ひもろぎ逍遥

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カテゴリ:歴史カフェ( 81 )

小城羊羹




今日は小城羊羹(おぎようかん)をいただきましたよ。
え?
2週間後に歴史講座のある小城の名産が!(^^♪
なんだか嬉しいですね。

かつて三輪山登山を決めた時、三輪そうめんをいただいたことを思い出しました。
白山比咩神社に参拝した直後、白山の無農薬リンゴを頂戴したことも。
ちょっとした話ですが、忘れがたい経験です。

小城は天山をいただく町ということで、天山の資料を読み込んでみると、面白い発見があります。(私にとっての発見なので、一般には知られていることかもしれませんが)

でも、これをまとめるには時間が必要なので、ブログ記事に書くに至っていません。
もどかしいです。
目の前の仕事を一つ一つ片づけていく事を優先しているので、仕方ないなと思っています。


この最近の出来事を思い出すと、
先日の歴史カフェの直前から、「ガイアの森」の話になったり、神道の話を伺ったりして、久しぶりにスピリチュアルな世界の内容が増えました。

いや、「脇巫女」も「ひめちゃご」も十分にスピですね。見えない世界と現実世界の融合でしたから。

ただ、スピ系は先生と生徒みたいな関係が強くなるので、あまり触れないようになっていました。

で、歴史カフェでは自由な対話の時間が無くなって、ガチンコ古代史になっていきました。


4月から始めることになる小城鍋島家Tenでの歴史カフェに関しては、古代史はもちろんですが、見えない世界の話などもオープンに話せるといいなと思っています。

質問や会話が無ければ古代史一本になるのかな。でも、古代史に登場する人物はみんな神様として祀られていますから、その歴史を伝えることが自分の役目だとも思っているのです。

今回の話も、「佐賀の神々」とでも言うべきものなんですね。
皆さんが初詣に行かれる神社の神様たちの歴史の話になるわけです。

「場」に合わせた展開にしてみたいと思っています。



つなぎレンガ座
3月4日(日)3時~5時
佐賀の神功皇后伝承
「天皇家を支えた武内宿禰の里」
-神功皇后は三度、訪れたー
会場 小城鍋島家Ten
詳細はコチラ






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by lunabura | 2018-02-20 20:17 | 歴史カフェ | Trackback | Comments(4)

佐賀県小城鍋島家Tenカフェにて歴史講座があります



小城鍋島家Tenカフェにて

歴史講座です




来月、3月4日(日)、佐賀県小城市のNPO法人「つなぎレンガ座」主宰の歴史講座で講師を務めることになりました。

会場は同市にある武家屋敷のカフェ「小城鍋島家Ten」です。

佐賀県は古代文化が栄え、考古学的出土物も多く、その歴史が『風土記』にも書かれているような古代史の宝庫の地です。

思えば、当ブログでも、景行天皇や日本武尊(親子)、物部氏、ヒメコソ神などを訪ね、その伝承や地形を報告してきました。
「ひめちゃご」の始まりの舞台でもありましたね。

日本武尊と共に佐賀で戦ったのが武内宿禰です。

武雄市の市名は武雄神社から採られたと聞きましたが、そこには武内宿禰の父や子も祀られています。また、母の山下影姫も近くに祀られています。

武内宿禰は歴代天皇や神功皇后を支えた大臣で、神功皇后が武雄温泉に来たのも、その縁からでした。
また、武内宿禰をかばって亡くなった壱岐真根子も川古に祀られていますね。

今回はこれら、ばらばらに伝わって謎となっている歴史の点と点をつないで、佐賀の古代史を描きたいと思っています。
パワーポイントを使って画像で楽しむ歴史紹介です。





佐賀の神功皇后伝承

「天皇家を支えた武内宿禰の里」 -神功皇后は三度、訪れたー


2018年3月4日(日)3時~5時

会場は佐賀県小城市小城町208-2 (おぎ市おぎ町)
小城鍋島家Ten

申し込みも「小城鍋島家Ten」 (おぎなべしまけ・てん) にどうぞ。
0952-72-5324
会費は今回は無料です。


25名まで。
以下はそのチラシです。(画像の都合上、二つに分けました)





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赤い囲みの中は次のように書いています。

福岡の香椎宮で仲哀天皇が亡くなったあと、神功皇后は羽白熊鷲(朝倉)や田油津姫(みやま)と戦い、そののち唐津に出た、と『日本書紀』に書かれています。

筑後川から唐津には何処を通って行ったのでしょうか。

佐賀を訪ねると、高橋、福母、武雄にその足跡が残されていました。
武雄には武内宿禰の父や母を祀る神社があります。

また、神功皇后の妹や武内宿禰をかばった壱岐真根子も当地で亡くなりました。

ここには『日本書紀』に書かれなかった、天皇家を支えた重要なクニがあったのです。

神功皇后は三度も当地を訪れています。
神功皇后はいつ訪れたのか、今回はその全体の流れをお話しします。




この歴史講座をご挨拶代わりとして、
4月14日(土)からは当カフェで新たに「歴史カフェ」をスタートします。
まずは分かりやすい神功皇后の話から始めます。
佐賀の皆さま、また、近郊の皆様、よろしくお願いします。



小城鍋島家Ten
〒845-0001
佐賀県小城市小城町208-2

0952-72-5324

小城鍋島家Tenは鍋島家の武家屋敷をギャラリーとカフェにしたものです。
私も伺うのを楽しみにしています。

小城鍋島家TenのHP






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by lunabura | 2018-02-12 20:40 | 歴史カフェ | Trackback | Comments(0)

歴史カフェありがとうございました



今日の歴史カフェ、無事に終了しました。
ご参加の皆さん、ありがとうございました。

県内、県外そして東京から、とありがたいことです。

今回は自分的にも発見が多く、いろいろと謎が解けた回でした。
皆さん同士でも活発に情報が交換されていて、興味深く思いました。

これまでは物部氏に注目していましたが、
賀茂氏の存在は確かに、日本の古代社会で
文化的な基盤を作った功労者という側面があることを知りました。

案外身近な神社にそのシンボル、トーテム、祭神、地名、
考古学的出土物などを残しています。

天智、天武天皇が信頼して水城の監理を任せた賀茂氏。
それを知るために歴史カフェも「天智天皇」「ありなれ川」と重ねて
その実態をようやく理解できました。

賀茂氏に関わる神社の地形、境内のようす、小川のようすをいくつも見ていくと、
ある程度、パターンがあるのも分かってきました。

これをもとに、あと一つ、賀茂氏と神籠石の関連を突き止めたいな、
という新たな思いも生まれました。

さて、3月は佐賀で神功皇后の話をします。
詳細はお待ちくださいね。





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by lunabura | 2018-02-11 21:33 | 歴史カフェ | Trackback | Comments(0)

歴史カフェ17回 賀茂氏の目次が出来ました


歴史カフェ17回

「賀茂氏」の目次ができました


歴史カフェ211ですが、
何度か構成しなおして、ようやく目次が完成しました。

賀茂氏には三柱の特徴的な神々がいるのが分かり、
その神々の理解をしていくことにしました。
以下、その目次です。

第1章賀茂氏の神々
アジスキタカヒコネ(賀茂大御神)
タケツヌミ(賀茂大神)(八咫烏)
アメノマヒトツ(一目神)

第2章北部九州での賀茂氏の展開
大己貴と二女神の通婚から始まった
1.賀茂大御神の誕生と展開 アジスキタカヒコネ
2.神武天皇と賀茂氏 タケツヌミ(八咫烏)
3.「タダ」地名と天目一箇神と工人集団 三足烏と鼎
4.神功皇后と賀茂氏 賀茂氏に熊襲を討たせた

第3章観世音寺の鐘と初代管長満誓沙弥
1.「観世音寺の鐘」と兄弟鐘の「妙心寺の鐘」
2.鐘に陰刻された賀茂氏の名

第4章 高句麗壁画、一目国

大己貴と二女神の結婚によって、アジスキタカヒコネが生まれた話は、
日本書紀のほか、福津市の楯崎神社(下巻70)の縁起に書かれています。

会場が同じ福津市だというのも、不思議なご縁です。


賀茂氏は鍛冶集団であり、鉄や水銀、青銅に関わり、また鉱物発見に欠かせない薬草も知っていました。全国から発見される鏡や剣、銅鐸など、いったい誰が造ったのか。物部氏に加えて賀茂氏の存在がクローズアップされてきました。


飯塚市の綱分八幡宮(下巻86)の縁起に、神功皇后は金工に新たに宝剣を造らせた、とありますが、日若神社(下巻87)との縁起と地名の組み合わせから、この金工は賀茂氏であろうという結論を得ました。

すぐそばには日尾山、烏尾峠があり、三女神が道に迷って「烏」に道案内されたというのも、賀茂氏がいたことを暗示しています。

昨年の「八咫烏」では話せなかった部分をクローズアップしていきます。

パワーポイントを使って色鮮やかな古代史を浮かび上がらせられたらいいな、と思っています。

会場が広いので、当日朝まで受け付けますよ。




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(高句麗壁画の三足烏)



歴史カフェ
2月11日(日)2時~4時
福間中央公民館2階 視聴覚室
「日本の開拓者 賀茂氏
古代の北部九州に展開した出雲と水沼のハイブリット
―観世音寺の鐘、安心院・浮羽・高良山―」
詳細はコチラ
過去記事はコチラ






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by lunabura | 2018-02-09 22:36 | 歴史カフェ | Trackback | Comments(2)

書類の整理してます




ブログに挙げた神社や遺跡などの記事の整理を見直しています。

これまでは福岡、筑後、筑豊などの地域ごとにアバウトに通し番号を打っていましたが、記事が増えて増えて、見つけ出すのに時間がかかり始めました。

投稿記事は今日の段階で1663件もありましたよ。

そこで今度は市町別にアイウエオ順に並べ替えることにしました。
どれもこれも初めて行った時、感動して書いたものばかり。
道を調べて、探すのに苦労したものばかりです。

見直していくと、違うタイミングで行ったので、え?こんなに近くにあったの?
と驚いたりしています。


その一例が神籠石。

大半は鉱物の選鉱施設ではないか、と睨んでいるのですが、
「神籠石(列石)」の近くの神社を見ると、
やはり、出雲、宗像(水沼)、賀茂の関連の神社があり、
セットになっているのではないか、という観点が出て来たのです。

一番顕著な例は鹿毛馬神籠石と厳島神社のセットです。(飯塚市)

賀茂氏のアジスキタカヒコネを調べていくうちに傾向が見えてきました。

アジスキタカヒコネは今回の歴史カフェのテーマです。
出雲と三女神の一人の間に生まれた男子なのに、出雲では見かけないそうです。

福岡にはいくつか出てきます。
今回注目するのは高良下宮社付近。

ここに一目(ひとつまなこ)の賀茂氏がいたことが、久留米(くるめ)という地名の語源になったという話も、納得できるようになりました。
ようやく、あそこにアジスキタカヒコネが祀られている謎が解けたかな、と感激しています。
これを歴史カフェでお話ししますね。


あれ、話が逸れた。

書類の整理の話がテーマだったのですが、整理しているうちに、こんな発見があるので、時間をかける甲斐があります。
という話でした。





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by lunabura | 2018-02-07 20:49 | 歴史カフェ | Trackback | Comments(0)

八咫烏5 結社



八咫烏5 結社


「八咫烏」という結社があるそうです。
多分、「八咫烏」というタイトルを見て、そちらを連想した人の方が多いのではないでしょうか。

るな的には、結社については全く知識がありません。ただ、今回の賀茂氏のテーマの延長上にそれが出てきます。歴史カフェでは触れる時間がないので、ウィキペディアで予習しておきましょう。


ウィキペディアより 一部抜粋

八咫烏とは古代氏族の賀茂氏の一部が日本における神道、陰陽道、宮中祭祀を裏で仕切っているとされる組織。正式名称は八咫烏陰陽道。

八咫烏の代表者とされる林裕之によると八咫烏は賀茂氏の祖とされる吉備真備が天平十六年十一月(西暦744年)に藤原氏の朝堂独占に対抗するために 聖武天皇の密勅により丹波国で結成したのが始まりという。

その他、天皇の身に危険が及ぶ事態が起こった場合、聖護院に連れて行き事態が収束せずに更に危険が拡大すれば聖護院からあらかじめ決められた極秘の道に従って神社や寺等を点々として、最終的に天皇を奈良吉野に逃がす役割を担っていた。 この間に滞在する神社と寺の主はすべて八咫烏の構成委員またはその血族者で固められていたという。 

八咫烏は下鴨神社境内にある糺の森河合神社を仮本宗と位置づけており、 組織内では八咫烏神賀茂建角身命、秦伊呂具、役小角、聖武天皇、八咫烏開祖の吉備真備を祭神として奉っている。



結社の八咫烏は吉備真備が結成したんですね。
しかも、聖武天皇の密勅で。

吉備真備も賀茂氏で、筑前守や肥前守になっています。糸島の怡土城も造っているので、要チェック人物です。

また、聖武天皇行基に命じて福岡でいくつか寺を造らせ、行基は佐賀で神功・武内軍に殺された地元豪族や壱岐真根子の供養をしています。最近やたらに資料に出てくるので、聖武天皇、行基、最澄を追うと、九州の怨霊問題が見えてくるなと注目しているのです。

このあたりの話は時間内に話せないので、機会を改めたいと思います。
今回の内容は以上、ネットで収集できる賀茂氏のデータを埋める内容になります。

歴史カフェ17回は2月11日(日)です。







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by lunabura | 2018-02-06 21:31 | 歴史カフェ | Trackback | Comments(4)

八咫烏4 賀茂神社 うきは



八咫烏4 賀茂神社 うきは



 古事記や日本書紀に描かれた八咫烏は、神武天皇の道案内をする烏として描かれていました。高木神か天照大神が遣わしています。

一般的に、道案内として小動物や鳥、蝶などが登場する物語があるので、
読んだ人は烏が神武天皇の前を飛ぶ様子しか想像できませんね。

「八咫」という大きさは様々に言われますが、
真鍋の言う「八咫」のサイズは
「十三歳の少女が両手の親指と親指、小指と小指を合わせてつくる丸い形」だといいます。

そうすると、日本書紀の「頭八咫烏」という表現は「普通の烏よりも頭が大きい烏」という意味で書かれたのかもしれません。
頭(かしら)=長(おさ)というニュアンスかもしれませんね。

ところで、八咫烏とは烏ではなく、賀茂大神すなわち賀茂建角身命(たけつぬみ)の事だというのは、うきはの賀茂神社の縁起に書かれています。

浮羽(うきは)賀茂神社
「賀茂大神は最初にこの地に天降り鎮座され、神武天皇が日向から大和へ御東遷のみぎり、宇佐から山北へ来られ、賀茂大神は八咫烏となって御東幸を助け奉られたので、今も神武天皇と賀茂大神を奉祀する」
 
山北というのは浮羽の地名です。
神武天皇は宇佐から山北へ来た、というのですから、
記紀とは違うルートがあったのかもしれませんね。

のちに景行天皇もここを訪れますが、
その時には県主すなわち猿大海が案内しています。
猿大海は水沼ですね。
水沼と賀茂氏が同系統だと考えて古代を見ると、
これまでとは違う世界が見えてきます。

20180205





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by lunabura | 2018-02-05 20:39 | 歴史カフェ | Trackback | Comments(0)

八咫烏3 日本書紀



八咫烏3 日本書紀



昨日は『古事記』でしたので、
今日は『日本書紀』の八咫烏を調べていきましょう。
やはり訳しますが、あらすじとなります。

神武天皇は神(かむ)日本磐余彦(やまといわれびこの)天皇、
海童は「わたつみ」すなわち豊玉彦
舟師は「みふねいくさ」、
一柱騰宮は「あしひとつあがりのみや」
莬沙津彦は「うさつひこ」
天種子命は「あまつたねのみこと」
丹敷戸畔は「にしきとべ」
武甕雷神は「たけみかづち」
韴霊は「ふつのみたま」
岡水門は「おかのみなと」遠賀川河口域
頭八咫烏で「やたのからす」

と読みます。



 神日本磐余彦天皇は、母は海童の娘の玉依姫で、
45歳の時に兄や子たち、舟師を率いて東征する。

筑紫国莬沙(宇佐)では莬沙津彦・莬沙津媛が一柱騰宮を造って饗応した。

命は侍臣の天種子命(中臣の遠祖)に莬沙津媛を娶らせた。

 11月9日に天皇は筑紫国岡水門に着き、翌月安芸に着いた。

(こののち、五瀬命、稲飯命、三毛入野命死去)

 熊野で丹敷戸畔を殺すと、神の毒気で軍勢は気を失った。

一方、熊野の高倉下が夢を見た。

天照大神武甕雷神に「行って討て」と命じたが、
武甕雷神は自分の代わりに韴霊を降ろせば国は自然と平定される、
と言う夢だった。
高倉下が目覚めると倉の底板に剣が立っていたので、
それを天皇に渡すと皆目覚めた。

 天照大神が天皇の夢に出て、頭八咫烏を遣わすので郷導(くにのみちびき)とするようにと、告げた。烏に従って山を踏み分けて行った。



ここでは八咫烏は天照大神が遣わしたことになっています。

八咫烏が導いたルートは山道ですね。
日本書紀では宇佐を筑紫国としています。正しくは豊国です。

が、足一騰宮がある安心院(あじむ)には
筑紫君の水沼という記事が出てくるので、
一概に豊国が正しいと言えないようになりました。

足一騰宮については過去記事があります。
歴史カフェでは今回は時間をかけて見ていきます。





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by lunabura | 2018-02-04 20:49 | 歴史カフェ | Trackback | Comments(0)

八咫烏2 古事記



八咫烏2 古事記



それでは、まず『古事記』を概略ですが、読みましょう。

神武天皇が登場しますが、
その名を神倭(かむやまと)伊波礼毘古(いはれびこ)命といいます。
兄の名は五瀬命(いつせのみこと)。
夢を見た人は高倉下(たかくらじ)と読みます。
竺紫=筑紫(ちくし)です。



神倭伊波礼毘古命(神武天皇)は兄の五瀬命と高千穂宮で相談して
日向(ひむか)を出て筑紫に行った。

豊国の宇佐に着いた時、宇沙津(うさつ)比古宇沙津比売
足一騰(あしひとつあがりの)宮を造って宴を催した。


そこから竺紫の岡田宮に一年滞在した。

さらに
(阿岐国七年→吉備八年→難波(戦い)→紀国(五瀬命の死))
と移動する。



神倭伊波礼毘古命が熊野村に着いた時、
大熊が出て(みこと)も軍隊もみな失神した。

この時、高倉下が横刀(たち)を持って来たので、命が目覚めた。
命がその横刀を受け取ると熊野の荒ぶる神はおのずから切り倒された。

高倉下が横刀を手に入れた事情を話した。

夢の中で、天照大神高木神が、建御雷神(たけみかづちのかみ)に
「命を助けよ」と命じたが、建御雷神は
「自分の代わりに横刀で十分です」
と言って、高倉下の倉に降ろした。

また、高木神は
「この先には荒ぶる神が多い。八咫烏を遣わすので、それについていくように」
と言い、目覚めると実際に横刀があったという。

(建御雷神は出雲平定の立役者)

命が八咫烏の後を付いていくと、魚取る人、
井戸から出て来た尾がある人、岩を押し分けて出て来た尾ある人に会った。



ここでは八咫烏は高木の神が遣わしています。

八咫烏が案内する道は井戸から出てきたり、岩を押し分けて
尾がある人たちがいるところです。

「尾がある」というのは皮を腰に下げた人たちで、
古代日本に入植していた鉱山従事者のことだと思われます。






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by lunabura | 2018-02-03 20:12 | 歴史カフェ | Trackback | Comments(0)

八咫烏1 




さて、今日から2月11日の歴史カフェの予習復習です。

昨年は賀茂氏について、
八咫烏 -賀茂氏と鉄の民―
というタイトルで、
「古事記や日本書紀に書かれた八咫烏」と
「高句麗壁画に書かれた三足烏」について、
真鍋大覚の資料を元に、その関係を紐解きました。

高句麗壁画は6世紀のものなので、
当然ながら日本の神武天皇の方が古くなる訳です。
何もかもが朝鮮半島から来たとする説を採ると、時系列が合いません。

高句麗壁画には三足烏と共に鍛冶の民が描かれています。
三足烏は太陽の中に描かれています。
鍛冶の民の奉斎する神が太陽の中の三足烏なのです。

この壁画は北朝鮮と国交が無いのに日本であった展覧会のカタログを
たまたま購入していて画像が手元にあるのです。
このカタログを持っている人は日本でもあまりいないと思います。

前回は古事記や日本書紀の文献を読み、
日本書紀に書かれた神社の実例は簡単に紹介しただけとなりました。

今回は逆に、日本の神社の方から見ていきます。

日本の開拓者 
賀茂氏
古代の北部九州に展開した出雲と水沼のハイブリット
―観世音寺の鐘、安心院・浮羽・高良山―

というタイトルです。

「日本の開拓者」と言ったのは真鍋大覚です。
賀茂の一族の名前が大宰府の観世音寺の鐘に陰刻されています。
これは天智天皇の時代のものですね。

そこに至るまで、福津や唐津、浮羽、安心院などなど、
北部九州に点在した賀茂氏の痕跡を見ていきます。
もちろん、ウィキペディアには出ていません。

ということで、2月11日の歴史カフェでは
古事記や日本書紀を読む時間がないので、ここで予習復習です^^

遅くなったから、続きは明日。





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by lunabura | 2018-02-02 23:57 | 歴史カフェ | Trackback | Comments(0)
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綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25


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