2026年 03月 30日
光明子の兄・宇合は兵を率いて長屋王の屋敷へ
光明子(光明皇后)は藤原不比等の娘で、藤原四兄弟の妹です。万葉集では藤皇后と書かれています。
雪が降り出しました。光明皇后が聖武天皇に歌を贈りました。
藤皇后 1658番
わが背子と 二人見ませば 幾許か この降る雪の 嬉しからまし
(わがせこと ふたりみませば いくばくか このふるゆきの うれしからまし)
あなたと二人で一緒に見たなら
降って来る雪が どんなに嬉しいかしら
〔雪よ! あなたと見たいわ〕
✿「背子」とは愛する夫のことです。この歌は藤皇后(光明皇后・光明子(こうみょうし))が聖武天皇に贈ったものです。
皇后が後宮で一人過ごしている時に雪が降り出しました。
「雪だわ。帝と一緒だったら、もっと嬉しいのに」
そんな気持ちを歌に託して帝に贈りました。二人の間の愛情が穏やかな、信頼に満ちた様子が伝わってきます。
光明皇后
光明子は十五歳で同じ年の皇太子・首(おびと)皇子に嫁ぎ、女の子が生まれました。二十四歳の時に、首皇子が即位して聖武天皇となりました。聖武天皇には妃(きさき)が何人かいましたが、皇后にしたかったのは光明子でした。
それから三年後、光明子は待望の男の子を出産し、基(もとい)王と命名されましたが、一歳になる直前に亡くなってしまいました。光明皇后の哀しみは計り知れません。
この時、長屋王が基王を呪詛したという話が出て、これを契機として「長屋王の変」が起きます。
六衛府(ろくえふ)の兵士を指揮して長屋王の屋敷を包囲したのは光明子の兄の藤原宇合(うまかい)でした。宇合は聖武天皇の叔父(おじ)でもありました。
長屋王が自決したのち、聖武天皇は光明子を皇后にしました。
興福寺の阿修羅(あしゅら)像を発願(ほつがん)したのは光明皇后です。興福寺は父の藤原不比等が建立したもので、そこに納めた阿修羅像の顔が六歳児や十歳児の少年の顔をしていることから、死んだ基王の架空の成長を重ねたものではないか、という説があります。そう考えると、愛児を失った光明皇后の尽きない哀しみがさらに伝わって来ます。
光明皇后は貧しい人、病の人のために、救貧施設の「悲田院(ひでんいん)」、医療施設の「施薬院(せやくいん)」を作ったことでも知られています。
<20260660>
『癒しの万葉集』-人生の四季を歌うー より










