2011年 07月 02日
媛社神社(七夕神社)(2)「肥前国風土記」宗像の珂是古の舞台だった
媛社神社(七夕神社)(2)
福岡県小郡市大崎
「肥前国風土記」宗像の珂是古の舞台だった

媛社神社は別名・七夕神社の名前通りに七夕のお祭りが盛んで、
境内にはその日の賑わいを伝える資料が展示してありました。
獅子舞にも七夕飾りが!ふふふ。可愛い。
棚機神社から七夕神社へ
扁額に書かれていたもう一つの名前が「棚機神社」でした。
今回はそれについて考えてみます。
「棚機」も「七夕」もタナバタと読むので、
織物が盛んな時代に娘たちが技能上達を願って「棚機さま」に参拝していたのが、
いつのまにか7月7日の「七夕さま」となりました。
娘たちは「早く一人前になれますように」と祈りながら、
「私にも彦星が現れますように」とも願った事でしょう。
普段は家に閉じこもっている娘たちが姿を見せる日だから、
若衆たちも参拝のふりをして、嫁探しに遠くからでも集まって来る。
神社への道は列をなしたというのもよく分かるなあ。

(神社の横の公園)
宝満川を挟んで彦星に相当する牽牛社もありました。稲吉老松神社と言います。
風土記の媛社
さて、この里で織物が盛んになった理由が
「肥前国風土記」にまでさかのぼる事が出来ました。
そこには四つ目の神社の名前、媛社(ひめこそ)について書かれていました。
「肥前国風土記」を書き写しましょう。
基肆郡(きのこおり)媛社の郷
この郷の中に川がある。名を山道(やまぢ)川という。その源は郡の北の山から出て、南に流れて御井の大川と出会っている。
昔、この川の西に荒ぶる神がいて、路行く人の多くが殺害され、死ぬ者が半分、死を逃れる者が半分という具合であった。そこでこの神がどうして祟るのかそのわけを占って尋ねると、その卜占のしめすところでは、「筑前の国宗像の郡の人珂是古(かぜこ)にわが社を祭らせよ。もしこの願いがかなえられたら凶暴な心はおこすまい。」とあった。
そこで珂是古という人を探し出して神の社を祭らせると、珂是古はやがて幡(凧)を手に捧げもって祈り、
「まごころから私の祭祀を必要とされているのなら、この幡は風のまにまに飛んで行って、私を求めている神のもとに落ちよ」といい、そこでただちに幡を高くあげて風のまにまに放してやった。するとその幡は飛んで行き、御原の郡の媛社の杜に落ち、ふたたび飛んで還って来て、この山道川の付近の田の村に落ちた。
珂是古はこれによっておのずから荒ぶる神の(本居とこの郷での)おいでになる場所を知った。その夜の夢に、臥機(くつびき)と絡垜(たたり)が舞をしながら出て来て珂是古を押えてうなされた。そこでまたこの荒ぶる神が女神であると知り、さっそく社を建てて祭った。それから後には路行く人も殺されなくなった。
そういうわけで、杜を姫社といい、いまは郷の名となった。
(吉野裕訳)
この話、どこかで聞いたことがあるなと思った人も多いでしょう。
何となく分かるけど、よく分からない話です。
二つのヒメコソ神社
くじらさんがヒメコソ神社は二つあり、鳥栖市にはカセコ山という所があり、
姫方という所には七夕屋敷という字名があると教えてくれました。
なるほど、土地勘がないとこの話はよく分からないのですね。
先に地図を見てみましょう。

珂是古が姫古曾神社の所から「幡」(たこ)を飛ばしたら
媛社神社まで飛んで行って落下し、再び姫古曾神社に戻って来たと言う事です。
それで、二つのヒメコソ神社が出来たんだ…。
七夕屋敷跡は今はインターチェンジの中ですって。
謎の屋敷跡か。ここもいつか調べたいな。
さて、この風土記の話から推測したのは、
媛社神が最先端の織物技術が欲しくて、宗像から珂是古を招いた話が
背景にあるのではないかという事です。
珂是古は宗像に住んでいた祭祀をする人であり、
機織りの技術者を連れて来れる立場にあった人ではないか。
宗像国の織物事情
珂是古って宗像のどこに居たのだろうと思って、
先月、福津市の縫殿神社の方に出かけました。
そこで分かったのは、応神天皇が望んだ呉の織り姫が4人渡来してきた時に、
一人だけ宗像の神の依頼で福津市に留まったと言う事でした。
この織姫は神社の神として祀られ、前方後円墳の上にも祀られているのを知りました。
この縫殿神社にはもう一つ伝承があって、
神功皇后の時、ここで船の帆を織らせたという話も伝わっていました。
織物の話について、他にも無いかなって探すと、
宗像市の織幡神社では神功皇后の時に
傍の波津(はつ)で幟を織らせた話がありました。
これらの事から、宗像には早くから織物の技術者がいたのが分かります。
珂是古も津屋崎古墳群あたりに住んでいたのかも知れないなあ。
かつては宗像国もこちらの御原国も高度な織物技術があったのが、
宗像国の方が中国や韓から最先端の技術やデザインが入ってくるので、
媛社神がその技術者をどうしても欲しがって無理を言って珂是古を招いた。
そんな話が風土記の物語の源流にあるのではないでしょうか。
弥生から古墳時代にかけての織物文化を伝える興味深い伝承です。
宗像国と御原国のつながり
面白いことに、宗像市の織幡神社の主祭神は竹内宿禰です。
竹内宿禰と言えば、小郡市の竈門神社が彼の母の陵墓と伝えられていました。
どちらにも竹内宿禰の伝承が濃厚にあります。
「宗像国と御原国」は珂是古だけでなく、竹内宿禰でも繋がっていました。
地名にも「ニタ」とか「用山」とか共通するものが見つかりました。
(「用山」を「もちやま」と読むのが分かるのは宗像と小郡の人ぐらい?)
これらには両国が深い関係を持っている事を示唆しています。
媛社神(ひめこそのかみ)は高木の神の娘?
珂是古を招いた媛社神は女神でした。
娘たちはこの女神に感謝して祈っていたのが、時代とともに
七夕さまの織姫さまにすり替わって行きました。
そして、この女神の名は万幡豊秋津師姫(よろずはたとよあきつし姫
=𣑥幡千千姫万幡姫・たくはた…)だという説がありました。
「機織り」に関わる名前から言われているのでしょうか。
そうだとするとこの神社には子と母が一緒に祀られている事になります。
(磐船神社がニギハヤヒ命。棚機神社が万幡豊秋津師姫)

万幡豊秋津師姫の父・高木の神は隼鷹神社に祀られていましたね。
高良山から高木の神が追い出されたという「神の交代劇」は
それだけでは終わっていないような、気になる神社の配置です。
宗像市 織幡神社
福津市 縫殿神社
小郡市 隼鷹神社
小郡市 玉母宮竈門神社
地図 織幡神社 縫殿神社 媛社神社(七夕神社)
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