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ひもろぎ逍遥

カテゴリ:「脇巫女」( 79 )

脇巫女 9 夢物語

 

脇巫女 9
WAKIMIKO
夢物語


星読から預かった託宣や夢はすでに十六を数えた。
通し番号を漢数字で打つことにした。
今日は<四>から<六>までを連続して紹介しよう。

◇◇ ◇
<四> 2015年11月9日
早朝4時45分頃、まどろんでいる時、
若者が懐に飛び込んでくるような勢いで顔がアップになって目が覚めた。
深呼吸を一回したが、気分は落ち着いていた。

◇◇ ◇

懐に飛び込んで来た若者は誰か。
尋ねると、ヤマトタケルだったという。

ヤマトタケルが誰かを殺した時のようだと星読は言った。
驚いて目が覚めた星読だが、感情が乱れることはなかったという。

ヤマトタケルは気性が荒かったらしい。
彼に殺された人を思い起こすと、兄の大碓命、クマソタケル、出雲建などがいる。

星読はこれから解かねばならない謎の重要なシーンを見せられたのだろう。
答えは一つ動けば一つ教えられるのだろう。

◇◇ ◇
<五>2015年11月11日
これからの物語は作者(星読)の「夢物語」

「夢」は未来のためにだけあるものではない

過去を夢見て、そのあるべき姿を知る

今を生きる者たちのために

まだ見ぬ者たちのために

◇◇ ◇
星読の託宣に対して、私は歴史的背景を考察しているが、
この先は驚くべき内容が展開される。

これまでの歴史観に反するものも出てくるだろう。
が、感情が揺さぶられた時には「夢物語」だと受け流そう。

「感情」に「浸る」ことをやめて「感情」を「観察する」ことが
人類の意識の進化に欠かせない。
これを読んで私はそう思った。

◇◇ ◇
<六>2015年11月13日
一人の男が、宇佐神宮の祭殿の前でひれ伏し、
「お迎えに参りました」
「長いことお待たせいたしました」
とつぶやくと
光(風のようなもの)が「われ先に戻る」と告げる

男は「入口と窓を開き、出迎えるよう」(自宅に)告げる

男が(自宅に)戻ると、神棚が騒がしい。

男は山に行く

この地に戻りし神々よ この地を守りし神々よ
この地を守りし われに力を与えよ
この地を奪われないために
◇◇ ◇
「男」とは星読自身のことだという。
星読は宇佐神宮に祀られている三女神を迎えにいった。
女神たちは星読より先に鞍手に戻るので、星読は自宅に連絡して
入口と窓を開けて神々を迎え入れるようにと告げた。

戻ると、自宅の神棚が騒がしかった。

それから、星読は山に行った。
この山とは六ケ岳だそうだ。

そして、星読は戻って来た女神たちに
「力を与えよ。この地を奪われぬために」
と祈ったという。

現在なのか、未来なのかは分からない。

「もののべ」によって鞍手を追われた「星読みの民」は
三女神と共に宇佐に行ったという話が出たが、
星読はその女神たちを六ケ岳に迎える役目があるのだろう。

フラッシュバックのように重要なポイントが示されているようだった。

※ ※  ※

チェリーさんが六ケ岳の祭祀線の記事を投稿してくれた。

「地図でつなぐ聖地の旅」 lunaさんへのレポート 
「鞍手」 その1
 http://sakurasaku0911.blog.fc2.com/blog-entry-117.html 

六ケ岳は麓からは、六つのピークがきれいに並んだ連山に見えるのだが、
チェリーさんの作成してくれた地図を見ると、
六つのピークを結んだ稜線は馬蹄形になっていて谷を囲んでいた。
想像外の形状だった。

その谷の麓に卍マークがあるが、その寺の名前が分からないそうだ。
馬蹄形の焦点にあるような位置取りで気になった。

私も手元の地図や山の本を調べたが書かれていない。
廃寺となっていれば調査ははかどらないかもしれないが、
六ケ岳信仰の要かもしれない。

七色に調査の依頼メールを送ると、早速、探索に行ったとメールが入った。
七色は鉄砲玉か… ”(-“”-)”

気軽に尋ねたのがこのような展開になると、当方が恐縮する。
星読も同行していた。
場所が分からないようなので、改めてチェリーさんの地図を見ると、
砂防ダムの上流150mほどの位置になる。

これはもう土砂の中に埋もれているだろう。
いかにも山津波が起こりそうな地形だ。
砂防ダムの受け皿は大丈夫だろうか。

久山の伊野天照皇大神宮の上の砂防ダムのようすが心に浮かんだ。
すでに土砂はダムを乗り越え始めていた。
大雨が降れば、神殿に掛かるのではないかと恐れている。
あれから対策はされているだろうか。

七色が夜になって電話をくれたが、
鞍手のハザードマップが緊急に必要だと言う。
昭和33年にこの地は災害に見舞われてたそうだ。
地形的には海からの津波が上がれば波高が高くなる所だし、
上流域に大雨が降れば流されるような地形だ。

七色にはその警告の声が聞こえているのかもしれない。


c0222861_20594621.png

これは、tatsuさんが作ってくれていた10mの洪水マップだ。
弥生早期の想定地図に当たるが、本来、洪水を調べるのためのソフトだ。
国土地理院のHPの中にもあったはずだから、活用してほしい。


星読の最後の言葉が気になる。

<この地に戻りし神々よ この地を守りし神々よ
この地を守りし われに力を与えよ
この地を奪われないために>


「この地を奪われ」る状況が想像つかなかったが、
あるいは鉄砲水、山津波などの自然災害の可能性もある。




さて、話が変わるが、チェリーさんのブログには
六ケ岳―六嶽神社―宗像大社のラインも描かれていた。

問題は宗像大社の位置だ。
市の発行した本によると、
宗像大社の辺津宮の社殿があった時期は788年までしか遡れていないのだ。
それまでは辺津宮は無かったと考えるのが妥当だ。

不二さんの話によると、昭和に「古高宮」に初めて登った時は木が生えてなく
海が見渡せ、祭神は大国主命だと聞いたという。
宗像族の祖は出雲系なので、当然だと思う。

また、今の「高宮祭場」は「昭和」に作られたものだ。
発掘した時、土器が少し出たので祭祀があっただろうという事で、
現在のように整地して神籬(ひもろぎ)が作られた。

露天祭祀を継承したすばらしいデザインで、神も降りてこられる所だが、
古代祭祀線を考える時には除外したほうが安全かもしれない。
六嶽神社の参道とラインがずれるのは時代が違うためだろう。

高宮祭場の参道を延長したらピークがある。
氏八幡神社の参道を延長するとそのピークと交わる。
そこが「古高宮」だ。
そこが最初の祭祀点ではないかと思われる。

以上、地元の情報をここに記しておこう。
チェリーさんの参考になればと思う。

マップの赤が古高宮(祭神大国主命)青が高宮祭場(昭和のもの)





              (つづく)


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by lunabura | 2015-11-23 21:05 | 「脇巫女」 | Comments(92)

脇巫女 8 ジングウコウゴウ


脇巫女 8
 WAKIMIKO
ジングウコウゴウ

 
<ジングウコウゴウは「もののべ」に守られ戦いへ・・・>

星読は、ヤマトタケルや神功皇后の時代がさっぱり分からないという。

それは当然のことだ。
有識者が「それは神話だ」「実在しない」と決めつけて
研究をすることから逃げて来たためだ。

しかし、当事者である九州にはおびただしい記憶が残っている。
その光と影、トラウマを明らかにする必要があるのだ。
それが今なのだと思う。

大地に刻みこまれた記憶を明らかにすることで、
謎が解ける人もきっといるだろう。



さて、ヤマトタケルと神功皇后は関わりが深い。

ヤマトタケルは神功皇后にとっては舅(しゅうと)に当たる人だ。
ヤマトタケルの子供が仲哀(ちゅうあい)天皇。
この天皇に嫁いだのが神功皇后だ。


ヤマトタケルの時代、鞍手においては、行宮を立てて歓待し、
ヤマトタケルが武内宿禰とともに戦いに出立したのを見送った。
それから数年経って、ヤマトタケルはここに凱旋した。

さらに数年経って、ヤマトタケルは死んだ。

その記憶もまだ新しい頃、その子が天皇となって皇后を伴ってやって来た。
このときも武内宿禰が同行していた。

武内宿禰が軍勢を自由に動かせたのは、本人が物部氏だったからだ。


仲哀天皇の足跡を確認しよう。

仲哀天皇が下関の豊浦宮から都を遷すとき、直接香椎宮へ向かわずに、
いったん遠賀川流域を遡り、中間市の島(埴生)に停泊している。

そこを拠点として飯塚(撃鼓神社)や田川(鏡山大神社)に
祭祀や武器調達や出兵の依頼や確認に行ったと考えている。

当時、遠賀川流域の船運を司るのは岡族・遠賀族だ。

町誌によると、鞍手族は広い意味でこの岡族に属していたという。

思いがけず、町誌に「鞍手族」という単語が使われていた。
今、考察中の「星読みの民」=「鞍手族」(國栖)と、
町誌の「鞍手族」とではニュアンスがかなり違う。
町誌の場合は「物部氏を含んだ、鞍手在住の各族全体」というニュアンスだ。

「鞍手族」(國栖)という名称をどうしようか。
これは変えねばならなくなるかもしれない。
本来の「星読みの民」と書くのが間違いがないのかもしれない。


さて、鞍手の問題を考える時、遠賀川流域全体も視野に入れる必要がある。

仲哀天皇やヤマトタケルを支援した遠賀川流域の氏族の名を
思い出すまま書いてみよう。

香月氏、物部氏、岡族(熊鰐)、安曇族、住吉族。

夏羽も支援者だったが、のちに殺される。
夏羽は景行天皇の子か孫ではないかという気がしてならない。

田原麻瑠は田川から神功皇后の遠征に参加し、
凱旋後は皇后の出産の宮を警護した。
その時に担当して持っていた白旗を大事に田川に持ち帰っている。

ヤマトタケルの孫の種日子王(香月氏)もまた神功皇后に従軍した。



この地方は古代氏族の名が具体的に残っていることに驚嘆する。


天皇と皇后は島にあったヤマトタケルゆかりの剣神社に参拝して、
虫生津(むしょうづ)という古代湊から上陸した。

古物神社に宿泊し、神崎神社経由で白山嶺を越えて宮若市に向かった。

この時代の鞍手の物部氏は新北(にぎた)物部が中心である。



神功皇后の話は語り出すときりがない。
ほどほどで三番目の託宣の解釈を終わりにしよう。
星読は次々に続きを書いている。

この先はいよいよ、星読の世界を描き出すことになる。

                      (つづく)






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by lunabura | 2015-11-22 23:59 | 「脇巫女」 | Comments(3)

脇巫女 7宇佐の姫大神 


脇巫女 7
WAKIMIKO
宇佐の姫大神


星読の託宣はまた時代を変えた。

<「もののべ」によって星読みの民はこの地を追われ宇佐へ
          ・・・・姫大神となった三女神>


「星読みの民」すなわち鞍手族(國栖)は
「もののべ」の上に君臨していたはずだが、その「もののべ」から追われたという。
そして、宇佐に至り、姫大神となった。

宇佐の謎であるヒメ神とはやはり三女神だったのか。
星読はたぶん、ヒメ神が謎の神だ、ということなど知らなかっただろう。

私も、これまで注意して各地の祭神を確認していたが、
すべてが宗像三女神としていた。
ここに星読の託宣と各地の伝承は一致した。

しかし、私の中にはまだ受け入れられない部分が残っていた。
頭ではすごく納得しているのだが。


それにしても、鞍手でいったい何が起こったというのか。
「星読みの民」は何故追われたのか。
星読のリーディングを待つしかないが、私は別の件で驚かされた。

それは、占星術の件だ。

あの真鍋大覚が、宇佐神宮の託宣は占星術で占われたと書いているのだ。

宇佐に逃げ込んだ「星読みの民」の占星術が花開いたというのか。

真鍋によると、
宇佐と出雲はもともと同族で、のちに分かれたらしい。
その証が四拍手なのだろうが、
このときの出雲とは遠賀川流域と私は考えている。

「星読みの民」は湊を造成する技術もあったため、
物部の手が及ばぬ宇佐に受け入れられたのかもしれない。

何としても、真鍋の伝える渡来人たちの全容を知りたいのだが、理解が困難だ。
今日、関わる部分だけ、抜いてみることにした。

八幡は舟人で、太白暦(金星暦)だった。のちに八幡は宇佐と結託する。

後には河童と呼ばれる國栖(鞍手族)は「つき人」と呼ばれ、太陰暦(月暦)だった。
國栖は磯城(しき)という石積みを作った。

石上(いそのかみ)は磁針作成の達人で、やがて舟人の八幡と結束する。
石上は物部のことだ。

同じように星を観測する民であっても、
「暦を作る物部」と「占いをする八幡や國栖(鞍手族)」とでは
理解し合うのは難しかったのかもしれない。



2015年11月20日

                 (つづく)






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by lunabura | 2015-11-20 23:49 | 「脇巫女」 | Comments(13)

脇巫女 6 ヤマトタケル


脇巫女 6
 WAKIMIKO
ヤマトタケル


前回の二上山の件で、tatsuさんが、
六ケ岳からの日の出のようすを作図してくれた。


c0222861_21245595.png

六嶽神社から六ケ岳の日の出を観察すると、このように見えるという図だ。
冬至になると六ケ岳の右の鞍部から見事に昇ってくる。

また、夏至も目当ての緩やかな鞍部から出てくる。
これは2015年、すなわち今年のシュミレーションだが
古代もほぼ変わらない。

ここは古代の天体観測所だったものが、神社となったと考えていいだろう。
周囲より少し小高い丘にあったと記憶している。


「市杵島姫」を象徴する「ひめこそ」の星とは彗星のことなので、
ある時代に彗星が確認されたのかもしれない。

鞍手の古物神社とは、「降るもの」神社という意味で、
隕石落下を彷彿とさせる伝承を持っている。

隕石から鉄を取り出す技術を持っていた物部氏と三女神の降臨が
ここでつながるようなイメージをさそう画像だ。
Tatsuさんの協力に感謝したい。



さて、託宣に戻って解釈を進めよう。
短い託宣なのに、当方が言葉があふれ出して、思いがけない長文になっている。
思いつくことが多々あるのだ。


<ヤマトタケルはなぜ「くらて」に立ち寄ったのか
   勝利を祈るためか
   戦いの時期を聞くためか
ヤマトタケルは戦いの民でもある「もののべ」に、
クマソタケルに嘘の報告をさせ勝利した
    大和の高い位をその報酬として・・・・・>

ヤマトタケルは鞍手で歓待を受けている。
この時代は小碓尊(おうすのみこと)という名の時代だったはずだ。

彼の父が景行天皇だ。九州を回って各地の邑を支配下におさめていった。

小碓尊は父が征服し得なかった部族たちの仕上げの討伐に
差し向けられたのではないかという印象を持っている。

鞍手は物部が天皇家を支えていたので、軍備を整えて小碓尊を迎えたと思う。
当然ながら星読の疑問にあるように、
「星読みの民の長」に戦いの時期を尋ねたりもしたことだろう。

ヤマトタケルは「もののべ」に嘘の報告をクマソタケルにさせたという。
この報酬が高い位だったという。

この時代、奈良の方はまだ発展しておらず、
「大和の地位」とは九州の範囲内だと私は思っている。

景行天皇の都は旧京都(みやこ)町にあった。
福岡の東部だ。

この続きは佐賀に出てくる。
クマソタケルと戦うのだが、その戦地が佐賀だったのだ。
いや、戦わずに敵を殺した話は有名だ。

佐賀市大和町大字川上大願寺の伝承と「大和町誌」をみると
次のようなストーリーとなる。

熊襲タケルは筑紫を根城にして北部九州をおびやかしていた。
この「北部九州」という表現は一般に佐賀も含むので矛盾があるが、
多分、佐賀から見て北の方という意味だろう。

筑紫には筑紫城があったと日本からの使者が中国に報告しているので、
その付近かと思うが、まだ見つけ出していない。

そこで、ヤマトタケルと熊襲タケルは一度会っている。
その後、景行天皇は熊襲征伐を計画し、ヤマトタケルを大将に、
弟彦王を副大将に、武内宿禰を補佐役として、筑紫の穴倉陣に攻め入るが
クマソタケルは逃げ去った。

そして、佐賀川上に潜伏しているのを知ると、舟で近づき、女装して宴会に入り込む。

二太刀目で急所に決められた熊襲タケルはヤマトタケルに
倭健(ヤマトタケル)という名を贈り、自らは川上姓になったという。

このとき、ヤマトタケルは16歳。武内宿禰は14歳あたりか。


こんな話を私は星読にした。それは初対面の日だった。

星読はヤマトタケルが実在するかどうか疑問だと言ったことから、
こんな話をしたのだが、
私が「殺されたクマソタケルたちの方の思いを考えると、」
と言うと、星読の潜在意識の感情にスイッチが入ったようだった。

星読のふるさとはクマソタケルのふるさとでもあったのだ。
滅ぼされた一族の心をわが心としたようだった。


過去世と現世の記憶の回路をつなぐスイッチ。

それが「感情」だ。

オーラに「負の感情のアイコン」があって、それに触ると
いきなり過去世の心の嵐にリンクするようなものだ。

その負の感情を浄化しないと、同じことが繰り返される。
だから、歴史を知り、自分の過去世を知る必要があるのだ。

そして、その夜、星読は覡(おかんなぎ)のスイッチが入った。
託宣が始まったという。

星読の実名の姓は物部系だ。
物部氏は伝統的に男が神降ろしをする。



さて、ヤマトタケルに関して、私は以前、夢を見ていた。
「夢見力」の方に書いていたので読み直すと5年ほど前の記録だ。

このとき、私は鞍手との縁を得たのが今になって分かった。
その時の記事を書こう。

◇◇ ◇
「青い目をした青年」

『古事記』を読むと、古代に天皇が何人も九州にやって来ては
まつろわぬ者と戦っています。

(勝ったとしても、征服して統治するには、都から遠すぎるのになあ。
いったい、何を求めて戦うんだろうか。)

そんな事を考えていて、
「ああ、金属の利権を確認するためだ」と思い当りました。
「鉄や銅を求めての戦いなんだ」と。
でも、これを証明するには、途方もない研究が要る…。

そう思っていたら、『ひもろぎ逍遥』のコメントで、
マリリントリさんが谷川健一氏の『青銅の神の足跡』『鍛冶屋の母』
を教えてくれました。
それを読むとヤマトタケルの東征ルートには鉱山がある事が
すでに証明されていました。
ああ、やっぱりそうなんだ。

その夜の夢が、これです。

青い目の青年の顔が出てくる。髪は剛毛で、ラフな感じ。
そのそばにもう一人の青年がいる。彼をサポートする人か。

その後で古地図を見せられる。日本の東半分だ。
「ヤマトタケルの東征のルートだ。やっぱり金属だ。」と思う。


e0184648_23585962.jpg

イラストに書いている「青人草」とは古語で、
「青い草のように旺盛な生命力のある人々をさす言葉」と言われていますが、
眞鍋大覚氏によると「青い目の方」という意味だそうです。
クサとは敬称です。

ヤマトタケルは目が青かったのかな。
それで、父天皇から疎まれたのかなと、思いました。
どうせ、夢です。歴史的事実とは全く関係ないですョ。

見知らぬ青年の顔を夢に見るのは珍しいので、描いてみました。
描くとかなり違う顔になってしまいますが、これで忘れる事はありません。
ちなみに、右下は自分のつもりですが、全く似ていませんよ。
夢ですから。ふふふ。好き勝手に描いてます。

前回「八剣神社」のデジャヴを書いたので、
しばらくは自分の夢を書かなくてもいいかな、と思ったのですが、
昨日友達と会って、またもやヤマトタケルの話が出て来たので、
(今度はこれか…。ハイ書きます)と思いながら書いています。
八剣神社は彼が熊襲に往復する途中に滞在した所だったのです。

ヤマトタケルは熊襲タケルをだまし討ちにしてるんですね。
現代語訳しながら、結構気分が悪かったです。
彼は最期には伊吹の神をあなどったために、病気で死んでしまいます。
実際には、伊吹には鉱山があるので、水銀の毒で水俣病にかかって
亡くなったんだろうと思っています。

今年から小学校の教科書にヤマトタケルが載るそうです。
「歴史事実ではなく、神話として教えないといけない」
とマスコミが書きたてていました。
でも、そう言う人たちは、自分で調べたのかな。
「ヤマトタケルは実在しない、ただの神話だ」と公言するには、
日本中に残る彼の伝承を全部否定出来てからでないと、それこそ非科学的です。

まずは、『古事記』を読みましょう。
そして、伝承の地を訪ね、耳を傾けましょう。
そこに立てば、新しい風景が見えて来ます。

ちなみに「ヤマトタケル」は「日本男児」程度の普通名詞です。
『古事記』に出てくる彼の名は小碓(おうす)の命といいます。


◇◇ ◇
こんな記事を書いていた。
やはり、記録しておいてよかったと思う。

ヤマトタケルの目が青いかどうかは永遠の謎だが、
「青人草」の名は磐井の乱の時代の記録にも出て来た。

磐井の死後、葛子がすぐに命乞いをしたように『日本書紀』には書かれているが、
そうではなく、筑紫では同時多発的に反乱を起こしている。
その一部族として青人草の名も挙げられていた。

筑紫(ちくし)はある時期まで渡来人による多部族の連合国のような
形だったのではないかと思われた。

夢の中の後ろの人物は、佐賀の伝承を知って、武内宿禰だと分かった。
ヤマトタケルと武内宿禰が一緒に佐賀に侵攻した。
こののち武内宿禰は物部氏の筆頭となる。

さて、この話と星読の託宣はつながるのだろうか。
補い合うようなら、面白い。



また、前文に出てきた「八剣神社」についても再掲しておこう。

◇◇ ◇
デジャヴ (八剣神社にて)
初めて訪れた福岡県の八剣神社の、階段を上り始めたとき、
「あれ、ここ初めてじゃない。」
と思いました。
石段の両脇には提灯を灯すための棚がずらりとあります。
かつて、別の神社で元旦の0時を待って行った、
夜中の参拝を思い出しました。
「この感じ、なんだか覚えてる。」

そして、次の古い鳥居を過ぎて、境内に出てびっくり。
境内には沢山の灯篭や狛犬がありました。
石ごけがついて、いかにも古い感じです。
「ああ、やっぱり知ってる。」
そう、またデジャヴです。夢で見たのをはっきりと思い出しました。

e0184648_14203364.jpg


この感じ。
夢のストーリーを思い起こすと、
石灯籠のいっぱいある、古いお宮をに行って、
それからその右の方に出て、どこかに向かって歩いていく夢でした。
数年前の夢です。

思い返すと、現実の八剣神社そのものではありませんが、
夢の持つ特有の匂いとでもいうのでしょうか。
それが、この神社を暗示していました。

そして、「これを出しなさい」という内なる響き。
この印象がいつまでも消えません。

現実では、『ひもろぎ逍遥』で、八剣神社を書いたあと、
ようやく宗像神社と三女神の移動ルートをたどるつもりでした。
ところが、今度は「古物神社」という内なる響きに促されて、
急きょ行って見ました。
もう夕方でした。

古物神社は里山の、いかにも氏神様らしいたたずまいでした。
しかし、神社誌をひも解くと、古代の日本を知るのに大事なお宮だと
分かって来ました。
そして、ここに祀ってある十握剣から宗像三女神が生まれたのを知った時、
ああ、この順番でないと、いけないんだと納得しました。

結局夢の通りに八剣神社を書いて、古物神社を書く事になりました。
それから、宗像三女神です。

さて、この神社の歴史的な重要性を、どこまで筆で表せるのかなあ。

そして、この記事の投稿で、「出しなさい」という声は消えるのでしょうか。

◇◇ ◇

今読み返すと、
あの時から、三女神の問題が与えられていたのが改めて分かった。

星読の託宣に出て来た「われ」は、
私に筑紫の古代史を導いた存在の一柱だったのかもしれない。

これまでは孤独な探索だったが、
今回は星読や七色の協力を得て、さらに具体化できそうだ。
 (つづく)






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by lunabura | 2015-11-19 21:36 | 「脇巫女」 | Comments(7)

脇巫女 5星読みの民の天文観測所


脇巫女 5
WAKIMIKO
星読みの民の天文観測所

「鞍手と水摩・物部」という組み合わせを前回の末尾に書いたが、
よく考えると「3」で出て来た
「星読みの民」と「月守の民」・「物部の民」の組み合わせに近いのではないか、
と閃いた。

すなわち「鞍手族と水沼族・物部氏」の組み合わせだ。
これが正しいかどうかはいずれ明らかになるだろうが、
一応ここにメモを残して、この路線で考察を進めてみることにした。

星読と真鍋大覚の資料から描き出す鞍手町の古代について再現すると、
近東を起源に持つ渡来人がこの地にやってきた。
彼らは湊の建設ができて舟を操り、水の管理ができる一族だった。
彼らは「舟の民」という意味で「くら手」と呼ばれるようになった。

しかも鞍手族はエジプトかメソポタミアあたりで培った
星の観測と占いの技術を持っていた。
この地に受け入れられ、この地の長となった。
これが七色のいう「水を司る一族」であり、
星読がいう「星読みの民」のこととなる。

星を観測して暦を作る物部氏でさえも、その託宣を求める形で従っていた。
物部氏は託宣を聞くと、各地の王に結果を伝えに行った。

こんなストーリーだ。


「星読みの民」という言葉から、
天文観測所が鞍手にあるはずだという話になった。

観測の目当ての山として、三角錐の山型がよく利用される。

また、犬鳴連峰が日面見山(葛城山)とも称されるのは、
西から見て、日の出の観測にちょうど良い峰が並んでいるからだ。

そんな地形がどこかにないだろうかと話しながらも、
等高線のついた地図がなかったので、それは七色と星読の課題になった。
もちろん、六ケ岳の凸凹は一番気になる山型である。

もし目当ての山がなくても、吉野ヶ里遺跡のような高度な観測所の跡が
見つかればかなり面白い。

「吉野の葛」という言葉は「吉野の國栖(鞍手)」と同様の意味なので、
「吉野ヶ里」の天文観測所を設計したのは國栖(鞍手)ではないか、
という、私の中のかつての思いが再び浮上した。

吉野とは奈良と思い込んでいるが、
「吉野の離宮跡」が佐賀のダムに沈んでしまっている。
県議会で質問が出たと聞く。
先日亡くなった古田武彦氏率いる古田史学の会は
吉野は佐賀にあったという認識だと聞いている。

それでなくても、吉野ヶ里における弥生時代の天文祭祀は
紛れもない事実だ。

また、下関の仲哀天皇殯斂地は、真東に干珠満珠の二つの島が見えて、
冬至、夏至の日の出が島影を利用して観測できる場所なので、
天文観測所だという説を私は出している。
(これもまた、全く世間の反応はないが…)
それでも、こんな素朴な形でも観測所になる証拠だ。


もし、観測所が鞍手で発見できれば、祭祀線が冬至なのか夏至なのかと、
科学的に比較検討できることになる。

さて、それでは、星読の託宣の続きを検討しよう。

<その星読みが行われていた場所・・・むつが岳>

むつが岳は山名は「六ケ岳」と書き、神社名は「六嶽」と書く。

パソコンを変えたために文字変換を入力しなおさねばならず、
面倒で、ずぼらをしてどちらも「六嶽」で表記してしまった。
これからはきちんと区別しよう。(反省)


そして、この託宣を今読むと、
「その星読みが行われていた場所・・・むつが岳」
と、答えの一つがあっさりと書かれていた。

六ケ岳山頂には何らかの観測施設があったと考えられる。
星読は私の過去記事の中に、「六嶽神社の上宮が分からない」
と書いた文を見つけて、探し出してくれていた。
それは六ケ岳ではなく、すぐ近くの別の独立峰にあった。

そこからだと、六ケ岳の稜線を利用した観測が出来そうな気もする。
まずは、よい地図を手に入れなくては。

そして、tatsuさんから応援メールがあって、
六嶽神社から六ケ岳は日面見山としての位置にあることを確認し、
山頂にシリウスが出る時代を特定していた。

これもまた、のちに掲載することにしよう。

るな的には、二つのピークの間にある鞍部の星の出、あるいは日の出が気になる。
凹のくぼんだ所から出る天体の観測が古代においてのキーポイントだ。
二上山の形状が愛されるのは観測がしやすいからだと思っている。

いずれにしろ、六嶽神社もまた天文観測所としての調査対象となった。


さて、託宣の続きを読もう。
<むつが岳・・・三女神天降の地

三女神の一人が「卑弥呼」

三女神は三人の「卑弥呼」

「ヒミコ」・・・・・「姫巫女」

「卑弥呼」は歴代の「ひめみこ」のことで一人ではなかった>

六ケ岳が三女神の降臨の地ということは当ブログでも何度か紹介した。
大阪のブログ友はこれを見て驚き、疑ったが、
この話はこちらでは普通の伝承なのだ。
鞍手神話が世に出ていないだけのことだ。

託宣では「卑弥呼」とは「姫巫女」のことだという。
三女神はヒミコと呼ばれる巫女だったということになる。

(つづく)



※ 今日はコメントの返事できそうにもありません。
後日いたしますので、よろしくお願いします。






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by lunabura | 2015-11-18 20:23 | 「脇巫女」 | Comments(2)

脇巫女 4 水を司る一族


脇巫女 4
WAKIMIKO
水を司る一族


<2015年11月8日>
星座「ケフェウス座・アルデラミン」の和名を地名にもつ「鞍手・くらて」。
この「ケフェウス座」は変光星を持つことから信仰の対象として、
また、星読みの対象として扱われていたことは明白。

この地「鞍手」は星読みの民が暮らす地

星読みの神(占星術師)の声を伝える民(もののべ)が従う地

星読みの神の声を聞く脇巫女が「もののべ」に伝え、
「もののべ」たちは仕えるそれぞれの「神」(王)に伝えに走る

その星読みが行われていた場所・・・むつが岳

むつが岳・・・三女神天降の地

三女神の一人が「卑弥呼」

三女神は三人の「卑弥呼」

「ヒミコ」・・・・・「姫巫女」

「卑弥呼」は歴代の「ひめみこ」のことで一人ではなかった


ヤマトタケルはなぜ「くらて」に立ち寄ったのか
   勝利を祈るためか
   戦いの時期を聞くためか
ヤマトタケルは戦いの民でもある「もののべ」にクマソタケルに嘘の報告をさせ勝利した
    大和の高い位をその報酬として・・・・・

「もののべ」によって星読みの民はこの地を追われ宇佐へ
          ・・・・姫大神となった三女神

ジングウコウゴウは「もののべ」に守られ戦いへ・・・

◇◇ ◇
以上は三番目の託宣だ。
これを書いた状況を星読に尋ねた。

すると、ネットで鞍手を検索したら冒頭の文が出て来たので書き写していたら、
自然と続きの言葉が出てきたという。
星読は「自分の考えか、託宣なのか分からない」と言った。
(託宣という言葉を星読が使った訳ではないが、そんなニュアンス)

「それでいいのではないですか」と私は言った。
自我と超意識との境目は、思ったほど強固なものではない。
常にオーバーフローしあっているのだ。
自分の考えと思っていて、実は思わされていることは多々あるものだ。
ただし託宣の世界には一歩離れた観点が必要だ。


さて、この託宣を読むと、具体的な内容を示し始めているのが分かる。
しかも複数のテーマが一挙に出ているので、
ブロックに分けて読んでいかなければならない。


まずは冒頭。
<星座「ケフェウス座・アルデラミン」の和名を地名にもつ「鞍手・くらて」。>

これを見て、ぎょっとした。
これは明らかに真鍋大覚の文章がネタ元である。
私以外にそれを調べている人はいない。

星読に確認すると、検索してヒットしたブログから引用したもので、
それはさらに、この「ひもろぎ逍遥」から引用してあったのが分かった。

そこで、あらためて真鍋大覚の本の該当ページを読み直して驚いた。
そこには七色の質問である「水を司る一族」のことが明瞭に書いてあったのだ。

七色は「水を司る一族」と、その長(おさ)が知りたいと言っていた。
私は水沼族ではないかと答えたが、結論からいうと、それは違っていた。
答えは「國栖」(くず・くにす)すなわち「鞍手」族だった。

それは『儺の国の星拾遺』73唐戸星(ケフェウス座アルデラミン)に出てくる。
概要を書こう。

「鞍手」とは水門井堰の管理をして、水伯(水の神)に仕え、
舟運を行い、灌漑の管理をした氏族である。
舟で薪炭や魚藻を運んでいた。
この「鞍手」という氏族を「國栖」(くにす)「葛生」(くずう)
「玖珠」(くす)とも言った。

田に水を配るのは國栖の役割だった。
万葉以前は水の権利は國栖にあり、地の権利は百姓にあった。
(稲作の始まりにおいても、國栖の水管理能力があってのことだ)

水を祈る氏族、すなわち「みくまりのかみ」は近東からやって来た。
(近東=エジプト、トルコ、シリア、イラク、南コーカサス)

これをIsis (イシス)Israel(イスリル)という。
倭人はそれを「いしり」と呼び、水の勢いや水温を司る女神とした。
地名の「井尻」は女神の祠が安置された所だ。

國栖の氏族を「つづらみびと」とも言った。
星占いの達人の家系だった。
彼らは南天の星を観測していた。

葛(國栖)は倭人に星占いを教えた。
「くず」とは「星」の古語で、「星屑」にその名残がある。

葛は満潮を利用して舟で川をさかのぼり、海のものを山に届けた。
あるいは逆に山のものを海に届けた。

近世になって、葛は河童に仕立てられた。
水連が堪能なことから、水かきを付けられた。

あるいは「窮理(きゅうり)の術」(物理学)に堪能なことから、
「胡瓜(きゅうり)」が好物だと言われた。

以上、簡単にまとめてみた。
葛については他にも記述があるが、また別の機会にしよう。


以上の内容を、もう一度おさらいすると、
河童と呼ばれる氏族はもともと國栖・葛生・玖珠・鞍手という氏族であり、
物理学と占星術にたけていた。

水を田に引くために石組みを造り、
あるいは湊を造って船を停泊させる能力があったので、倭人に受け入れられた。

國栖は日々変わっていく干満の時刻を把握し、舟を漕いで物資輸送を司った。
「くらて」の「くら」とは「舟」の意味である。
彼らは水の女神に祈った。その名は「イシス」である。
イシスとはエジプト発祥の女神だ。
彼らのルーツは近東にあった。

さて、これと星読の託宣と照らし合わせると、つながりがあることに驚く。
星読の文をもう一度引用しよう。

<この地「鞍手」は星読みの民が暮らす地

星読みの神(占星術師)の声を伝える民(もののべ)が従う地

星読みの神の声を聞く脇巫女が「もののべ」に伝え、
「もののべ」たちは仕えるそれぞれの「神」(王)に伝えに走る>

この「星読みの神」とは占星術師ということから、
「星読みの民」とは「國栖(鞍手)」族ということになる。
その長は「みくまりのかみ」とも呼ばれていた。

脇巫女が仕えた「存在」の実体は占星術師のことだった。
その神はイシスであった。
脇巫女が占いの結果を伝えると、
「もののべ」が各地の王に知らせに行くということから、
「もののべ」とは「ものを述べる」という意味合いがあったと星読は言った。

ところが、この時「もののべ」たちは、
結果を自分の都合の良いものに変えていたという。
これが「もののべ」のカルマとなっていったようだ。

どうやら「鞍手」という地名は、鞍手族が治めていたことから
付いた地名のようだ。

そういえば、水沼族の系図には物部氏が出てくる。

そうすると、筑後川流域での「玖珠と水沼・物部」の組織が
この鞍手でも「鞍手と水摩・物部」という名に変化しながら展開していた
可能性が出て来た。
                (つづく)





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by lunabura | 2015-11-17 23:24 | 「脇巫女」 | Comments(10)

脇巫女 3 月守の民、星読みの民、物部の民


脇巫女 3
WAKIMIKO
 月守の民、星読みの民、物部の民

 
<2015年11月8日>
われ三度降臨す

われこの地に君臨す

月守の民、星読みの民、力を与えよ

この地を守りし我に力を与えよ

物部の者たちよ、わがが仕えし神に このことを伝えよ

脇巫女よ 物部の民に このことを伝えよ

◇◇ ◇

「星読」(ほしよみ)が二度目の言葉を降ろした。

この文を読みながら、「星読み」の表記が二種類あって混乱することが分かった。

ここからはハンドルネームの方を「星読」(ほしよみ)と、漢字だけにし、
託宣の文はそのまま「星読み」とすることにすることにした。
(過去記事もすでに書き換え終了)

今のところ、登場しているのは「星読」と「七色」と「るな」である。


さて、「われ」からの再びの託宣である。
非常に格調が高い。

「われ」とは誰か。
三度も降臨している存在だ。
「この地」とは鞍手のことだろう。
これまでの経緯から、「われ」とは三女神の中の市杵島姫ではないかと思われた。

三女神の三度の降臨の地に関しては
1 赤司八幡神社(久留米市・水沼族)
2 六嶽(鞍手町)
と、二つはすぐ浮かぶが、もう一か所が浮かばない。

宗像なら、辺津宮、大島、沖ノ島だろうか。
しかし、文面からは鞍手町が最終地のような印象を受ける。

宗像へ至るには「鞍手」→「神興神社」(福津市)→「宗像大社」
という流れがあるので、時系列から考えると「宗像」を挙げにくいのだ。

英彦山が浮かんだ。
ここはタギリ姫とタギツ姫がオオナムチと結婚した時の宮で、
市杵島姫は別に祀られている。

次に浮かんだのが佐賀のヒメコソ神社だ。
市杵島姫は単独神だが、物部が厚く祀っていたと思われる。

あるいは宇佐か。
宇佐に祀られる「ヒメ神」は謎の女神だが、
多くの宮で宗像三女神としている。

安心院(あじむ)に行くと三女神社があるが、本質は二女神社らしい。
安曇族の入植地であり、水沼族も入っている。

降臨地はこれらのうちのどれかだろう。
決定打がないが、ここまで考えれば、答えは星読か七色に与えられるかもしれない。


さて、「われ」が呼びかけているのは「月守の民」「星読みの民」だ。
さらに「物部の民」にも。

「月守」。
七色は「月」だから、「るな」のことではないかと言ったが、
「民」なので、一族的な意味合いがある。

「月を観測していた人たちかも?」と答えた。
月の出は毎日約50分ほど遅れていくので、
夜中に出る時もあれば、朝出る時もある。

出る場所も東ではあるが、太陽のように一定のリズムはないという。
しかし月の観測は一か月を決めるのに必要なものだ。

赤司八幡神社に「竿試し」と言って、正月の14、15日の夜に、
十尺の竿で影の長さを測る行事がある。
(拙著『神功皇后伝承を歩く』56赤司八幡神社より)

これは今では豊作の占いとなっているが、
本来は満月の日を決定するための観測だった可能性もある。

水沼族にとって、月の変若水(おちみず)を写す重要な日なのだ。

そうすると「月守の民」とは水沼に関する魂や末裔だとも考えられた。
鞍馬山のウエサク祭に集う魂もその記憶を持っているのかもしれない。


それにしても「月守の民」と「星読みの民」のセットは
「私」と「星読」のセットを連想させる点では面白い。

託宣とは一次元で捉えず、シンボリックに、
あるいは多元的に捉える方が間違いが起こらないと思う。


さて、続きに出てくる
「物部の者たちよ、わがが仕えし神に このことを伝えよ」
がよく分からなかったので星読に尋ねると、
「わがが仕えし神」とは「そなたが仕えている神」という意味だそうだ。

物部は長い年月をかけて鞍手から拡散している。
物部の末裔、あるいは過去生の魂を持つ者。
これらに呼びかけ、その神に伝えよという意味になる。

「われ」は過去に集った民たちに力を貸してほしいのだ。
「われ」はこのままでは「この地に眠る者たち」を守ることができなくなりそうだった。


最後の「脇巫女」(わきみこ)とはこの私を指すのだと七色は言い出した。

「私が脇巫女?」
七色は自信たっぷりにうなずく。
星読もうなずく。
「脇巫女ってどんなの?」
「『存在』があって、その両脇で神託を伝える巫女です」
「両脇。じゃあ、もう一人はあなたなの?」
七色はうなずいた。


この話を「物部の民」に伝える訳?
鞍手を守っている「われ」に力を与えるように。
物部たちが仕えているそれぞれの神にこのことを伝えるようにと?

どうやって?
手段はネットしかない。

「この話をブログに書いていいの?」
「そうです。るなさん、書いてください」
と七色は言った。

「われ」は、ネットを使って全国の「物部の民」に呼びかけよ、というのだ。

私も決意した。
「書きましょう」
星読が神妙な風情で頭を下げた。


そうなると、タイトルを決めなくてはならない。
帰りしな「脇巫女」が思い浮かんだ
こうしてリアルタイムな記録が始まることになった。


これを読んで、心が騒ぐとしたら、
あなたは「物部の民」か「月守の民」か「星読みの民」だ。
「われ」の思いを受け取ってほしい。

もう一度、言葉を書いておこう。

◇◇ ◇
われ三度降臨す

われこの地に君臨す

月守の民、星読みの民、力を与えよ

この地を守りし我に力を与えよ

物部の者たちよ、わがが仕えし神に このことを伝えよ

脇巫女よ 物部の民に このことを伝えよ

◇◇ ◇


         (つづく)



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by lunabura | 2015-11-16 20:10 | 「脇巫女」 | Comments(9)

脇巫女 2 物部と「ひめこそ」


脇巫女 2
WAKIMIKO
物部と「ひめこそ」

  
見えない存在が「財を与えよ」というのはそういうことなのだろう。
開発を止めるには資金が必要なのだ。
この方面は星読(ほしよみ)の分担だった。
遺跡の調査がされたのかどうか、まずはその確認から始めないといけない。

さて、この日、七色(なないろ)が言った。
「るなさんがこの前、物部はまだ世に出る準備が出来ていないのかな、
って言われたでしょう」
「言ったっけ」
そう言われて思い出した。
いろんな話をしたのに、気づくと物部の話が出てこなかったのだ。

市杵島姫が娘を嫁がせたニギハヤヒこそ物部氏の始まりだった。
市杵島姫と物部氏の関係は濃密だ。

ニギハヤヒは鞍手に隣接する宮若市の笠置山に降臨したと伝えている。
近畿での降臨話は二次的なものだ。

問題はニギハヤヒが謎の存在だということだ。
古文書でも諸説を伝えていて、何が何だか分からない状態だった。
『日本書紀』でさえ、10近い説を分析して並べている。

その中の一つがニギハヤヒ=火明神説だ。
この火明神は福岡市の志式神社では荒ぶる神として祀られていたので、
気になっていた。

『神功皇后伝承を歩く』を執筆する段階では、
この神を安曇族が祀っている理由がついに分からず、
二つほど説を紹介しただけで終わらせていた。

縁があればおのずと明らかになるのだろう。

そして今、市杵島姫が写真に写るほど強い意志を示しているのに対して、
物部はまだ水面下にあった。

物部氏には光と影の部分がある。

七色は言う。
七色の夫は物部の末裔なので、子供たちもまた物部の血を引くことになる。
だから物部の歴史を明らかにして浄化する必要がある、と。

七色には覚悟が出来ていた。
「るなさんが謎解きをして、私がゴメンナサイをするのです」
ときっぱりと言った。

「ところで、るなさん、物部氏はどこが古いんですか。
どこに入ってどこに行ったのか…」と七色が尋ねた。

そう、この質問をいったい何人から受けただろうか。
たぶん、これは福岡県人特有の質問だ。

歴史に足を突っ込むと、必ずこの疑問が湧くのだから不思議だ。
私はブログの記録をたどって説明した。

「物部氏の拠点としては
「遠賀川流域」と「筑後川流域」と「佐賀東部~小郡」の三か所。
私が出会っているのは、まだこれくらいで、どっちがどう古いのかは分からない。

遠賀川流域は日若神社の縁起に、神武天皇がやって来たとき、
物部氏が馬を連れてきたので神武天皇がとても喜んだとあるのよ。
で、物部氏は自分の家に天皇を迎えたとあるので、
それが何処か探したけど、見つかっていない。
で、馬見山に参拝したとき、馬に逃げられたのよね」

私は物部の家の第一候補にこの鞍手を挙げた。そして続けた。

「筑後川流域では高良山の下宮に物部イクヒが祀られている。
この人は神功皇后を連れて小倉の徳力に材木の下見に行ってる。
そこは今、神理教(?)があって、やっぱり物部氏。
行ってみると稲荷があったのよ。
そこには多分、物部氏の武器製作所と武器庫があったんじゃないかな」

私は高良山にも稲荷があったのを思い出した。

「物部イクヒが高良山の下宮に祀られているのは、
その近くに大学稲荷という古代製鉄所があったから、
物部氏がそこを掌握したんだと思う」
イクヒは景行天皇に娘を嫁がせているので、両者の結束は固かった。


「そして、佐賀東部~小郡には二つのヒメコソ神社を東西に控えた
物部氏の一大拠点があってね、
佐賀のヒメコソ神社に祀られているのが市杵島姫」
東のヒメコソ神社は七夕さまとも言われている。
そして、西のヒメコソ神社は先年、あいにく火災に遭った。

以上、物部氏の分布を整理してみたが、三つの地域の関係はよく分からなかった。

「ヒメコソ」に関して、七色は不思議なビジョンを見せられている。
鞍手町立病院の近くを通りかかったとき、急に暗くなり、
ベールをかぶって祈っている女性の姿が見えた。
そのとき「ひめこそ」と伝えて来たという。

その場所を地図で確認すると、
私が「馬上の武人」を見た場所と重なってきた。
そこには大事な聖地があるのかもしれなかった。
七色は古墳かもしれないという。

そして、そのベールの女性は半年前にも表れたとか。
その時は「水を司る一族」の長の問題と分かったという

七色は「水を司る一族」について、
「水沼(水摩)族か、熊鰐か、八貴船を守る一族だろう?
と絞りはしましたが わかりませんでした」
という。
「水を司る一族なら水沼族ではないか」と私は答えた。

水沼族の拠点は久留米市赤司八幡神社から大善寺玉垂宮にかけて。

「水沼」とは月にある変若水(おちみず)が聖なる泉に降り注ぐ真夜中に
神と人の間を取り持つ巫女のことで、やがて水の女神に変形した。
(拙著『神功皇后伝承を歩く下巻』78より)

そして、水沼族こそ三女神を祀る一族だった。

驚くべきことに、水沼族はこの鞍手に入っているという。

物部―ニギハヤヒー市杵島姫―ヒメコソー水沼―三女神

物部氏と三女神がこうしてつながった。
               (つづく)



鞍手病院



参照 『神功皇后伝承を歩く』
26高良玉垂宮
56赤司八幡神社
72志式神社
78大善寺玉垂宮
87日若神社



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by lunabura | 2015-11-15 21:18 | 「脇巫女」 | Comments(33)

脇巫女 1「われ」なる存在


脇巫女 1
WAKIMIKO
「われ」なる存在

 
それは「星読」(ほしよみ)と「七色」(なないろ)と私の
三人が会った時から始まった。

「星読」は最近、歴史に興味が湧いた所で、私とはこの日が初対面だった。
「七色」は私のブログの読者で、二、三度会っていた。

この日、三人は数時間、鞍手の歴史について話し合った。
物部の本貫地ともいわれる福岡県鞍手町は
六嶽(むつがたけ)という三女神の降臨地を伝えながらも、
その歴史は埋もれていた。

先日のブログに「市杵島姫の写真」の話を書いたが、
実は、その写真は「星読」が持っていたものだった。

その時の話をもう一度書いておこう。

◇◇ ◇

「るなさん、これ」
七色から写真を手渡された。

白黒の写真上に、古代の衣裳の女性が立っていた。
黒い長い髪に冠をつけている。
白い衣裳の若い姿はたおやかで凛としていた。

その女性の名前が浮かぶが、言ってもしょうがない。
しかし、言わないと進まない。

「イチキシマヒメ?」
「そうです」

その背景は何かこの世のものではないような次元で、
しかも、高いところにいるような印象を受けた。

その印象に覚えがある。
そうだ、あの絵だ。私は昔、描いた絵のタイトルを言った。
「降臨前?」
「そうです」
「私、この絵を描いたことある」
「え?そうなんですか。私は同じような写真を撮ったことがあるんです。私がカメラを構えたとき、娘がコッチと言って左の方の何もないところを写させたら、よく似た人が写ったんです」
「へえ、そうなんだ」

その絵を描いたのはずいぶん昔のことだ。
鉛筆か水性ペンで描いたものだが、その時は人間界に降臨する前の
女神の気持ちを表したかった。
すっかり忘れていた。

この世には様々な能力を持つ人がいて、
女神を写すことができる人がいたって不思議はない。
ただ、私が同じようなシーンを描こうとし、このような写真に遭遇したことに、
何か強いメッセージを感じる。

符合する女神像。

何か始まるのか、神の采配は人間には分からない。
私は写真を返した。

さて、この話を書こうかどうか迷ったが、私がブログを書いていることを
その存在は当然知っている。
公にして構わないということだろう。

おまけに、私はこれを書かないと先に進めない。
書いてはいけないものだったら、削除することにしよう。

◇◇ ◇

この市杵島姫は三女神の一人である。
市杵島姫は宗像大社では三番目の姫神となっているが、
古来、定説はなく、古文書を見ると、長女だったり、次女だったりもする。

筑紫や豊の国の伝承からは、
オオナムチと結婚したのはタギツ姫とタゴリ姫の二人で、
市杵島姫は別の人に嫁いだことがうかがえる。

鞍手町誌によると、市杵島姫の娘がニギハヤヒに嫁いでいる。
このネタ元は香月文書なのだが、原典が手に入らないので未確定のままだ。

そして、これで話は終わると思った。

が、その夜、突然、星読みの口から言葉が出てきたという。

それが一週間経っても続いている。
三人は再び会って、その謎解きを始めた。

この『脇巫女』(わきみこ)は私たちに起こった出来事を記録するものだ。


◇◇ ◇
2015年11月6日

この地に眠りし者たちよ、われはこの地に住むものなり
この地に眠りし者たちよ、われは眠りを妨げる者にあらず、眠りを守るものなり

この地を守りし者なり
力をあたえよ、財を与えよ

この地を守り、深き永き眠りを守らせたまえ

◇◇ ◇

「われ」という存在は「この地」を守っている者だという。
古墳に眠る者たちの眠りが妨げられようとしていた。
「われ」はこの地を守るために、生きた人間の力が必要なようだった。

星読はこの言葉をパソコンに記録した。

そして、翌朝、私はその件を知らないまま、
例の「馬上の武人」のヴィジョンを見せられた。
これも過去記事から再掲しよう。

◇◇ ◇

朝のまどろみの中、馬上の武人が現れた。
馬は栗色。武人も同じ色だ。
低い連山を後ろにして、稲を刈り取った田んぼにたたずんでいる。

――武人の幽霊だ

一瞬ひるんだが、私は受け入れた。
するとその姿が近づいて来た。
何か声を掛けたかったが、かわりに水を差し上げた。
武人は私のすぐ横を通り抜けていった。

「私たちは国のために戦ったのだ」
武人の思いが流れ込んでくる。

破壊された古墳。

せめて死者の尊厳と敬意を忘れなかっただろうか。
クレーンが巨大な石室の石を持ち上げる映像が迫ってきた。

◇◇ ◇

「星読」と私のヴィジョンが同じものを指しているかどうかは分からない。
が、話をしているうちに、一つの問題が明らかになってきた。

私は鞍手の地図を広げた。

「馬上の武人が現れた場所は鞍手パーキングエリアの近くにある
ナフコというホームセンターの近くなんです。正面に連山があるでしょ」
と私が言うと「星読み」の顔色が変わった。

「分かった。その場所は開発されようとしている所ですよ」
「もう土地が売られたんですか」
星読はうなずいた。
「誰が購入したんですか」
星読は頭を左右に振った。
「何が建つんですか」
「分からない」
「アマゾンみたいなものらしいですよ」と、七色が言った。

馬上の武人の背景に広がる低い連山はすでに開発されようとしていた。
そして、そこにはおびただしい古墳群があるという。
「ユンボを入れれば、ザクザクというくらい出るそうですよ」
と七色が言った。

「われ」という存在はこの古墳群に眠る者たちを守っている存在なのだろうか。
6日の話の内容からすると市杵島姫かもしれないが、断定はできない。

ただ、古墳を守るということは、町の発展を守ることを意味していた。
古墳に眠る者たちは鞍手のご先祖さまなのだから、
その眠りを妨げることが町の発展を阻害することになるのは明らかだった。

それを知らせようとしているのだろうか。

この町の丘陵という丘陵には古墳か遺跡があると言っても過言ではなかったが、
町では古墳の分布図は作成されていないという。

古代には海が入り込んでいたこの地では、
人々は丘陵地帯で暮らし、祈り、埋葬したので、
現代の生活域と遺跡群が重なるのは致し方なかった。

しかし、団地や商業施設はたかだか50年のスパンで不要となっていく。
それに対して古墳は1500年もの間、鎮まって末裔たちを見守って来たのだ。

一時期の、誰かの利益のために町の護りを失うのは損失が大き過ぎた。

ここは物部の里なのだから、朝廷に関わっている所なのだ。
ここを明らかにすれば、古代史が明らかになるような重要な地だった。

「われ」は星読を通して、古墳を守らせようとしている。
そして、隠された真実の歴史を伝えようとしている。

私たちはそう結論づけた。
                    (つづく)






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by lunabura | 2015-11-14 20:23 | 「脇巫女」 | Comments(12)

綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25