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ひもろぎ逍遥

向野田古墳 宇土市 4世紀後半 前方後円墳 竪穴式石室 舟形石棺 女性 



向野田古墳 宇土市 

4世紀後半 前方後円墳 竪穴式石室 舟形石棺 女性 




前回は早く比較したかったので、いきなり二つの古墳の比較を始めましたが、今日は落ち着いて熊本の向野田古墳の探訪記を書きたいと思います。4世紀後半の前方古墳です。






 熊本県の宇土半島の根元に走る鹿児島本線と国道3号線の間、不知火御領簡易郵便局を目指して行きました。そこから東の山に向かって曲がります。








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バスの中から撮りました。正面の山ではなく、右の山のもう一つ奥を目指して歩いて行きます。
すぐに左手に案内板があり、いきなり赤土の山を登ります。

今思えば後円部を登っていたようです。
落ち葉と雨で滑りながら登っていくと少々フラットな所に出ましたが、それも後円部の段の一つだったのでしょう。







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まもなく墳頂に出ました。
周囲の地山を削って前方後円墳の形にして、削った土を円墳上に盛り上げているそうです。


この窪みが竪穴式石室の跡で、395cmの石棺がここに埋め戻されています。








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埋葬されていたのは30代後半~40代の女性です。






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石棺の中には頭の周囲に鏡が3面、右手元に碧玉製車輪石、胸にヒスイの勾玉、ガラス小玉などが添えられていました。足から1メートルほどの所には奄美、沖縄産のイモ貝製の貝釧が置かれていました。

石棺外には鉄刀や鉄剣、ヤリ、鉄斧などの武器類が置かれていました。

この古墳も破壊される直前に高校生が掘って石室を掘り出したそうです。
その後、前方部が削られてしまい、現地は円墳のような形になっています。



この日は、この後、雨が大降りになり雷まで鳴り始めたのですぐに下りました。
手荒い歓迎ぶりでした。


副葬品は宇土市立図書館の歴史資料館に置かれています。人骨は熊本大学にあるそうです。

熊本地震で宇土市市庁舎が壊れたのをテレビで見ましたが、見事に再建されていました。資料館はこれからですね。

最初に目に飛び込んで来たのが甕棺でした。
「懐かしい!こんな所に甕棺がある!」
と声を挙げたら、甕棺の南限がここだそうです。甕棺を持ち込んだのか、現地で造ったのかは不明だそうです。


地形を見ると分かりますが、古代において九州を北から南に下る時、船でも陸でも必ず通らねばならない所で、両脇の山間部に古墳群があり、今回の向野田古墳は東の方に築造されていました。



宇土市向野田古墳 赤マーク






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# by lunabura | 2018-12-14 20:06 | <古墳>手光は宮地嶽へ | Comments(0)

比較してみた 向野田古墳と沖出古墳1 4世紀後半 竪穴式石室 石棺


比較してみた 

向野田古墳と沖出古墳1 

4世紀後半 竪穴式石室 石棺




熊本県宇土市にある向野田古墳(むこうのだ)は4世紀後半で竪穴式石室です。
全長が約86メートルの前方後円墳ということで、先日紹介した福岡県嘉麻市の沖出古墳とキーワードが重なります。

重なるのは「4世紀(後半と終わり頃)、前方後円墳、竪穴式石室、石棺」です。

沖出古墳は全長68メートルだったので、向野田古墳の方がずっと大きいです。

が、向野田古墳の石棺は「舟形石棺」なので、沖出古墳の「割竹形石棺」と似ています。

舟形石棺と割竹形石棺の差というのはそれほど明確ではないそうですが、遠く離れた宇土市と嘉麻市に造られたほぼ同じ時代の古墳について比較してみたいと思います。



1 北を上とした場合の比較

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地図上で北を上にした場合、二つの古墳は同じ方向を向いているのか。
それを比較した画像です。

宇土市の向野田古墳は後円部が南にあり、主軸はやや傾いていますが、石室だけは南北を採っているようです。現地説明でも石室の向きが重要だと言われていました。

これに対して嘉麻市の沖出古墳の主軸は全く南北を意識していません。主軸は田川の位登八幡神社と名の無い山のピークを意識していました。少しずらして脊振山頂と位登八幡神社のラインも候補に上がりましたね。

向野田古墳は地山を整形して削った土を円墳の墳丘に盛ったというので、地形に影響を受けたのかもしれませんが、あるいはやはり何かのライン上に築造されたのかもしれません。(チェリーさんの宿題が増えますねえ)






2 主軸を揃えて形を比較 石棺の方向は?
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今度は主軸を水平にそろえてみました。
形がそっくりですね。柄鏡形でいいのでしょうか。円墳に向けて細長い方形墳があるのは古式だそうです。そのあと段々バチ形に開いていくとN氏に習ったのですが、ネットで検索すると、バチ形→柄鏡形→バチ形と変貌していました。

もちろん、一番左のバチ形は箸墓古墳のことですね。ずいぶん無理な変遷史に変貌していますね。

脱線はこれまでにして、二つの古墳の、主軸と石棺の方角を比較しましょう。
全く違っていますね。法則性はあるのでしょうか。謎が出てきました。







3 竪穴式石室の比較

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どちらも竪穴式石室なので、設計を比較してみましょう。
向野田古墳は床を整形して石を並べ、石棺ギリギリに石を置いています。蓋は石を並べています。
沖出古墳は崩れていたせいか、少し乱雑に積まれてみえます。







4 石棺の比較
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向野田古墳は舟形石棺です。沖出古墳は割竹形石棺です。
いずれも縄掛け突起(なわかけとっき)は付いていますが、その違いは底の形です。

ウィキペディアで両者の違いを調べました。
〈【舟形石棺】刳抜式の石棺の一種であり、身と蓋を合わせた断面は扁円形をしており、同様の方法で作られた割竹形石棺より安定性があり、両端が斜めに切られている形状が船に似ていることからこの名称が付いている。

割竹形石棺の変容形と目されており、縄架け突起が付けられていたり、石枕が作り出されていたりする。

主に4世紀中葉~6世紀前葉に熊本・佐賀・宮崎・香川・島根・福井・群馬・茨城などの各地で在地の石材を用いて首長の棺として造られ、各地に普及した。〉

以上からは「割竹形石棺→舟形石棺」と変化しているようです。
弥生時代の糸島市の平原遺跡が割竹形木棺なので、木から石に変化していくのでしょうか。

向野田古墳(4世紀後半)と沖出古墳(4世紀終わり頃)の年代を比較すると
向野田古墳の方がやや古いのでしょうが、石棺の時代変遷は逆転しています。
時代が接近しているので、どちらが古いとは一概に言えないようですね。

が、二つをじっと見ていると、形に込められた思想があるのではないかと思えて来ました。

木の中に永眠するのと、船の中に永眠するのとでは、葬送の思想が違うような気がしてきたのです。

私は一般人ですから、考古学的な素養はありません。
ですから自由な素の観点で印象を記録しておきたいなと思います。


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# by lunabura | 2018-12-12 21:30 | <古墳>手光は宮地嶽へ | Comments(0)

綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25