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カテゴリ:歴史カフェ( 105 )

八咫烏4 賀茂神社 うきは



八咫烏4 賀茂神社 うきは



 古事記や日本書紀に描かれた八咫烏は、神武天皇の道案内をする烏として描かれていました。高木神か天照大神が遣わしています。

一般的に、道案内として小動物や鳥、蝶などが登場する物語があるので、
読んだ人は烏が神武天皇の前を飛ぶ様子しか想像できませんね。

「八咫」という大きさは様々に言われますが、
真鍋の言う「八咫」のサイズは
「十三歳の少女が両手の親指と親指、小指と小指を合わせてつくる丸い形」だといいます。

そうすると、日本書紀の「頭八咫烏」という表現は「普通の烏よりも頭が大きい烏」という意味で書かれたのかもしれません。
頭(かしら)=長(おさ)というニュアンスかもしれませんね。

ところで、八咫烏とは烏ではなく、賀茂大神すなわち賀茂建角身命(たけつぬみ)の事だというのは、うきはの賀茂神社の縁起に書かれています。

浮羽(うきは)賀茂神社
「賀茂大神は最初にこの地に天降り鎮座され、神武天皇が日向から大和へ御東遷のみぎり、宇佐から山北へ来られ、賀茂大神は八咫烏となって御東幸を助け奉られたので、今も神武天皇と賀茂大神を奉祀する」
 
山北というのは浮羽の地名です。
神武天皇は宇佐から山北へ来た、というのですから、
記紀とは違うルートがあったのかもしれませんね。

のちに景行天皇もここを訪れますが、
その時には県主すなわち猿大海が案内しています。
猿大海は水沼ですね。
水沼と賀茂氏が同系統だと考えて古代を見ると、
これまでとは違う世界が見えてきます。

20180205





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by lunabura | 2018-02-05 20:39 | 歴史カフェ | Comments(0)

八咫烏3 日本書紀



八咫烏3 日本書紀



昨日は『古事記』でしたので、
今日は『日本書紀』の八咫烏を調べていきましょう。
やはり訳しますが、あらすじとなります。

神武天皇は神(かむ)日本磐余彦(やまといわれびこの)天皇、
海童は「わたつみ」すなわち豊玉彦
舟師は「みふねいくさ」、
一柱騰宮は「あしひとつあがりのみや」
莬沙津彦は「うさつひこ」
天種子命は「あまつたねのみこと」
丹敷戸畔は「にしきとべ」
武甕雷神は「たけみかづち」
韴霊は「ふつのみたま」
岡水門は「おかのみなと」遠賀川河口域
頭八咫烏で「やたのからす」

と読みます。



 神日本磐余彦天皇は、母は海童の娘の玉依姫で、
45歳の時に兄や子たち、舟師を率いて東征する。

筑紫国莬沙(宇佐)では莬沙津彦・莬沙津媛が一柱騰宮を造って饗応した。

命は侍臣の天種子命(中臣の遠祖)に莬沙津媛を娶らせた。

 11月9日に天皇は筑紫国岡水門に着き、翌月安芸に着いた。

(こののち、五瀬命、稲飯命、三毛入野命死去)

 熊野で丹敷戸畔を殺すと、神の毒気で軍勢は気を失った。

一方、熊野の高倉下が夢を見た。

天照大神武甕雷神に「行って討て」と命じたが、
武甕雷神は自分の代わりに韴霊を降ろせば国は自然と平定される、
と言う夢だった。
高倉下が目覚めると倉の底板に剣が立っていたので、
それを天皇に渡すと皆目覚めた。

 天照大神が天皇の夢に出て、頭八咫烏を遣わすので郷導(くにのみちびき)とするようにと、告げた。烏に従って山を踏み分けて行った。



ここでは八咫烏は天照大神が遣わしたことになっています。

八咫烏が導いたルートは山道ですね。
日本書紀では宇佐を筑紫国としています。正しくは豊国です。

が、足一騰宮がある安心院(あじむ)には
筑紫君の水沼という記事が出てくるので、
一概に豊国が正しいと言えないようになりました。

足一騰宮については過去記事があります。
歴史カフェでは今回は時間をかけて見ていきます。





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by lunabura | 2018-02-04 20:49 | 歴史カフェ | Comments(0)

八咫烏2 古事記



八咫烏2 古事記



それでは、まず『古事記』を概略ですが、読みましょう。

神武天皇が登場しますが、
その名を神倭(かむやまと)伊波礼毘古(いはれびこ)命といいます。
兄の名は五瀬命(いつせのみこと)。
夢を見た人は高倉下(たかくらじ)と読みます。
竺紫=筑紫(ちくし)です。



神倭伊波礼毘古命(神武天皇)は兄の五瀬命と高千穂宮で相談して
日向(ひむか)を出て筑紫に行った。

豊国の宇佐に着いた時、宇沙津(うさつ)比古宇沙津比売
足一騰(あしひとつあがりの)宮を造って宴を催した。


そこから竺紫の岡田宮に一年滞在した。

さらに
(阿岐国七年→吉備八年→難波(戦い)→紀国(五瀬命の死))
と移動する。



神倭伊波礼毘古命が熊野村に着いた時、
大熊が出て(みこと)も軍隊もみな失神した。

この時、高倉下が横刀(たち)を持って来たので、命が目覚めた。
命がその横刀を受け取ると熊野の荒ぶる神はおのずから切り倒された。

高倉下が横刀を手に入れた事情を話した。

夢の中で、天照大神高木神が、建御雷神(たけみかづちのかみ)に
「命を助けよ」と命じたが、建御雷神は
「自分の代わりに横刀で十分です」
と言って、高倉下の倉に降ろした。

また、高木神は
「この先には荒ぶる神が多い。八咫烏を遣わすので、それについていくように」
と言い、目覚めると実際に横刀があったという。

(建御雷神は出雲平定の立役者)

命が八咫烏の後を付いていくと、魚取る人、
井戸から出て来た尾がある人、岩を押し分けて出て来た尾ある人に会った。



ここでは八咫烏は高木の神が遣わしています。

八咫烏が案内する道は井戸から出てきたり、岩を押し分けて
尾がある人たちがいるところです。

「尾がある」というのは皮を腰に下げた人たちで、
古代日本に入植していた鉱山従事者のことだと思われます。






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by lunabura | 2018-02-03 20:12 | 歴史カフェ | Comments(0)

八咫烏1 




さて、今日から2月11日の歴史カフェの予習復習です。

昨年は賀茂氏について、
八咫烏 -賀茂氏と鉄の民―
というタイトルで、
「古事記や日本書紀に書かれた八咫烏」と
「高句麗壁画に書かれた三足烏」について、
真鍋大覚の資料を元に、その関係を紐解きました。

高句麗壁画は6世紀のものなので、
当然ながら日本の神武天皇の方が古くなる訳です。
何もかもが朝鮮半島から来たとする説を採ると、時系列が合いません。

高句麗壁画には三足烏と共に鍛冶の民が描かれています。
三足烏は太陽の中に描かれています。
鍛冶の民の奉斎する神が太陽の中の三足烏なのです。

この壁画は北朝鮮と国交が無いのに日本であった展覧会のカタログを
たまたま購入していて画像が手元にあるのです。
このカタログを持っている人は日本でもあまりいないと思います。

前回は古事記や日本書紀の文献を読み、
日本書紀に書かれた神社の実例は簡単に紹介しただけとなりました。

今回は逆に、日本の神社の方から見ていきます。

日本の開拓者 
賀茂氏
古代の北部九州に展開した出雲と水沼のハイブリット
―観世音寺の鐘、安心院・浮羽・高良山―

というタイトルです。

「日本の開拓者」と言ったのは真鍋大覚です。
賀茂の一族の名前が大宰府の観世音寺の鐘に陰刻されています。
これは天智天皇の時代のものですね。

そこに至るまで、福津や唐津、浮羽、安心院などなど、
北部九州に点在した賀茂氏の痕跡を見ていきます。
もちろん、ウィキペディアには出ていません。

ということで、2月11日の歴史カフェでは
古事記や日本書紀を読む時間がないので、ここで予習復習です^^

遅くなったから、続きは明日。





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by lunabura | 2018-02-02 23:57 | 歴史カフェ | Comments(0)

「三星堆のイ族」と「一目国のイ族」は同じか



「三星堆のイ族」

「一目国のイ族」は同じか



 賀茂氏は日本の開拓者で、刀剣より、百姓の鋤鍬の生産を主としていたという。蹈鞴の名人で北方系の胡人だった。火を見る時、目を守るために片目を閉じる事から、隻眼一目(せきがんひとつまなこ)の神として倭人の間で崇められた、と真鍋は言う。
その目は緑色。

その祖国である一目国が中国の北方にあったという。

中国最古の地理書といわれる『山海経』(せんがいきょう)にその記述が出てくる。『山海経』は紀元前4世紀~3世紀頃の成立とのことで、日本の弥生時代の早い時期には一目国があったことになる。

ウィキペディアによると、
「一目人たちの姓は威(い)であり、古代中国の帝・少昊の子孫であるということ、また、キビを食べているということが記されている。人々はこの国を怖がっており、鬼国(きこく)とも呼んでいたという。」
とある。鉄の民は目が一つだという話になった。

単眼の巨人はギリシア神話にはキュクロプスの名で、卓越した鍛冶技術を持つ神として登場する。
キュクロプスは一目の神であり、噴火口の神であり、蹈鞴の神だと真鍋は記す。

一目は燕語でカナムリと言い、それがカモに変化したという。燕国は鉄で知られる。賀茂氏は雷神を信仰する一族でもある。


武器ではなく、農工具を造ったという賀茂氏は、鉄も銅も加工できたのだろうか。
賀茂氏がつくった黄金の延べ板は「八つ橋」という土産物に、砂鉄で出来た玉鋼(たまはがね)は「おこしごめ」という土産物になったという。



以上は、過去記事に書いた内容でもあるが、昨日は一目国の人たちの姓を見て驚いた。

一目国の人は「威」姓、すなわちイ族なのだ。
先日、三星堆のイ族は追われ追われて絶壁の山に暮らしているのを書いたばかりだ。

いずれも「イ族」、青銅、鍛冶など共通項がある。


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ギリシア神話の時代に鍛冶をしていた賀茂一族は一目国を造り、南に移動して蜀を造り、東に移動して高句麗壁画に鍛冶と八咫烏の図を残した。
そういうストーリも可能になった。

一方、日本の筑後川沿いにも賀茂氏はいたが、神武天皇以前には入植していたことになる。それが浮羽の賀茂神社の持つ意味だ。


脊振山系で栄えた賀茂氏の祭祀はのちに弁財天信仰に置き換えられていく。
ヒカゲノカズラを髪に差す優美な祭りは中大兄皇子によって京に伝えられた。


賀茂氏は祭祀用具も造ったのではないか。
鉄鐸が岩戸開きの時に造られたというが、銅鐸の製造の担い手はだれか、と考えるとき、この賀茂氏の存在が一番に挙げられるのである。
加茂岩倉遺跡の加茂には賀茂氏がいて、製作にかかわったのではないか。


そして、その技術があったからこそ、
仏寺の梵鐘も早期に国内で作ることができたのではないか。
そう思われて仕方がない昨今である。



歴史カフェ 2018年2月11日(日)
日本の開拓者 賀茂氏
古代の北部九州に展開した出雲と水沼のハイブリット
―観世音寺の鐘、安心院・浮羽・高良山―




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by lunabura | 2018-01-17 20:58 | 歴史カフェ | Comments(0)

第17回 歴史カフェ 2月11日のご案内「 賀茂氏」



第17回 歴史カフェ 

2月11日 のご案内 「賀茂氏」



2018年最初の歴史カフェのご案内です。

第17回は、真鍋が「日本の開拓者」という「賀茂氏」について、北部九州の神社と寺の由緒から全体像を描いていきます。

ネットで賀茂氏を検索すると京都以降の事は書かれていますが、その前の姿が見えてきません。

賀茂氏は神武天皇以来八咫烏(ヤタガラス)として天皇家を支えた一族で、三女神の一人が大己貴との間に生んだ男子を始まりとしています。

つまり、出雲と水沼の通婚によって賀茂氏が生まれたわけです。その男子の名は阿遅鉏高日子根(あじすきたかひこね)と言います。福津市の楯崎神社(下巻70)にもそのことが書かれていますね。

 賀茂氏と神武天皇の足跡は宇佐市安心院(あじむ)や浮羽(うきは市)に残っています。また景行天皇や神功皇后の時代にもその姿が文献に留められています。

この賀茂氏の末裔が太宰府市観世音寺の初代管長になりました。満誓沙弥と言います。筑紫万葉歌壇で知られた人ですね。天智・天武両天皇が篤く信頼したのも、長い歴史があってのこととなります。
 
 真鍋大覚の伝承を紐解くと、そのシンボルから、山鹿の一ツ目神社、高句麗壁画に描かれた三足烏にもまた一族の姿を留めていることが分かります。

北部九州からアジアまで、その足跡を俯瞰(ふかん)しましょう。

 一昨年、「八咫烏」のテーマで使った資料を再編成して、別の角度からアプローチしていきます。



タイトル 仮題

古代の北部九州に展開した賀茂氏
―安心院、浮羽、高良山、観世音寺の鐘―


会場は福津市の福間中央公民館です。
駐車場は145台分あります。
ここでの団体名は「ひもろぎ歴史愛好会」です。

お持ちの方は『神功皇后伝承を歩く』上下巻 を持参してくださいね。


日時 2018年2月11日(日)2時~4時
会場 福間中央公民館 2階 視聴覚室「ひもろぎ歴史愛好会」
所在地: 福岡県福津市手光2222
電話: 0940-43-2100(ナビ用です)
交通アクセス JR福間駅から徒歩15分
西鉄バス「手光」バス停から徒歩8分。
会費 1500円(当日払い)


申し込み方法
1 氏名 ヨミガナ(ハンドル名)
2 住所 市町村、字名まで (例として福岡市東区香椎、春日市春日)
   (丁目や番地は不要です)
3 歴史カフェ211希望と記入。

なお、『神功皇后伝承を歩く』(上下)を購入希望の方はその旨書いてください。
当日お持ちします。

新規の方の申し込みは「コチラ」あるいは、サイドバーの「メールはコチラ」から。
過去に申し込んだ方は当方からの返信もご利用ください。

(ドコモの方は当方からの返事が届かない場合があります。
受け付けておりますので、気にせずご来場ください。)

福間中央公民館 
所在地: 福岡県福津市手光2222
電話: 0940-43-2100(ナビ用です)
交通アクセスはJR福間駅から徒歩15分
西鉄バス「手光」バス停から徒歩8分です。










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by lunabura | 2018-01-12 20:42 | 歴史カフェ | Comments(0)

歴史カフェ お礼




今日は歴史カフェ、ご参加ありがとうございました。
二か月ぶりですが、すご~く久しぶりの感じがしました。

自分がやりたい題材を選んでやっているので、自分的にとても達成感があります。
これも、参加の皆さんがあってのことなので、本当にありがたいです。

古代氏族たちの分布は教科書では奈良県内の分布を覚えましたが、福岡にもその拠点があるのを、よくぞ真鍋家は伝えてくれていたと思います。まずは、その内容を理解して、検証する基盤を作りたいですね。


次回の歴史カフェは来年になりますが、賀茂氏について、真鍋の本と神社と比較しながら古代の姿を見ていこうと思っています^^


那珂川町が出している増刷の真鍋の本も、参加者の方から見せてもらいました。ライトな装丁の本になっていて、身近に置きやすくなっていましたよ。何処で手に入るか、質問がありました。那珂川町で直接購入か、郵送してもらう方法があります。HPを見てください。

さて、今夜は次回のバスハイクの行程計画の仕上げをします。再び朝倉に行って、羽白熊鷲の終焉の地にご案内の予定です。

バスハイクは福岡県内には限らないので、来年には佐賀の方にも出かけようと思っています。神功皇后が田油津姫討伐を終えて、唐津に出るまでにも一繋ぎの道のりがあります。スケジュール作りもとても楽しい作業です♪




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by lunabura | 2017-11-26 20:56 | 歴史カフェ | Comments(0)

16回歴史カフェ「ありなれ川」の準備の仕上げ中



16回歴史カフェ

「ありなれ川」の準備の仕上げ中





あと3日後、11月26日の歴史カフェの準備も仕上げの段階になり、今日は「ありなれ川」について、パワーポイントと資料の見直しを進めていました。

真鍋は水城の成立に関しては通説の防衛説ではなく、雪解けの洪水を防ぐ堤から発展したものと伝えています。この話一つを検証するために、数年かけて水城に関する講演や現地説明会に出かけました。その数は10回近くになります。

今夏の上大利水城の現地説明会に行って、ようやく真鍋の言う小水城の成立事情が理解できました。それに加えて、あいにくの朝倉の水害を目の当たりにしたことも理解を深める結果になりました。災害と利水。営々とした人々の営みを先人から学ぶことは大切ですね。

第1章ありなれ川
第2章針摺(はりすり)瀬戸
第3章宇佐島と左佐島(天原)
第4章水城は瀦水塘(ちょすいとう)だった(小水城と水城 上津土塁)
第5章大宰府と「とほのみかと」は別のものだった
第6章筑後川(千歳川)
第7章古代氏族の分布(蘆木・平群・曽我・葛城・巨勢・物部・中臣・国栖・賀茂)

このような順で話をします。

真鍋は中近東の言葉が倭語にたくさん残っていることを書いています。

テレビを見ていると、エジプトの漁師さんが網を引き揚げるとき、「アラヨッ」と言い、竜骨を大勢で持ち上げるとき、「セーノッ」と言ってました\(◎o◎)/!

こういう言葉を聞くと、真鍋の話が身近に感じられます。私たちの言葉にも案外たくさんの異国の古代語の化石が含まれているんですね。

前回から画像を駆使して話をしているので、以前の歴史カフェより分かりやすくなりました。また、会場が広いので人数制限も無くなりました。皆さんのご参加をお待ちしています。




会場は福津市の福間中央公民館です。
駐車場は145台分あります。
ここでの団体名は「ひもろぎ歴史愛好会」です。

お持ちの方は『神功皇后伝承を歩く』下巻 を持参してくださいね。

日時 2017年11月26日(日)2時~4時
会場 福間中央公民館 2階 視聴覚室「ひもろぎ歴史愛好会」
所在地: 福岡県福津市手光2222
電話: 0940-43-2100(ナビ用です)
交通アクセス JR福間駅から徒歩15分
西鉄バス「手光」バス停から徒歩8分。
会費 1500円(当日払い)


申し込み方法
1 氏名 ヨミガナ(ハンドル名)
2 住所 市町村、字名まで (例として福岡市東区香椎、春日市春日)
   (番地は不要です)
3 歴史カフェ1126希望と記入。

なお、『神功皇后伝承を歩く』(上下)を購入希望の方はその旨書いてください。
当日お持ちします。

申し込みは「コチラ」あるいは、サイドバーの「メールはコチラ」から。

(ドコモの方は当方からの返事が届かない場合があります。
その時は、この記事の下に掲示します。
確認したら、非公開でコメントを入れてください。
そののち、記事からお名前を削除します)

福間中央公民館 
所在地: 福岡県福津市手光2222
電話: 0940-43-2100(ナビ用です)
交通アクセスはJR福間駅から徒歩15分
西鉄バス「手光」バス停から徒歩8分です。







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by lunabura | 2017-11-23 21:21 | 歴史カフェ | Comments(2)

第16回歴史カフェ 真鍋大覚の世界「ありなれ川」のご案内




第16回歴史カフェ

真鍋大覚の世界「ありなれ川」
のご案内



今回は真鍋大覚の世界を紐解きます。

久留米市大善寺の広川を現代でも「ありなれ川」と言います。
この言葉は「高良玉垂宮神秘書」にも出てきます。
そして、「日本書紀」にも登場するのです。

真鍋によると、
「ありなれ川」とは空にあっては「天の川」であり、
古代福岡においては筑紫を左右に分ける川の名を指した
といいます。

赤司八幡神社の縁起には「九州二島惣鎮守」とあり、
九州が「二島」だったことを思わせる記述があります。

この「二島」を、「ありなれ川」によって左右に分かれた九州島
の描写と考えると、よく理解することができます。

福岡の古代史や魏志倭人伝を紐解くにあたって
必要不可欠の「ありなれ川」の理解。

そこには正史に伝わらぬ歴史がありました。

針摺瀬戸を埋めた土砂災害と大水害が起こり、
防災と灌漑用水のために水城が造られたといいます。

それを築造したのは磐井と稲目。
それから百年後の水城の崩壊、
疎水式に切り替える工事をした天智天皇。
など、大宰府の天官だった家系だからこそ伝わる歴史です。

また、ずらりと並ぶ「三」がつく地名の意味、
古代氏族たちの分布、
など、真鍋大覚の口伝を紐解き、整理していきます。

タイトルは

真鍋大覚の世界 「ありなれ川」
―針摺瀬戸、水城、大宰府、筑後川、古代氏族ー

です

会場は福津市の福間中央公民館です。
駐車場は145台分あります。

ここでの団体名は「ひもろぎ歴史愛好会」です。

お持ちの方は『神功皇后伝承を歩く』下巻 を持参してくださいね。


日時 2017年11月26日(日)2時~4時
会場 福間中央公民館 2階 視聴覚室「ひもろぎ歴史愛好会」
所在地: 福岡県福津市手光2222
電話: 0940-43-2100(ナビ用です)
交通アクセス JR福間駅から徒歩15分
西鉄バス「手光」バス停から徒歩8分。
会費 1500円(当日払い)


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1 氏名とヨミガナ(ハンドル名)
2 住所 市町村、字名まで (例として福岡市東区香椎、春日市春日)
   (番地は不要です)
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その時は、この記事の下に掲示します。
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福間中央公民館 
所在地: 福岡県福津市手光2222
電話: 0940-43-2100(ナビ用です)
交通アクセスはJR福間駅から徒歩15分
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by lunabura | 2017-11-04 15:25 | 歴史カフェ | Comments(0)

15回 歴史カフェでした



ずいぶん久しぶりの歴史カフェでした。

近くから、あるいは遠くからのご参加ありがとうございます。


新たな会場で、皆さんの協力を得ながら準備をしました。

画像とテキストを併せて使っていくと、
発見がいろいろとありますね。

物部氏のスサノオ信仰、剣神信仰、三女神信仰。
賀茂氏の雷神信仰、京都と佐賀の千年以上の関連など、
シンボルを整理すると、
アバウトな世界が確固たる世界に変わっていきます。



一つ謎が解けると、新たな気付きがあり、
次なる点描へと導かれ、
留まることを知らない世界が広がっていることにも
気付かされます。

奥深いですね。


次回の歴史カフェ、テーマは決めましたが、
準備が出来てからお知らせします。


                <2017年9月24日>





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by lunabura | 2017-09-24 21:11 | 歴史カフェ | Comments(0)
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綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25


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