人気ブログランキング |
ブログトップ

ひもろぎ逍遥

2019年 12月 08日 ( 1 )

大伴旅人ゆかりの地めぐり3 旅人らは基肄城に登った






⑤二日市温泉

二日市温泉はかつて「吹田の湯」(すきたのゆ)と呼ばれていました。
ここに旅人が行ったのは鶴が渡って来た頃なので、もう冬になっていました。

でも、旅人は鶴の声を聞くと、また妻を思い出してしまうのでした。

961番
湯の原に 鳴く葦鶴は 我がごとく 妹に恋ふれや 時わかず鳴く                                                       







大伴旅人ゆかりの地めぐり3 旅人らは基肄城に登った_c0222861_20565929.jpg
  
                                      
(湯の原に鳴く蘆辺の鶴は わたしのように妻に恋して 鳴き続けるのか)









⑥基肄城(きいじょう)

さて、私たちは二日市(ふつかいち)を離れてバスで基山の基肄城に向かいました。
それは、旅人夫人の葬式の直後のことでした。

旅人は中納言という高い身分だったので、規定により、天皇の使いが朝廷から送られました。

勅使は馬を乗り継ぎ、乗り継ぎして早馬で駆けつけました。

勅使は石上堅魚(かつを)という人です。

葬式が終わると、せっかくなので、遠い都から来た役人を基肄城に案内することになりました。

旅人自身も大宰府の管轄する地が見渡せる所に行って見たかったのでしょう。
旅人らは馬で出かけたのでした。

私たちもバスで行ったのですが、舗装された登山道は急カーブの連続で意外にも厳しかったです。

私は子供のころ歩いて登ったことがあるのですが、道が違っていたのでしょうか、風景も記憶とは違っていました。








大伴旅人ゆかりの地めぐり3 旅人らは基肄城に登った_c0222861_20575878.jpg

草スキー場です。

その上に頂上がある…。しまったなあ。
さすがに、バスハイクで登山は問題ありだよね…。
ちょっと、困りました。

「皆さん、すみません。ちょっと登りがきつそうです。
行ける所まで行ってみましょう。
写真を撮りながら、何度も立ち止まって登ってくださいね」
と言ったのですが、
皆さん、元気。

登る、登る。








大伴旅人ゆかりの地めぐり3 旅人らは基肄城に登った_c0222861_20583188.jpg

20分ぐらいの山道だったでしょうか。
みんな元気に頂上に着きました。

やはり、周囲の景色は壮大で、筑紫平野、筑後平野、有明海、唐津方面、糟屋方面と、全方向を見ることが出来ました。
これぞ、大宰府の管轄地です。









大伴旅人ゆかりの地めぐり3 旅人らは基肄城に登った_c0222861_20585156.jpg

(なんと、頂上は磐座信仰の地でしたよ)



旅人らが来た時には白い卯の花が咲き誇る季節でした。
ホトトギスの鳴き声も響いてきて。


式部大輔(たいふ)石上堅魚(かつを)朝臣の歌一首

1472番 
霍公(ほとと)鳥(ぎす) 来鳴き響(とよ)もす 卯の花の 共にや来しと 問はましものを

(ホトトギスが来て鳴き響き渡っている (奥様が生きておいでなら)卯の花と共に来たのかと問えるのに)

 右は神亀五年戊辰、大宰帥大伴卿の妻大伴郎女が病に遭って亡くなった時に、勅使の式部大輔石上堅魚朝臣を大宰府に派遣して喪を弔い、あわせて物を賜う。

それが終わって驛使(はゆまつかい)と府の諸卿、大夫らと共に基肄城に登って望遊した日にこの歌を作った。
※驛使:駅鈴を下付され、駅馬を使って旅行する公用の使者。


1473番 大宰帥大伴卿の和ふる歌一首

橘の 花散る里の 霍公鳥 片恋しつつ 鳴く日しぞ多き
  (橘の花が散る里のホトトギスは 亡き妻に片恋しながら鳴く日が多い)
まだまだ、何につけても妻が偲ばれる旅人でした。



私たちはバスで太宰府から基肄城に登り、再び太宰府に戻りました。
バスでは2時間ほどの行程でしたが、
道が厳しい旅人の時代は、馬でも日帰りでは無理だったな、と思ったのでした。


<20191208>



大伴旅人ゆかりの地めぐり3 旅人らは基肄城に登った_c0222861_21243378.jpg

by lunabura | 2019-12-08 21:00 | 万葉・日本書紀の風景 | Comments(0)

綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25