ひもろぎ逍遥

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カテゴリ:バスハイク( 36 )

バスハイク12回武雄行ってきました



バスハイク12回
武雄
行ってきました



今日は雨の予報でしたが、予定通り、バスハイクで佐賀に行ってきました。
高速では土砂降りのエリアもありましたが、
杵島郡の福母八幡神社に着いた頃には小雨になっていました。

境内の楠の木がとても神秘的でみんな歓声を挙げていました。

雨の日の神社参拝はあまりしないので、
しっとりとした美しい風情の魅力を改めて知った思いです。




武雄神社や磐井八幡宮など、武内宿禰、磐井一族、
大伴氏、物部氏、平群氏などの痕跡を辿りました。



雨の日の画像は暗いので、写真を撮らないつもりが
やはり撮ってしまいたい美しさ。

でも、やっぱり画像処理が必要なほど暗くて、投稿できません。
午後から少し明るい画像が撮れました。










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唐津 玉島神社 磐座


今日も、四国から飛行機で参加される方がありました。
三度目です。ありがとうございます^^




次回はいよいよ安曇の里。
遠方の方も一日で回れる魅力的なコースになりますよ♪

歴史と自然を守る会が広報されたあとに、お知らせします。




歴史カフェ小城
4月14日(土)第1回 3時~5時 会場:小城鍋島家Ten
1部:天山神社の始まり 2部:神功皇后の伝承 豊浦宮から
申し込みは直接、小城鍋島家Ten、あるいは当ブログコチラへ
詳細はコチラ

歴史と自然をまもる会
バスハイクの旧記事はコチラ
歴史と自然をまもる会はコチラ
5月  安曇の里





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by lunabura | 2018-04-06 20:25 | バスハイク | Trackback | Comments(2)

バスハイク 久留米~大川~柳川~みやま 今回は掲示板が気になった


バスハイク

久留米~大川~柳川~みやま 

今回は掲示板が気になった


一昨日、3月16日、「歴史と自然を守る会」のバスハイクの案内をしてきました。

久留米市の赤司八幡神社から市内の大善寺玉垂宮まで小一時間かかります。
赤司が水沼君の聖地なら大善寺と三潴町は政治の地。
大変広大な地域を水沼君が治めているのを実感できました。

代々の水沼君の墓所の一つ御塚古墳・権現塚古墳などは大変保存状態がよく、三重、あるいは一重の水濠が見事に残っています。福岡では水濠が残っているような古墳を初めてみました。ここは必見の古墳です。


弓頭神社は水沼と通婚した国乳別皇子(くにちわけ)を祀る神社で、その墓所が烏帽子塚古墳とされています。人家の庭先を通っていきます。最近発掘が始まるという話を聞きましたが、まだのようでした。


ただ、墳頂部に家庭菜園が広がり始め、じきに埋め尽くすような印象です。歴史を学び、遺跡の保存の必要性を知っていただく必要があるように思われました。
神社から祭礼の行列が行くという、全国的にも稀な古墳です。
道案内の看板などもあればよいかと思われます。



この烏帽子塚古墳から歩いて月読神社の境内にある高良玉垂廟に向かいました。
地図を見誤って少し迷いました。順調に向かっているのは分かるのですが、神社の周囲に新たに家が立ち並び、状況がすっかり変わっていました。

路地を教えていただき、1メートル幅の道を歩いて到着しました。


ここは高良玉垂命の墓所で、歴史的にも重要な所で、『高良玉垂宮神秘書』にその歴史が書かれています。こちらは幸いに神社の境内ということで、失われることは無いとは思いますが、神社に至る入り口などの案内板が欲しいところです。



大川の風浪宮では阿曇宮司がちょうどいらっしゃって、思いがけない話を聞きました。
沖ノ島祭祀は宗像族より前に安曇族が関わっていた史料が出て来た」そうです。
すでに昨年発表されたそうですが、お願いしたら、資料を送ってくださるとのこと。楽しみです。





柳川市の鷹尾神社では「みやま市郷土史部」が二人迎えに来てくださって、みやま市を案内していただきました。

一人は同じエキサイトブログの「千寿の楽しい歴史」さんです(^^)/
バスに乗って道案内をしていただきました。

みやま市は農業が盛んで、重要な神社や古墳などは農道やクリーク沿いにあったりします。何度行っても道が分からなくなり、前回も星読さんと行って、道を間違えたので、本当に助かりました。

特に太神は重要な物部の里です。

中大兄皇子の足跡を残す太神宮釣殿宮など、物部氏や白村江の前後の研究にクローズアップされていくことでしょう。



ここも地元の歴史会が手作りで資料を掲げてあります。おかげでその歴史を知る事ができました。是非とも行政の方で本格的な案内板の設置をお願いしたいところです。



「こうやの宮」が新しくなり、釣殿宮の境内にある「西の宮」まで祭の行列が行ったそうです。「西の宮」には物部阿志賀野神が祀られています。
こうやの宮は正式名が磯上物部神社です。そこから釣殿宮まで行列が行く!
なんと凄いこと。



「こうやの宮」は案内なしには着きません。
迷って地元の方に尋ね尋ねして迷惑をかけるより、マップと掲示板があればと心より思います。

1300年以上も前の出来事の場所がそのまま伝えられている奇跡的な太神(おおが)の地。何度行っても感動します。




バスは太神の物部の里から田油津姫の墓所へ。日本書紀に出てくる人物ですね。

田油津姫、もしくは葛地目の墓とされる老松神社の蜘蛛塚の掲示板は見えるようになっていましたよ。かつて掲示板の前に植樹されていたので、見えなかったですものね。


最後は女山神籠石に行きました。

観光案内所でかつて尋ねた時は、「行けば分かる」と言われたのですが、外部の人間には全く分かりませんでした。
駐車場が無く、入り口は道路沿いにありましたが、案内板がないので、素通りしてしまいます。

お二人の案内があってようやく行ける所でした。

車を降りて展望台に向かうと神籠石には着きません。途中から分かれ道があるのですが、そこにも案内板がないと全く分からないのです。
ここも行政の方に掲示板の設置をお願いしたい所です。


みやま市の歴史資料館は閉鎖されていました。近々小学校跡に設置されるそうですが、全国的にも「邪馬台国論争」の候補地の一つとして有名な所。本格的なものを楽しみにしています。外部の者には地名や地形が一番のネックですので、分かりやすい展示をお願いしたいところです。

邪馬台国論争の候補地といえば朝倉の歴史資料館にも考古物が展示されていませんでしたね。どちらも残念です。



案内していただいた「みやま市郷土史部」のお二人に心より感謝します。









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これは女山の展望台からの桜です。
このアングルで全部桜!満開の桜が撮りたい!









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つぼみがぷっくりとしてきていました。2018年3月16日現在。


隣の山は最澄の清水山で、桜や紅葉が有名ですが、この桜景色、穴場スポットですね。





★4月6日のバスハイク、佐賀編。杵島~武雄は残席があるそうですよ!
歴史はもちろんですが、武雄の大楠、川古の大楠、鍋島家庭園の桜、ツタヤが入った武雄図書館など、お楽しみが沢山です。

申し込みは「歴史と自然をまもる会」の方へどうぞ^^
歴史と自然をまもる会
バスハイクの旧記事はコチラ
歴史と自然をまもる会はコチラ
4月6日(金)
武内宿禰の里と豊姫、壱岐真根子の終焉地 磐井の砦 桜見!
武雄の大楠、川古の大楠、鍋島家庭園桜、武雄市図書館(ツタヤ)など


★佐賀の歴史カフェの詳細案内文がまだでした。少々お待ちくださいね。
歴史カフェ小城
4月14日(土)第1回 3時~5時
1部:天山神社と天河弁財天
2部:神功皇后 豊浦宮から
申し込みはコチラへ
詳細はコチラ
会場:小城鍋島家Ten






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by lunabura | 2018-03-18 18:22 | バスハイク | Trackback | Comments(0)

曇っとった



全国の皆さん、月食は見えましたか?
福岡は曇りでした。
(「曇っとった」は方言?意味分かりますか?)

月が出たころは雲を通して光が見えていましたが、
欠けていくにつれ、暗くなって、最後は真っ暗。
そんな月食でした。

で、北海道のライブを見て過ごしました。
飼ってない猫に膝を占領されつつ(=^・^=)

ところで、話は全く変わりますが、
バスハイクで神功皇后のコースを順に回っていますが、
みやま市の次は佐賀(武雄)から唐津に抜けます。
ちょうど、桜のタイミングなので、
「歴史と自然を守る会」に打診したら、
既に決まっていた日程を当方の案に変えてくださいました。

言ってはみるもんですね。
ただし、三日以内にコース提出が条件でした。
それで、バタバタと作り上げたのですが、
佐賀の方に教えていただきたいのです。

御船山楽園をHPやパンフレットで調べるのですが、
画像ばかりで、地図がありません。
桜の時期には入園料が値上がりするのは分かりました。
いつも、いくらに上がっているのでしょうか。

また、庭園内の所要時間は大体どのくらいかかるのでしょうか。
地元の小学生が遠足に行くような所でしょうか。
弁当とか、食べていいのかな。

武雄神社と隣接していますよね。
武雄神社から歩いていけますか?

よかったら、教えてください。
また、お勧めの桜の名所(武雄~唐津の間)がありましたら、それも。

非公開希望の方は非公開のボタンを押せば、私しか見えません。
よろしくお願いします。( ..)φメモメモ







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by lunabura | 2018-01-31 23:16 | バスハイク | Trackback | Comments(3)

深き山里より下りて 美奈宜神社(寺内)



深き山里より下りて  

美奈宜神社(寺内)







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神功皇后が天神地祇を祀って祈った喰那尾神社から
数度の遷宮を経て現在地に鎮座した美奈宜神社。










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その古社の風情は格別だ。
それでも秋月種実の頃に鎮座したというので、意外と新しい。

朝倉に来てからはバスハイクの皆さんの滞在がずいぶん長くなった。
それぞれに心の中で対話しているのだろう。

苔むした境内の建造物たち。

立体的な境内の地形。










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ずらりと並ぶ祠に知った社号を見つける。

志登神社がここに。
織幡神社もここに。


そして、パズルのカケラがはまり、意味を伝えてくる。

祭神と歴史が交錯する。










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宮地嶽神社だけが格別高いところに鎮座していた。

この意味は?
そう、斉明天皇も朝倉に来て翌日には傍の宮地嶽神社で祈願した。

朝倉の宮殿を準備したのは安曇族だろう。
白村江の直前まで、朝倉の支配層にいたのだろう。

そんな事を考えていると、
「これは十字架?」
という声に誘われて見に行く。









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すでにアンドレアス十字を砥上神社で見つけていた。
ここは、正十字。ケルト十字架にも近い。
隠れキリシタンがいたのかもしれない。

宣教師が入って来た時、海の人たちは先祖の言い伝えの断片をその言葉に聞き、
キリスト教徒となった人もいるという。
海には境がない。




さて、この宮は仁徳天皇の勅命で祀られたという。
神功皇后の孫。
仁徳天皇の名を最近はよく耳にする。
そこにも光と影があるのだろう。









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ほら、桜の枝が赤くなり始めた。
ここは、あ・さくら。だ(^^♪











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川の上流に寺内ダムがある。
この川はダムが流木を防いでくれた。


『神功皇后伝承を歩く』上巻51 神功皇后は戦勝の奉告をした





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by lunabura | 2018-01-26 20:45 | バスハイク | Trackback | Comments(0)

神功皇后の刀剣の銘を残す太刀八幡宮・朝倉



神功皇后の刀剣の銘を残す太刀八幡宮

朝倉



神功皇后軍は羽白熊鷲討伐後、
寺内ダムからの佐田川(荷原川)を下っていきます。

その足跡通りにバスを進めると、田園に出ました。




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その中に杜があって、遠方からも太刀八幡宮と分かります。









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地名は朝倉市大庭(おおば)ですが、
かつての小字には乙王丸(おとうまる)という名がついていました。



この「乙王丸」こそが神功皇后が奉納した太刀の銘だったといいます。










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今も刀を埋めた場所が伝えられています。


皇后が剣を抜いた所は「内抜剣区」といいます。
読み方は伝わっていませんでした。場所も分かりません。

そのすぐ南に荷原川が流れていますが、
そこから300mほど南の地域が「塗器」(ぬるげ)と言い、
剣や槍などに漆(うるし)をぬった事が地名の由来になっています。

今は田園です。
そこから東南部に「徳次」(とくつぎ)という地域があり、
「磨剣」(とぐつるぎ)から変化したといいます。
刀剣を磨いた所ですね。

川の近くで刀剣を砥いで磨き、漆を塗った。
これがそれぞれに小字名で伝わっていたのです。
漆はサビ止めなので、この刀剣が鉄と分かりました。

本に地図を載せるとき、場所が分からず、
思い切って朝倉観光協会にお尋ねしたら、
二か所を教えていただけました。

古代の場所を特定するのは簡単ではないので、とてもありがたかったです。
それを地図に反映させています。


現地は田園で、減反した所に樹木の苗が美しく紅葉していました。

ところが、荷原川の流域の田には川石が広がっていました。
夏の洪水の土石が田を覆っているのです。

現地はまだまだ大きなプロジェクトの力が必要なのが分かりました。

神功皇后の時代は流域の定まらない広大な川原が広がっていたことでしょう。

さて、神功皇后が何故、乙王丸を奉納したのか。
それは三女神にささげるためです。
三女神は剣から生まれた女神たち。
戦の勝利を願ったことが分かります。
このあと、皇后軍は再び戦いに向かいます。
それは筑後川の下流域に逃げた田油津姫を討つためでした。

このあとバスで太刀八幡宮から南2キロほどの福成神社を目指しました。
そこも三女神が祀られています。
神功皇后はここでも勝利の祈願をしたのですね。

筑後川の三女神は「水沼三女神」。
三女神を祀る聖地ですから、水沼の里といえます。
水沼の里はそれはそれは広大です。
バスハイクは水沼の里めぐりを次回にわたってすることになりました。



20180125

下巻52 太刀八幡宮 神功皇后は田油津姫攻撃に向けて太刀を奉納した





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by lunabura | 2018-01-25 20:50 | バスハイク | Trackback | Comments(0)

武内宿禰VS羽白熊鷲 朝倉の戦い



武内宿禰VS羽白熊鷲 

朝倉の戦い



朝倉は神功皇后軍の陣営地が神社となってかなり残されていたので、
二回に分けてのバスハイクでした。

秋月八幡宮は羽白熊鷲の聖地と思われましたが、
そこに皇后軍が陣営を張ったということは、
すでに羽白軍は逃走した後。





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その後をバスで追っていくのが理想でしたが、
日を改めて、二回目は水の文化村を目指しました。







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そして、玄関前を通過して矢埜竹神社へ。
そこは羽白熊鷲たちに娘たちをさらわれて苦しむ里でした。

神功皇后が来た時には「もつそ汁」という葛の団子汁を差し上げたといいます。
皇后軍はここで矢の柄の補充をしました。

実は取材した時、この宮の祭神も歴史も分からなくて
分からないまま挙げることにしていたのです。

ところが、直前になって編集者がここの伝承を書き取った本を見つけました。
それは閉店前日の古書店にあったのです。
偶然にその本が手に入り、記事を全面的に書き換えました。

ダム建築に当たって、地元の伝承を掘り起こす作業が行われていたのです。
本の中に掲載されていた写真で、神功皇后の腰掛石が分かりました。

自分の写真を見ると、偶然に写りこんでいたのです。

そし、今回行ってみると、腰掛石は祠の中に移動して祀られていました。
神社の説明版も掲げられて、歴史が分かるようになっていました。

この矢埜竹神社の元宮は別の所にあったのですが、
水害で流されて、神託によって、現在地に決まったといいます。








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さて、そのあと、私たちは喰那尾神社に向かいました。
山道の参道を通っていきますが、ここも新たに整備されていました。

神功皇后はここで天神地祇を祀り、
武内宿禰が戦略を練ったといいます。

この狭い山頂のようすから、側近だけが来たことが分かります。
この宮も風水害のために下に下にと移動して美奈宜神社になりました。
そして、中宮はダムに掛かってしまったといいます。

ダムにはもう流木は見られませんでしたが、
この地域は常に水害の危険にさらされていることがよく分かりました。









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羽白熊鷲の終焉地は急な崖だったのかもしれません。
その向こうの山々が幻想的でした。


どこもどこも急な斜面だらけの中、
この付近は平らな頂上部だったようです。
ここに羽白熊鷲が逃げ込んだのは、
最終的な砦でも、あったのかもしれません。



最後は皇后軍の放った矢で討たれました。
その飛距離が長かったので、地元の人は不思議だと言われ、
私は弩だったのだろうと考えました。

それは豊浦宮に秦の始皇帝の末裔が亡命してきたとき、
きっと朝貢品に入っていたと思い、弥生時代の弩を探すと、
出雲から弩が発見されたのと出会ったのです。

武内宿禰の率いる皇后軍は精鋭隊だったようです。
武器は石器ではありません。
刀は鉄剣でした。
その証拠を探し求めて、「漆」を「塗」ったという地名に出会いました。

こうして、不思議なことが続いて
矢野竹で起こった歴史を掘り起こすことができたのです。

あいにく、羽白熊鷲の墓の跡に建物が建ったのが分かったのは、
建築後の後の話でした。



羽白熊鷲は弥生時代の邑の王だったのですね。

付近には「荷」がついた地名がいくつかあります。
原料を抱えて運び込み、武器生産をしていた一族だったと考えています。




<20180123>

『神功皇后伝承を歩く』
上巻48喰那尾神社 神功皇后が先勝祈願をして陣を敷いた
  49矢埜竹神社 皇后軍が矢竹を刈り取った
  50羽白熊鷲塚 羽白熊鷲は矢に射られて死んだ
  51美奈宜神社(寺内) 神功皇后は神々に戦勝の奉告をした



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by lunabura | 2018-01-23 20:20 | バスハイク | Trackback | Comments(0)

何故か「こだま」たちが(^^♪  羽白熊鷲塚



何故か「こだま」たちが(^^♪

羽白熊鷲塚




朝倉バスハイクⅡで羽白熊鷲塚を見学に。

すると、何故にか「こだま」たちに遭遇。








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ほよ。









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ほよよ。










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いいね。










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羽白熊鷲塚。




水の文化村の職員駐車場付近で熊鷲は倒されたという。





羽白熊鷲塚 熊鷲は矢で射られた



『神功皇后伝承を歩く』上巻50




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by lunabura | 2018-01-21 22:52 | バスハイク | Trackback | Comments(2)

今日は朝倉へ 2回目のバスハイク



今日は朝倉へ 

2回目のバスハイク



今日は『歴史と自然を守る会』のバスハイクで、朝倉に行ってきました。

朝はまだ雲が低く残っていましたが、午後からは晴れ間が見えました。

都市高速が渋滞していたのですが、なんと黒猫が道路に入り込んだためだったと、帰宅してニュースで知りました。

今回は神功皇后軍が秋月の羽白熊鷲を追い詰めて寺内ダム付近に行った所からのスタートです。

水の文化村の羽白熊鷲塚を見学して朝倉の平野部に下って各地を参拝してきました。
山は幻想的な雲が掛かっていましたよ。



林田の美奈宜神社ではちょうど小学生の学習があっていたので、参加させてもらったり、と面白い体験をしました。


平塚川添遺跡も初めて見学しました。
広大な弥生の環濠の中の遺跡は水の豊かな環境で、吉野ケ里遺跡とはまた趣が違っていました。福岡にこんな素敵な弥生遺跡があったとは!また改めて紹介したいと思います。


朝倉は何処も桜の木が沢山ありました。
春、秋月は渋滞するけど、他の神社でた~くさん見られることを発見しました^^






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上の2枚は美奈宜神社(林田)上巻43で撮影しましたよ。


バスハイクも十回かけて上巻50社をほぼ回りました。
次回から下巻の内容、田油津姫の里からとなります。





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by lunabura | 2018-01-18 20:42 | バスハイク | Trackback | Comments(0)

筑後の神々と豪族たち


筑後の神々と豪族たち



先取りのバスハイク計画を立てていますが、11回目は筑後地方になります。
時間的な効率を優先して回るのですが、意外な発見もあって面白いですね。

神功皇后の足跡を追っていると、皇后を迎えた豪族たちの里が見えてきます。

久留米市は水沼族の赤司八幡神社、大善寺玉垂宮、弓頭神社と続くので、水沼族が古有明海沿岸部に広範囲に営んでいたことが見えてきます。

そのあとの行程が、高良玉垂廟、風浪宮、鷹尾神社(旧高良神社別宮)となると、安曇族の里となります。

そうして、鷹尾神社まで来たら、あれあれ?矢部川の対岸には七支刀の「こうやの宮」があるんですね。天智天皇が滞在した釣殿宮や太神宮もそのエリア。何度も登場した物部の里ではないですか。

鷹尾神社から車で10分のエリアに次々と天智天皇関連宮が出てくるので、今回のバスハイクに組み込む事にしました。




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それから田油津姫終焉の地・女山(ぞやま)に向かいます。
女山は女王山の変化だし、蜘蛛塚は女王塚とかつては呼ばれていた。
つまり、山門県の東部は土蜘蛛たちの里となります。


コースの中に国乳別皇子の墓、安曇磯良の墓、田油津姫(あるいは葛築目女王)の墓と、エポックメイキングな人物たちの墓も次々と出てきます。


筑後地方の神々を尋ねる旅は失われた歴史を訪ねる旅となるようです。

本をお持ちの方は下巻の方にずらりと出てきますよ。






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by lunabura | 2017-12-18 20:59 | バスハイク | Trackback | Comments(0)

朝倉




朝倉


二つ先のバスハイクの準備を仕込んでいます。
だって、いつも締め切り直前に連絡が来るんですもん。(-_-;)
(だいだいパターンが分かった…。)


バスの運行時間と神社での滞在時間を考えて夕方には天神に戻れるように組むのですが、ゼンリンの地図を使うと、予測時間がぴったりと出ます。
車のナビよりずうっと正確。
それに神社での所要時間を予測して加味しますが、ピッタリと時間があって、ドライバーから「神スケジュール」と言われたことも。


ところが、朝倉では皆さん、思った以上にじっくりと過ごされました。
朝倉特有の癒し空間とでもいうのでしょうか、いるだけで心も体も喜ぶような感覚があるのです。あれって、行った人にしか分からないですよね。

テレビを見ると、災害の復興はまだまだ。
災害の直後はスーパーの豆腐や麺類、納豆など、基本的な食材が消えてしまったことを思い出しました。日々の暮らしも支えもしてくれている町でした。
朝倉杷木(はき)の柿はとろけるようにおいしい。

来年早々に2回目の朝倉行なので、またリュックの大きい方を持っていこうと思います。








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上巻46 秋月八幡宮










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上巻42 大穴貴神社











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上巻41 仙道古墳







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上巻44 老松神社








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by lunabura | 2017-12-12 20:43 | バスハイク | Trackback | Comments(0)
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綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25


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