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ひもろぎ逍遥

カテゴリ:バスハイク( 112 )

明日1129のバスハイクは大伴旅人編



今日はラジオの収録の日でした。
ちょっと、一息ついています。

明日はバスハイクですね。
詳細な案内をしませんでしたが、次のようなスケジュールです。

天神 8:30
①大宰府展示館 
②大宰府政庁跡
③坂本八幡宮
④観世音寺
⑤戒壇院
⑥二日市温泉・歌碑
⑦基肄城
⑧大宰府客館跡
⑨榎社
⑩水城・水城館
天神

近場なので、歩いての移動が多いです。
特に、基肄城は草スキーの所から歩いて頂上に行くので、スニーカーが必要です。

ここは、大伴旅人夫人が亡くなった時に来た勅使を案内して管理職が登った所です。
旅人らは馬でしたが、私たちはバスでギリギリ行ける所まで登ってから、歩いていきましょう。
大きな石碑があるそうですよ。

お楽しみの「道の駅」は近場に無かったので、大型スーパーで昼食です。

ご参加の皆さん、明日も楽しみましょう。

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by lunabura | 2019-11-28 21:25 | バスハイク | Comments(0)

熊襲タケルが逃げ込んだ真手山へ ここは大和町 神崎~佐賀市 3



『肥前風土記』には、巨大なクスノキが佐賀にあり、朝日や夕陽を浴びると、その影は25キロほど離れた所にも届いていたと書かれている。

日本武尊はその栄えた姿を見て「この国は栄の国というがよい」と言った。
栄(さか)が佐嘉になり、佐賀になったという。

この話には佐嘉川や川上の所に出てくることから、與止日女神社付近の話と考えられた。

與止日女神社の鎮座地は大和町川上。








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この與止日女神社の境内には朽ちたクスノキの巨木の一部が保存されている。
その巨大さには誰もが声を挙げた。

このようなクスノキが聳え立っていたのだろう。











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與止日女神社に隣接した所に実相院がある。
ここも行基が創建した。

地形を見ると、城壁のような崖の上に実相院は建っていた。

青いシートは台風によって崩れた跡で、通行不可になっていた。車道なら行ける。

このような地形を弥生人は好む。高地性弥生集落という。
川の氾濫を避け、敵の襲来を逃れて暮らせる地形だ。
今では確かめようもないが、寺院が建つ前には遺跡があったのではないか。







この地形を確認して次の健福寺に行くとやはり同じ地形だった。
真手山に建っている。
ここに、熊襲タケルが仲間を頼って逃げ込んだ。










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健福寺の前からは佐賀平野が見渡せる。
ここからは誰が近づいているのか、良く見えた。

日本武尊は武内宿禰らと共に船で近づいたが、やはり行軍は出来なかったのだろう。
夜を待って女装し、宴に紛れ込んだ。

日本武尊は一太刀目に「我こそは筑紫野で見参した小碓尊(こうずのみこと)だ」
と名乗った。
二太刀目を振り下ろそうとすると、「まて」と言われた。
それが山の名の「真手山」の由来となった。

熊襲タケルは、殺される直前に、「我が姓は熊襲。九州全土を我が家としていた。
しかし、最期の地名を採って川上タケルと改名する」
と告げ、小碓尊には日本武尊の名を与えた。

もちろん話は潤色されているのだが、ここは「大和町川上」。
ヤマトタケルのヤマトは案外、この地の名前を付けたのではないか。
と、何故か、ふと思った。
古事記では倭(やまと)タケルと記す。

この時のヤマトタケル軍の副大将は弟彦公。鞍手の剣岳にいた。そして、補佐役は武内宿禰だった。

この決戦の前に、熊襲タケルは筑紫の穴倉陣に逃げ込んでいたが、日本武尊らが突き止めて攻撃した。しかし熊襲タケルは既には逃げ、佐賀に来ていた、と健福寺の記録にある。

川上タケルの墓は寺の裏山にあり、近年まで分かっていたが、今は藪になってしまい、もう分からないだろうと住職は語る。
行基はこここそ、一番供養したことだろう。





さて、私たちが訪れた日、この山には黒い雲が広がり、時々雨を降らせていた。

熊襲タケルの事を思ってここに来た人は私たちが初めてだろう。
田油津姫の時も、田川市やみやま市で冷たい雨が降り続いた。
涙雨みたいだね。

そう言いながらも、空には、どこか明るい光が差していた。
こんな時には虹が出そうだよね、と言っていると、本当に隣の山に虹がかかった。








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四十分経って博物館に着いても虹がかかっていた。


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今日の話は⑤⑥⑦のエリア。
⑤與止日女神社
⑥実相院
⑦健福寺

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by lunabura | 2019-10-29 20:03 | バスハイク | Comments(0)

徐福信仰圏と前方後円墳 神崎~佐賀市 2






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迷い込んだ金立山憩いの里。

前回の久保泉丸山遺跡のそばです。
今思えば、このような山あいの開けた所には古代人が暮らしを営んだ所のような印象があり、現代になってキャンプ場などが造設されたのではないかとも思われました。

この三角山が金立山かどうかは不明ですが、金立山山頂では徐福を祀っています。

金立神社は上宮、中宮、下宮が鎮座しているので、徐福への信仰は大きなものだったのでしょう。







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下宮社に参拝しました。


その近くに銚子塚古墳があります。床屋の右手の狭い路地を歩いていきます。
国史跡ですが、車では近づけませんし、近くに駐車場も無いので、車でのアプローチは難しいです。






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右が後円部で、左の低い所が前方部です。
全長98mで、柄鏡型の古墳は四世紀末と推定されています。


墳頂に立つと中心線の向こうに山が見え、山を基準に測量したのではないかと思われました。

この古墳が造られた四世紀末には、宇土半島や佐賀、嘉麻に同じようなデザインで規模が違う古墳が営まれた事になります。

未発掘ですが、4世紀末ということから、埋葬施設は竪穴式石室と考えられています。

そうですね。宇土の向野田古墳も嘉麻の沖出古墳も竪穴式石室でした。




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両者は舟型か割竹型の石棺でしたので、それに近い石棺でしょう。

同じようなデザインの古墳が熊本、佐賀、福岡にあるのはどう考えたらいいのでしょうか。
デザインは同じでも、主軸の向きはバラバラでした。
地形を利用し、地山を成形して造っていくので、主軸の向きは思想的には不問だと言えます。



以上の金立山憩いの里、久保泉丸山遺跡、金立下宮社、銚子塚古墳はほぼ同じ地域にあります。

徐福は秦の始皇帝(紀元前259~前210)から逃れて来た人なので、古墳の被葬者たちは徐福信仰のことは良く知っている人たちだったことでしょう。

そうそう、佐賀県立博物館にこの地域から出土した舟形石棺が置かれていました。


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これこそ、舟形石棺の原形と思われるような凄い展示物でした。全長4.3m。阿蘇の石です。
しかし、残念ながら半分は寄せ書きに覆われて全容が見えないようにされていました。

この日は常設展示物は完全に撤去されて、高校生の文化祭があっていました。
考古資料は一点の展示も無かったのです。

常設展示物を一つも展示していない事はHPにも書かれておらず、県立博物館として考えられないものでした。

金立神社の徐福の絵巻もこの博物館が所蔵しながら展示していない。

今回は余りにひどかったので記します。

実は、考古学展示物が展示されていないのは武雄図書館もでした。
歴史資料館は狭くなって一応存在はしていたのですが。

朝倉歴史資料館も富士山の画ばかり展示されて、あの豊かな考古資料は展示されていませんでした。

久留米歴史資料館は行っても見学できなかったので、電話で見学依頼をしたら、「何故見学するのですか」と言われました。「地元の資料を見学したいから」と言いましたが、他に理由が必要でしょうか。結局見学しないままです。遠方から出直しはなかなかできません。

残念な話ですが、事実を記しておきます。




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by lunabura | 2019-10-27 22:46 | バスハイク | Comments(0)

日本武尊と行基の足跡は麗しい山里にあった 神崎~佐賀市 1



昨日、10月25日は佐賀方面へのバスハイクでした。

小雨が降ったりやんだり、天気雨だったり。
時雨がちの一日は、本格的な秋の到来を告げていました。

「肥前風土記」を追いながら東から西へと向かうシリーズの一つです。

「風土記」に書かれた日本武尊の行動と、書かれていない事件が佐賀には伝わっています。
後にそれを辿っているのが行基でした。

佐賀と言えば広大な平野というイメージがありますが、そこはかつての有明海。
「風土記」の道は山と平野の「あわい」にありました。

その「あわい」には徐福が上陸した時、ぬかるみに難儀して布を敷いて歩いていった話や地名も伝えられています。

その背後にある急峻な山脈と有明海に挟まれた低山地帯に縄文人や弥生人たちは、かなり洗練された暮らしを営んでいるように思われました。


その古代の集落を伝って異文化の景行天皇や日本武尊が東から西へと戦をしかけながら通り、後の世に、行基がそれを供養しながら辿っています。

一方、反対の西からは船が着き、徐福や遣唐使や僧などによって、中国の最新の文化が届けられて、東へと伝わっていました。

その歴史の一部が神社や寺院の境内に残されているのが佐賀の風景です。
そこには、うっとりとするような美しい山里の暮らしが伝えられていました。








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最初に訪れたのは白角折(おしとり)神社。
吉野ケ里遺跡の西方にあります。
ここで日本武尊が的を射たという。







続けて仁比山神社へ。









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そこには驚くほど大きい仁王像。








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そして、仁比山神社にも行基の名がありました。

仁比山神社の祭神は大山咋神のみならず、鴨玉依姫と日本武尊も祀られていました。


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その勾配のある地形から、古代豪族の拠点だったのではないかと思っていたのですが、ここに賀茂氏の玉依姫が祀られているということは、古代に賀茂氏が金属加工をしていた可能性も伺えたのでした。

日本武尊は、先程の白角折神社が一時、ここに祀られて、再び現在地に遷った歴史の名残でしょう。










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隣接する九年庵では紅葉時の客を迎える準備が進んでいました。









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久保泉丸山遺跡は長崎自動車道に掛かったため移動した遺跡群ですが、
東から500mほど、当時そのままの配置で移されていました。

ここには縄文人から弥生人を埋葬した支石墓群と、5~6世紀の古墳群がまとまって存在しています。

移動された時、並べ変えられたのではなく、当時の位置関係そのままに移されていました。

この古墳群を営んだ民は「合理的」に並べて行く、という思想を持った人たちだということが分かります。

竪穴式古墳に登って覗くと、舟形石棺があったりして、系統的に学びたい古墳群でした。





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by lunabura | 2019-10-26 20:07 | バスハイク | Comments(0)

佐賀の行基、徐福、岡田三郎助もバスハイクで




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赤い番号に日本武尊の伝承があるのですが、⑥の実相院と⑦の健福寺は行基の開基です。
高速道路沿いには肥前風土記の伝承地も重なっています。

肥前風土記には景行天皇と日本武尊、そして神功皇后の伝承が多く出てきます。
そこを行基も通っているので、古代の道の風景がなんとなく見えてきますね。

④は金立神社(きんりゅう)で、徐福も祭神の一柱です。
葦原を切り開き、泥の道を布を引いて通ったようすが地名などになって残されています。

佐賀はこの他の著名人の上陸も伝えています。
百済から、中国から、倭国上陸ルートの一つだったのですね。

金立神社に伝わる徐福の絵巻が佐賀県立博物館に展示されているそうなので、みんなで観に行きます。

その博物館の通路を通ると美術館。
あの岡田三郎助の画が展示されているそうなので、楽しみです。

そうそう、金立神社の近くの銚子塚古墳は国の指定史跡です。
国の指定史跡はどこも草刈りされて史跡保存が良好なので、とても楽しみなのです。

調べてみると、これが前回行った沖出古墳と同じ4世紀末で柄鏡式の前方後円墳なのです。

そうなると、宇土半島の向野田古墳と同じ型、同時代。全長は沖出が68m、向野田が86m。そして銚子塚古墳は98m!!

沖出古墳でも大きいと思ったのに、それ以上に大きい銚子塚古墳。どんだけ楽しみ^^。




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これは沖出古墳。





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岡田三郎助画。



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by lunabura | 2019-10-18 21:51 | バスハイク | Comments(0)

佐賀の日本武尊と武内宿禰と川上タケル 来週、バスハイクで行くよ




今日は10月25日のバスハイクの資料を作っています。




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紹介したいスポットを選んでいると、長崎自動車道沿いに並んでいたので、上のようなコースを辿ります。

佐賀の高速道路は昔の海岸線沿いにあると聞いていますが、やはり、ここに日本武尊と武内宿禰が船に乗ってきて上陸した話が伝わっているんですね。

赤い番号が日本武尊の伝承地になります。

①は白角折(おしとり)神社
⑤は與止日女(よどひめ)神社
⑦は健福寺(真手山)

総合すると、①で軍事訓練?し、⑤では佐賀の地名由来の栄を語り、⑦健福寺で川上梟帥(たける)を討ち取っています。

ここに行基の伝承地が重なってきます。

最澄や行基は神功皇后や日本武尊に滅ぼされた民の供養をするのが旅の目的の一つだったようで、佐賀でも滅ぼされた民の怨霊に苦しめられる人々を行基が救う話があります。

日本武尊は、八幡(やはた)の南にいた弟の金剛タケルを討伐したあと、兄の川上タケルを佐賀で討ち取っています。

佐賀の人も鞍手の人もお互いに伝承が繋がることは知らないと思うのですが、「弟彦公」という武将の名が両地に出てきた時、私は伝承の確実性を確信しました。

「脇巫女」によく出てくる熱田神社が日本武尊の佐賀遠征の出発地であり、帰還地でもあります。
そこにある亀甲は今でも聖地として祀られています。


「ひめちゃご」に、この亀甲が出てきました。
ここで武内宿禰と日本武尊が三つの遠征ルートの中から占ってもらうシーンが出てきます。

これが結願から出て来た時は、とても驚きました。
誰も亀甲の存在など知らないのに、崋山の口から出て来たのですから。



よく、バスハイクの訪問地の内容を後で知って、「行きたかったのに」と聞くことがあるので、紹介しておきますね。


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by lunabura | 2019-10-16 21:50 | バスハイク | Comments(0)

バスハイク10月~12月 スケジュールと行程



気が付くと、来週はバスハイクですね。
10月から12月までの3つのバスハイクのスケジュールを案内します。

「神社と古墳」が相変わらずの必須アイテムですが、
地域によって、テーマが変わるのが面白いですね。

古代史はフィールドワークこそ命ですね!


第11回 バスハイク 神崎・佐賀 日本武尊と徐福伝説の地
2019年10月25日(金)
 

肥前風土記に日本武尊の話が記されていますが、白角折(おしとり)神社、與止日女神社、健福寺にも伝承が伝わっています。

特に健福寺は川上梟帥(たける)との戦いの場といい、行基の開山になります。行基は実相院も創建しました。

金立神社は徐福ゆかりの神社で、その縁起絵巻が県立博物館に収蔵されています。これらと近隣の神社、遺跡を訪れましょう。

天神―(神崎市)白角折神社―仁比山神社―(佐賀市)久保泉丸山遺跡―金立神社下宮―與止日女神社―実相院―健福寺―佐賀県立博物館―天神 





第12回 バスハイク 太宰府・基山 大伴旅人ゆかりの地
2019年11月29日(金)
 

大伴旅人は大宰帥となって筑紫に赴任しました。大宰府政庁跡の横に大宰府展示館があり、令和の典拠となった「梅花の宴」のジオラマが展示されています。その近くの坂本八幡宮は旅人邸の候補地の一つです。

観世音寺は旅人との交友が深い満誓沙弥が完成を担った寺で、戒壇院は鑑真が授戒を行った所です。旅人は二日市温泉で亡き妻をしのび、基肄城に弔問の勅使を連れて登りました。

帰京する時には水城で児島と歌を交わしています。榎社は菅原道真の配所、客館は外国使節の宿泊所です。今回は大伴旅人の歌を読みながらまわりましょう。

天神=大宰府展示館=大宰府政庁跡=坂本八幡宮=観世音寺=戒壇院=二日市温泉=基肄城=大宰府客館跡=榎社=水城・水城館=天神




第13回 バスハイク 鳥栖~小城 肥前風土記と古代遺跡群
2019年12月20日(金)


 鳥栖市の安永田遺跡では九州で初めて銅鐸の鋳型が発見されました。ヒャーガンサン古墳は移転された装飾古墳です。朝日山宮地嶽神社に伝わる戦いの主は筑紫君葛子ではないかと言われています。

千栗八幡宮には大善寺玉垂宮と同じ形式の絵巻が伝わり、鰐神社の神は当地に上陸したという王仁博士ではないかと言われています。その近くに伊勢塚古墳があります。

 小城市は城下町の風情が良く残り、風土記には日本武尊の戦いが記されています。その現場が須賀神社ではないかと思われます。天山神社には藤原四兄弟の房前の伝承があります。

土生遺跡公園は弥生時代の遺跡で、小城公園は鍋島家の初代藩主等が造営した名庭園です。今回は世に出ていない歴史の数々を尋ねていきましょう。

天神=(鳥栖市)安永田遺跡=ヒャーガンサン古墳=朝日山宮地嶽神社=(みやき町)千栗八幡宮=(神埼町)伊勢塚古墳=鰐神社=(小城市)天山神社=土生遺跡公園=小城公園=須賀神社=天神



いずれも出発時間は8:30。
天神の日銀の横にバスが止まります。
食事は道の駅や集合施設です。

申し込みは「歴史と自然をまもる会」
092-408-7140
電話が確実です。(火曜日~金曜日)10時~16時
火曜日で講座があっている日は繋がりません。

参加費4000円。当日集金です。

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by lunabura | 2019-10-14 16:24 | バスハイク | Comments(0)

バスハイク 飯塚・嘉麻 面白かった!(^^)!



バスハイク 飯塚・嘉麻 面白かった!(^^)!

昨日、9月27日のバスハイクは、午後から雨の予報でしたが、予報が外れて無事に催行できました。

今回も楽しくて。
(ま、自分が好きな所ばかりセレクトしているので、当然ちゃ当然ですが(笑))

二度目の探訪は、方角や位置などの謎が解け、現地でもう一度それが確認できる面白さがありました。
今日は備忘です。






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ここは内野宿。
前回は大雨の中で堪能できかなったので、今回初めて歩いてみると、江戸時代の雰囲気がかなり残っていて、素敵でした。

50分の散策予定を組んだのですが、まだまだ足らず。
ガイドの方の話では1時間半は掛かるとのことでした。
カメラ小僧には堪らないスポットがかなりありましたよ。

ガイドの方が当ブログを読んでくださっていて、私たちが来るのを待ってくれていました。
ありがとうございます。
お食事も予約すれば食べられます。
既に食べた方があって、「美味しかったよ」と言ってありましたよ。

今から、里の秋~冬~春、と素敵な季節を迎える宿場町。
邪馬台国論争に出てくる短里760mを実感できます。
ここは、もう一度じっくりと廻りたいな…。








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王塚古墳の左壁です。
楯が並んでました!
右の壁には靫(ゆぎ)が並んでましたよ。

熊本の装飾古墳を観たばかりなので、その共通点と差が感覚的につかめました。
共通点は石屋形。また、靫や双脚輪状文など、シンボルが共通。
絵の緻密さは王塚古墳が群を抜いてました。

熊本も王塚も、もう一度見たいです。
実は写真がブレブレが沢山。(ドキドキしすぎ)
プロが克明に撮ったカタログがあればいいのになあ。

ここは撮影OKになってましたよ。











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嘉麻市に移動して。
稲築八幡宮は神功皇后が大分(だいぶ)からここに来た伝承があります。







そこからすぐ近くに沖出古墳があります。





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68mなので、画像に収まりやすいサイズです。
これが岩戸山古墳だと、大きすぎて森しか写らない( 一一)









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鮭神社はウガヤと彦ホホデミと豊玉姫を祀っています。
安曇族が来た証しですね。祭神の組み合わせは糸島の綿積神社と同じ。
鮭は豊玉姫の使いです。
これが佐賀ではナマズに変わります。











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馬見神社。
沢山の石段を登っていきますが、相変わらず、その雰囲気が素敵です。
コノハナサクヤ姫とニニギ尊ならこちら。

ようやく正面の写真が撮れました。前はトラックが止まってた。
リンゴやナシが近くで買えます!










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益富城址。
秀吉の秋月城攻めの時の一夜城がここです。
展望所まで車で行けるのかと思ったら、ずっと歩いて登っていくようになっていました。
これぞ山城。攻めるのが難しそう。平地に在る神籠石とは全く別物でした。
神籠石の山城説はそろそろ止めにしてほしい。


昨夜は写真の整理をしていたら、飼ってない猫がやってきて、撫でていたらそのまま寝てしまいました(;’∀’) 私の方が…。


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by lunabura | 2019-09-28 21:12 | バスハイク | Comments(0)

バスハイク 9月~12月



まだ、9月10月のバスハイク前ですが、11月と12月のバスハイクを仕込んでいます。

決定しているのは
9月の飯塚・嘉麻市(これは6月に雨天延期となった分です)
10月の神崎・佐賀市の日本武尊と徐福の地
です。

11月は大伴旅人ゆかりの地を廻ります。大宰府や基肄城、水城などなど。
12月は再び佐賀へ。
(11月と12月の予定日を決め忘れているので連絡しなきゃ)

佐賀の武雄や大町町には神功皇后や武内宿禰ゆかりの地として訪問したので、ずっと心に留めています。佐賀にはまだまだ訪問する所があるので、予定を変えずに回りたいと思います。




9月と10月のコースを紹介しますね。


第8回 バスハイク 飯塚・嘉麻
母里太兵衛の内野宿と沖出古墳
2019年9月27日(金)
 案内 綾杉るな

長崎街道の内野宿は黒田家臣・母里太兵衛が建設に当たった宿場で、邪馬台国論争に出てくる短里が使われていました。そこから北上すると王塚装飾古墳に出ます。

嘉麻市の稲築八幡宮は神功皇后を迎えた所で、すぐ南に沖出古墳があります。鮭神社はサケが遡上していた所で、馬見神社の馬見は神武天皇ゆかりの地名です。

益富城は秀吉の秋月攻めの時の一夜城で知られ、秋月種実、後藤又兵衛、母里太兵衛などが城主となりました。今回は筑豊の史跡を巡りましょう。

天神8:30―(飯塚市)内野宿―(桂川町)王塚古墳―(嘉麻市)稲築八幡宮―沖出古墳―鮭神社―馬見神社―益富城址―天神





第11回 バスハイク 神崎・佐賀
日本武尊と徐福伝説の地
2019年10月25日(金)
 案内 綾杉るな

肥前風土記に日本武尊の話が記されていますが、白角折(おしとり)神社、與止日女神社、健福寺にも伝承が伝わっています。

特に健福寺は川上梟帥(たける)との戦いの場といい、行基の開山になります。行基は実相院も創建しました。金立神社は徐福ゆかりの神社で、その縁起絵巻が県立博物館に収蔵されています。

これらと近隣の神社、遺跡を訪れましょう。

天神8:30―(神崎市)白角折神社―仁比山神社―(佐賀市)久保泉丸山遺跡―金立神社下宮―與止日女神社―実相院―健福寺―佐賀県立博物館―天神 



申し込みは「歴史と自然をまもる会」へ直接電話してください。

092-408-7140 
火曜日~金曜日 10時~4時



満席でキャンセル待ちになっても、意外と繰り上がり当選(?)があります。
当日、座席が余っている時が時々ありますので^^

道の駅で新鮮なお野菜や地元の特産を買うのも楽しみなんです♪

11月と12月の分は只今計画中^^

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by lunabura | 2019-09-03 21:06 | バスハイク | Comments(0)

第10回バスハイクは菊池川の装飾古墳!など




昨日の熊本の菊池川沿いのバスハイクは、朝は曇天で気温もさほど上がらず、みんな元気に過ごしました。



最初に行ったのは江田船山古墳とその古墳公園。

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あの、七十五文字の銀象嵌の大刀が出た所です。石棺が阿蘇の地震で壊れて、一時期見学が出来なくなっていたので、今回はどうかな、と恐る恐るドアノブを回すと、開いた!

皆さんにも見ていただけました。
相変わらず、羨道がなく、いきなり石室、という謎の古墳です。

図を手に清原古墳群全体を見て回りました。歴史資料館は肥後民家村の中にありましたよ。
時間ぎりぎりで発見。出土品のレプリカがありました。鏡が沢山。





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それから同じ清原台地にあるトンカラリンに。
いよいよ、懐中電灯を持って入るのですが、虫やヘビがいないか、先発隊三名で通ってみました。
何もいなくて大丈夫!

でも、中が狭い上に水たまりがあって、渋滞するところがあるので、数名ずつ入ってもらいました。
地隙の数メートル上に石の蓋がしてある何てことないトンネルなんですが、ここは体験しないと帰れませんね(^_-)-☆
案内役としては、無事に通れて一安心です。




午後からは熊本県立装飾古墳館へ。




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以前、行ったはずなのに、全然風景が違う\(◎o◎)/!

古墳館の地下に装飾古墳のレプリカが沢山、沢山あったのです!!!
何で、最初訪問した時に案内されなかったのか(-_-;)

ここ、マジ、ヤバい。好き過ぎる!!! 





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石棺のある古墳よりも、ドームの中に石屋形があって、土壙墓のように大地の上に直接おかれるタイプがマジ好きだと分かりました。

平原遺跡は土を掘った四角い穴に埋葬されていますが、それが石になったタイプ。
周囲に赤や緑の色の石壁に囲まれて。
ははは。
古墳と言ってもお墓の話ですな。( 一一)



いずれも菊池川沿いにある古墳群ですが、先月行った神竜八大龍王も水源の一つとし、多くの流れを集めていたのが、菊池川でした。

それから、あの不動岩を目印にして一つ目神社とその水源に行きました。
水源はやはり八大龍王。水がコンコンと湧き出して、手ですくって飲みました。
まろやかな水です。





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その水を利用して「鉄穴流し」(かんなながし)があっていた現場です。


それから、最後に金栗四三の生家へ。
8月22日は生誕日で、入場無料でした。
建坪100坪という大きな家でしたが、山の中。
今は道路が通っていますが、かつては寂しい所だったことでしょう。
ここから福岡との県境まで毎日走って通っていたなんて。
現地に行って理解できるものが沢山あります。


装飾古墳は一つひとつ学びたいけど、今日は備忘のみ。

この菊池川流域の装飾古墳と遠賀川流域の装飾古墳が、全く別の物ではないことは肌で分かりました。
共通のシンボルがあるんですね。
石室の形とかも。
じっくりと時間をかけて復習したいな。
来月は、その遠賀川流域の最たる古墳、王塚装飾古墳に行くので楽しみです。

<20190823>



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by lunabura | 2019-08-23 21:16 | バスハイク | Comments(2)

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