の石橋美術館にあったころ、子供の私はよく見に行きました。



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わたつみのいろこの宮 青木繁


今は、東京の美術館に移されていますが、絵の中に描かれた泡が「海の中の井戸」を表しており、不思議な感じを覚えたものです。

そして、ある時、目に留まった福岡県新宮町のタウン誌のコラムに、相島に(あいのしま)に「二人が出会った井戸」があることが書かれていました。二回に分けて掲載されたコラムををどうやって手に入れたのか、今では思い出せません。その井戸は若宮神社にあると書かれていました。

それから新宮町の図書館に行って、町史を見ましたが、ブログを書き始める前で、由緒を読んでもよく理解できませんでした。

しかし、御縁を得て、相島にはそれから何度も行くことになり、この井戸もまた、私が小説を書く時に、何度も後押しをしてくれました。
今日は、そのタウン誌を再掲しましょう。

「まちかど風土記」 若宮神社(3) 新宮町相島

境内にはユズカズラという木があります。神殿右の囲いの中に、何本もの幹を出して立っています。この木の葉は、妊婦の御守りなんです。

これは若宮神社の祭神「豊玉姫命と玉依姫命」と関係があります。『筑前国続風土記附録』には、祭神について「産神(うぶかみ)なり」と書かれています。

その後に続く文を簡単に訳すと「神社の後ろにユズカズラという神木がある。その実を妊婦の御守りと島民はいう。木の隣に水がきれいで素晴らしい井戸がある」。

ここに島の伝説も関係してきます。

相島には高妻(たかつま)神社というお宮があります。このお宮の祭神は『古事記』では「日子穂々手見命」、『日本書紀』では「彦火火出見尊」。さらに別名があり、山幸彦と呼ばれています。

伝説を「神道事典(弘文堂発行)」にそって話しますね。

彼は兄の海幸彦にお互いの道具を交換しようとせがみ、交換しますが、海幸彦の釣り針を魚に取られてしまうんです。そこで自分の剣を砕いて、大量の釣り針で弁償しようとします。ですが、海幸彦に拒否され、海辺で途方にくれていると塩椎(しおつち)神が現れます。その神は山幸彦を籠(かご)に乗せて海神の宮に連れて行きます。ここに出てくる海神の宮というのが若宮神社のことなんです。

神宮寺住職・中澤慶輝


「まちかど風土記」 若宮神社(4) 新宮町相島

連れてこられた山幸彦が海神宮(若宮神社)門前の木に登っていると、海神の娘である豊玉姫が出てきてユズカズラの隣の井戸に映った山幸彦を見つけ、宮の中に招き入れます。やがて二人は結婚し、3年過ごした後に、山幸彦はタイが飲み込んでいた釣り針を持って帰って行きます。

残った豊玉姫は、山幸彦に妊娠を告げます。そのとき「ウの羽で葺(ふ)いた産屋を作って待っていてください」と頼むんです。島の伝説ではユズカズラの葉で葺いた産屋となっています。

その後、約束どおり豊玉姫は妹の玉依姫を連れてやってくるんです。ところが、産屋の屋根が葺き終わらないうちにお産が始まります。そのとき、生まれた子に葺不合尊(ふきあえずのみこと)と名付けるんです。

ですが、出産の姿を見られた豊玉姫は恥じて海の宮に帰ってしまいます。妹の玉依姫がその子を育てるんです。葺不合尊は後に玉依姫と結婚し、神話では初代の天皇といわれる神武天皇の両親となっています。

こういった伝説や神話からユズカズラのことを「産の柴」と呼び、妊婦はその木の葉を安産のお守りとして持っています。

このユズカズラは若宮神社だけではなく、神宮寺の境内や穴観音の入り口にも何本か生えていますよ。

神宮寺住職・中澤慶輝


神話に出てくる、「わたつみのいろこの宮」すなわち「海神の宮」は相島にあったといいます。

そして、豊玉姫の産屋(うぶや)は、鵜の羽根ではなく、「ユズカズラの葉」で葺いたとあります。
『星の迷宮へのいざない』でも書きましたが、真鍋大覚はウガヤとはオオカヤツリグサのことで、ウガヤ、ウトなどと呼ばれたといいます。

いずれにしろ、鵜の羽根で屋根を葺くというのはリアリティが無い話で、相島の伝承は実際の産屋や小屋づくりを伝えているのでしょう。

ユズカヅラの葉は「産の柴」と呼ばれて安産の御守りになったそうですが、最近は御守りにする人もあまりないということです。



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若宮神社 新宮町相島

何年か経って、ようやく相島を訪れて、若宮神社に参拝に行った時、拝殿の前で手を合わせていると、氏子さんから「中に入っていいよ」と声を掛けられて、上がって参拝しました。

それから、拝殿の左手にある井戸を見せてくださいました。
島で水が出るところは、ここともう一か所しかないそうです。

江戸時代に、朝鮮使節団を迎えるために11本の井戸を掘り、これだけが現存しているそうです。
電気が使えるようになると、ポンプで汲み上げるようになって、水質が落ちてしまったということでした。

私は思い切って尋ねました。
「豊玉姫の井戸はこれですか?」
「いえ、これではありません」

案内して下さったのは反対側、拝殿の右手でした。
まさか、現存しているとは思わなくて、とても感動しました。


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福岡県新宮町 相島 若宮神社 豊玉姫と山幸彦が出会った井戸 後ろはユヅカヅラ


岩の下に井戸があったといいます。

かつては、井戸の上に本殿が建ちましたが、のちに左手に建築され、その後、井戸に石が置かれたそうです。

そのうしろには「ゆづかづら」があり、「由都嘉豆」の字が見えています。
繁りすぎたので、だいぶ切ったそうです。
そして、
「香椎宮の人が香椎浜から釣り針を探しに来て、ここに登っとったそうな」
と言われました。これには衝撃を受けました。あの神話の地がリアルに存在するのかと。

さらに、
「豊玉姫の住んでいた宮殿がここにあった」と言う話も出ました。つまり、「わたつみのいろこの宮」はここだという訳です。

そうすると、豊玉姫はここから糸島に船で行って志登神社の横の岩に腰かけて髪をくしけずったのでしょうか。

さらには、長崎県の対馬に豊玉姫と山幸彦が一緒に暮らした話が伝わっているのを総合すると、ここで二人は結婚して、対馬にしばらく滞在したという事も考えられます。これが三年という短い結婚期間を表すのかもしれません。

豊玉姫伝承は、対馬、糸島、相島にあり、それを繋ぐと阿曇族の活動したエリアと重なります。

豊玉姫の物語を持っているのは阿曇族ですから、一族が早くからこの島に入植して、姉妹の姫神を祀っていたのは明らかです。

一方、夫である日子穂々出見は島内では「高妻神社」の方に祀られています。社殿の後ろには磐座があるそうです。

「新宮町誌」を見ると、高妻権現社が正式名で、祭神は彦火火出見尊。島の人たちは高神(位の高い神)と信仰しているそうです。

「元来祭神の彦火火出見尊は気性の荒い神様で、気に入らないとひどい神罰があるということで、いくつかの禁忌がある。その第一は女人禁制である。云々」と書いてあります。

話を戻しますが、若宮神社の祭神は豊玉姫と玉依姫です。
のちにウガヤフキアエズ尊が合祀されています。

数年経って、この記事をテレビ番組のディレクターが見て、私は番組の案内者として若宮神社を紹介したことがあります。
この時、「この記事を知っていたのは私だけで、もしブログに書き写さなかったら、伝承が失われていた」と、つくづく思ったものです。

さて、2月14日に発売した小説の『豊玉』では、豊玉姫が井戸に祈る日子穂々出見の姿を見て安心し、二人の住まいをこの井戸の傍に建てたという設定にしました。これは実在する伝承を元にしたものです。

今、「あいのしま」は「出会いの島」として知られるようになりました。もちろん、猫の島としても。


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相島渡船場

<20260219>










by lunabura | 2026-02-19 21:37 | 小説『豊玉』 | Comments(0)

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