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ひもろぎ逍遥

2019年 03月 21日 ( 1 )

5エジプトシンボル オシリス2 ジェド柱に三笠宮は穀霊を見い出した オシリス神話


5エジプトシンボル オシリス2 

ジェド柱に三笠宮は穀霊を見い出した オシリス神話






オシリス神の姿については前回記したが、そのオシリスはジェド柱で描かれることがある。








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これがそのジェド柱。護符として身に着けるためのミニチュアなどが見られる。
これがオシリスと同じというのだ。


『エジプト神話シンボル事典』によると、

「最もありうる解釈はジェドとは、もともとそのまわりに穀物の穂が幾重にも結びつけられた棒であったというものである。この柱は田舎の豊穣の儀式でひと役果たしたのである。それは柱が穀物のエネルギーがたまっている力のシンボルであったからだ」
とあり、訳もこなれていないせいか、理解しにくい。



これについて、明解な解説をしているのが『古代エジプトの神々』(三笠宮崇仁)である。


穀霊【オシリス】
そもそもオシリス神話は、農耕生活の中から生まれてきた。

本来オシリスは穀物―それは穀霊におって生を得、成長し、実を結ぶ生物―であった。」

とあり、ジェド柱に「穀霊」という概念を打ち出している。

これが日本人には良く理解できる。日本人と古代エジプトに共通する概念である。



一部を省略して続きを読もう。
「ジェド柱は―略―本来は植物の茎を束ねた柱だったらしい。

上方に横棒が数本あるのは、その柱に結びつけられた麦穂を表していると見られる。

そうすると、この柱が農耕儀礼に用いられたことは確かであり、ジェド柱には穀物のエネルギー、つまり穀霊が宿っていたことになる。

そしてジェド柱は「安定」とか「永続」とかを願う護符に用いられるようになった。」

と記されている。

ジェド柱はこの他、「シリウスの背骨」とも言われている。




さて、オシリスが冥界の王であり、穀霊でもあるということを理解するためには、オシリス神話を知る必要があるのだが、ウィキペディアを見ても要領を得ない。

オシリスとイシスは兄妹でありながら、結婚した。

この近親婚は古代エジプト人にとって重要なテーマを含んでいるからこそ、語り継がれたはずである。

神話はエジプトの数千年間の各地の話が集合して、形成されたものなので、ストーリーは簡単には描けないという難点があるのだろうが、『古代エジプトの神々』(三笠宮崇仁)に良くまとめられているので引用しよう。




<さて、大地「ゲブ」(男)と天空「ヌト」(女)との間に生まれたオシリスは、すぐれた王として全エジプトを統治し、国民に農業や金属加工術を教え、法を定め、神を信仰するようにすすめた。そして全国を巡回して、平和のうちに貧困だった民衆の生活を向上させた。彼の妻は妹の「イシス」で、弟の「セト」も妹の「ネプテュス」を妻としていた。

かねがねセトは兄を妬んでいたが、ひそかにオシリスの背丈ぴったりの箱をつくり、謀反人をかたらって饗宴の場でオシリスをだまして箱の中に入れナイル川に流した。箱はデルタのタニス分流を経て地中海に入り、ビブロスに流れついた。

悲嘆にくれたオシリスの妻イシスは、オシリスの入っている箱を探し求めてビブロスへ赴いたところ、ある植物がその箱を包み込むように成長していた。これをみたビブロスの王はその幹が大変大きく美しかったので、それを切って宮殿の柱にするように命じた。イシスはそれを知って、その柱を賜るよう王に懇請し、エジプトに持ち帰った。

ところが、セトはまたもその箱を見つけ出し、オシリスの遺体を寸断してエジプト全土に撒(ま)き散らした。イシスは再び苦心してバラバラになった夫の遺体を拾い集め(性器だけはナイル川の魚に食べられてしまった)、妹ネプテュスの助けを得て、それをつなぎ合わせた。

そして呪術的儀礼を行ない、イシスは自分の羽根で命の息を送りこんでオシリスを蘇生させた。よみがえったオシリスはもはや地上の王に復帰せず、西の方、つまり冥界の王となった。

イシスは夫の遺体を取り戻した際、呪法によって夫の種を受け、みごもって「ホルス」を生んだ。成長したホルスは、父オシリスの王位をめぐって、おじにあたるセトと困難な長い争いを続けることになる。しかし、最後には王位継承者としてホルスの正当性が神々によって認められ、ホルスは全エジプトの王となった、というのである。>









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この絵の中央がオシリスで、左に玉座の冠のイシス女神、右に祠堂のネフティス女神がいて、神話の「オシリスを蘇生させるシーン」が描かれているのが分かる。

二女神は姉妹だったね。




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三笠宮については名島神社で少々紹介している。

戦時中に福岡市東区名島神社の傍にあった通信施設に勤務されていたため、名島神社に来られた時、茶屋の娘が境内で出土した金箔のついた瓦を奉納したことから、オリエント文化の研究をされるようになったという話を現地で聞いた。

今思えば、名島はかつては島であり、瓦が出土しただけでも大変な事だが、それに金箔が残っていたというのだから、その重要性が伺える。

発掘調査した京都大学はその出土品をきちんと公表しているのだろうか。

また、三笠宮ゆかりの石碑が公園に見当たらないが、整備した福岡市はどこに移設したのだろうか。
続報が知りたいところである。










20190321
<エジプト>



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by lunabura | 2019-03-21 21:12 | エジプト | Comments(0)

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