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ひもろぎ逍遥

2019年 07月 02日 ( 1 )

大伴旅人 書殿でのうまのはなむけ 山上憶良 俺のこと何とか頼むと…


大伴旅人 書殿でのうまのはなむけ 

山上憶良 俺のこと何とか頼むと…







昨日はネット接続が不良になって、あれこれとやって、今日、ようやくサクサクと動くようになりました。

さて、今日は大伴旅人が大宰府を離れる時の話です。

天平元年に長屋王の変を受けて太宰大貮の丹比県守が帰京して、夜須で飲む独り酒を嘆いた旅人ですが、その翌年の12月には自分も帰京の想いが叶いました。


(時系列がバラバラですねえ。ブログでは、その日面白かった所を記録しているためにバラバラですが、歴史カフェではきちんと順を追って話しますm(__)m)


別れの時を迎え、旅人らは書殿で餞酒(うまのはなむけ)をしました。
「書殿」!!!ですよ!!!。

大宰府に書殿があった(*’▽’)



注釈では旅人の屋敷に「図書室」があったと書かれているのですが、「殿」が付いているので、これは大宰府の直轄の独立した建物の「図書館」ではないかと思っています。

どんな本が所蔵されていたのでしょうか。

日本書紀はどうでしょうか。
この天平2年は西暦730年です。日本書紀は720年成立なので、そのわずか10年後の話になると、写本が出来ていたかは微妙ですね。

日本書紀は沢山の本を参考にして編集しています。
ニギハヤヒの所などは十冊以上の伝承を分析して分類して記録しています。
三女神も数冊の本を整理して記録しています。

たぶん日本書紀ではなく、倭国時代の本が沢山あったんですねえ。
旅人や憶良たちは中国の古典を沢山引用しているので、そんな書物も収蔵されていたことでしょう。

最近は韓流や華流の時代劇の有職故実を見ています。考古学的には嘘が多いけど、それでも、日本人の知らない文物が沢山出てきます。


その中国や韓国の書殿の本の収蔵法は、今のように本が立てられる訳ではないので、冊子を横にして数冊積み重ねています。竹簡も多い。また、一枚紙を丸めて布で包むスタイルもある。

書殿の中には、本を読んだり書いたりできるような座席や机や照明器具があったりするので、広いスペースがあります。


大宰府の書殿でも、少なくとも数名以上で宴会をしたので、けっこう広い室内だったことが分かります。

この書殿での宴では旅人の歌はありませんが、出席した人が別れを惜しんで詠んだ歌が四首書かれています。

それに続けて山上憶良が三首、歌を詠んでいるのですが、自分の事ばかり詠んでいるんですね。
これがちょっと面白かったので紹介します。


敢えて私の想いを述べる歌三首

880番 
天ざかる 鄙に五年 住まひつつ 都の風習 忘らえにけり 
あまざかる ひなにいつとせ すまいつつ みやこのてぶり わすらえにけり
(天ざかる:枕詞)

(田舎に五年も住んでいて 都の習わしを忘れてしまいました)


881番
斯くのみや 息づき居らむ あらたまの 来経往く年の 限知らずて 
かくのみや いきづきおらむ あらたまの きへゆくとしの かぎりしらずて 
(あらたまの:枕詞)

(こうして溜息をついてばかりしているのだろうか 来ては去る年の際限も知らずに)


882番
吾が主の 御霊賜ひて 春さらば 奈良の都に 召上げ給はね
あがぬしの みたまたまひて はるさらば ならのみやこに めあげたまわね

(わが主の御蔭を賜って 春になったら 奈良の都に召し上げてください)

天平2年12月6日 筑前国司山上憶良謹んで奉る 


880番では憶良はもう五年も筑前にいると詠んでいるので、旅人より一年前に着任していたのが分かります。田舎に住み続けて都の風習も忘れてしまったと。

881番ではいつ帰京できるのかわからない状況に溜息をついています。

882番では旅人のことを「吾が主」と呼んで、大納言に出世するなら、人事権も掌握できるはずだから、「自分のことを都に召し上げてください。」とアピールしています。

こんな事、上司にはなかなか言えないものです。憶良は自分の事ばかり詠んでいますが、それが許されるような間柄だったんでしょうね。

憶良自身、遣唐使の一員だったから、漢籍に造詣が深く、旅人は「知ってるかな」という感じで時々、手紙に中国の書物の内容を盛り込んでいるのですが、憶良はそれを理解して一ひねりして返歌をしてくれるので、すごく気が合ったようです。
旅人の妻の挽歌を詠んでくれたのも憶良でした。

憶良が帰京したのはこの宴の二年後でしたよ。


憶良は日付をきちんと書く人で、おかげで旅人の時系列が決定できるところがいくつもありました。国司だからでしょうか。日付を書く人は少ないので、憶良が特別なんだと思います。手元にマイ・カレンダーを持っている人なのでしょう。当時は、なかなかカレンダーなど手に入らない時代でした。



<20190702>


歴史カフェ721 「大宰帥 大伴旅人 -万葉集から筑紫の日々を描くー





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by lunabura | 2019-07-02 21:47 | 万葉・日本書紀の風景 | Comments(0)

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