2026年 03月 26日
あの乱が起きるとは想像もつかない藤原広嗣と郎女の相聞歌

夫が桜の小枝に文(ふみ)を付けて妻に歌を贈りました。 藤原広嗣(ふじわらのひろつぐ) 1456番
この花の 一与のうちに 百種の 言そ隠れる おぼろかにすな
(このはなの ひとよのうちに ももくさの ことぞかくれる おぼろかにすな)
僕が贈った桜の花の一枝に たくさんの言葉が隠れているよ おろそかにしないでおくれ
〔この花の小枝に僕の思いが込められているんだ このスピードこそ君への愛の大きさなんだ〕
✿文には季節の花を添えて贈りました。「花」と言えば、当時は梅の花を指しましたが、ここでは桜の花だったことが題に記されています。
「一与」の「与」の字に、僕があげた、という意味が込められています。「一与」に対して「百種の言」と数字を対比させて、たくさんの「言の葉」を連想させる巧みな歌です。
当時は歌を贈るスピードが速ければ速いほど、愛情が深いと思われていました。
妻が返歌を詠みました。
郎子(おとめ) 1457番
この花の 一与のうちは 百種の 言持ちかねて 折らえけらずや
(このはなの ひとよのうちは ももくさの こともちかねて おらえけらずや)
あなたがくれた桜の一枝には たくさんの言葉が込められて 耐えきれずに折られてしまったのね
〔分かったわ。あなたの想いが重すぎたのね〕
✿晴れて正式に夫婦になった二人でも、夫は夜が明ける前に実家に帰らねばなりません。この夫も夜明け前に帰宅しましたが、すぐに和歌を作って桜の小枝に副えて贈ってくれました。
二人が詠み交わす歌を相聞(そうもん)といいます。返しには相手の歌の一部を引用する約束があり、この歌も「この花の一与のうちに百種の言」と、同じ言葉を詠んでいます。夫の想いが嬉しくて、くすっと笑う妻の笑顔が目に浮かぶようです。桜はまだツボミのままだったのかもしれません。
藤原広嗣
さて、上の相聞の歌を贈ったのは藤原広嗣(ひろつぐ)です。題に「藤原朝臣(あそん)広嗣が桜の花を郎子(おとめ)に贈る歌一首」と書かれています。
親に認められて晴れて結婚した二人ですが、妻の名前は書かれておらず、誰の事か分かりません。
広嗣の父は「四の巻十 神に祈ればお前に逢えるのか」の藤原宇合(うまかい)です。
広嗣は父が死んだ三年後に、謀叛の濡れ衣を着せられて佐賀県唐津市で処刑されました。いわゆる「藤原広嗣の乱」です。二十五歳頃だったでしょうか。
この歌からは想像もつかない最期でした。このような事情があったので、妻の名前が記されなかったのかもしれません。
結婚
当時の正式な結婚は男が女のもとに三日間続けて通う事で成立しました。新郎は黄昏時になると新婦の家に行き、夜明け前には家に帰ります。
三日間、それを繰り返して、三日目の夜には餅を二人で食べました。これを「三日夜(みかよ)の餅」といいます。こののち「所顕(ところあらわ)し」という宴を行って、正式な夫婦になりました。
『癒しの万葉集』-夜が明けるまでの心のサプリメントー
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