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ひもろぎ逍遥

カテゴリ:歴史カフェ( 124 )

会場付近は雲が切れ始めました





今朝は福岡各地で大雨となっているようです。災害が無いように祈っています。
こちら、会場付近は雲が切れ始めて青空が少し見えています。
まだ黒い雲が動いていますが、雨も時々パラパラと降る程度です。

ご参加の皆さん、安心してお越しくださいませ。

なお、今日、急に時間が空いたので行けるな、という方、正午まで受け付けます。
コメント欄も非公開でご利用ください。

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by lunabura | 2019-07-21 10:02 | 歴史カフェ | Comments(0)

明日は予定通りです



明日は歴史カフェ721です。
明日の午前中は雷雨のようですが、次第に回復するようなので、予定通り行います。

沙弥満誓が「痛き恋」と旅人への想いを詠みましたが、その魅力に私も次第に惹(ひ)きこまれています。

歌の数々から8世紀の筑紫の様子が彷彿(ほうふつ)とするのも魅力ですが、今回は旅人が福岡でどんな日々を送ったのか、友情や家族愛なども含めて全体を見て行きます。

3世紀の神功皇后、6世紀の磐井、7世紀の斉明天皇と天智天皇。8世紀の大伴旅人。
いずれもが福岡で多くの足跡を残しました。

これらを俯瞰していくと、あれこれと繋がっていくのは感激ものです。

大伴氏、6世紀は磐井の敵でした。
その大伴氏がどうなっていくのか。

鏡山で佐用比売が領巾を振った相手が大伴狭手彦ですが、大伴金村の子です。磐井討伐の後、狭手彦が高句麗や新羅に出征し、その記憶を旅人は辿っていく。

バラバラの時代のイベントが、俯瞰することで見えてくるのですね。
福岡には掘り起こすべき歴史が沢山あるのを感じます。

旅人らの歌を通して、福岡の歴史が腑に落とせたらと思っています。

なお、メールを送られた方で、当方からの返信が戻ってきている方があります。気にせずにお越しください。






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by lunabura | 2019-07-20 20:58 | 歴史カフェ | Comments(0)

第23回歴史カフェ「大宰帥 大伴旅人」のご案内 


第23回歴史カフェ「大宰帥 大伴旅人」のご案内 





大宰帥 大伴旅人 -万葉集から描く筑紫の日々―

 「令和」の典拠となった「梅花の宴」の主催者は大伴旅人でした。

旅人は西暦720年に隼人の討伐軍の大将軍として九州に来ているので、神亀4年(727)に大宰帥として来たのは七年ぶりになります。

 大宰帥は新任の時、香椎廟に参拝することになっていたので、大伴旅人も例外ではなかったでしょう。

ところが翌年に、連れて来た妻が病死したため失意の中の日々を送ることになってしまいました。

旅人はこの時、64歳でした。

多くの人が弔問に訪れ、挽歌も詠まれました。この時、旅人を支えたのは沙弥満誓山上憶良たちでした。


旅人はそのあと、基肄城、大野城、二日市温泉など各地に赴き、妻をしのぶ歌を詠んでいます。

その年の暮れには再び香椎廟を参拝しました。

その帰りに香椎潟に立ち寄って玉藻刈りをします。神功皇后の故事にならったのでしょう。

 さらに次の年、神亀4年、年明け早々に都では長屋王の変が起き、太宰大貮の丹治県守が都に戻りました。

旅人は筑前の夜須で飲むことを約束していたのに、独り酒を飲むことになった、という歌を贈りました。

その丹治県守の娘が旅人のもう一人の妻と考えられます。

丹治郎女大伴家持を生んでいました。その妻から手紙が届くと、二人は無事に再会できるように歌を贈り合いました。

また、その年の内に旅人は藤原房前に対馬の琴を贈りました。

 そしてその翌年の新春、天平2年に旅人の屋敷で盛大に梅花の宴が催されました。

九州の各地から長官たちが集まって、歌を詠み交わしました。

この宴の序文から「令和」の元号が採用されたのでした。

 その後、旅人は唐津に行き、神功皇后の鮎釣りで有名な松浦川や、旅人の祖先である大伴狭手彦の故事が伝わる鏡山を尋ねています。

松浦佐用比売が領巾を振ったことで知られていますね。

この大伴狭手彦は大伴金村の息子です。大伴金村は物部麁鹿火磐井君と戦わせた人でしたね。



 6月になると、旅人は病気にかかりました。死を覚悟すると、遺言を伝えようと、義理の弟や甥などを呼び寄せます。

この時、長男の家持や妹の坂上郎女が来福しました。


幸いに病気は治り、家持らが帰る途中立ち寄ったのが、粕屋町の夷守(ひなもり)駅です。

日守神社に歌碑がありますね。神功皇后が宇美町で出産する前に日を見守ったという所です。

また、坂上郎女は福津市の名児(なちご)山で大己貴の歌を詠みました。あんずの里の横の運動公園に歌碑があります。



 この年の冬12月、ついに旅人も都に戻ります。この時、書殿、水城、蘆城で別れの歌が詠まれました。

その年が明けた天平3年(731)の7月に旅人は薨去しました。 

 大宰府では旅人は多くの友人を得ました。観世音寺の初代管長の沙弥満誓や山上憶良など、折々に交わした歌などが数多く残されています。また、酒を誉むる歌、望郷の歌なども詠まれました。


 今回の歴史カフェでは、大伴旅人の70数首の歌を時系列に並べて、筑紫での四年近い日々を追っていきます。


大伴旅人は筑紫の万葉歌壇を理解するための基調となる人物ですね。ここを押さえて置くと、前後の歴史が解りやすくなると思いました。神功皇后の旧跡がたびたび出てくるのも、私たちには理解しやすくなっています。


7月21日(日)にいつもの場所、いつもの時間に開催します。
皆様のご参加をお待ちしています。


なお、香椎宮の近くの香椎東公民館でも、大伴旅人の話をします。短縮バージョンとなります。
こちらは、公民館の地域の方対象です。公民館だよりに日程が書かれているので、地元の方はこちらにどうぞ。





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日時 2019年7月21日(日)2時~4時(1時半開場)
会場 福津市中央公民館 2階 視聴覚室「ひもろぎ歴史愛好会」
所在地: 福岡県福津市手光2222
電話: 0940-43-2100(ナビ用です)
交通アクセス JR福間駅から徒歩15分
西鉄バス「手光」バス停から徒歩8分。
会費 1500円(当日払い)


申し込み方法
1 氏名(フリガナも)(あればハンドル名)
2 住所 市町村、字名まで (例として福岡市東区香椎、春日市春日)
   (番地は不要です)
3 メールのタイトルに歴史カフェ721希望と記入。
申し込みは
himorogi888@yahoo.co.jp
(ドコモの方は当方からの返事が届かない場合があります。気にせずにご来場ください)

なお、『神功皇后伝承を歩く』(上下)を購入希望の方はその旨書いてください。
当日お持ちします。

福間中央公民館 
所在地: 福岡県福津市手光2222
電話: 0940-43-2100(ナビ用です)
交通アクセスはJR福間駅から徒歩15分
西鉄バス「手光」バス停から徒歩8分です。






 
 




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by lunabura | 2019-07-19 21:23 | 歴史カフェ | Comments(0)

本日はありがとうございました。 次回は「大伴旅人」です



今日の歴史カフェ、無事に目的の所まで進みました。
参加の皆様、ありがとうございました。

2時間で通してみると、新たに見えてくる世界もあり、発見も多々ありました。

これで真鍋の星の話は「ありなれ川」「北の星」「シリウス」「オリオン座」が完成しました。

「星と氏族」の関係は「神と氏族」の関係とも置き換えられ、シリウスだと安曇やエジプト、オリオンだと八幡と金星暦やヒッタイトと三輪山などと、固有の単語が集中して出てきます。

これらを比較していくと、古代の部族のルーツから倭国の新天地まで、おぼろげですが、見えてくるものがあります。

真鍋の本の解読は、これからも少しずつですが、進めていきたい道です。


さて、歴史カフェが終わって、例の如くお茶飲みしましたた。
また、日が長くて涼しかったので、公民館の裏手にある公園(キャンプ場)に探査に行きました。

現地は当初から古代の集落がありそうな地形だと思ったのですが、実際に行って見ると、その起伏や展望はまさにそうだと思いました。

古墳らしきものもありました。それは二段の円墳に見えました。五郎山古墳と雰囲気が似ていたのです。が、よく見ると稜線が流れていて、前方後円墳らしくも思われました。

この付近は宮地嶽古墳が出来る直前まで前方後円墳も造られていたので、ちょっと期待が持てます。

数人で探査をしたのですが、スマホでコンパスを出して方位を見てくれる人、開発前の航空写真を出して現在と比較してくれる人、円墳の向こうに灯籠を見つける人、周囲の山や地名を教えてくれる人など、職人集団のようで疑問がどんどん解決していきます。

円墳なら装飾古墳の時代かも知れず、また前方後円墳でも王塚古墳のように装飾があるのもあるので、どんな石室かな~と妄想が止まりません。位置的には宮地嶽古墳と手光波切不動古墳の中間点でした。資料を調べてみましょう、と言ってくれる人もあり、楽しみが増えました。


さて、次回の歴史カフェですが、テーマを早速決めました。
「大伴旅人」をやります。

大伴旅人の歌は70首ほどありますが、ほとんどが福岡で詠まれたものでした。
福岡県人なら、これは知っておく方がいいなと思ったし、なかなか魅力的な人なので、これを紐解くことは人生を豊かにするな、とも思いました。
福岡に再訪した時、旅人は60歳代でしたよ。

万葉集は手元に置きたい歌集ですが、4000首となると途方にくれてしまいます。
「大伴旅人の歌集」としてテーマを絞って仕上げると、素敵だろうなと思った作品群です。

日程は7月21日(日)2時~4時で、場所もいつもの福津市中央公民館です。

詳しくは、後日、改めて案内します。

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by lunabura | 2019-06-23 22:07 | 歴史カフェ | Comments(0)

六嶽神社とオリオン座


六嶽神社とオリオン座


オリオン座のパワーポイントを作成中だが、ふと六嶽神社にシリウスを撮りに行ったことを思い出した。

シリウスは「狩人のオリオン」が連れている「犬」だから、写っているはず。
そう思って過去のパワーポイントを見ると、やはり見事にオリオンが写っていた。








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右の画像がオリオンとシリウス。
初心者で安いデジカメによる初の星空撮影で、満月の夜に撮ったものだが、最高のものが撮れていたと今頃になって分かった。

新月の時に再び撮影に行ったが、山の稜線が見えず、六ケ岳が撮れていなかったのだ。
初めての画像は大切なものとなった。

上の画像では強調するために、星に白い丸を重ねている。

左下は六嶽神社の正面。その向こうに右のオリオンとシリウスが出る。
(現在は木立でシリウスは見えないがオリオン座は見える)

左上は六嶽神社の絵馬で、三女神が埼門山に降臨している図だ。
バスハイクの時に拝見して許可をもらって撮影したが、昭和のものだった。

この三枚を編集した時、「剣から生まれた三女神」とは「オリオンの剣」から生まれた三女神だと確信したものだ。
三女神の降臨神話は星の物語だったのだ。




シリウスは蹈鞴工人の守護星だが、オリオン座もまたそうだ。
この「直立する三ツ星」が三輪山の「大物主神が丹塗矢に化けて」ホトを突いた神話を生み出す。

三輪山の里も早くから製鉄の民が複数集まって村を作っていたのだろう。
その痕跡がセヤダタラヒメや引田部赤猪子の神話として残り、考古学的には纏向遺跡の博多式の羽口として残った。

この六嶽神社の麓にも「タタラ」地名がある。
鉄、水銀、キラキラする石。ここで産出される鉱物は多くの富と戦いを生み出した。
「脇巫女」が懐かしく思い出される。


さて、6月23日の歴史カフェでは上のオリオン座の画像が役に立つので有りがたい。
この「直立した三ツ星」は他には見当たらない。

真鍋の難解な文章も、この「直立した三ツ星」を見て理解できるものが多々あった。

今回もオリオンに関する文章はすべて網羅するので、ページ数が多い。
皆さんの参考資料になればと思う。



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by lunabura | 2019-06-21 20:52 | 歴史カフェ | Comments(2)

歴史カフェ623 オリオン座 真鍋大覚の世界 のご案内



歴史カフェ623 のご案内

 真鍋大覚の世界 オリオン座 

ー星の和名と渡来した海の民、鉄の民ー




冬になると厳しい寒さの中にシリウスが輝き、シリウスを引き連れたオリオン座が空高く昇っていきます。



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いにしえの本にはオリオン座の記録が見当たりませんが、実際にはオリオン座は季節を教え、時間と方角を教え、心の支えともなり、多くの名前が付けられ、地名にも残されています。

オリオン座のベテルギウス星は庄屋にとっては暦作りの時が来たことを知らせました。

船を漕ぐ人には日々の方角を知らせるとともに、海流を逆行して中国大陸に戻る季節が来たことを知らせました。

舟人と倭人は使う暦が違っていたので、それが変換できるような言葉も生まれています。

蹈鞴工人にはオリオン座が仕事始めの季節が到来したことを知らせました。
工人たちはオリオン座の中に在る馬頭星雲を蹈鞴の産物として祈り、その材料の名をオリオン座のベアトリックス星につけ、また川の名につけました。

白拍子が鼓を掲げて歌い舞う時代になると、オリオン座に鼓星という名が付きました。これはよく知られている名です。

時代と共に多くの名が生まれましたが、暮らしの変化と共にその由来のほとんどが忘れ去られていったようです。

それを書き残しているのが真鍋大覚です。

渡来人ごとに星の名も違っているのですが、真鍋の記録は膨大で、少しずつ理解しつつあるところです。

渡来人と言えば、物部氏や秦氏への関心が高いのですが、それ以外にもエジプト、ヒッタイト、イラン、北欧など、各地からシルクロードあるいは北回りで異なる民族たちが日本に来ています。
そのルーツを探る手がかりが「星の名」です。

今回はオリオン座を通して、失われた古代社会の一端を探求します。

皆様のご参加をお待ちしています。



日時 2019年6月23日(日)2時~4時(1時半開場)
会場 福津市中央公民館 2階 視聴覚室「ひもろぎ歴史愛好会」

所在地: 福岡県福津市手光2222
電話: 0940-43-2100(ナビ用です)

交通アクセス JR福間駅から徒歩15分
西鉄バス「手光」バス停から徒歩8分。

会費 1500円(当日払い)


申し込み方法
1 氏名(フリガナも)(あればハンドル名)
2 住所 市町村、字名まで (例として福岡市東区香椎、春日市春日)
   (番地は不要です)
3 メールのタイトルに歴史カフェ623希望と記入。
申し込みは
himorogi888@yahoo.co.jp
(ドコモの方は当方からの返事が届かない場合があります。気にせずにご来場ください)


なお、『神功皇后伝承を歩く』(上下)を購入希望の方はその旨書いてください。
当日お持ちします。


福津市中央公民館 
所在地: 福岡県福津市手光2222
電話: 0940-43-2100(ナビ用です)

交通アクセスはJR福間駅から徒歩15分
西鉄バス「手光」バス停から徒歩8分です。






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by lunabura | 2019-06-09 20:00 | 歴史カフェ | Comments(0)

勢夜陀多良比売 せやだたらひめ と 丹塗矢 オリオン



勢夜陀多良比売 と 丹塗矢 オリオン



勢夜陀多良比売(せやだたらひめ)は三輪山の麓に住んでいた。その父は三嶋湟咋(みぞくい)という。

三輪山の大物主神がセヤダタラヒメを見初めた話が古事記に載っている。



大物主神は丹塗矢になると、姫が厠で大便をした時、ホトをついた。
驚いた姫は丹塗矢を床に置いたところ、矢は麗しい男になった。

結ばれた二人の間に生まれた子をホトタタライススキ姫という。
ホトの言葉を嫌ってヒメタタライススキヒメと呼ぶようになった。

こうして生まれたイススキヒメは神武天皇の大后になった。
神武天皇は狭井河のほとりにあった姫の家に行幸して一晩泊まって共寝をした。

狭井河の狭井(さい)とは山ユリ草のことだ。山ユリ草はもともと佐韋と言ったと、古事記にわざわざ注書きが挿入されている。


イススキヒメはこののち、宮中に参内(さんだい)する。この時、天皇は

葦原の しけしき小屋に 菅畳 いや清敷きて 我が二人寝し
(葦原にある 粗末な小屋で、菅で編んだ敷物を 清らかに敷いて 二人で寝たなあ)
と歌を詠んだ。





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サイ(ゆり)を持つイスケヨリ姫


以上、簡単に記したが、丹塗矢(にぬりや)の話はいくつものバージョンがあるので、聞いたことがあるなあと思う人が多いだろう。

イスケヨリヒメの父の名も複数の説があるので、今回は古事記だけを対象にする。



さて、真鍋大覚はこの話の中に多くの製鉄用語、またオリオン座とオリオンの三星を見ている。


1 三嶋湟咋 ミシマもミゾクイもオリオン座の事で、かつ水のあるオアシスを意味していた。一族は砂漠を越えて渡来してきた。



2 丹塗矢 三輪山は三諸山ともいう。三諸星とはオリオンの三星で、かつて那珂川市では女性が明け方に髪を洗って股の向こうに三ツ星が見えると良い事があると言っていた。この話は丹塗矢の伝承と繋がるのかもしれない。つまり、オリオン山の神がオリオンの三星の化身として丹塗矢になって求婚したということだ。


3 ホトタタラ ホトは女陰、タタラは蹈鞴のことで、鉄が出来て流れ出す様子がこれに例えられている。


4 セヤダタラ 穴の位置が偏っている平たい坩堝(るつぼ)のこと。



5 葦原 セヤダタラの燃料はカヤやオギ、ススキを蒸し焼きにした炭塵で、ギリシア語でサラロスと言った。


6 山ユリ 風によって山ユリの種が飛ばされ、花が咲く位置は前年の風の道を示した。蹈鞴には風が重要だった。



つまり、三嶋セヤダタラヒメの一族は製鉄技術を携え、シルクロードを越えて日本列島に辿り着き、三輪山の麓で製鉄を行っていた渡来人ということになろう。


姫や母の名、また葦原や山ユリなどを聞くと、製鉄を知るひとは、一族のシンボルが散りばめられていることが分かるのである。

前回書いた引田部赤猪子はヒッタイトの末裔で三輪山に仕える巫女だったという。
ヒッタイトの鉄は有名だ。ここには製鉄に適した環境があったのだろう。

ただ、三嶋湟咋の一族がヒッタイトだったかどうかは不明だ。


ちなみに、纏向遺跡から出土したものは製鉄道具の羽口で、博多のものと同型だという。
三輪山からのいくつもの川が流れを変えるような洪水原だったと聞いた。

弥生集落を作ることは出来ない地形で、蹈鞴をする人には適当な地形だったと考えられる。


以上から、神武天皇の一族は製鉄技術を持った一族と婚姻して勢力の安定を図った話がシンボリックに神話化されたことが読み取れる。


古代鉄は考古学には出て来ないので、なかなか学ぶ機会がないが、最近は原料を計測する分銅で紀元前のものが日本で各種出土している。


多くの地名にタタラの原料や資材、理想の土地、植物層などが残されていることが真鍋によって記録されていた。

星の名の中に込められた倭人の暮らしや産業が読み取れるのが真鍋大覚の本である。



以上、今日も歴史カフェの予習でした。

タイトルを考え中ですが、今のところ

真鍋大覚の世界 オリオン座 ー 星の和名と渡来した海の民、鉄の民 ―

という感じです。

2019年6月23日(日)午後2時~4時


申し込み先、会場案内




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by lunabura | 2019-06-01 21:03 | 歴史カフェ | Comments(0)

第22回歴史カフェは6月23日に決定しました


第22回歴史カフェ623のご案内



第22回の歴史カフェの準備をしていますが、
真鍋大覚の世界 オリオン座 -星の和名と渡来した海の民、鉄の民ー
という仮タイトルをつけました。


会場はいつもの福津市中央公民館で、日程は6月23日(日)午後2時~4時を押さえました。

オリオン座は誰もが真冬の凍てつく寒さの中で見上げたのではないでしょうか。
昨年、シリウスをしましたが、そのシリウスを従えて、大空を渡っていく狩人のイメージがあります。
方向や季節を知らせる星座なので、職業や部族によって、異なる名前が沢山ついていました。
多くの地名の由来が星の名と地形に関連していて、謎が解ける面白さ満載なのが真鍋の口碑です。

私たち日本人は何処から来たか。
その謎は私たちの心を捉え続けて放しません。


私たちは世界中の各地からこの列島にやって来たようです。
その一部が垣間見られるのが、真鍋の星の話です。

その記述内容が多岐にわたるため、沢山の知識が必要で、ブログで予習する(;^ω^)、という難しさもありますが、知的興奮に包まれるのが楽しいひと時でもあります。

まだ一月あるので、時々、ここで予習をしますし、内容詳細もお知らせします。
今日は、取りあえず日程のお知らせです。
皆さまの参加をお待ちしています。




日時 2019年6月23日(日)2時~4時(1時半開場)
会場 福津市中央公民館 2階 視聴覚室「ひもろぎ歴史愛好会」
所在地: 福岡県福津市手光2222
電話: 0940-43-2100(ナビ用です)
交通アクセス JR福間駅から徒歩15分
西鉄バス「手光」バス停から徒歩8分。
会費 1500円(当日払い)


申し込み方法
1 氏名(フリガナも)(あればハンドル名)
2 住所 市町村、字名まで (例として福岡市東区香椎、春日市春日)
   (番地は不要です)
3 メールのタイトルに歴史カフェ623希望と記入。

申し込みは
himorogi888@yahoo.co.jp
(ドコモの方は当方からの返事が届かない場合があります。気にせずにご来場ください)

なお、『神功皇后伝承を歩く』(上下)を購入希望の方はその旨書いてください。
当日お持ちします。

福間中央公民館 
所在地: 福岡県福津市手光2222
電話: 0940-43-2100(ナビ用です)
交通アクセスはJR福間駅から徒歩15分
西鉄バス「手光」バス停から徒歩8分です。




20190528


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by lunabura | 2019-05-28 20:58 | 歴史カフェ | Comments(0)

歴史カフェでオリオン座を




次回の歴史カフェのテーマはオリオン座です。
真鍋の記録を現代人が分かるようにと、分類しながらまとめています。

真鍋は日本人は大陸の果てからやって来たといいます。

砂漠を越えてきたり、あるいは一年以上船に乗ってきたり。
いや、大陸を横断してきても、最後は船に乗って来たわけです。

多くの渡来人の集合体が日本人なんですね。

神話では狩人だったオリオン座が舟人の守護神となっていくまでには、多くの苦難があったことが想像できます。

東へ、東へと、何故、いにしえの人は東の島を目指したのだろう。
今更ながら不思議です。

乾ききった砂漠を歩いていくのは夜。
その時、オリオン座の傾きは自分たちの道を示してくれました。

人々はところどころで出会うオアシスにもオリオン座の名を付けました。

船旅もしかり。
島に着いて水を発見するとオリオンの名を付けていきました。

渇きと水とオリオンは密接で、日本人の言の葉に残されていきます。

かつてNHKでシルクロードの番組があり、喜太郎の音楽が日本人の心を捉えましたが、
今回はそれを「オリオンの星々」と「古き言の葉」で辿っていく予定です。

ご案内はもう少し先になります。



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by lunabura | 2019-05-23 21:20 | 歴史カフェ | Comments(0)

21回もやったんですね




今日は歴史カフェでした。
参加の皆さん、ありがとうございました。

もう、21回なんですねえ。

今回の「日本武尊」を通しての「福岡と佐賀」の話はやはり密接に繋がっていました。

「高地性弥生集落」という言葉がありますが、武尊の戦った相手の多くはその「高地性弥生集落」がありそうな丘陵地帯に居住していて、川を隔てて日本武尊の陣営地が敷かれる、そんなパターンがいくつか見られました。

弥生時代に巨大化していった銅製品は紛れもなく倭国で造られたものですが、その担い手は誰だったのかと考える時、
     景行天皇と日本武尊 VS 土蜘蛛や熊襲
の戦いの場が鉱物資源を産するような地域だったことから、それぞれが持つ金属加工技術集団の存在が浮かび上がってきます。

すでに賀茂氏や物部氏については歴史カフェでまとめてみましたが、これまでの学びを通してもう一度真鍋大覚を読めば、きっと以前より理解が深まっていることでしょう。

次回はその真鍋を通して、マニアックな古代社会を描けたらなと思っています。


この先、しばらく原稿に戻り、それを片付けてから、また歴史カフェの準備に取り掛かります。
準備が出来次第案内します。

本日は皆さま、ありがとうございました。

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by lunabura | 2019-05-05 21:39 | 歴史カフェ | Comments(0)

綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25