ひもろぎ逍遥

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カテゴリ:<真鍋大覚儺の国の星>( 20 )

羌人(きょうじん)にやっと会えた



羌人(きょうじん)にやっと会えた


 

先ほど、NHKで「四川美人谷」が放映された。

本当に美人ばかりで見とれたが、頭には「かふり」を被っていた。
埴輪の女性と同じ被りものだ。

取材されていたのはギャロン・チベット族ということだが、
もともと羌人(きょうじん)がルーツだったという。

羌人は旧唐書には「東女国」と書かれている女王国の民だ。

番組によると、この民は夏王朝をうちたてた禹(う)のルーツだそうだ。

殷が建国されると羌人はいけにえとされていた。
次に周が起こると、羌人は王の妃として入り込んで身の安全を確保したという。

この羌人について、ずっと探していて、手掛かりがなかったのだが、この番組でようやく会えた。

何故探していたかというと、「羌人」は真鍋の本に出てくるからだ。

ところが、真鍋の本では「羌人」「姜人」の二つの単語が混在している。
どちらも「きょうじん」と発音するので、真鍋の語りを書き写す時に混同したのだろう。

このために、渡来人の整理がストップしていたのだが、もしかしたら、これで整理が進むかもしれない。


☆ ☆ ☆



明日の歴史カフェ429は当日参加でもOKです。
資料は数部多めに印刷しますが、出来たら午前中までに連絡入れてください。

消された大王 アントンイソラ
―安曇と阿部(阿倍)姓の王たちは日本書紀から封印されたー

1章 安曇磯良 白い覆面の神
2章 日本書紀に書かれなかった磯良の存在 各地の伝承から半生を描く
3章 各地に伝わる磯良と干珠満珠の記憶    
4章 中国正史に書かれた倭王・阿毎氏とは阿倍氏である
5章 高良玉垂宮で玉垂命(磯良)が高良の神(武内)に変わったのは白村江戦の十年後だった

前半は初めての方でも理解しやすいように、パワーポイントで全体を見ていきましょう。


会場は福津市の福間中央公民館です。
駐車場は145台分あります。
ここでの団体名は「ひもろぎ歴史愛好会」です。

今回は『神功皇后伝承を歩く』の下巻がメインです。

日時 2018年4月29日(日)2時~4時
会場 福間中央公民館 2階 視聴覚室「ひもろぎ歴史愛好会」
所在地: 福岡県福津市手光2222
電話: 0940-43-2100(ナビ用です)
交通アクセス JR福間駅から徒歩15分
西鉄バス「手光」バス停から徒歩8分。
会費 1500円(当日払い)


申し込み方法
1 氏名 ヨミガナ(ハンドル名)
2 住所 市町村、字名まで (例として福岡市東区香椎、春日市春日)
   (丁目や番地は不要です)
3 歴史カフェ429希望と記入。

なお、『神功皇后伝承を歩く』(上下)を購入希望の方はその旨書いてください。
当日お持ちします。

初めての申し込みは「コチラ」あるいは、サイドバーの「メールはコチラ」から。

二度以上の方は、当方からの返信をご利用くださいませ。

(ドコモの方は当方からの返事が届かない場合があります。
受け付けておりますので、気にせずご来場ください。)

福間中央公民館 
所在地: 福岡県福津市手光2222
電話: 0940-43-2100(ナビ用です)
交通アクセスはJR福間駅から徒歩15分
西鉄バス「手光」バス停から徒歩8分です。







歴史カフェ福津
4月29日(日)第18回 2時~4時
「消された大王 アントンイソラ
安曇姓とアベ姓の王たちは日本書紀から封印された」
詳細は コチラ 過去記事はコチラ

歴史カフェ小城
5月12日(土)第2回 3時~5時
1部:天山神社創建の人たち 藤原房前・持統天皇など
2部:神功皇后の伝承
申し込みはコチラへ    
第1回詳細はコチラ
会場:小城鍋島家Ten

歴史と自然をまもる会
バスハイクの旧記事はコチラ
5月 安曇の里




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by lunabura | 2018-04-28 23:13 | <真鍋大覚儺の国の星> | Comments(1)

真鍋ノート 魏志倭人伝「生口」とは海士・海女のことなり



真鍋ノート 

魏志倭人伝「生口」とは

海士・海女のことなり



魏志倭人伝に「男女生口三十人を献上す。」とあり、「生口」の意味は奴隷など、さまざまに訳されますが、真鍋は海士・海女のことであると伝えています。

海産物を不老長寿の薬として珍重したので、それを採る熟練士を献上したという意味になります。中国大陸の都は海から離れた所にあるので、海藻やウニ、アワビなどは特に珍重されたのでしょうね。

「生口」は「まかり」と読んだそうです。
「めかり」とは和布刈神社(めかり)にその名が残っていますが、旧正月に夜中の海に入ってワカメを採って、神に捧げます。これも安曇磯良の干珠満珠の秘法からきています。

さて、真鍋から
魏志倭人伝に曰く、
 男女生口三十人を献上す。
 
韓国済州島の海女を「まかり」と言う。昔は能登舳倉(へくら)から淡路岩屋まで季節を定めて出稼ぎにきていた。豊前企救(きく)和布刈(めかり)や筑前宗像鐘崎はその根拠地であった。
大陸民族は水を渡ること、あたかも戦々(恐々)として薄氷を踏むがごとくおそれるが、不老長寿の貴薬としての海藻(なまわかめ)、それから海肝(なまうに)の類は珍重するが、これを自ら衣を脱ぎ水にひたって採集することはできない。
そこで倭人の練達の士を召し抱えてこれに当たらせていたのである。「生口」(まかり)とは「なまめかり」と訓ずべき氏族であった。


「生口」のイキグチの字は「魚」を表す近東語の「イクシス」から来たものだそうですよ。




過去記事に詳しく述べています。


済州島はもともと耽羅国であり、韓国とは違っていましたよ



※和布刈神社は下巻100です。



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by lunabura | 2018-01-10 20:56 | <真鍋大覚儺の国の星> | Comments(0)

エクセルは楽し





真鍋大覚を時々読みますが、面白い話があちこち、バラバラに載っているので、記憶に残りません。
そこで、最近は単語メモをエクセルにちょくちょく入力しています。









c0222861_19481412.png



これまでもいくつかノートを作ったのですが、役に立たなかったんです。
追加、追加ですからね。


で、今頃になって、エクセルの利点に気づいたのでした。
今日のメモをランダムに記入して、チチンプイプイ。









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並べ替えると、あら不思議。
あれとこれとが繋がる、つながる~

田油津姫は土蜘蛛とされたけど、西域出身の渡来人だったんだなあ、とかね。

真鍋の本全体の単語帳を作りたいと常日頃思うのですが、それはきっと古語辞典なみのスケールになりますね。

個人ではとてもできない。
スポンサーとスタッフがいればすごいのが出来るのになあと、よく思います。

日本語のルーツが満載なんですから^^







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by lunabura | 2017-12-08 19:50 | <真鍋大覚儺の国の星> | Comments(0)

真鍋ノート魏志倭人伝2 躬巨国 投馬国 伊都国 耶馬国 好古都国


真鍋ノート

魏志倭人伝2

躬巨国 投馬国 伊都国 耶馬国 好古都国



さて、真鍋大覚による魏志倭人伝の国々の記事のつづき。

躬巨国くしこく 古賀政男の出身地・筑後三潴大川。(宮崎康平説)
投馬国とうまこく 天草島。天鳥船の故郷。
早良さわら 魏志倭人伝にはない。
伊都国いとこく 怡土郡。奴国との境は室見川(早良川)
奴国ぬこく 那珂郡。伊都国との境は室見川(早良川)
耶馬国やまこく 筑後八女郡。
好古都国こことこく こごち。満天の星座。不知火の群光を連想させる。
邪馬台国やまたこく 時見の対象となる高山を遠望するところ。

早良に関しては、遺跡がありながら、
魏志倭人伝には記述されていない謎があるが、
真鍋は奴国の一部としているようだ。

伊都国は糸島水道の南から室見川までとしているので、
高祖山や飯盛山の山塊は伊都国ということになる。

奴国は「ぬこく」「なこく」いずれを読んだか未詳だが、
室見川と「ありなれ川」に挟まれた領域で、
那珂川町を中心と考えているもよう。

耶馬(やま)=八女(やめ)

好古都国に関しては断定はしていないが、
文脈からは不知火(しらぬい)の見える有明海沿岸と考えているようだ。

邪馬台国も断定していないが、東か西に時計代わりの高山があるとする。

また、「奴佳鞮」(なかて)とは邪馬台国の「官名」だが、
同名の「王」(あるいは邪馬台国の一官)が
多良岳~諫早を領有していたとする。


前回の地図に追加してみた。









c0222861_19373985.png

「奴佳鞮」(なかて)が邪馬台国の一官名ということは、
邪馬台国はこの付近としているように見受けられる。

倭国の大乱は雲仙岳(画像では普賢岳)の領有を巡ってのものだ
という文も見られた。(少しあいまいな記憶)


見つかったのは以上の国ぐらい。

本をお持ちで、ほかの国を見つけた方は、
コメント欄に、ページとともに一文を是非とも!


<2017年10月27日>




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by lunabura | 2017-10-27 19:38 | <真鍋大覚儺の国の星> | Comments(0)

真鍋ノート 魏志倭人伝 奴国 不彌国 為吾国 伊邪国 姐奴国 巴里国


真鍋ノート

魏志倭人伝 


奴国 不彌国 為吾国 伊邪国 姐奴国 巴里国



邪馬台国論争に参加する気持ちはサラサラないが、
真鍋大覚の本には各国の場所がちりばめられている。

単語帳をエクセルでボチボチと作り始めたところ、
真鍋による魏志倭人伝の各国も少しずつリストに挙がってきた。


今回は、その国々の中、わずか六国ではあるが、
その場所を確認しよう。


奴国ぬこく二万戸余り。戸をもって数えた。ありなれ川を挟んで対岸に不彌国。
不彌国ふみこく千余家有り。家をもって数えた。ありなれ川を挟んで対岸に奴国。
為吾国ゐごこく肥後菊池泗水。ゐご=地底から湧き上がる水をためた深い池。
伊邪国いざこく肥前松浦伊万里。筑紫の天原の領域。
          中東民族が住み着いた歴史あり。
姐奴国そなこく宮崎康平によると、肥後益城。(ましき)
          そぬ・せの=女人が衣装を洗い濯ぎ、
          砧でたたき晒して干し、頭に乗せて帰る姿。
巴里国はりこく朝倉郡。あさくら・はり=高瀬舟の元祖の名。

地図に落としてみた。









c0222861_20324216.png

真鍋は「奴国」の位置を「ありなれ川」の西としている。

私自身、論を立てるようなレベルには達していないが、
真鍋の言う奴国の位置に関しては違和感がある。

香椎宮の位置が儺県(なのあがた)だからだ。

奴国とは、
委奴国(倭奴国)の金印が出た志賀島を中心とした博多湾沿岸全体、
すなわち、那珂川~那の津~香椎~旧粕屋郡北部を考えている。


真鍋による魏志倭人伝の世界は、
これからも少しずつ追及していこう。

あくまでも真鍋の世界であって、
私の説ではないことを断っておきたい。


真鍋の邪馬台国は何処だろうね。

<2017年10月26日>



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by lunabura | 2017-10-26 20:35 | <真鍋大覚儺の国の星> | Comments(5)

土蜘蛛



真鍋ノート

土蜘蛛



土蜘蛛といえば田油津姫だ。

兄の夏羽も、その祖の神夏磯姫も土蜘蛛ということになる。

真鍋は、土蜘蛛は地中海のエトルリア人の子孫、トロヤ人、
フェニキア人、更にはペルシャ人を含むという。

金工の術に長じた西域出身の異邦人である。

「つくみ」とは夜の間も眼光炯々(けいけい)として目を輝かす
フクロウ(梟)ミミヅク(木菟)のことをさすが、
一方で、鉄を溶かす炉の火口(ほぐち)の形容でもあったという。

仕事が終わるまで昼夜の区別なく
赤く燃え盛る炎の中身を除く窓のことも指した。

近東では、火の加減はすべて未婚の女人があつかったという。

ギリシャ神殿では、神に供える料理を作るために
巨大なレンズで天の日(火?)を集めて火をともすのは
神殿の女官の務めであったという。
(儺の国の星拾遺 p108)

2018平昌冬季オリンピックの聖火の点火は
え?
本日24日?




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<2017年10月24日>



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by lunabura | 2017-10-24 19:25 | <真鍋大覚儺の国の星> | Comments(2)

新月のいざないは



10月20日は新月でした。
なんだか、大きな節目の「新月」だったようですね。

今回の「新月」は
「新しい体験が始まる」のと、「根気のいること」がセットらしい。

わたしもまたまた新しいことを思いついたのですが、
さすがに根気が要る(´・ω・`)

そういう点では新月の占いは当たっているなあ(;^_^A

何を思いついたかというと、
「真鍋の本の単語帳を作る」というアイデアです。

これまでも何度も単語帳を作りました。

手書きやワード打ち込みなどなど。

でも、利用しにくいのです。

最終目標の渡来人の読解に関して、
言葉が重複したり、難解だったりして理解が進まないのです。
誤植もあります。
「カン人」が「韓人」か「漢人」か、分からないのです。
「漢字」が「韓字」となっているのを発見したからです。
「展開」が「転回」となったり。

真鍋が盲目になったため、校正が出来なくなったのがその理由です。

ですから、根本的に読んで理解しないと、
誤植のまま解釈する危険性があります。

そのためには、単語帳を作って正誤表も要るなあと。
いったいどれだけの労力が必要だろうか。


大体、言葉にすると「思い」は消えてしまいます。
だから、普段は「形」になるまで発表しないのですが。
今回は書いてみようと思います。

書いて消える思いなら、大したことはありませんね。




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by lunabura | 2017-10-22 20:47 | <真鍋大覚儺の国の星> | Comments(0)

【真鍋ノート】南十字星と大宰府

【真鍋ノート】


南十字星と大宰府


真鍋大覚の星に関する史料は『石位資正』といい、
漢名の星宿の項目に対し、日本の古い和名を列記したものだという。
中国の星名と日本の星名の照合表のような感じなのだろう。

この『石位資正』が書かれたきっかけは、
刀伊の入寇という侵略事件だった。
この時、異国の天文知識に接した藤原隆家が編纂したものという。
隆家はこの時、大宰権帥だった。

当時は太宰府から南十字星がまだ見えていたという。
南十字星が将来見えなくなるにつれて、
星の和名が消えることを案じたことからの編纂だった。



緒言より(改変)
<『儺の国の星 拾遺』の原本は『石位資正』で、
藤原隆家が1039年に大宰権帥に再任された時、
九州で星暦についての古今の見聞録を編纂したものである。

執筆の契機は1014年から1019年の任期中に
刀伊の入寇に遭い、大陸の夷狄(いてき)の
偉大なる天文知識に感銘してからのことと伝える。>

ウィキペディアによると、
藤原隆家が大宰権帥になったのは
眼病(突き目)の治療のために筑紫行きを望んだからだという。
この時に、刀伊の入寇に遭い、応戦している。
刀伊とは満州の女真族と考えられ、
壱岐・対馬を襲い、筑前まで上陸したという。

この時に隆家は敵ながら天文知識の豊富さに感銘したのだろう。

この頃は太宰府から南十字星が有明海のかなたに沈むのが見えていたが、
将来、この星座が見えなくなるとともに、
世人の関心が星空から離れていく気配を察してこの本を企画したという。

太宰府から最終的に見えなくなったのは明治15年(1882)だそうだ。

真鍋大覚の父、真鍋利市は明治43年(1910)3月27日に
脊振山頂から南十字星のγ星(一番上の星)を有明海上に見たという。

今年(2017年)、脊振山系から南十字星のγ星が撮影されて、
話題になった。
まだ、年に数回は観測することができるらしい。

済星(さいせい)
韓人は南十字星を「済星」と呼んだ。
巨済島や済州島はこれに由来する地名で、
昭和60年から換算して35年~309年前に出来た名である。

わたしの星

倭人は南十字星を「わたしの星」と呼んだ。
「済」が菱形の川瀬舟をさすことからついた。
「済」(さい)がなまって「さやのほし」と呼ぶこともあった。



真鍋の本は文章だけなのに、色彩があふれている不思議な本。


<2017年10月16日>



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by lunabura | 2017-10-16 20:56 | <真鍋大覚儺の国の星> | Comments(0)

「興玉」と猿田彦神



真鍋ノート

「興玉」と猿田彦神


「おきたま」とは月日を並べる暦作り


「甲斐」の由来は「夏日」


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興玉神

これは北九州市八幡西区の一宮神社の境内の「興玉神」の石碑だ。

駐車場から上る坂道の道端に鎮座している。

一宮神社は神武天皇の磐境・神籬を熊鰐一族が守り続けた宮である。記紀の岡田宮はここにあった。



この「興玉神」について、真鍋を紐解こう。



<「おきたま」とは、月日を置き並べる暦作りの意であった。

「た」は月でThala(ターラ)なる古代地中海語の略であった。



「ま」は胡語のMutso(ムツオ)、Mutesa(ムテサ)、Massa(マサ)なる日神あるいはMuruhなる星神の略と思われる。>(『儺の国の星』序p4~ 一部改変)




元来、「碁盤と碁石」は暦日算定の器であったという。

黒と白の碁石を「た」(月)と「ま」(日・星)に置き換えて、

それを並べて暦を作っていたという。




この「た」と「ま」の語源は地中海や中近東の

「ターラ」(月)「ムツオ」(日・星)などから来ている。




この「興玉神」は合祀されたのかもしれないが、

暦作りの痕跡を残す神ということになる。




神社での祭祀の日取りを決定するのに暦は欠かせない。




猿田彦

一方、「興玉神」とは猿田彦神のことでもある。

道端にあるのは道祖神として鎮座しているのかもしれない。




「興玉神社」はもう一つ、同市八幡西区木屋瀬(こやのせ)にもあり、

その祭神は猿田彦神だ。




また、伊勢二見「興玉神社」の祭神も猿田彦神である。




伊勢二見が浦から見る日の出は有名である。

これは夏至の日の出で、

運が良ければその朝、はるか向こうの富士山から日が昇るという。




夏至を元旦とする「かひ族」の象徴的光景であるらしい。




『古事記』猿女(さるめ)の君の条に

猿田毘古の神、阿耶詞(あざか)に座し時に、

漁(すなどり)して、比良夫貝(ひらぶがい)に

その手をはさまれて海水に溺れたまいき。

とある。




<「あざか」とは潮が引いて地肌があらわに出た干潟である、

「さるめ」とは衣裳を脱いだ空身(そらみ)の海女(あまみ)、

あるいは日に焼けた赤裸(そほみ)のことであった。>




猿田彦が干潟に出て漁をしている時、

貝に手を挟まれて海に引きずり込まれたという不思議な話だ。




<これは甲斐の峯(富士山)を凝視する神の姿を貝にたとえ、

夏日(かひ)に例えた古人の諧謔(かいぎゃく・ユーモア)が

秘められているのかもしれない。>



「貝」とは「甲斐」と「夏日」のことで、

猿田彦神が富士山からの日の出を見て夏至の日を確認する姿を

面白く描写したものとする。



なまよみの甲斐

<「なまよみ」は甲斐の冠辞である。

この「なま」は即ち「たま」と同義であるから

「なまよみ」とはまさに日月星辰の動向、或は方向を観測して

月日を読みとることであるから、

富士山はまさに日本人が暦日を見定める唯一の象徴であった歴史が

推察されるのである。

夏至を「かひ」、冬至を「とひ」と言った。

甲斐の国名の由来はまさに夏日(かひ)にあった。>



「なまよみの甲斐」の「なま」は「たま」がなまったもので、

「たまよみ」と同じだという。

甲斐の国名の由来は、この興玉神社から「夏日」(夏至)が

観測できることからついたということになる。



伊勢暦は太陰暦と太陽暦を重ね合わせて編纂されてきたもので、

今も「神宮暦」として、広く利用されているが、

その日月星の観測地に「興玉神社」があるということだ。




そこで、碁盤と碁石のような「暦日算定の器」を利用して

「た」と「ま」を計算していた氏族がいたことになる。



<倭人は春分秋分より、夏至冬至を重視する民族であったらしく、

古代の住居も陵墓も夏至冬至の朝日夕日に正対するか、

左右に見通す方向に設計築造した。>



倭人は夏至冬至を重視していたという。

そういえば、吉野ヶ里や周囲の神社のラインは夏至冬至が多かった。



伊勢二見のカエル

<夏至冬至を「日還」と書き「ひがえり」と訓じた。>

伊勢二見の興玉神社にはカエルがいっぱい奉納されているらしい。




これも夏至や冬至を境に日がUターンして昇る「日還」「ひがえり」が

「ひきがえる」になったためという。

(『儺の国の星』p38)

c0222861_21081051.jpg

一宮神社(神功皇后伝承を歩く上巻2)

今日の台風18号は風も無く、雨も少ししか降らず、

穏やかに過ごすことが出来ました。

この先も被害の無いようにお祈りします。

※ エキサイトブログのプレビュー画面と実際の画面が同じにならず、
読みにくくなってしまいました。どうしよう。



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by lunabura | 2017-09-17 21:13 | <真鍋大覚儺の国の星> | Comments(2)

天鳥船 何故かクスノキ・パーティー (^o^)/


天鳥船

何故かクスノキ・パーティー (^o^)/


 変光星「ミラ」が光を増した頃、天草の乱が起こったそうです。
そして、「ミラ」を「天草星」と呼んだそうですが、「あまくさ」という言葉の謂れは「天鳥船」(あめのとりふね)から来たものだそうです。それはクスノキで造った船のことでした。
今日は、神々の乗り物、空飛ぶUFOの話ではありません。(^^ゞ
真鍋大覚から

天鳥船
 「あまくさ」とは古事記神代記に出てくる天鳥船またの名は鳥石楠船(とりのいわくすふね)、のちにこれを合して天盧樟船(あめのいほくすのふね)の略であった。

「いはくす」とは盤石のごとく根株を地上に盛りあげ、しかも枝を水平に広くさしのべた樟や楠の古木老樹を云う。

今も未だ然りであるが、樟の筏を海に浮かべると、水に溶けた芳香は大小の魚から蝦の類まで集めるので、漁師は労せずして居ながらにして水揚げができた。
『儺の国の星拾遺』p1

「天鳥船」は「鳥石楠船」とも言い、「石楠」は石のように根が盛り上がった古木で造った船だといいます。

クスノキは神功皇后伝承の宮々でよく遭遇します。船の材料になるので、意図的に植えられたのかも知れないなあ、と次第に思うようになりました。クスノキは大きくなると空洞化するので、そのまま刳り船(くりふね)に利用できるとのことです。

クスノキの空洞を利用したボートに波よけの板を並べれば「準構造船」になります。

クスノキで造った(いかだ)は、その芳香が水に溶け、魚が集まったそうです。
芳香って、あの樟脳の匂いのことかな…。う~ん。タンスの香り?(@_@;)

で、多分、真鍋が言いたかったのは、神功皇后の船に大小の魚が集まって来て、酒を流すと魚がしびれ上がって採れたという話が『日本書紀』に挿入されているけど、あれは特別な出来事でなく、普通の事だ、ということじゃないかな ( ´艸`)
そのエピソードがこれ。仲哀天皇が下関の豊浦宮(忌宮神社)に遷宮し、皇后が遅れて向かう途中の話です。

夏、6月10日に、天皇は豊浦の津に停泊しました。一方、皇后も角鹿を発って、ヌタの門に着いて、船の上で食事をしました。その時、鯛が沢山船のそばに集まりました。

皇后は酒を鯛に注ぎました。すると鯛は酔っ払って浮かびました。それで海人(あま)は魚をたくさん獲って喜んで「聖王の与えられた魚だ」と言いました。

こういう事から、この辺りの魚は6月になると、いつも酔っ払ったように口をパクパクさせるようになりました。

クスノキで造った船なら、どの船でも魚が集まって来るんですね。魚をしびれさす漁法というのもあったらしいし。神功皇后を神格化しようとした文でしょうが、魚が集まるのはクスノキのせいだと真鍋は言いたいんですね。

クスノキが船材になるということで、神社の境内では注意して見ますが、神功皇后伝承の宮々のクスノキは古過ぎて、使い物にならないくらいに空洞化しています。^^


クスノキは若いうちは(数百歳)真っ直ぐ伸びていますが、何百歳でしょうか、二股に分かれて左右に枝を伸ばし、根の所には大きな洞ができ、ついに枝を落としてしまう、という印象を持っています。



そうだ。今日はクスノキ・パーティにしよう。



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下関市 住吉大社




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古賀市 五所八幡宮 上巻35   ムーミンの木





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朝倉郡筑前町 松峡八幡宮 上巻41





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筑紫野市 松尾宮 下巻54





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大川市 風浪宮 下巻77







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宇土市 大歳神社








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佐賀市 與止日女神社 







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武雄市 川古








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武雄市 武雄神社

神!




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by lunabura | 2015-02-17 21:37 | <真鍋大覚儺の国の星> | Comments(2)
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綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25


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