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ひもろぎ逍遥

カテゴリ:バスハイク( 106 )

バスハイク10月~12月 スケジュールと行程



気が付くと、来週はバスハイクですね。
10月から12月までの3つのバスハイクのスケジュールを案内します。

「神社と古墳」が相変わらずの必須アイテムですが、
地域によって、テーマが変わるのが面白いですね。

古代史はフィールドワークこそ命ですね!


第11回 バスハイク 神崎・佐賀 日本武尊と徐福伝説の地
2019年10月25日(金)
 

肥前風土記に日本武尊の話が記されていますが、白角折(おしとり)神社、與止日女神社、健福寺にも伝承が伝わっています。

特に健福寺は川上梟帥(たける)との戦いの場といい、行基の開山になります。行基は実相院も創建しました。

金立神社は徐福ゆかりの神社で、その縁起絵巻が県立博物館に収蔵されています。これらと近隣の神社、遺跡を訪れましょう。

天神―(神崎市)白角折神社―仁比山神社―(佐賀市)久保泉丸山遺跡―金立神社下宮―與止日女神社―実相院―健福寺―佐賀県立博物館―天神 





第12回 バスハイク 太宰府・基山 大伴旅人ゆかりの地
2019年11月29日(金)
 

大伴旅人は大宰帥となって筑紫に赴任しました。大宰府政庁跡の横に大宰府展示館があり、令和の典拠となった「梅花の宴」のジオラマが展示されています。その近くの坂本八幡宮は旅人邸の候補地の一つです。

観世音寺は旅人との交友が深い満誓沙弥が完成を担った寺で、戒壇院は鑑真が授戒を行った所です。旅人は二日市温泉で亡き妻をしのび、基肄城に弔問の勅使を連れて登りました。

帰京する時には水城で児島と歌を交わしています。榎社は菅原道真の配所、客館は外国使節の宿泊所です。今回は大伴旅人の歌を読みながらまわりましょう。

天神=大宰府展示館=大宰府政庁跡=坂本八幡宮=観世音寺=戒壇院=二日市温泉=基肄城=大宰府客館跡=榎社=水城・水城館=天神




第13回 バスハイク 鳥栖~小城 肥前風土記と古代遺跡群
2019年12月20日(金)


 鳥栖市の安永田遺跡では九州で初めて銅鐸の鋳型が発見されました。ヒャーガンサン古墳は移転された装飾古墳です。朝日山宮地嶽神社に伝わる戦いの主は筑紫君葛子ではないかと言われています。

千栗八幡宮には大善寺玉垂宮と同じ形式の絵巻が伝わり、鰐神社の神は当地に上陸したという王仁博士ではないかと言われています。その近くに伊勢塚古墳があります。

 小城市は城下町の風情が良く残り、風土記には日本武尊の戦いが記されています。その現場が須賀神社ではないかと思われます。天山神社には藤原四兄弟の房前の伝承があります。

土生遺跡公園は弥生時代の遺跡で、小城公園は鍋島家の初代藩主等が造営した名庭園です。今回は世に出ていない歴史の数々を尋ねていきましょう。

天神=(鳥栖市)安永田遺跡=ヒャーガンサン古墳=朝日山宮地嶽神社=(みやき町)千栗八幡宮=(神埼町)伊勢塚古墳=鰐神社=(小城市)天山神社=土生遺跡公園=小城公園=須賀神社=天神



いずれも出発時間は8:30。
天神の日銀の横にバスが止まります。
食事は道の駅や集合施設です。

申し込みは「歴史と自然をまもる会」
092-408-7140
電話が確実です。(火曜日~金曜日)10時~16時
火曜日で講座があっている日は繋がりません。

参加費4000円。当日集金です。

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by lunabura | 2019-10-14 16:24 | バスハイク | Comments(0)

バスハイク 飯塚・嘉麻 面白かった!(^^)!



バスハイク 飯塚・嘉麻 面白かった!(^^)!

昨日、9月27日のバスハイクは、午後から雨の予報でしたが、予報が外れて無事に催行できました。

今回も楽しくて。
(ま、自分が好きな所ばかりセレクトしているので、当然ちゃ当然ですが(笑))

二度目の探訪は、方角や位置などの謎が解け、現地でもう一度それが確認できる面白さがありました。
今日は備忘です。






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ここは内野宿。
前回は大雨の中で堪能できかなったので、今回初めて歩いてみると、江戸時代の雰囲気がかなり残っていて、素敵でした。

50分の散策予定を組んだのですが、まだまだ足らず。
ガイドの方の話では1時間半は掛かるとのことでした。
カメラ小僧には堪らないスポットがかなりありましたよ。

ガイドの方が当ブログを読んでくださっていて、私たちが来るのを待ってくれていました。
ありがとうございます。
お食事も予約すれば食べられます。
既に食べた方があって、「美味しかったよ」と言ってありましたよ。

今から、里の秋~冬~春、と素敵な季節を迎える宿場町。
邪馬台国論争に出てくる短里760mを実感できます。
ここは、もう一度じっくりと廻りたいな…。








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王塚古墳の左壁です。
楯が並んでました!
右の壁には靫(ゆぎ)が並んでましたよ。

熊本の装飾古墳を観たばかりなので、その共通点と差が感覚的につかめました。
共通点は石屋形。また、靫や双脚輪状文など、シンボルが共通。
絵の緻密さは王塚古墳が群を抜いてました。

熊本も王塚も、もう一度見たいです。
実は写真がブレブレが沢山。(ドキドキしすぎ)
プロが克明に撮ったカタログがあればいいのになあ。

ここは撮影OKになってましたよ。











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嘉麻市に移動して。
稲築八幡宮は神功皇后が大分(だいぶ)からここに来た伝承があります。







そこからすぐ近くに沖出古墳があります。





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68mなので、画像に収まりやすいサイズです。
これが岩戸山古墳だと、大きすぎて森しか写らない( 一一)









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鮭神社はウガヤと彦ホホデミと豊玉姫を祀っています。
安曇族が来た証しですね。祭神の組み合わせは糸島の綿積神社と同じ。
鮭は豊玉姫の使いです。
これが佐賀ではナマズに変わります。











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馬見神社。
沢山の石段を登っていきますが、相変わらず、その雰囲気が素敵です。
コノハナサクヤ姫とニニギ尊ならこちら。

ようやく正面の写真が撮れました。前はトラックが止まってた。
リンゴやナシが近くで買えます!










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益富城址。
秀吉の秋月城攻めの時の一夜城がここです。
展望所まで車で行けるのかと思ったら、ずっと歩いて登っていくようになっていました。
これぞ山城。攻めるのが難しそう。平地に在る神籠石とは全く別物でした。
神籠石の山城説はそろそろ止めにしてほしい。


昨夜は写真の整理をしていたら、飼ってない猫がやってきて、撫でていたらそのまま寝てしまいました(;’∀’) 私の方が…。


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by lunabura | 2019-09-28 21:12 | バスハイク | Comments(0)

バスハイク 9月~12月



まだ、9月10月のバスハイク前ですが、11月と12月のバスハイクを仕込んでいます。

決定しているのは
9月の飯塚・嘉麻市(これは6月に雨天延期となった分です)
10月の神崎・佐賀市の日本武尊と徐福の地
です。

11月は大伴旅人ゆかりの地を廻ります。大宰府や基肄城、水城などなど。
12月は再び佐賀へ。
(11月と12月の予定日を決め忘れているので連絡しなきゃ)

佐賀の武雄や大町町には神功皇后や武内宿禰ゆかりの地として訪問したので、ずっと心に留めています。佐賀にはまだまだ訪問する所があるので、予定を変えずに回りたいと思います。




9月と10月のコースを紹介しますね。


第8回 バスハイク 飯塚・嘉麻
母里太兵衛の内野宿と沖出古墳
2019年9月27日(金)
 案内 綾杉るな

長崎街道の内野宿は黒田家臣・母里太兵衛が建設に当たった宿場で、邪馬台国論争に出てくる短里が使われていました。そこから北上すると王塚装飾古墳に出ます。

嘉麻市の稲築八幡宮は神功皇后を迎えた所で、すぐ南に沖出古墳があります。鮭神社はサケが遡上していた所で、馬見神社の馬見は神武天皇ゆかりの地名です。

益富城は秀吉の秋月攻めの時の一夜城で知られ、秋月種実、後藤又兵衛、母里太兵衛などが城主となりました。今回は筑豊の史跡を巡りましょう。

天神8:30―(飯塚市)内野宿―(桂川町)王塚古墳―(嘉麻市)稲築八幡宮―沖出古墳―鮭神社―馬見神社―益富城址―天神





第11回 バスハイク 神崎・佐賀
日本武尊と徐福伝説の地
2019年10月25日(金)
 案内 綾杉るな

肥前風土記に日本武尊の話が記されていますが、白角折(おしとり)神社、與止日女神社、健福寺にも伝承が伝わっています。

特に健福寺は川上梟帥(たける)との戦いの場といい、行基の開山になります。行基は実相院も創建しました。金立神社は徐福ゆかりの神社で、その縁起絵巻が県立博物館に収蔵されています。

これらと近隣の神社、遺跡を訪れましょう。

天神8:30―(神崎市)白角折神社―仁比山神社―(佐賀市)久保泉丸山遺跡―金立神社下宮―與止日女神社―実相院―健福寺―佐賀県立博物館―天神 



申し込みは「歴史と自然をまもる会」へ直接電話してください。

092-408-7140 
火曜日~金曜日 10時~4時



満席でキャンセル待ちになっても、意外と繰り上がり当選(?)があります。
当日、座席が余っている時が時々ありますので^^

道の駅で新鮮なお野菜や地元の特産を買うのも楽しみなんです♪

11月と12月の分は只今計画中^^

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by lunabura | 2019-09-03 21:06 | バスハイク | Comments(0)

第10回バスハイクは菊池川の装飾古墳!など




昨日の熊本の菊池川沿いのバスハイクは、朝は曇天で気温もさほど上がらず、みんな元気に過ごしました。



最初に行ったのは江田船山古墳とその古墳公園。

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あの、七十五文字の銀象嵌の大刀が出た所です。石棺が阿蘇の地震で壊れて、一時期見学が出来なくなっていたので、今回はどうかな、と恐る恐るドアノブを回すと、開いた!

皆さんにも見ていただけました。
相変わらず、羨道がなく、いきなり石室、という謎の古墳です。

図を手に清原古墳群全体を見て回りました。歴史資料館は肥後民家村の中にありましたよ。
時間ぎりぎりで発見。出土品のレプリカがありました。鏡が沢山。





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それから同じ清原台地にあるトンカラリンに。
いよいよ、懐中電灯を持って入るのですが、虫やヘビがいないか、先発隊三名で通ってみました。
何もいなくて大丈夫!

でも、中が狭い上に水たまりがあって、渋滞するところがあるので、数名ずつ入ってもらいました。
地隙の数メートル上に石の蓋がしてある何てことないトンネルなんですが、ここは体験しないと帰れませんね(^_-)-☆
案内役としては、無事に通れて一安心です。




午後からは熊本県立装飾古墳館へ。




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以前、行ったはずなのに、全然風景が違う\(◎o◎)/!

古墳館の地下に装飾古墳のレプリカが沢山、沢山あったのです!!!
何で、最初訪問した時に案内されなかったのか(-_-;)

ここ、マジ、ヤバい。好き過ぎる!!! 





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石棺のある古墳よりも、ドームの中に石屋形があって、土壙墓のように大地の上に直接おかれるタイプがマジ好きだと分かりました。

平原遺跡は土を掘った四角い穴に埋葬されていますが、それが石になったタイプ。
周囲に赤や緑の色の石壁に囲まれて。
ははは。
古墳と言ってもお墓の話ですな。( 一一)



いずれも菊池川沿いにある古墳群ですが、先月行った神竜八大龍王も水源の一つとし、多くの流れを集めていたのが、菊池川でした。

それから、あの不動岩を目印にして一つ目神社とその水源に行きました。
水源はやはり八大龍王。水がコンコンと湧き出して、手ですくって飲みました。
まろやかな水です。





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その水を利用して「鉄穴流し」(かんなながし)があっていた現場です。


それから、最後に金栗四三の生家へ。
8月22日は生誕日で、入場無料でした。
建坪100坪という大きな家でしたが、山の中。
今は道路が通っていますが、かつては寂しい所だったことでしょう。
ここから福岡との県境まで毎日走って通っていたなんて。
現地に行って理解できるものが沢山あります。


装飾古墳は一つひとつ学びたいけど、今日は備忘のみ。

この菊池川流域の装飾古墳と遠賀川流域の装飾古墳が、全く別の物ではないことは肌で分かりました。
共通のシンボルがあるんですね。
石室の形とかも。
じっくりと時間をかけて復習したいな。
来月は、その遠賀川流域の最たる古墳、王塚装飾古墳に行くので楽しみです。

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by lunabura | 2019-08-23 21:16 | バスハイク | Comments(2)

連絡 バスハイク参加の方へ


明日は熊本へのバスハイクです。
天気も上々のようですね。

参加される方へ。

トンカラリンも足場が良かったら中に入ろうと思います。
よって、懐中電灯と、出来たら軍手を持参してください。

虫がいたら、中止かも。( 一一)

汚れてもいい恰好で、とか、どんなバスハイクなんだか(;^ω^)

タフなバスハイクです。


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by lunabura | 2019-08-21 16:47 | バスハイク | Comments(0)

熊本美里山都7 二俣橋 光でハートが 出る恋人の聖地はココ



幣立神宮を後にしてバスに乗り込むと、珍しく私は鼻歌が出て、気分がとても軽くなっていました。

これから高速道路に向かうという時、運転手さんが「二俣橋に行きますか?」
と言ってくれて、「ええ?行けるんですかあ?」と大喜び。

この「二俣あ橋」は光でハート型が出てくるという素敵な石橋だったんです。
10月から2月にかけて、11:30から12:00ごろまでに出現するということで、もちろん今回は見ることは出来ないのですが、場所を知っていたら楽しい。

ということで、帰りしな、ほんの少しの寄り道で美里町の石橋をもう一つ見ることができました。


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「二俣橋」というように、文字通り二つの石橋があるんですが、左手の橋はたもとに降りてアーチをしっかりと見ることが出来ます。






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で、私はこの手すりの手作り感が何とも気に入ってしまいました。

中世ヨーロッパのおとぎ話に出てきそうな石組です。




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そして、こちらは右手の橋の上から同じ橋を反対側から撮ったもの。

このアングルでハート型の光が差すのです。






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水がとてもきれいで、魚釣りをしている清流なんて久し振りの光景。

美里町の石橋は、幣立や高千穂の行き帰りに水に親しめる、素敵な寄り道でした。

熊本はダイナミックな自然と、共存する人智に感動できる素敵な所でした。


この夏はまだまだ熊本に出掛けます♪


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by lunabura | 2019-08-12 21:35 | バスハイク | Comments(0)

熊本美里山都6 幣立神社2  人類が助け合う和合の世界を祈る宮





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国道218号線を東に向かうと、左手に幣立神社の大きな看板が目に入る。
手前に駐車場があり、鳥居の前に立つと石段がいくつも続く。
傾斜のある岬状の突端に神社が建てられていた。






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祭神は 神漏岐命、神漏美命、天御中主神、天照大神、阿蘇十二神

とあるが、境内掲示板や配布資料によると、「大宇宙大和神」(おおとのち大神)が加わっている。
「生命の源を司り、人類の文化創造の原点となる尊い神々である」と説明されている。

由緒は
「太古一万五千年前、地球上で人類が生物の王座に就いたとき、この人類が仲良くならないと、宇宙自体にヒビが入ることになる。

これを天の神様がご心配になって、「火の玉」に移ってご降臨になったのが、カムロギ・カムロミの命という神様で、この二柱を祀ったのが「日の宮」である。

ですから、日の宮は地球の平和を根本の使命として、鎮座せられているのである。
その日の宮の初代の人格神が、大宇宙大和神(おおとのち大神)で、一万二千年前の大和民族の大祖先である。」
と記されている。

縄文以来の祭祀場ということになる。考古学的には更に古い旧石器時代の石刃核が近くから出土している。縄文、弥生、古墳時代と、15000年以上前から人々がここに住んでいた事が明かされている。



「幣立」(へいたて)という社号は健磐龍命に因(ちな)むもので、
「社伝によれば、神武天皇の孫である健磐龍命が、阿蘇に下向した際この地で休憩し、眺めがとても良い場所であると、幣帛を立て天神地祇を祀ったという。」
と別記事に記されている。


「ふるさと寺子屋」に春木宮司の言葉として、

「阿蘇開拓の主、健磐竜命は神武天皇の孫に当ります。日向国から五ヶ瀬川に沿って三田井(高千穂)、馬見原を通って草部に入られました。

このとき一羽の白鳥が幣立神宮へ案内しました。命は御幣(ごへい)を立てて奉祀されたので「幣立神宮」の名が起こったといわれています。でも、それは偶然の結果といったものではありません。命はこの地が高天原・日の宮であることを知っており、阿蘇開拓に情熱を注がれたのもこの"神代の神都"の備えを固めるためです。

ここに伝承の背後に秘められた歴史の真実があると思うのです。」
とあり、健磐龍命は宮崎日向からここに至る道筋を伝えている。









境内からは展望は効かないが、裏手の八大龍王を祀る社からさらに奥の山に入ると、展望が開ける所があるので、健磐龍命はそこから眺めたのかもしれない。



「五色神面」は古代の人々が「地球人類の生命を豊かに育み、大自然の生命と調和する聖地としてこの地を選び、世界平和の祈りの基とした」ことの物証であるという。

この「五色神面」は四年に一度の祭の時に開帳されるが、幸運にも私も拝見した。
木彫りの面で、五枚とも作風が違う古面だった。長い時代の中で奉納されたものだろう。

この熊本から宮崎に掛けては古面の文化圏で、収集された展示館が宮崎に引っ越した話を読んだことがあるが、今はどうなっているだろう。


春木宮司曰く
「今の蘇陽町、清和村、五ヶ瀬町、高森町一帯はかつて知呆(ちほ)郷と呼ばれていました。

この地名の由来を日向風土紀では「皇孫の尊、千穂の稲を搓(ても)みて籾と為して、投げ散らしたまひければ、即ち、天(そら)開(あか)晴(り)り、日月照り光(かがや)きき。

因りて高千穂の二上(ふたがみ)の峰と曰ひき。後の人、改めて知鋪(知呆)と號(なづ)く」と記しています。高千穂とは知呆にほかならず、その知呆郷の中心に位置しているのが幣立神宮というわけです。」
と「ふるさと寺子屋」にあり、風土記からはここが高千穂圏内にある中心的な宮だという事が分かる。

高千穂に天の岩戸があるが、天照大神が岩戸籠りの神業を終えてここに帰還したという祭は旧暦十一月八日に行われている。


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裏手の八大龍王社の水は今も湧き出している。
ここは九州の屋根(へそ)で、分水嶺となるのだろう。古代の人はそれを見極めて祀ったのかもしれない。

境内には「当神宮は民族の起こりであったが、応神帝の時、勃発した内乱の為に、自ら隠れ宮となった尊い歴史がある。ところが、人類の危機が迫ったので、再び世界の世直しの神として、出現し給う」
という看板があり、驚いた。

歴史に記されていない「応神帝の時代の内乱」。
神功皇后の亡きあとのことになる。その内乱で隠れ宮となり、今、再び世に出たという。


「五色神祭は世界の神々が集まって人類の幸福、世界の平和を祈る儀式です。

祭典は時代を超えて人々の霊的精神のなかに生き続ける根源的なものを呼び覚まし、その波動は参列者の魂を深くゆさぶらずにはおきません。

五大人種が互いに認め合い助け合う和合の世界の実現は全地球的願望です。」
と、春木宮司の言がある。

この波動に共鳴して多くの若い人たちが集う。


社伝の方には
「その後、延喜年間(901年 - 923年)、阿蘇大宮司友成が神殿を造営し伊勢両宮を祀り幣立社と号した。天養元年(1144年)には、阿蘇大宮司友孝が阿蘇十二神を合祀し大野郷の総鎮守とした。」
とあり、裏伊勢と呼ばれる所以もここにあろうか。



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by lunabura | 2019-08-11 16:34 | バスハイク | Comments(0)

熊本美里山都5 幣立神社1 思い出が多すぎる



国道218号線をさらに東に向かった。
何度も何度も参拝し、そのたびに出会いがあった不思議な宮。
世界から人が集まる神社。
それは、まさに九州のへそ地点から車で五分の所にあった。

五色人面祭の日、全国から人が集まっていた。

中には既に神懸かり状態になっていた東京の男性もいた。
東京の友人がその人がチャネリングをすることを教えてくれた。
私はその人の前に立って、「何かお言葉を」、そんなことを言ったと思う。
「あなたはそのままで良い。そのままで良い」
と言われた。

確かに、自分の心のまま、スコットランドに行ったり、天神からそのまま着替えも持たずに天河に行ったり、東京であった天河弁財天のシンポジウムに出掛けたり、鞍馬のウエサク祭に行く友達に会うために京都に行ったり。
我が思うままに出かけて行ったっけ。

この日はジュディス・カーペンターは拝殿の前で上気した顔で立っていて、声を掛けても言葉が出ない状態だった。

クレイグ・カーペンターはこの日も緑のイヤリングをしていた。初めて会った日、私も緑のイヤリングをしていたので、祭の日にも同じイヤリングをしていった。多分、私の顔は覚えていなくても、イヤリングは覚えているだろうと思って。

声を掛けると、やはり彼は私の顔を覚えていなかった。そこで、イヤリングを示すと、「ああ、あの時!」と思い出してくれた。

クレイグ・カーペンターはホピ族の人で、ビッグフットの型を持ち歩き、確か太陽族と熊族を日本で探していた。そこで、ここを紹介されて、奇しくも五色人面祭に赤人の代表として参加することになった。

「その二族に会えたか」と尋ねると、クレイグは「その場では分からず、家に帰ってから分かるものだ」と言っていた。

ある年には女三人で正月に幣立に行って、大晦日に裏手にある平和道場に泊めてもらったことがある。あれは熊本の清栄山に登ってご来光を見るためだったっけ。麓で車の中で仮眠しようとして、あまりに寒くて、急遽平和道場にお願いしたのだった。

ところが夜なのでどこから脇道に入ったらいいのか分からなくなった。
誰一人歩いていない。
唯一車を見つけて道を尋ねた。
青年が乗っていて、平和道場の道を尋ねると、クスリと笑った。
その青年は平和道場の家の人だった(驚!)

私たちは大晦日の掃除などを手伝って、お礼をした。
途中で食料の買い出しをしたが、どこも早々と店が閉まり、わずかにカップラーメンが手に入っただけだった。
お湯を貰って、大晦日の食事にしたっけ。

どれもこれも、行き当たりばったりで、適当で、面白い日々だった。

それから二十数年?
私は歴史を学んでから再び参拝する。不思議な感じがした。






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by lunabura | 2019-08-05 00:07 | バスハイク | Comments(0)

熊本美里山都4 男成神社 健磐龍とは神八井耳命の子供だった




国道218号線に戻ってさらに東に向かうとすぐに左手に大きな鳥居が出て来た。
男成(おとこなり)神社だ。




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鋭角に脇道に入ると、高度が上がりながら果樹園らしき所を抜けていくと杉並木の参道に出た。








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周囲に人家が無いのに、良く祀られている。









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祭神は天照皇大神、神武天皇、神八井耳命。

配祀神として阿蘇十二神、須佐之男命、稲田姫神が祀られていた。


社伝によると、「神武天皇76年、神武天皇の孫である健磐竜命(阿蘇神社の主祭神)が行宮を建て皇祖を祀ったことがおこりである」という。

「舒明天皇12年(640年)、阿蘇大宮司が阿蘇十二神を勧請し社殿を建て、阿蘇神社の分社とした。建久3年(1192年)には、祇園宮を相殿に奉斎し、祇園宮と称した。男成という社名の由来は、阿蘇大宮司家代々の元服が行われたためである。明治8年(1875年)郷社に列した。」
とある。

神武天皇の子に神八井耳(かむやいみみ)命がいて、その子が健磐龍(たけいわたつ)命(阿蘇都彦)だという。

この健磐龍命は阿蘇神社でも一宮として祀られている。

驚いたことに健磐龍命の名は次の幣立神宮にも出てくる。
幣を立てたのが健磐龍命なのだ。


今通っている国道218号線は日向往還に沿って造られたらしく、健磐龍命は日向から幣立神宮、男成神社と、巡行したことになる。私たちのバスは逆コースを辿っている。







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健磐龍命はここでは祖先神を祀った。それが当社の三祭神だ。
そのためか、阿蘇大宮司家がここで代々元服を迎えるという。


数年前、この神八井耳命を探して草部吉見社に行ったが、その気配が無かったのも、ようやく理解できた。草部吉見社の方は兄の「日子八井耳命」(国龍神)を祀っていたのだ。


日子八井耳命
は古事記の方に載っている。

つまり、阿蘇に祀られる兄弟神(神八井耳と日子八井耳)は、古事記でしか理解できないことになる。

そして、健磐龍の別名は阿蘇津彦命という。

つまり景行天皇の時に出てくる阿蘇津彦とはこの神霊が現れたということになろうか。








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ここに来て、阿蘇の神々のことが、少し見えて来た。



男成神社 上益城郡山都町男成519


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by lunabura | 2019-08-03 20:10 | バスハイク | Comments(0)

熊本美里山都3 円形分水工 憧れの分水工に行けた!



「運転手さんが円形分水工に行きますかと言われていますが」
とスタッフの方が尋ねられた。
「え?円形分水工は近くですか?行けるんですか?お願いします!」

前々から写真で見て、行って見たかったが、場所を知らなかったので、バスハイクのコースに入れていなかった。まさか、ここでお目に掛かれるとは。

実際に通潤橋まで来てみると、円形分水工も射程距離に入っているのが分かったが、男成神社の近くにあるとは思っていなかった。
218号線を東に向かうと左手に標識があり、少々登りながら、すぐに着いた。





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水が中央から湧き出してどんどん溢れている。







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円の外にあるコンクリートの直線の仕切り壁によって水を分配する。
左奥の水は前回の通潤橋に流れていく水だ。
ここから道路を潜って水路を通り川に流れ込んでいく。
昭和31年に造られたものだ。

この水は右手に流れる笹原川の上手から水路を造ってここに水がぶつかるようになっている。

分水工が造られる前、測量機の無い時代に、標高や勾配を考えてここから水が引かれた。
水が流れたいように流してやる。
歩いて川を遡上し、この地点を見つけたのだろう。
その叡智に感動した。









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砂漠に用水路を、灌漑用水路を造ろう。
そんな夢を持ったことを思い出した。

<20190802>


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by lunabura | 2019-08-02 20:41 | バスハイク | Comments(0)

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