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ひもろぎ逍遥

脇巫女Ⅱ 8 集う 


脇巫女Ⅱ
8 集う 



私と七色(なないろ)と星読(ほしよみ)の三人が出会ってから二ケ月目、2016年1月9日に古月(ふるつき)も加えて四人で鞍手町を廻った。

流れに任せてみようということになり、まずは六嶽(むつがたけ)神社に向かった。二週間前の夜中にシリウスを観に訪れてその闇の暗さに恐れた宮は、さわやかな表情で迎えてくれた。

ここにはかつて宇佐宮があったという。「宇佐」という地名も近くに残っているが、宇佐宮はここから北九州市の到津(いとうづ)へ遷り、何ヶ所が移動しながら現在の大分県宇佐市に遷ったという話を聞いた。

また、石の鳥居が鉄サビのように赤色が浮いていたことから、水銀の話が出た。星読が、この近くで水銀が採れていたが、近年採掘が禁止されたと教えてくれた。

神社の裏手に出ると谷があった。断層の陥没によって出来た谷だ。そこから水銀が採れた場所が右手に見え、また左手にはタタラグチという地名があった。ここの断層は上下にずれて鉱脈が露出したために採掘しやすかっただろう、という話になった。

白山神社のある山の麓には鍛冶屋の字名があった。

小狭田彦がこの六嶽神社の神官となったのは、やはり水銀採掘地を褒賞としてもらったのではないかと、と思われて仕方が無かった。水銀は弥生人が愛した朱だ。


さて、話題に虚空蔵菩薩の名が出て来た。京都では事代主とされているということで、虚空蔵菩薩を祀る長谷寺に向かうことになった。鞍手には長谷寺がある。

長谷寺の裏手の急な石段を上ると、虚空蔵菩薩が祀られていた。そこから下りて別の石段を登って長谷寺に出た。ここにはかつて国宝だった十一面観音が鉄の扉に守られて祀られていた。十一面観音はセオリツ姫と同一視されている。

その境内に二つの瓦が置かれていた。御堂を立て直した時に残されたものだが、その瓦に月とラセンがあった。満月と三日月と花のような渦巻きだ。
しかも、「大月守」という字が彫られていた。この鞍手には何と「月守」姓が今も残っているという。

花のような渦巻きラセンを見ていて、あの「月守の民」が描いたのだろうか、という話になった。もちろん想像に過ぎない。

しかし、驚いたことに、この長谷寺の地こそが「金星による聖図形」のラセンがズレ始めた所だという。
それを聞いて地形を見ると、先程の虚空蔵菩薩と十一面観音の間には急激な陥没跡があった。

それは断層だった。聖なるラインの引き直しの実例が目の前にあった。


それから、次の目的地は新入(地名・しんにゅう)にある剣神社と決まった。聖ラセンの起点近くにある神社だった。七色は物部の匂いのする神社だという。

石段を登った所にある。神紋は亀。拝殿を背にすると福智山が見えた。裏手から六ケ岳が見える。展望の良い神社だ。

七色が聖図形に記したバッテンの位置を古月に尋ねた。現地で地図と照らし合わせて、それは六ケ岳の最高峰、旭岳だと分かった。雲の中から太陽の日足が出て、その場所を示した。

古月は二つの聖ラセンのバランス点、すなわち中央の点を求めると旭岳になると結論付けた。そして、三つ目の聖ラセンの始まりも同じ所だろうと予測した。すなわち、旭岳から三つの巨大な聖ラセンが大地に描かれていつ可能性があると確信した。

この神社の境内の見晴らしの良さは断層から成り立っていた。正面には福知山断層。背後には西山断層。断層の間に川が流れ、道が通り、人々の営みがあった。

そして、コメントが入った。
剣神社の元宮近くには、かつて金鉱があり、その坑口から正月の二日に三本足の白馬が飛び出して天を駆け回ったとか。その馬を見ると一年間幸運に恵まれるというので、近隣から人々が押し寄せていたと。

三本足の白馬。
不思議な馬だ。人々が押し寄せたとは、これも面白い話だ。

そして、金と水銀と鉄。そして断層。 鞍手巡りは古代の人の求めるものが潤沢に供給される地だったことを知る小旅行となった。

<20190917>



異世界小説
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# by lunabura | 2019-09-17 22:57 | 「脇巫女Ⅱ」 | Comments(0)

彼岸花





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今年も彼岸花に会えました。






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まだまだ猛暑が続きますが、季節が確実に進んでいることを教えてくれています。






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私たち人間も循環の中に生きている。







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ささやかな祈りでも天は知っている。









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そんなことを考えた一日でした。



<20190915>




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# by lunabura | 2019-09-15 22:01 | 繁栄の種 | Comments(0)

靫(ゆぎ)を愛する人は武人か工人か



まだまだ熊本県立装飾古墳館の印象が心に残る。

靫(ゆぎ)を見ていると、添えられた円文が的に見えたり、楯(たて)に見えたりする。
今回の印象を書き留めておこう。
靫とは矢を入れて背中に負う容器だ。





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石に精巧に彫り付けた靫。上の方には矢も彫られている。左の巴形は多分、鞆(とも・ほむた)。
弓を引いたときに手首に弦が当たって怪我をするのを防ぐもの。
そうすると、一番右にある円文は的ではないかと思われる。
被葬者は弓の名手だったのだろうか。







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こちらは赤色が良く残っている。靫、靫、靫。どれだけ靫が好きなのか。
弓の名手が埋葬されたのだろうか。
その間に円文が二段に彫られている。すると、やはり円文は的に見えてくる。

どこかに弓が彫られていないだろうか。あいにく良く見えない。
彼らはどんな弓を弾いていたのだろうか。










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こちらは見えにくいが、弓が彫られている。
左から弓、靫、となると中央の円文は楯(たて)だろう。そして鎧、刀と飾りの円形の玉。
私にはそう見えた。
その中でひときわ大きいのが靫だ。鎧は可愛い大きさだ。








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珍敷塚古墳壁画を見ると、靫が三つ並んでいるように見える。
こうなると、擬人化しているようにも思われる。

弓の名手たちか。
右手のカエルは古代中国展でも馬具(杏葉)のデザインなどに見られた。
左手にはエジプト壁画に似た船と鳥。円文は位置からして、太陽に見える。



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さて、こちらは靫靫靫靫。14も!
靫(ゆぎ)と靫の間に鞆(とも)が見える。
すると、右の円文はやはり的だろう。

この被葬者も弓の名手か。
もしかしたら靫や弓を造る工人集団の長かも知れないとも思ったりする。

武器工人となると、かなりの豪族だろう。その長なら弓の腕も立たねばならない。

靫を愛するこれらの人たちは武人だけでなく、工人もいたのかも知れないと思い始めた。
靫のデザインも四角のものと、くびれがあるものの2パターンがあるようだ。

靫を愛する人たちが熊本やうきは市にいた。
次回バスハイクで行く王塚古墳では鎧(よろい)がずらりと並ぶ。

被葬者の個性か、氏族の違いか。
いろいろと想像されて面白い。

「矢」については、実際に残っていた「古墳時代の矢」を古賀市船原古墳で見たが、それは驚くほど精巧な造りだった。既に矢は進化を極めて、完成形だった。


円文も鏡か的か、太陽か魂か、それぞれ違っているようだ。



<20190914>

熊本県立装飾古墳館 山鹿市鹿央町岩原3085 電話 0968-36-2151



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# by lunabura | 2019-09-14 20:18 | <古墳シリーズ> | Comments(0)

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