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ひもろぎ逍遥

カテゴリ:バスハイク( 75 )

やっぱり、ティラノサウルスかな




良いお天気に恵まれてバスハイクを案内してきました。
北九州市の八幡区や山鹿半島。

熊鰐(くまわに)の居館あとを中心に回ってきました。

午後からは「いのちのたび博物館」や狩尾岬へ。









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う~ん。
やっぱりティラノかな。

これが一番撮りたかった^^




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by lunabura | 2018-11-15 21:05 | バスハイク | Comments(0)

来年2月のバスハイクは日本武尊の足跡巡り 



来年2月のバスハイクは日本武尊の足跡巡り 

「脇巫女」編かな



2019年2月のバスハイクの計画が出来上がりました。
中間市、水巻町、鞍手町にある斉明天皇と日本武尊の足跡を辿ります。
まるで「脇巫女」の舞台ですね。

八剣神社や熱田神社や六嶽神社も参拝しますよ。

「ひめちゃご」や「ワダツミ」「ウーナ」の舞台とも重なってくるので、現地を知りたいという方には絶好のチャンスです。


「歴史と自然をまもる会」の主催で、座席が余ったら一般の方も参加できます。

一般の方の申し込みのタイミングはスケジュールがホームページに公開された時です。

でも、どうしても行きたいという方は電話で予約されておく方法もあり、と思います。
最近は座席が数席余っています。
商業目的ではないので、親切に配慮してくださいます。

具体的な日付とコースはホームページで公開されたあと、当方でも公開します♪




20181108






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by lunabura | 2018-11-08 20:03 | バスハイク | Comments(4)

デザイン中




1月のバスハイクは小郡市から鳥栖市にかけてのヒメコソ神とニギハヤヒ神を回ろうと地図を見ています。

風土記の現場とセットがいいな。

近くに五郎山古墳、井ノ浦古墳、焼ノ峠古墳などなど古墳も多いですね。

焼ノ峠古墳は立地も最高で、発掘調査がされたけど、石室が見つからなかったという不思議古墳。
日暮れが早いので、回れるかな。

コースを決めると、滞在時間、移動時間などを計算して6時頃には天神に戻れるようにするのが難しいです。

で、回れなかった所はリベンジ編でやっつけます。


1月は五郎山古墳のリベンジです(^^)/



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by lunabura | 2018-11-06 21:09 | バスハイク | Comments(0)

17回バスハイクは八幡区 再び熊鰐の里へ



17回バスハイクは八幡区 

再び熊鰐の里へ



2018年11月15日(木)のバスハイクのスケジュールです。

主催はいつものように『歴史と自然をまもる会』で、神功皇后の足跡を拙著を基本に回っていますが、百社の内、あと十社ほどを残す所となりました。

一日で十社は無理なので、二回に分けて、今回は八幡(やはた)を中心にまわります。



神功皇后は再び北九州に戻ってきますが、熊鰐が皇子の衣装を準備して迎えました。今回は熊鰐の居館があった仲宿八幡宮、お礼に祀った豊山八幡神社、皇后を守って武内宿禰が陣営を張った旗頭神社、香坂王たちとの戦いに向けて祈った熊野神社、皿倉山から戻って乳を与えた乳山八幡宮を訪問します。

また恐竜の骨格が展示された、歴史資料館がある「いのちのたび博物館」に行き、帰路に千畳敷の遊歩道、天智天皇の狩を伝える狩尾神社に寄りましょう。

天神  
①97熊野神社 謀反を聞いて皇后は皇子の安泰を祈った
②94旗頭神社 武内宿禰がここに陣営を敷いた
③92仲宿八幡宮 神功皇后は熊鰐の館で中宿りして忌籠りをした
④93豊山八幡神社 神功皇后は熊鰐から皇子の御衣を贈られた
⑤95乳山八幡宮 神功皇后は皇子に乳を与えた
⑥いのちのたび博物館
⑦ 狩尾岬  なみかけ遊歩道20分 
⑧ 狩尾神社 天智天皇の狩り場跡
天神 
(社号の前の番号は『神功皇后伝承を歩く』の下巻の番号)

北九州での拠点は熊鰐の館があった「仲宿神社」で、そこで帆船の帆柱が折れていたので修理をしたことを伝えていました。

仲宿神社の近くに「いのちのたび博物館」があるので、恐竜が楽しみですが、3階には歴史ゾーンがあります。

ここに岩戸山古墳の土器があって驚きました。皆さんに見ていただきたいのです。


最後に天智天皇ゆかりの狩尾岬に行き、波しぶきを浴びるかもしれないウォーキングをします。以前行った洞島が見えるので、皆さんのリアクションが楽しみです^^

『歴史と自然をまもる会』の方の申し込みが終了した段階で座席が余っていたら、どなたでも参加できます。4000円です。別途入館料徴収です。

問い合わせは
一般社団法人 歴史と自然をまもる会
電話&FAX 092-408-7140
メール  info@rekishi-shizen.com











20181105





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by lunabura | 2018-11-05 20:22 | バスハイク | Comments(0)

16回バスハイク 行ってきました



16回バスハイク 行ってきました

今日は天候に恵まれて秋のバスハイクを満喫してきました。







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おしゃれな古墳は小正(おばさ)西古墳です。
大分八幡宮から曩祖八幡宮に行く途中にありました。

飯塚市の小高い丘のピークにある古墳です。
一つの墳丘に二つの石室があり、巫女の埴輪が出ました。
まりこふんさんが一押しの巫女です。







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こちらは撃鼓神社(上巻15)です。
二度目の参拝になります。時間が違うと表情も違います。
神功皇后も二度来ています。

最近は皆さん、聖地の気をゆっくりと堪能される様子で、
その姿が素敵です。



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by lunabura | 2018-10-18 20:33 | バスハイク | Comments(0)

明日はバスハイクです 神功皇后16回目となります



明日はバスハイクです 

神功皇后16回目となります



明日は神功皇后の足跡を辿るバスハイクで、16回目となります。
案内が遅れましたが、皆さんが自分で行かれる時のナビとして記しておきますね。


神功皇后の足跡をたどる  
第16回 飯塚・田川・みやこ
豊浦宮帰還 応神天皇と共に

2018年10月18日(木)   案内 綾杉るな

神功皇后は応神天皇を出産した後、下関の豊浦宮に帰還するため、
ショウケ越えをして飯塚に向かいます。

大分八幡宮では軍隊を解散し、曩祖八幡宮で別れの宴を催しました。

撃鼓神社に再び出向いて乳の出が良くなるように祈り、
綱分八幡宮では出産の時の綱を奉納し、
日若神社では皇子の健やかな成長を祈ったと伝えています。

位登八幡宮に滞在しますが、近くには
皇子が即位したという伝承を秘めた帝階八幡神社があります。

半年経つと再び行軍をし、風治八幡神社では嵐に遭いました。

生立八幡神社では皇子が皇后の膝に手をついて初めて立ったと伝えます。

これらの神社と、小正古墳や沖出古墳などを見学しましょう。


① 大分八幡宮 下84 飯塚市大分 神功皇后は軍隊を解散した
② 小正西古墳公園 飯塚市小正

③ 曩祖八幡宮下85 飯塚市宮町 神功皇后は将士たちと別れの宴を催した
④ 撃鼓神社 上15 飯塚市中   神功皇后が授乳の祈願をした

⑤ 綱分八幡宮 下86 飯塚市綱分 神功皇后は金工に宝剣を造らせて祭祀した
⑥ 日若神社 下87 飯塚市多田   神功皇后はミソギをして皇子の将来を祈った

⑦ 位登八幡神社 下88 田川市  神功皇后は皇子と共に半年滞在した
⑧ 帝階八幡神社(大石神社に合祀)下88 田川郡川崎町 応神天皇が即位したか?

⑨ 風治八幡宮 下89 田川市魚町 神功皇后は嵐が止むように祈った
⑩ 生立八幡神社 下90 京都郡みやこ町 皇子が皇后の膝に手をかけて立ち上がった 

⑪ 沖出古墳 嘉麻市漆生



以前、行けなかった所も二か所、リベンジ編をやります。

飯塚や田川は歴史が古く、今回二度目ですが、まだまだ案内したい所があります。
特に応神天皇が田川で即位した可能性が高く、重要な所を回ってきます。




20181017




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by lunabura | 2018-10-17 23:05 | バスハイク | Comments(0)

宇土半島に行ってきましたよ



今日はバスハイクで宇土半島に行ってきました。

卑弥呼より百年ほど後の向野田古墳は出土品を見てから現地へ。
文化財課の方の案内なしには行けない山でした。
書きたい事いっぱいある。

また、阿蘇ピンク石の石棺の採掘現場は古墳時代の現場も教えてもらいました。

阿蘇ピンク石の名称も本来の「馬門石」(まかどいし)に変えているそうです。

宇土マリーナでは復元した石棺や船を見学して、船に乗せてもらいましたよ!
後日ゆっくりと記録したいと思います。



今日は時間的に大変で、行きは高速道路の事故渋滞で2時間以上遅れました。
お昼ごはんは宇城道の駅で弁当を購入してバスの中で食べて時間稼ぎ。

それでも待ち合わせの時間に一時間以上遅れてしまったのです(;´・ω・)
連絡はしましたが。

帰りは御輿来海岸やたふれ島は車中からの遠望に切り替えて、予定の時間に宇土を出たのですが…

今度は帰りの高速道路が御船や益城付近の大雨で通行止めに。
迂回してまたまた二時間のロスタイム。

一般道路でも豪雨で視界が悪く、道路の水しぶきが激しく上がり、雷まで。
あっという間に川は増水、公園は浸水などを見ながら、益城でようやく高速道路に乗りました。

いつもより遅い時間に天神に戻りましたが、皆さんの安定の平常心で無事、気持ちよくお別れとなりました。

今日の旅は臨機応変もテーマだったなあ。
災害に対応するということも学んだ一日でした。

で、こんな最中、ワダツミがホツマツタエに載っている話を電話でいただいて、目を白黒させたりして…。続いている…。

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by lunabura | 2018-09-20 22:18 | バスハイク | Comments(0)

阿蘇ピンク石の石棺を訪ねるバスハイク 継体天皇の石棺は熊本製なのか?




阿蘇ピンク石の石棺を訪ねるバスハイク 

継体天皇の石棺は熊本製なのか?



2018年9月20日(木)のバスハイクの案内を忘れていました (^^)/

近畿地方の古墳から、阿蘇産のピンク石で造られた石棺がいくつも出土しています。

熊本の宇土(うと)にはその石の採掘現場が残り、実験考古学によって宇土から近畿まで、船での運搬が再現されました。

この宇土半島には卑弥呼より百年後の女性が埋葬された向野田古墳、伊勢物語や枕草子に出てくる「たはれ島」、景行天皇ゆかりの御輿来海岸などがあります。多彩な史跡を訪ねて宇土半島をまわりましょう。

天神8:30―宇土市立図書館―向野田古墳-馬門採石場跡―宇土マリーナおこしき館―御輿来海岸―たはれ島遠望(住吉神社)―天神

今回は宇土市文化財課の方が同行してくださることになり、現地で説明していただけるというスペシャルなものになります。

「歴史と自然をまもる会」のHPに載せたコースの順番を少し変更しましたよ。

向野田古墳は前方後円墳で、86メートルもある巨大なものですが、埋葬されていたのは40代前後の女性でした。

卑弥呼より100年後の人ですが、宇土には女王的なシャーマンが統治していたとも解釈できますね。その古墳と出土品を見学します。

それから阿蘇ピンク石の採掘現場に行きます。



阿蘇ピンク石の石棺が重要なのは、近畿から数多く出土しているからなのです。

特に継体天皇の墓ではないかと言われる今城塚(いましろづか)古墳にピンク石の石棺があったのは大変な事です。

三つの石棺の内の一つだそうです。

今城塚古墳がさらに重要なのは八女の岩戸山古墳とそっくりな点です。

岩戸山古墳は別区という広場が後円部に付いているのが特徴ですが、この今城塚古墳にもその別区が付いているうえに、設計図が同一なのです。

ただ大きさは今城塚古墳の方がずっと巨大です。

この古墳が継体天皇の墓というのは推測に過ぎません。
戦った者同士の墓が同じ設計だというのは多くの謎を提供します。

で、るな的な考察では、今城塚古墳を継体天皇の墓とする必然性はないのではないかという、また学者の方にクレームをいただきそうな説です。

磐井の乱は「磐井VS継体」と捉えられていますが、実際はちょっと違うのです。

「古事記」では継体天皇は磐井の乱の前に崩御しているのです。
すると、磐井は誰と戦った?
となりますね。

「日本書紀」では継体天皇は磐井の乱の四年後に崩御していることになっていますが、編者は「実際は分からないので百済の書物から類推したから、後の世の人が検討してね」と書いています。

きっと権力者から無理強いされた編者が良心を記したのではないかと思うのです。だって崩御した年が82歳。磐井と戦った年は78歳。ちょっと無理ですよね。

ちなみに「古事記」では崩御した年齢は43歳です。

古事記と日本書紀の差がこれほど大きいのはどちらかが嘘をついているからです。



史料の問題はこれくらいにしておいて、今城塚古墳に話を戻しますが、
もし継体天皇が磐井と戦ったとしても、どうして阿蘇産の九州デザインの石棺に眠りますか?
近くの二上山なんかに良い石材はあるのに。

また、どうして磐井と同じ設計の墓に入りたいと思いますか?

今城塚古墳=継体天皇の墓
では、こんな疑問に答えられません。


継体天皇は磐井と戦う前に死んだ可能性がある。
阿蘇ピンク石に眠りたかったのはホントに継体天皇なのか。

こんな事を考えながら、定説に疑問だらけな私はもう一度現地を見て参りたいと思います。



1 近畿の王たちはピンク石棺を熊本に発注して九州スタイルに彫ってもらって、近畿の王たちや熊本の王たちに下賜した。

2 九州の王たちが近畿に進出した時、故郷の象徴のピンク石棺を持ち込んだ。

皆さんはどう考えますか?


宇土から近畿へ船での輸送の実験が行われたので、その現場のようすを皆さんと歩いて経験してきます。

なお、このピンク石は阿蘇山の9万年前の火砕流で出来たものだそうです。

同じ火砕流が那珂川町では裂田溝(さくたのうなで)の横の轟の丘を形成しました。
奴国の丘では石棺の材料になったり、風化してサラサラの砂になっていましたね。
名島神社では帆柱石になっていました。

神功皇后の旅では上のように、火砕流のいろんな姿を見てきました。

宇土マリーナでは復元された石棺や船を見学して、景行天皇が眺めた御輿来海岸、清少納言が記述した「たはれ島」を眺めながら帰ります。


今日現在、座席が数名分残っているそうです。
一般からも参加できます。4000円です。食事は道の駅にて、各自自由に。

申し込みは「歴史と自然をまもる会」に電話でどうぞ。
                 092-408-7140






20180913





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by lunabura | 2018-09-13 21:43 | バスハイク | Comments(8)

宇土半島へのバスハイクの準備中




宇土半島へのバスハイクの準備中




この数日、バスハイクをいくつも平行して計画していますが、
来週は熊本の宇土半島行きです。


ブログで過去記事で紹介していますが、ピンク石の石棺を生み出した現地に行きます。

これらの石棺が関西からいくつも出ているので、まずは基本を学びたいと思います。






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画像はお借りしました。
また、向野田古墳という、女王が眠る石棺もピンク石の舟形石棺。
未盗掘だったので、期待が大きいです。




幸いに、宇土市の文化財課の説明を受けることも出来るということで、有意義な時間が過ごせそうです。





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画像はお借りしました。
宇土半島の北にある御輿来海岸は景行天皇も驚いたという稀有な眺め。

こちらには景行天皇の足跡がいくつも見られます。
その一つですね。







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清少納言ゆかりの「たはれ島」もまた会えます。
この画像は曇りだったんですね。今度はどんな海の色でしょうか。

玄界灘とは違う内海の色が楽しみです










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by lunabura | 2018-09-11 20:40 | バスハイク | Comments(0)

南阿蘇 水源めぐり9 高森湧水トンネル公園 



南阿蘇 水源めぐり9 

高森湧水トンネル公園 




南阿蘇も東の果て、高森に湧水トンネル公園がありました。






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35度越えの酷暑でも、中は20度以下で、涼しいのです。









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トンネルの中には七夕飾りが延々と続き、美しいこと。
近郊の人たちの作品です。










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こんな水のカーテンを通り、








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ウォーターパールに首を傾げ…。
いや、この水玉が上に上っていくように見えるんです。








素敵なシンセサイザーのミサ曲のようなのがずっと響いて感動がマックスになった頃に終点に。




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その岩肌の神秘的な姿にウルウルっときました。

この岩盤から大量の水が出ているのです。

ここにも水神が祀ってあり、だれもが手を合わせていました。




これは昭和48年の鉄道トンネル工事で毎分36トンの大量出水にぶつかった時、町の湧水8か所が枯れて水道も遮断してしまう事態が起き、中止となったトンネルだそうです。
その一部が公開されていました。

白川水系の源流だそうで、前回の白川水源にも繋がっているのでしょうね。



冬はクリスマスツリーがずらりと並ぶそうです。

とても感動したまま、帰路につきました^^




高良山と明星山に虹がかかって、ずっと大宰府まで一緒でした。


阿蘇郡高森町高森1034-2
0967-62-3331


20180907


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by lunabura | 2018-09-07 20:36 | バスハイク | Comments(0)

綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25

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