2018年 04月 05日
平群氏が糸島と武雄に展開する謎
平群氏が糸島と武雄に展開する謎
明後日のバスハイクで武雄神社に参拝するのですが、
その下宮に平群木莵(へぐりのつく)が祀られています。
武雄神社の祭神が武内宿禰なので、
その第4子に当たる平群木莵が祀られているのは
不自然なことではありません。
武雄神社の祭祀の始まりは神功皇后時代で、
御船山に武内宿禰が祀られるようになります。
武雄の湊の経営を第4子に任せたのかもしれません。
対岸の風浪宮では安曇磯良が第1子に湊を任せているのと同じです。
この平群木莵は糸島の宇美八幡宮でも社家として80代以上になります。
現在の姓は武内姓です。
武内宿禰が平群氏に妻問いして生まれた男子が平群木莵ということでしょう。
それでも、糸島と武雄にその名を見つけたのは驚きでした。
ずいぶん離れている感じがします。
そこで思い出したのが、真鍋の記録。
平群氏は脊振山系と志摩山系を治めて北方貿易を掌握していたとあります。
(儺の国の星p200)
そうすると、糸島の宇美八幡宮も地理的に妥当なことになります。
真鍋は他に、太宰府を支配していたのは平群氏とも書いています。(拾遺p108)
太宰府と平群氏の関係は未調査ですが、佐賀に来ると大宰府の話が結構出てきます。
その長クラスの経済が直結している印象があるのです。
「武内宿禰が大宰府にいた」という話が佐賀に出てきます。
今は断片が出て来た所です。
これがつながると面白いですね。
備忘としてメモっておきましょう。
<20180404>
宇美八幡宮 『神功皇后伝承を歩く上巻』32

(武雄の大楠♪)
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