ひもろぎ逍遥

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カテゴリ:にっき( 274 )

お返事で~す


KHさん。メールありがとうございます。
今回はブログの方で返答させていただきます。^^

問1)
るなさんの原動力は何ですか?現在のご活動にワクワク・ドキドキするから…、
究極はそれだけだとも思いますが。

―私の原動力ですね…。う~む。何だろう。 すでにお答も書いてあるようですが…。
沢山記事を書いていますが、実はこの数年は出不精です。
あまり情報も集めていません。
お籠り状態に近いのですが、不思議な事に、必要な情報はちゃんと入ってくるので、
それだけを利用しています。

ただ、スピリチュアルな人間なので、内なる衝動には従っています。
そうすると、すごく便利です。
例えば『ひもろぎ逍遥』のスタートが香椎宮と志式神社の神楽でした。
知りたい、行ってみたいという衝動が始まりでした。

これが思いがけず、筑紫の歴史の謎解きのヒントになりました。
だから、ある意味、内なる衝動に従うと楽ちんです。
そうして振り返ると道筋が出来ていたんだなといつも感心しています。
これに逆らうと逆にこわいです。
内なる衝動はあれこれとアイデアをくれますが、追い付かず、お手上げの状態です。
アイデアの源については『夢見力』に譲ります。 (^-^)

問2)
弁才天、イチキシマヒメ、アメノウズメ、スクナヒコナの縁起のある神社、史跡など
廻ってみようかと思って居ますが、お奨めのスポットをご存じであれば
ご教示頂ければとても嬉しいです。

―弁財天なら、佐賀県の天山に降臨してから奈良県の天河神社に移ったと記憶しています。
だから両者にはよく似た地名があります。
天河神社の宮司さんに尋ねたら、年に一度は佐賀県に参拝すると聞きました。
同じ佐賀県の七山村の湿原の中に弁財天が小さな祠に祀ってあります。
そこに行った時、天河神社で買った三環鈴がずっと鳴り続けたという不思議な事がありました。
誰も知らない神社だと思います。
今頃はサギ草が咲いているかも知れませんね。自生なのでとても貴重です。
弁財天はインドではサラスワティーですよね。

同じサラスワティーの化身、市杵島姫は宗像大社の辺津宮、そして広島の宮島の厳島神社が著名です。
宗像三女神として捉えるなら、鞍手郡の六ケ岳、六嶽神社が元宮です。
また、久留米市の赤司神社も歴史的に重要です。

アメノウズメは福岡では飯塚市の撃鼓神社に祀られています。
熊本県か宮崎県の荒立神社が猿田彦とアメノウズメの新婚の宮です。

スクナヒコナもあまり出会っていませんが、
近場では、福津市の楯崎神社に祭られています。ここは盤座が見事です。

以上ですが、福岡県内の神社はサイドバーから見て下さい。
また何かありましたら、コメントくださいね。 (^-^)V

取り急ぎお返事しました。




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by lunabura | 2012-06-17 00:09 | にっき | Trackback | Comments(2)

待っててね


只今、もう一つの原稿の推敲中です。
「ガイアの森」という小説で、すでに一度ブログで発表したものですが、
本の形にしようとしています。

大長編なので、少し時間がかかっています。

出版社は決まっていないのですが、見つからなかったらオンデマンドでもと考えています。

内容は私たちが輪廻する目的。
オーラの働き。
許し。
などなど、スピリチュアルな話で、すべての人の抱えるテーマに挑んだものです。

また続編の「大和編」を書きました。
これは全く未発表ですが、日本の結界、地震などがテーマでした。
作品が出来たあと、3.11が起こってしまい、間に合わなかったという思いで発表の意欲を失いました。



金星が太陽を通過したあと、この世界は流れが変わって行きますが、
私には小説を完成させるという、やり残した宿題が目の前に出て来ました。

ということで、ブログの更新が遅れています。<(_ _)>





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by lunabura | 2012-06-15 10:16 | にっき | Trackback | Comments(2)

古代あさくらツアー・卑弥呼・神功皇后・斉明天皇の足跡を巡る


古代あさくらツアー
卑弥呼・神功皇后・斉明天皇の足跡を巡る

嬉しいな!
ついに古代史ツアーが出た。
これまでの逍遥で、歴史や産物の豊かな所に沢山出会っていました。
そんな魅力的な市町村の観光と古代史を組み合わせたプランが出来たらいいなと
ずっと思っていたので、この古代朝倉のツアーにうれし涙。

タイトルは

「古代あさくらを駆け抜けた 卑弥呼・神功皇后・斉明天皇
ゆかりの地を巡る歴史探訪モニターバスツアー」


―原鶴温泉、農家レストラン、直売所で買い物、夜は郷土史家と歴史談義
2012年5月31日(木)~6月1日(金)
ときたもんだ。

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行程表を見ると、無理なく廻れるコースを組んである。



神功皇后が仲哀天皇の仇討ちをするために羽白熊鷲を攻略するルート。
卑弥呼の里の候補地―平塚川添遺跡。
斉明天皇が突然亡くなって、天智天皇が殯をした恵蘇八幡宮。
そして橘広庭宮の候補地。

そんな場所を巡るんですよ~。
朝倉と言えば三連水車。
夜は原鶴温泉だ。
筑後川流域は今は小麦が黄金色。
果物もおいしい所です。

私も各神社をリンクして応援します (^o^)/
下調べに利用してね。

砥上神社とがみ 朝倉郡 皇后軍が駐屯して砥石で武器を磨いた
栗田八幡宮(松峡八幡宮) まつお 朝倉郡 羽白熊鷲攻撃の大本営を築いた
大己貴神社 おおなむち 朝倉郡 神功皇后は大三輪の神を祭った
恵蘇八幡宮
恵蘇八幡宮と木の丸殿(1)筑紫で亡くなった斉明天皇のモガリの宮
恵蘇八幡宮(2)なんと縁起に斉明天皇陵の所在地が書かれていた。
恵蘇八幡宮(3)一筋縄では行かない地名の特定・明日香村の地名の変遷が分からない
恵蘇八幡宮(4)こんな所に漏刻(水時計)があったよ


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問い合わせ・申し込み
朝倉広域観光協会 歴史探訪モニターツアー事務局
TEL 0946-24-6758 FAX 0946-24-9015
e-mail:aakankou@apricot.ocn.ne.jp

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途中であの埴輪くんに会えるかも!

仙道古墳
http://lunabura.exblog.jp/15708317/

















朝倉市










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by lunabura | 2012-05-26 20:42 | にっき | Trackback | Comments(6)

古代は男も神懸かりをした・NHKの変てこりんなシャーマン像にモノ申す


古代は男も神懸かりをした
NHKの変てこりんなシャーマン像にモノ申す
 

今回は辛口るなです。

神懸かりと言えば神功皇后卑弥呼を思い浮かべます。
古代のシャーマニズムに対して
私はいつの間にか女性中心のイメージを作り始めていました。

吉野ヶ里遺跡で見かけた祭祀場のモデル像は
天の岩戸の前のアメノウズメの服装をしていて、
竹内宿禰が審神者だった神功皇后の神懸かりシーンを参考に再現されていました。

これが一般的な古代日本のシャーマン像になりつつあるのかも知れません。
しかし、これは大変偏った見方なのだと気づきました。

少し話がそれますが、一昨年でしたか、纒向遺跡から桃の種が見つかった時に
NHKスペシャルで放送された「邪馬台国を掘る」(2011・1・23)で、
髪を振り乱した白衣の女性が「桃」に囲まれてトランス状態になって
バッタリと倒れるシーンにとても違和感を覚えました。

最初に驚いたのは巫女の周囲には桃を盛った器がずらりと並べられている事でした。
前はもちろん、左右にも。後にも。
出土した2000個をすべて盛り付けたようでした。
下のテロップには学者の認定を受けているような文言も流れました。

そんなの有り?
お供え物をお尻の方にも置くの?

出土した2000個近い桃を体育館に並べてその数の多さを誇示したシーンがあって
その無駄な労力にも驚いたのですが、
それを一度に供えたという発想に疑問を持ちました。
神に供えるとしたら一皿で十分なのではないでしょうか。

例えば、毎年一皿ずつ供えた物を、例年同じ方角に埋めた結果、2000個になった
という発想は出来ないでしょうか。

また巫女とは髪を振り乱さないと神の声は聞こえないのでしょうか?
きっと東南アジアあたりのシャーマニズムを映像で見て
「神懸かり=髪振り乱してトランスになる」というパターンが出来たのでしょうが、
それが学者の意見を取り入れているとしたら、ちょっと淋しいです。

その変てこりんな供え方をした桃の中で
卑弥呼を連想させるような女性が髪振り乱して形相を変えて行ってバッタリと倒れる変てこりんさ。

倭国の祈りの姿とはそのようなものでしょうか。

纒向遺跡の再現図

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画像出典
http://www.nhk.or.jp/special/detail/2011/0123/

この番組の一番の問題点は、纒向遺跡で大型の建物が見つかったからと言って
すぐに卑弥呼・邪馬台国に短絡した点にあります。
まずは天皇家やそれを支える氏族たちを検討するのが本筋じゃないでしょうか?

大型の建物で祭祀するのは天皇や皇后、皇太子ではないか?
纒向に都を造ったという景行天皇の記述(日本書紀)は検討されたのでしょうか。

もし天皇家の遺跡ではなかったと判明しても神懸かりをするのは女子だけではありません。
男子も神懸かりをするのです。
いきなり「邪馬台国だ」「卑弥呼だ」では困ります。

邪馬台国論に関しては、私は外野だけど「良質な論争」を楽しみにしているのです。
「おらが故郷の邪馬台国」という論拠で番組を作るのは勘弁してほしいです。

という事でずいぶん前のNHKの番組への不信を今頃になって書きました。

それというのも、そんな映像を見ている内に、
弥生時代のシャーマニズム=卑弥呼の鬼道という固定観念が
自分の中に刷り込まれ始めているのに気づいたからです。
これは誤りでした。


倭国の男子の神懸かり

神社伝承や文献を見て行くうちに
男子の神懸かりもまた倭国の祭祀の基本の柱なのだという事が分かって来ました。
今回はその古代日本の男子の神懸かりの例を少し見て行きたいと思います。

まずは日本書紀の神功皇后の巻の別伝
男子が神懸かりをしているシーンを読みましょう。(るな訳)
ある本に曰く、
足仲彦天皇(たらしなかつひこ=仲哀天皇)は筑紫の橿日の宮を宮処としました。その時、サバの県主(あがたぬし)の祖であるウツヒコ・クニヒコ・松屋種(まつやたね)に神が懸かって、天皇に教えました。
「天皇がもし宝の国を手に入れたいと望めば、実際にお授けしよう。」と。
すぐにまた続けて、
「琴を持って来て皇后に勧めなさい。」
と言いました。そこで神の言葉に従って、皇后は琴を弾きました。すると神が皇后に懸かって教えました。
「そなた天皇の所望する熊襲の国は、例えれば鹿の角のようなものである。実がない国である。今、そなたが乗っている王船と穴戸の直(あたい)ホムタチが献上した大田という名の水田を供えて、我をよく祀れば、美女の眉毛のようで金銀が沢山あって目もくらむような国をそなたに授けよう。」と。
その時、天皇は神に答えて言いました。
「いくら神といっても、どうして欺こうとされる。何処にそんな国がありましょうや。またわたしが乗る船を神に献上したら、私はどの船に乗ったらいいのですか。それに、どこの神とも分かりません。願わくば神の御名を承りたいものでございます。」
すると神が名乗られました。
「表筒男(うわつつのお)、中筒男、底筒男。」と。こうして三神の名を名乗ってまた重ねて言いました。
「我が名は、むかひつを・もおそほふ・いつのみたま・はやさのぼりの尊である。」
と言いました。すると、天皇は皇后に言いました。
「縁起の悪いことを言われる婦人だ。どうしてハヤサノボリ(速く天に昇る)と言うのか。」と。すると神が天皇に言いました。
「そなた天皇がこれを信じないならば、その国は手に入るまい。ただし、今、皇后が懐妊している御子が手に入れるであろう。」
この夜、天皇は急に病気になって崩御しました。 
 
このように別伝では、最初にウツヒコ・クニヒコ・松屋種に神が懸かっています。

松屋種に懸かった神は皇后に琴を弾かせるように勧めます。
当時は神懸かりの琴を弾くのは男性だったので、
これは大変特殊な話だったのだと思うようになりました。

その琴の弾き方は豊浦宮(忌宮)に残っていて、それを参考にすると
感興のおもむくまま、つまびく方法だったと考えられます。
それを弾くのは男子(神官)です。

囲碁も感興のおもむくまま白黒の石を置いて行くことで、
神の次元を碁盤に写し取って、それを分析して占うのが初原だと聞いています。

倭国の神懸かりは男女ともに起こるもので、
髪振り乱してトランス状態になるのとは少し違っているのです。

さて福岡の神社を逍遥する内に、男子の神懸かりあるいは神託を受けたという例に出会いました。
古遠賀湾流域の神社の過去記事から三社ほど紹介します。



八剣神社の田部人麿

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祭神 日本武尊(ヤマトタケル) スサノオの命 ミヤズ姫の命由緒 当社は人皇二十七代、安閑天皇の御代に田部人麿という者の神託によって、この山の上に斎き祀っています。
昔は近郷に比べるものがないほどの御社で、ご神徳はあまねく知られていました。

日本武尊のためにわざわざ宮を造って歓待したという伝承を持つ宮です。
それを祀ったのは田部人麿への神託が由来でした。

安閑天皇の御代だったという事なので在位を調べると531~535年でした。
磐井の乱(527)継体天皇崩御(531)という大事件の後の話になります。



天照神社の長屋山筒男

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祭神は天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊。
(あまてる・くにてるひこ・あめのほあかり・くしたま・にぎはやひのみこと)

貝原益軒の書いた由緒書きの訳です。
この御神霊は垂仁天皇16年に初めて笠城山のふもとに降り、長屋山筒男という人に託宣しました。その人は大神の勅命を受けて、その笠城山のふもとの川でしばしば人に災いした大きなナマズを切って災難を除いたという事です。
八剣大神という神がこの辺り8か所に鎮座するのもこの時、大神が授けた剣を収めた所だからです。

垂仁天皇の在位を調べると紀元前29年~紀元後70年でした。(wikiなど)
この宮での神託は祭神のニビハヤヒが降臨した事で有名な笠置山の麓の災難を
防ぐ方法を授けられた話です。
その神託を受けたのが長屋山筒男でした。
彼もまた後には長屋大明神として祀られるようになりました。


正八幡神社・位登八幡神社の田麻呂

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田原麻呂という人がいて、仲哀天皇の進軍を聞いてただちに参軍し、
帰途には神功皇后を半年ほど屋敷に滞在させました。
その600年後にその子孫の田麻呂に神託が降りました。
その部分を過去記事から抜き出してみます。

川崎町誌から
祭神 応神天皇・仲哀天皇・神功皇后
由緒 社伝。神功皇后が三韓の遠征から都に帰る途中、穂波郡大分(だいぶ)で軍隊を解散して将士を郷里に帰らせたとき、その中に田原麿という人がいた。この人は正八幡近くの城山に居を構え、この一帯を領していた。

そののち貞観18(876)年のこと、田原麿の子孫、田麿という人が、神託によって宇佐宮から神霊を勧請した。その神託は次のようなものである。

「田川郡位登郷の楠の森は、我が母・香椎明神(神功皇后)が三韓に出兵したときに従った田原麿が住んでいるところである。我はこれにちなんで、穂波の本宮(筑穂町大分八幡宮)に行き通うたびに休息し、また宿るところであった。なんじ田麿、我のために宮を造ってまつれば、我はそこに鎮まって領民の安穏を願うものである。」

この社伝には「田原麿と田麿」という、時代が違う二人が出て来ます。
時間順に並べ直してみると、
田原麿は近くの城山(もしくは位登郷の楠の森)に住んでこの地を治めていたが、神功皇后の三韓遠征の時に遠征軍に従って行って、(2年後には)戻ってきた。

それから600年以上経ってから、子孫の田麿に神託があった。それは応神天皇の神霊からのもので、「神霊は宇佐八幡宮から本宮の大分八幡宮に行き通うたびに、母と田原麿の縁にちなんで、旅の途中に位登郷の楠の森で休息していたが、自分のために神殿を建ててくれたら、領民を守護しよう」という内容だった。
そこで宮を建てて、のち1383年に現在地に遷宮した。

宇佐八幡宮に近づくと各神社はだんだん八幡宮に置き換えられて行くのが観察できます。
豊前に近づくほど顕著になります。

この正八幡神社の神託はそのような事情をよく表すものです。
八幡の勢力が広がっていく過程では、「神託」と言う名のもとで
無理に八幡に置き換えられた神社もあるのではないかと思っています。
(若八幡神社など)

こうして遠賀川流域では男子の神託の例がいくつか見られました。
考えてみると倭国の祭祀の中心は天皇そのものです。
それを物部氏が支えていました。
神託があるのは卑弥呼や神功皇后のようなシャーマンだけだとは限らないのです。

NHKの「邪馬台国を掘る」が偏った見方で作られたのがよく分かります。






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by lunabura | 2012-04-20 10:27 | にっき | Trackback | Comments(2)

この埴輪、山本太郎に似てない?


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王冠をかぶって入れ墨をした男性の埴輪。
山本太郎に似てる~。
古墳時代なのにヘアースタイルは美豆良じゃないし、冠も珍しい形。
これは会いたいと思って、出土地である福岡県筑紫郡那珂川町の
古墳の講演会に出掛けて来ました。

あいにく、この埴輪は出張中で、対面出来なかったのですが、
この那珂川町の古墳の集中ぶりは全国の10倍以上。
沢山の古墳を紹介されて、古墳の遍歴が少し分かるようになりました。

そのあと古墳見学に行ったので、後日レポートします。

そして、この那珂川町は何よりも眞鍋大覺の古里。
『儺の国の星』と『儺の国の星・拾遺』を出版した町です。
私にとってこの本は伝承や日本書紀を理解するためのバイブル。

眞鍋大覺は縄文杉の年代を測定し「縄文杉」という名称を作った人。
炭素測定による年代測定の先鞭を付けた人。
「地震雲」の存在を世に出した人。
「針摺の瀬戸」を伝えた人。

この本があいにく昨年完売になったので、
ミリカローデン那珂川の館長さんに再版をお願いしました。
その本の存在を御存じなかったのですが、前向きの回答が戴けそうです。

この本は古代日本の暦法を支えた物部氏の最後の伝承者による本です。
物部氏はハレー彗星の存在も既に知っていましたよ。
物部氏の暦法はトップシークレットだったために世に出ていませんでしたが、
現代の私たちにとって、古代史の謎を解く手がかりに満ちています。
この本が多くの古代史研究家に渡り、研究されるように願っています。




地図 那珂川町






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by lunabura | 2012-03-26 23:19 | にっき | Trackback | Comments(2)

一歩ずつ


新しい年が始まりました。
昨年はブログを通して多くの方と出会えました。
ブログを書いててよかったなと思っています。

昨夜は久し振りに紅白歌合戦を聞いて、たくさん涙を流しました。
3.11が起こって、だれもが今のままでいいのか悩みながら、
自分には歌しかない、今やっている事しかない、と歩み出しています。

私もブログなんか続けていいのかと一時、歩みを止めました。

それでも、私には私の道しかない。
目の前に与えられたものを掴み取って行くしかない。

この悩みと結論はすべての日本人が乗り越えて来たものでした。

沢山の故郷を思う歌と絆のメッセージソングを聞いて、
自分を振り返ると、
この神社ブログを書いていく事で、
故郷の福岡がどんどん好きになって行くのを感じていました。
そして日本のことも。

いただいたコメントやメールの数々で、
日本の各地の人とのつながっている思いが深められました。

私たち日本人のルーツを求めていく衝動は、
日本人が世界の各地からやって来て、そして一つになった証しへと
つながっていくという思いをさらに強くしました。

とどまって掘り下げていくことで次々に現れる古代の姿に、
毎回、自分の固定観念をはずす日々です。

ゆっくりとですが、この歩みを続けて行きたいと思います。

さて!
紅白を聞きながら、おせち料理も作るんですよ。

夕食が終わって作るのが恒例なんだけど、
昼に作ってもいいんじゃないかなと昨日はふと気づきました。
皆さん、おせちはいつ造ってるんだろ。

こんな、るなさんですが、今年もよろしくお願いします。










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by lunabura | 2012-01-01 00:31 | にっき | Trackback | Comments(2)

ドゴン族


ドゴン族
 

昨日、所ジョージの番組でドゴン族を訪問していた。
ドゴン族はシリウスが連星だという事を知っているという事を読んでから
とても興味を持っていた。
さっき、ネットで調べたら、それを書いた学者の捏造説が書かれていたが、
真実は分からない。

番組を見ていると、ドゴン族はアフリカの延々と続く断崖の麓に住んでいた。
明らかに造山活動による断層で、50mの高さがある。

町では彼らは凶暴な民族という噂を聞かされていたが、
真実は、彼らは多民族に奴隷にされそうになったが、
戦いを好まないので、水もない断崖に逃れて住むようになったという事だった。

土の家に住み、聖職者は一番高い所に、人に触れられぬようにして住んでいた。
彼らの神アモン(アマン?聞き忘れた)は一メートルほどの岩を御神体として祀られていた。(それに老人が寄りかかって座ってた…)
その傍で部族会議をするのだが、
会議所の屋根が低いのは立って喧嘩をしないようにという配慮だという。

たまたま祭があっていて、カラフルな衣装を着た女性たちが、
ぐるぐると一列になって廻っていた。
彼女たちの履物はちょうど竹馬のように、一本の棒になっていた。
その棒は50センチほどの長さだ。
「すべては旋回する」という事を象徴して、一列になってぐるぐると廻る。

それを見て思い出したのはずっと昔に見たドゴン族のビデオだ。
白黒で、映写樹が発明された頃に、
文化人類学者がドゴン族の祭りを撮影したものだ。

彼らは60年に一度、「シギの祭」をする。
1つの村が祭をすると、翌年、隣の村が祭を行う。
7つの村が順繰りにシギの祭を行うのだが、互いの村の内容は知らない。
一つ目の村が一列になってぐるぐる廻るダンスをする。
翌年、二つ目の村も同じように一列になって廻るが、衣裳の色が違った。
3年目だったろうか、黒一色の衣装になった。
4年目、記憶はあいまいだが、白一色になったと思う。
(人に貸したビデオが紛失して確認できない。)

この時、学者は気づいた。
これは「蛇の一生」を表す祭だ。
蛇が生れて成長し脱皮し(一時的な死)再生し、それを祝う。
これを一つずつの村が分担していたのだ。

これを見て私は衝撃を受けた。
60年に一度という、伝承する者が生存出来るぎりぎりの年ごとに、
この祭を行い、7つの村に分担させた。
いったいこの祭を演出したのは誰なのだ!

あの不毛のアフリカの大地に住むドゴン族の「シギの祭」。
自分たちはシリウスから来たと証言する映像も見た事がある。
ネットでは、捏造だと簡単に片づけているが、そうだろうか。

それはともかく、
所さんの番組はその60年に一度の祭に出くわしたのではないか、
と興奮した。
もしそうだったら、誰か7年間の祭を記録してくれていないか。

なんぞと思いながら目が覚めた。
私が福岡~熊本の有明海にかつて伝わっていた
「夜渡(よど)の祭」が「70年に一度の津波」を伝えるもので、
それを知らせるのがシリウスだという事を知って過剰に反応したのは、
このドゴン族の祭を知っていたからなのだ。

もちろん、有明海の場合は埋め立てが進んで、
そういう事はないだろうと祈っている。









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by lunabura | 2011-12-25 11:39 | にっき | Trackback | Comments(0)

三強・神社探知人間


三強・神社探知人間

神社を山なんかで見つけるのには、コツがありますが、
私には便利な神社探知人間がいます。三人もです。

まずは、るなパパ。
特技は山の中にある鎮守の森を見つけること。
森の豊かな所にある神社の杜をその形状で見分ける能力に長ける。
鞍手郡や糸島市あたりで、その技を連発。

次に、くるま座さん。
特技は山当てをしながら神社を見つけること。
筑後平野のようなだだっ広い所で、山と山の頂上を組み合わせて行くのが得意。
その感覚はまるで船で海を走るような感覚なので、
途中に集落があれば、中のくねくね道を突破して行くので、
突然神社の前に車が止まる。
決して国道や県道を走らない。裏街道の王者です。

「あの…。ガイドブックには大きな道から案内を書くんだけど…。」
と、るなはつぶやくのでした。
「神社の杜の特徴は、森の中にひときわ高い神木があるんですよ。」
なるほど、確かに。それを聞いてからはさらに見つけやすくなりました。
やはり、彼は海人族だ。

そして、新たに強力な神社探知人間が。
それはマーサ。
「え?どこどこ?」
「ほら、見えるでしょ。」
「え?」
という会話が何度かあり、
「右と聞いたけど。」とるなが言うと、
「でも、左だと思うよ。」と言って、確かにそうだった事も。

こうして、るなのガイドブック作成に当たり、
神は三人の神社探知人間を与えたもうたのでありました。
神さま、ありがと~。

あと一息で~す。










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by lunabura | 2011-12-05 18:37 | にっき | Trackback | Comments(0)

熊鰐さん的こころ


ようやく推敲が終わりました。
あとはチョコチョコと作業する段階に。
来週には原稿を渡して、来年の早春には出来上がりそうです。

この二日は何故か、熊鰐さんの事が頭に浮かぶ。
彼って心配りの人なんですね。

仲哀天皇と神功皇后を防府市まで迎えに行く時、
漁場や塩田を献上したりするし。
洞海湾で皇后の船が立ち往生したら、さっと穴を掘る。
穴には魚を狙って鳥たちがいっぱい集まって来たんだけど、
これで機嫌を取ったというつもりじゃない。
脱出路を掘ったんだと思う。
たまたま皇后が群れ飛ぶ鳥たちを見て顔を輝かせたので結果オーライ。

伝承を追うと、
このあと、皇后は熊鰐の大切な聖地にわざわざ行って神々を祀ってる。
熊鰐はきっと大感激。
神功皇后も出迎えてくれた人たちの神々を必ず祭祀するのがすごいなと思う。
そしてお礼参りも欠かさない。

3年たって、皇后が再び洞海湾に戻って来たときは、
可愛い皇子がようやく立ち上がるころ。
熊鰐は、皇子誕生を知って、皇子のための衣裳を準備してくれていた。

これが弥生時代の話だから面白い。
こんな心配りは日本人の心そのもの。
なんだかこの二日は、そんな熊鰐さんを思いながら過ごしました。


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吉野ヶ里歴史公園の前庭
(なんとイングリッシュ・ガーデン!)









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by lunabura | 2011-12-02 18:58 | にっき | Trackback | Comments(2)

今日は月末だった (+_+)


あれ?今日は月末なんですね。
私、なんと12月のカレンダーを見ていた…。

原稿は書き終えて、推敲をしています。
一社一社を紹介しながらも、全体のストーリーも楽しめるようにと考えていますが、
文章力を付けるには、何しろ書くしかない…。
そして推敲。

頭の中は弥生時代と平成の二重生活のような感覚です。

神功皇后伝承は各神社は単発の伝承なのですが、
それが線になり、面になった時、
仲哀天皇と神功皇后を迎えた国々や対立した国々、そして人々の暮らしが垣間見え、
それらが星座を作るように有機的に繋がっているのが魅力です。

遠賀川流域。筑後川流域、宝満川流域。糸島の国々。那の国の島々。
みんながつながっている。
それぞれに文化が有り、考古学的資料がある。そしてつながってる。

神功皇后という一つの時代を基準として、
それぞれの地域で伝承と考古学資料がまとめられたら、
筑紫の文化の夜明けが見えてくる。これ即ち日本の夜明け。

町おこしとして、それぞれの地域で、
文化マップが出来たらいいなとずっと思って来ました。
福岡の皆さんに自分の地域の歴史の深さにもっと気づいてほしい。
そう思うのでありました。










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by lunabura | 2011-11-30 20:03 | にっき | Trackback | Comments(6)
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綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25


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