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ひもろぎ逍遥

カテゴリ:バスハイク( 125 )

4月16日のバスハイクも延期します



4月のバスハイクは「ディープな宗像の聖地巡り」でしたが、これもまた延期します。

これで2月3月4月と延期になりますが、再び笑顔で会える日まで待ちましょうね。



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by lunabura | 2020-03-26 14:25 | バスハイク | Comments(0)

バスハイク 3月27日は延期です




今月、3月27日のバスハイクは延期になりました。

まだまだ新型コロナの影響が続きますね。







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これは帰り道の景色ですよ。



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by lunabura | 2020-03-11 18:25 | バスハイク | Comments(0)

黒曜石から作る高麗青瓷の色



昨日の西日本新聞に掲載された梶原靖元氏の「古唐津点描」で、黒曜石を砕いて釉薬にする話が載っていました。

黒曜石は天然ガラスで、これを砕いて水に沈めて泥状にし、木灰と混ぜ合わると高麗青磁の緑色になるそうです。(青磁の字は新聞では青瓷と書かれていました。一般には青磁と書くのでこれでいきます)

黒曜石から釉薬(ゆうやく)が出来ると聞いてビックリです。
その色は灰色がかった青緑色という感じかな。

黒曜石といえば伊万里市の腰岳の黒曜石が有名ですね。
旧石器時代から縄文時代にかけて様々な道具になり、朝鮮半島にも輸出されました。

この腰岳の中腹に鍋島藩の秘窯の里大河内があるのです。
三月のバスハイクで訪問する所です。

この秘窯の里にも何軒か青磁の窯元がありました。

「鍋島青磁」と言いますが、高麗青磁と比べると水色ぽくて柔らかな印象で、もう一度見たいなと思う色です。




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青磁原石が展示してあります。大河内の場合は青磁原石を砕いて釉薬にするそうです。









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青磁の色も手前から奥までいろいろですね。
手前の皿が高麗青磁っぽい色かな。












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こちらの窯元は路地に入った所にあります。
石垣と花がとても綺麗で、思わず撮りましたが、そこの器もこのような印象でしたよ。







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今度はバスハイクでも時間をたっぷりとっているので、ゆっくりと時間をかけて見たいなと思っています。


3月のバスハイクは27日金曜日の予定です。

福岡市のコロナ肺炎患者は2名でしたが、その内一人は退院したということです。
これを受けて福岡市がどういう判断をするのか注目される所ですが、全国的には厳しい状況ですね。


バスハイクを催行するかどうか、決定したらこちらでも案内します。
駄目になったら6月に延期になるかと思います。

<20200307>


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by lunabura | 2020-03-07 20:03 | バスハイク | Comments(0)

風土記 杵島の郡 景行天皇が命名 歌垣があった 



「肥前国風土記」に杵島郡についての記述があります。
バスハイクは延期になりましたが、それを読んでみましょう。


杵島郡
郷は四所(里は十三)駅は一所。

昔、纏向の日代の宮に天下を治められた天皇(景行天皇)が巡幸された時、この軍の盤田杵(いわたき)の村に停泊した。

その時、船カシ(船繋ぎの杭)の穴から冷水が自然に湧き出た。
また、船が泊まった処はひとりでに一つの島になった。

それを天皇が御覧になって群臣たちに「この郡はカシ島の郡と呼ぶがよい」と言われた。
いま訛って杵島(きしま)郡という。
郡役所の西に湯の泉が出ている。崖は険しくて行く人はまれである。

嬢子山(おみなやま) 郡役所の東北方にある。
同じ天皇が行幸された時、土蜘蛛の八十女(やそめ)がこの山の頂上にいて、常に天皇の命令に反抗して降伏しなかった。そこで兵を遣って襲撃して滅ぼした。それで嬢子(おみな)山という。
(平凡社『風土記』一部変更)


「キシマ」の語源として、船繋ぎの杭(くい)を当時は「船カシ」と呼んでいて、泉が湧き出し、島が出来たことから「カシ島」と景行天皇が名付け、なまって「キシマ」となったとしています。

前回の日本書紀では五十猛が蒔いた木種が成長して「木嶋」となったとありましたね。
ずいぶん話が違っています。

また、風土記には当時、東北の山に土蜘蛛の八十女がいたが、景行天皇に滅ぼされたとあります。
大町町辺りかな。

郡役所の場所は今も伝わっているのでしょうか。
それが分かれば、地図に落とせて理解しやすいんですが。
何となく、須古城辺りがもともと弥生の集落があったのかもしれないな、と一応想像しておきましょう。


さて、時代は鎌倉時代の書物、『万葉集註釈』(仙覚著。 20巻。文永6 (1269) 年完成)にも杵島の話が載っています。

杵島
(この歌は肥前国風土記に見えている)
杵島県。県の南方二里に一つの離れ山がある。
坤(ひつじさる・南西)から艮(うしとら・北東)にかけて三つの峯がつらなっている。
これを名付けて杵島という。坤にあるのを比古神(ひこがみ)といい、中にあるのを比売神といい、艮にあるのを御子神(みこがみ)という。(またの名は軍神(いくさがみ)。この神が動くときはただちに戦がおこる)

村々郷々の男も女も酒を携え、琴を抱いて、毎年春秋に手をとりあって登り見渡し、酒を飲んで歌舞し、曲が終わって帰る。歌詞は
 霰降る 杵島が岳を 険しみと 草取りかねて 妹が手を取る
 あられふる きしまがたけを さかしみと くさとりかねて いもがてをとる

これは杵島曲(きしまぶり)である。
(平凡社「風土記」)


ここには二つの話が書かれていました。

一つは杵島の三山を南から比古神、比売神、御子神と呼んだと言います。
夫婦と子供という捉え方ですね。祭神から考えると上手く想像できないので、現地で何か分かればいいなと思います。

もう一つはこの山で歌垣があったということです。
歌垣は春秋に行われるようですが、歌には「アラレ降る」とあるので、寒い日にあったんですね。

今は歌垣公園になっていて、花が綺麗みたいですが、水害の為に道路が壊れて復旧ができていないそうです。直っていれば、花の見頃に行くことになりそうで、楽しみなのですが。


さて、ついでに、和泉式部が杵島を詠んだ歌も読んでおきましょう。


ふるさとに 帰る衣の 色朽ちて 錦の浦や 杵島なるらむ
ふるさとに かえるころもの いろくちて にしきのうらや きしまなるらむ

古里に帰るために準備した衣の色も時が経ってあせてしまった
杵島は今頃 浦から錦のような紅葉が見られるのだろう

意味はこんな感じかな。
5月には行けるといいですね。


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風土記 杵島の郡 景行天皇が命名 歌垣があった _c0222861_15184581.gif


by lunabura | 2020-02-22 19:51 | バスハイク | Comments(0)

2月28日のバスハイクは中止になりました



2020年2月28日のバスハイクは新型コロナの患者が福岡市から出たので、
中止になりました。

福岡市が、主催するイベントを中止しましたが、これに準じるものです。

2月の分は5月になるかと思います。


申し込みした方には「歴史と自然をまもる会」から、本日より個別に連絡があります。

連絡が無かった方は確認の電話を入れてくださいね。


<20200221>


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by lunabura | 2020-02-21 10:15 | バスハイク | Comments(0)

バス資料を作っています



今日も佐賀県白石町の資料作りをしています。

昨日の五十猛の帰還の次に重要な歴史は百済王子阿佐が妻子を連れて亡命してきた話です。
この時代については既に訳して紹介しています。もう一度掲載しようとしたのですが、長すぎるかな、という印象なので、書くのをやめました。バスの中では全部読みたいと思っているのですがね。

阿佐王子については、百済の歴史書には名があるのでしょうか。

その父の聖明王については日本書紀に最期の言葉などを長々と書いていて、当然「作文」に認定されるのですが、それが葛子の時代の話となると、俄然、興味は深くなります。

白石町に亡命した阿佐王子は聖明王の死を知って神として祀ったわけです。
そして、阿佐王子が死んだあと合祀されています。

その時、白石町に亡命するのを許可したのが火の君です。
葛子って、磐井の君と火の君の姫との間に生まれているようなのです。

すると、磐井の死後、筑紫君に返り咲いた葛子が火の君も兼任したか、あるいは親族が火の君だということになり、いろいろとパズルが組み合わさってくるわけです。

また、聖明王にはもう一人の王子余昌がいて、鞍手町の鞍橋君と共に新羅と戦った話は何度も書きましたが、佐賀の方には余昌も逃げて来た話があって、驚いています。
現地でゆっくりと読んでいきましょう。

このバスハイクでは須古城後も遠望するのですが、それはこの城が龍造寺隆信の居城だったからです。
戦国時代には必ず名前が出てくる人ですが、この白石町が中心だったのですね。「首都」だったそうですよ。これは外せないですね。ただ、今回はどんな所にあるのかを確認するだけになります。

詳しく調べると、見所が沢山あって、ワクワクしています。
そして、例の如く、予定が全部廻れないかもしれませんね。
美味しいものは外せませんし!(^^)!


<20200216>




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by lunabura | 2020-02-16 21:18 | バスハイク | Comments(0)

五十猛命 三兄妹 日本書紀を訳してみた



いくつも平行して物事を進めているが、そろそろ2月28日(金)のバスハイク、杵島郡の資料作りをせねばならないので、今日は五十猛(いそたける)を日本書紀から訳すことにした。

五十猛命の妹に、大屋津媛命(おおやつひめのみこと)と枛津媛命(つまつひめのみこと)がいる。

この三神が佐賀県杵島郡(きしまぐん)の山に二社に分けて祀られているのである。
妻山神社と杵島神社の祭神として。

ウィキペディアは便利だが、執筆者の好みで書かれているので、何故、佐賀のキシマに祀られているのか、考察の資料にならない。
実際に日本書紀を読んでみると、やはりウィキでは、必要な所が省略されていた。


ということで、日本書紀を訳してみた。

五十猛(いそたける)については、日本書紀の巻一、「一書第四」と「一書第五」に記されている。
ちなみに、父は素戔嗚尊(すさのおのみこと)である。




一書(第四) 五十猛は種をまいた



素戔嗚尊が高天原から追放された時、その子、五十猛神を連れて新羅国に天下り、ソシモリの所にいた。「この地に我は居たいと思わない」と言って、埴土で船を造って東に渡り、出雲国のヒの川上にある鳥上峰(とりかみのたけ)に着いた。(略)

五十猛神は天下りする時に樹の種を沢山持って天下ったが、韓地(からくに)には植えずに、ことごとく日本に持ち帰った。筑紫から始めて、大八洲国(おおやしまのくに)に播(ま)いて増やし、青山でない所はなくなった。

ゆえに五十猛命を名付けて「有功の神」(いきをしのかみ)とした。紀伊国にいらっしゃる大神がこれである。



一書(第五) 素戔嗚の毛が樹になった

素戔嗚尊は「韓郷嶋(からくにのしま)には金銀がある。我が子が治める国に浮宝(うくたから・船)が無いのは良くない」と言って、髭を抜いてまき散らすと、杉になった。胸毛を抜いてまき散らすと檜(ひのき)になった。尻の毛を蒔くと槙(まき)になった。眉毛は樟(くすのき)になった。それぞれの用途を定めた。

「杉と樟は浮宝とすべし。檜は瑞宮(みつのみや)の建材とすべし。槙は人が亡くなった時に使う棺にすべし。八十木種(やそこだね)を皆良く播き生やせ」と言挙げをした。

この時、素戔嗚尊の子を五十猛命と名付けた。妹の大屋津媛命(おおやつひめのみこと)次の妹、枛津媛命(つまつひめのみこと)の三神は木種を播く神である。

紀伊国に行ったのち、素戔嗚尊は熊成峯(くまなりのたけ)に行き、ついに根国に入った。


以上、日本書紀を訳してみた。
第四と第五では日本書紀が編纂された時代に、かなり内容が変わってしまっているが、
木を植える神としては素戔嗚よりも、五十猛と大屋津媛、抓津媛の三兄妹が信仰されている。

五十猛の名は古事記では大屋毘古という名になっている。

第四書を見ると、木の種を植え始めたのは「筑紫」とある。「肥前」の名は無いが、杵島郡(きしま)の名も五十猛の植えた「木嶋」から来ているというので、筑紫から肥前へと伝播したとも考えられる。

が、実はここは聖明王王子阿佐が逃げて来た所でもあり、朝鮮半島からダイレクトに繋がる海洋ルートがあることから、「筑紫」の前に「肥前」に上陸した可能性も捨てられない。

神功皇后が朝鮮半島から西海を経て筑後川に入って来たルートと重なってくる。



肥前には「基肄国」(きい)があり、紀伊国との関連性がずっと気になっている。
徐福も肥前にまずは上陸し、紀伊国にもその名を伝えている。
武内宿禰は父は肥前武雄、母は基肄。紀の武内宿禰の紀は何を隠しているのか。

いずれにしろ、徐福の時代から肥前から紀伊国への海洋ルートと文化の伝播ルートが存在し、のちに習合されていったと考えるようになった。

さて、当初の課題に戻ろう。

日本書紀を読んだ結果、杵島郡の二つの神社に植樹三神が分けて祀られている。
が、その理由は今のところ分からない。
現地に行けば、何か分かることがあるかもしれない。

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by lunabura | 2020-02-15 20:22 | バスハイク | Comments(2)

鍋島伊万里の里を歩いた




佐賀県伊万里市の大川内町にある秘窯の里。
昨年の秋、歩いてみました。






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橋が焼き物の破片で飾られているのですが、白と青にちりばめられた赤がすごく効いています。







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この欄干の上に昨日案内した伊万里焼が飾られています。


この日は、無料ガイドの方に案内を頼みました。







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すると、この橋の脇が良く見える所に連れて行ってもらいました。
これが橋なんです。
凄くないですか。

これを渡って里に入っていきますが、

青磁のお店の前を通って川を渡ります。






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青磁はとても好きな色。
こんな岩から造るんですね。









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この里からも青磁の石が採れたそうです。それを水車小屋で砕きます。











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川を渡るとこの風鈴がメロディーを奏でてくれます。










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それから再び橋を渡って窯元群へ。
この壁が素敵でしょ。

先の方に見えている立札が関所があった所で、関連者以外は全く通れなかったそうです。


伊万里焼は伊万里港から運ばれた有田焼などを総じて言いますが、鍋島藩はここでこっそりと採算を考えない高品位の焼物を作って将軍家などに献上していたんですね。
これを「鍋島伊万里」と言うそうです。









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坂の町は風情があって、苔フェチなので、こんな石壁を見るとテンションがあがります。


窯元は30軒もあって、それぞれ個性的な色柄なので、古典から現代アートまでがずらりと並んでいる感じです。

美術館に行ったように芸術に触れることができ、しかもそれが生き生きとしているんですね。


素敵な花柄の窯元があったのですが、予算に丸が二つ多かった\(◎o◎)/!

庶民的な値段の店とか、ガイドさんが教えてくれます。



安倍総理夫人や、元駐日大使キャロライン・ケネディ氏もお買い物に来たとか。

佐賀の人はよく行くそうですが、福岡の人で知ってる人は少ないんじゃないかなあ。

有田とは違う雰囲気で、路地回りとか、もっと探検したい里です。
これぞ日本遺産です。

桜の古木があったので、三月下旬にバスハイクで行くことにしましたが、桜は早かったり遅かったりで、ちょっと心配でもあります。



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by lunabura | 2020-02-03 19:57 | バスハイク | Comments(0)

3月4月のバスハイクは秘窯の里とか瀬織津姫とか


3月4月のバスハイクは秘窯の里とか瀬織津姫とか

2月に続いて、3月と4月のバスハイクの案内をします^^



第16回 バスハイク 伊万里市  鍋島伊万里秘窯の里
2020年3月27日(金) 案内 綾杉るな





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伊万里市を通ると歩道に伊万里焼が飾られていて、ずっと気になっていたのですが、奥の方に行って見ると、秘窯の里がありました。

山の麓に江戸時代の町割りそのままの美しい里です。
昔の坂道の左右に窯元がずらりと並んでいます。
路地に入るとまたそこには、こじゃれた窯元が。

里全体がとても素晴らしい所で、日本遺産にもなっていました。
今回は桜を狙って3月の末に行きます。

一時間は歴史散策コースをみんなで歩き、あとは買物、カフェ組と歴史散策組に分かれます。



以下は案内文です。

鍋島藩は採算を考えない高品位の焼物を将軍家などへ献上していましたが、その技法が洩れないように大川内山に「秘窯の里」を造りました。江戸時代そのままの街並みに、今は30軒の窯元が軒を並べ、さながら生きた美術館のような美しい山里になっています。

伊万里神社は田道間守命が非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)を持って上陸した所です。
冨田神社は宝くじで有名ですが、一揆の冨田才治が祭神です。


天神=伊万里神社=鍋島伊万里秘窯の里(日本遺産)=冨田神社=天神







第17回 バスハイク 福津・宗像 ディープな宗像の聖地巡り
2020年4月16日(木) 案内 綾杉るな


4月は瀬織津姫を祀る二社をメインにディープな宗像を案内します。福岡で瀬織津姫を祀るのは少ないですね。これ以外には八女の釜屋神社に行きました。

バスハイクの後半では、「脇巫女」や「ひめちゃご」「ことのかたり」に登場する舞台を回ります。
グローバルアリーナはイングリッシュガーデンが一番きれいな季節です。



以下は案内文です。

波折神社と皐月宮には瀬織津姫が祀られています。須多田と奴山の前方後円墳の上には神社があります。

八所宮は神話の冒頭の四夫婦神を祀り、妙見宮には美しい池と滝があります。

猿田峠にある豊日社には猿田彦が祀られています。

グローバルアリーナはラグビーの聖地で、英国風庭園と建造物が魅力です。今回はあまり知られていない聖地を巡りましょう。



天神=(福津)福津歴史資料館¬=波折神社=藍の家 津屋崎千軒散策=須多田天降天神社古墳=奴山22号古墳 縫殿宮=(宗像)皐月宮=八所宮=妙見宮=豊日社=グローバルアリーナ=天神




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(妙見宮)


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申し込みは歴史と自然をまもる会まで
当日払い4000円
by lunabura | 2020-02-02 18:15 | バスハイク | Comments(0)

2月のバスハイクは佐賀県白石町 五十猛とか和泉式部とか



最近は佐賀県の事を、不思議の国・肥前国と思うようになってきました。

大きな古墳、綺麗な古墳があり、弥生時代の遺跡だらけ。
神社も沢山の歴史を伝えています。

今回は昨年夏の豪雨で被災した白石町です。

ここは五十猛の上陸地で、妹も祀られている。
他に、百済王子とか、空海とか。
また、和泉式部の出生地でもあるのです。

有明海から入ってくる船が泊まる国際港があるので、そうなるんですね。
あまり歴史が改竄(かいざん)されていない雰囲気も魅力です。

メインは歌垣公園だったのですが、町に尋ねると、まだ道路が修復されていないので行けず、除外をせざるを得ませんでした。
でも、気分はもう白石町♪だったので、それを除いてルートを決めました。



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この画像はお借りしています。厳島神社の縫ノ池です。湧水です。
自分で撮れると思うとワクワクしますね。



次は案内文の再掲です。


第15回 バスハイク 佐賀県白石町、嬉野市

五十猛、百済王子、和泉式部伝承地

2020年2月28日(金) 案内 綾杉るな



佐賀県の杵島山に鎮座する稲佐神社は五十猛を祀り、妻山神社ではその妹を祀っています。

二神の上陸地は八艘帆崎と言い、そこには百済王子阿佐が亡命し、空海が上陸した話も伝えられています。

須古城は龍造寺隆信の居城です。

福泉禅寺には和泉式部が赤子の時に捨てられていた話があり、長者に引き取られて育った所が塩田町で、和泉式部公園があります。

海童神社の裏手には龍王崎古今の森公園古墳群があります。今回は杵島郡と嬉野市を訪ねましょう。




天神=(白石町)妻山神社=須古城跡=厳島神社=稲佐神社・泰平寺=福泉禅寺=龍王崎古今の森公園古墳群・海童神社=(嬉野市)和泉式部公園=天神



道の駅も海が近いので貝の佃煮とか、海産物の加工品が楽しみです。
申し込みは「歴史と自然をまもる会」まで直接どうぞ。

メールをした方も、電話で確認する方が良いようです。
092-408-7140 火曜日~金曜日


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by lunabura | 2020-02-01 20:13 | バスハイク | Comments(2)

綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25