2018年 12月 23日
祈りとは交歓か
月が輝く冬至の夜に、
冬至にうたう「阿知女作法」~ISOLA2018~
(藤枝守作)が催された。
暗いホールの中に一歩踏み込むと、背後から波の音が聞こえてきた。
円筒形の暗い空間はすでに海の中だった。
左右から、また上から波の音が聞こえてくる。
あのワダツミの神の世界へ、海の底へ、
現身(うつしみ)を持ちながら踏み込んでいく、しつらえだった。

床の中央には志賀島が白く映し出されていた。
そこを貫く塩の道。
この日、冬至の太陽はこの塩の道を通って行った。
到達点は沖津宮。
志賀島に重なって満潮の波のたゆたいが映し出されると、自分は浜辺に立っていた。
波の音が上から響くと海の底で揺れている。
観客は音と映像によって、海の底、荒磯の浜辺、そして天空からと多次元の視点を持たされた。
それは肉体の耳ではなく、魂の次元で聞くことを促した。
そこに風の音か、海の中の音か、形を成す前の未分化の精霊の吐息か、土笛が結界を歩む。
それは鳥のさえずりに変わり、あるいは精霊の目覚めの歌なのか、響きを刻々と変えていく。
竪琴が植物の唄う歌を奏でる。
塩の道に対峙して座る二人の人間によって
「あぢめ~ おう~ おう~」
と磯良を呼び出す言霊が唱えられた。
阿知女作法という神楽は宮廷深く1000年以上も前から奏されているという。
冬に天皇の御霊を奮う御神楽として。
その美しいメロディーは魂の記憶を揺さぶる。
磯良の出現を促す御神楽は祈りそのものだ。
「祈り」とは願いではなく、交歓なのかもしれない。
「いのり」という言葉も「い」(神聖)と「のる」(言葉を発する)からできている。
精霊や神に届くのはその世界の音魂や言霊なのだ。
研ぎ澄まされなければ到達できない波動の世界。
いにしえの日本人はそれを良く知っていて、このような御神楽を生み出したのだろう。
「神楽」とは「神が楽しむ」と書く。
笙(しょう)は天上界の音の響きを持つという。
それによって天上界を演じるのではなく、天上界と人間を結ぶ音魂として創造されたのだと、この日理解した。
万葉歌が新しいメロディーを得て歌われた。
海原の 道遠みかも 月読の 光少なき 夜は更けにつつ 巻七1075
志賀の海人は め刈り塩焼き 暇なみ くしらの小櫛 取りもみなくに 巻三 278
志賀の海人の 塩焼く煙 風を疾み 立ちは上らず 山にたなびく 巻七 1246
それは曙光の女神のように
萎えた太陽の新生の寿(ことほ)ぎのように響き渡った。
このような世界を生み出そうとする藤枝守と志賀島。
この鬼才と同じ時代を生きて目撃していくことの不思議を思う。
20181223
ブログを見て沢山の方が来てくださいました。ありがとうございます。
最後、アフタートークで藤枝氏からヤバいこと言われましたねえ。
それが叶うように精進します^^
