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ひもろぎ逍遥

2019年 11月 10日 ( 1 )

脇巫女Ⅱ 28 タギツ 石占い

脇巫女Ⅱ

28 タギツ 石占い






 
次に現れたのも女性だった。崋山の顔を見て、菊如がクスっと笑った。
「オタフクさんですね」。
美人ではなかったようだ。菊如が改めて尋ねた。

「地の人ですね。お名前は?」
「タギツ。浜の名前、タギシの浜から付いた名」

タギツの言語は柔らかい外国語だった。言語変換がされて、日本語となった。
「出雲に多芸志(たぎし)の浜があるけど」
「こちらにもタギシの浜があります」
出雲と鞍手周辺には似た地名がいくつかある。特に鞍手のキヅキ(木月)は出雲のキヅキ(杵築)を連想させた。この話になった。

「木月は杵築だったのでは?」
「その字は使えなくなりました。隠さねばならないものがあるのです」

「何を隠すの?」
「『築』が使えないのです」
それ以上のことは分からない。

「木月に大己貴は住んでいたの?」
「よく分かりません。あそこの地は沢山の小さなお屋敷がありました。一つの集落になっていました。不思議なことに、他とは違っていました」

お屋敷について尋ねると、
「一人住まいのような」と言って高床式らしき家のようすを手で表した。「他の人は地面に住んでました」
これは竪穴式住居のことらしい。木月には高床式と竪穴式の住居があった。これは吉野ケ里遺跡と同じだ。

菊如はさらに尋ねた。
「他の人たちってどんな人?」
「他の人とは会ったことはありません」

「六ケ岳はどんな感じの山?」
「とても高い山で、上が雲にかかる高さ。とうてい登れるような山ではありません」
いったいいつの時代か、また疑問が生じる。
菊如が私に質問を促した。私は驚いてばかりで、思考停止中だった。
この女性がタギツ姫なら大己貴と結婚していたはず、と思い当たって尋ねた。

「誰かと結婚していましたか?」
「していません」
三女神の一人ではなかった。予測が外れた。
菊所が尋ねた。
「お仕事は?」
「石で占いをしておりました」
タギツは50センチ×60センチほどの平らな石を手で描いた。右手で複数の小石を石台に投げる動作を繰り返した。私はルーン文字を描いた小石で占う姿を連想した。

「どこにいたの?」と菊如が尋ねると「亀甲(かめのこう)」と答えた。
亀甲とは!熱田神宮の縁起では、ヤマトタケルが熊襲討伐から戻ってきて、戦勝のお礼の祈りをした所ではないか。熱田神社の宮司が心身清めて祭祀をしていたという。それは剣岳の麓にある。
そして、術師がいたという話を星読が書いていた。

「誰か来た?」
「二人で占いに来られた方があります」
二人と聞くと、ヤマトタケルと武内宿禰が連想された。

「目の色は?」
「一人は黒、一人は悟られぬように伏せて、違う色の目でした」
やはりヤマトタケルと武内宿禰だ。私の夢に出て来た二人。タケルの目は青。

「何を聞かれた?」
「今いる場所からどの道を通って西に抜けると良いかと。三つのルートを示されました」

「どう答えたの?」
「その一番真ん中。川と海から離れた場所。陸路です」
西!

それはヤマトタケルと武内宿禰が佐賀の熊襲タケルを襲う時の話に違いない。『風土記』にもタケルが何度も出てくる。

佐賀大和への遠征ルートを占ったのだ。熊襲タケルが逃げ込んだのは佐賀大和だった。
鞍手からヤマトタケルたちは陸路を通って当時「ありなれ川」と呼んだ三笠川~筑後川に出て、有明海の波が洗う佐賀に出たことになる。

菊如が尋ねた。
「白山には誰か他の姫がいた?」
「私には分かりません」
白山とは鞍手にある山のことだ。ここにも多くの歴史が埋もれているが、まだ手が出せなかった。

ここで、話は終わり、タギツは抜けていった。崋山の自意識が戻って来たとき、「出雲はヤマトタケルを快く思っていなかった」と言った。

<2019年11月10日>



以下は佐賀の記録

http://lunabura.exblog.jp/21648939/
ヨド姫三社めぐり(6)大願寺廃寺~健福寺
日本武尊が熊襲タケルを討伐した所だった

http://lunabura.exblog.jp/21679856/
ヨド姫三社めぐり(7)真手(まて)山
熊襲タケル対ヤマトタケル

木月剣神社 『神功皇后伝承を歩く』上巻17 神功皇后が日本武尊の旧跡で祈った







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by lunabura | 2019-11-10 19:28 | 「脇巫女Ⅱ」 | Comments(0)

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