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ひもろぎ逍遥

カテゴリ:バスハイク( 115 )

0117バスハイクは筑豊の日本武尊伝承地巡りと山本作兵衛の絵



さて、「脇巫女Ⅱ」でヤマトタケルが何度も登場していますが、
筑豊には特にその伝承が集中しています。
個人的には日本遺産にしてほしい程です。

今月のバスハイクは熊襲タケルの弟の金剛タケルに対する包囲網と、麻剥、猪膝や土折猪折という日本書紀にも登場する土蜘蛛たちを討伐するための陣営地などがテーマです。

尺岳神社(八幡西区畑)はもともと香月氏の本拠地で、災害のために麓に遷座し、杉守神社となっています。以前、杉守神社の記事のところで「ふつもち」(よもぎもち)が話題になりましたが、「ふつ」という言霊は物部氏が祀る神霊でもあります。

ヤマトタケルは香月氏の案内で敵陣視察をしました。その視察の時、訪れたのが②鳥野神社(直方市頓野)です。ここはとても神秘的な所ですが、白村江戦後に栗前王が訪れて同様にその神秘性を感得して、わざわざ朝廷に報告しています。太宰帥が、わざわざ直方まで行くのですから、その意義が個人的には興味深いです。


須賀神社(直方市下境)は隕石が落下した所で、ご神体は隕石です。記録がある点で世界最古が認定されています。隕石は古代の人は「飛石」と言いました。
  

午後からは田川に入ります。田川は書紀には高羽と書かれています。

ここも景行天皇と日本武尊が立て続けに土蜘蛛討伐をしたところです。その跡地が二つの白鳥神社になっています。

田川は、のちに神功皇后も位登八幡神社で滞在しているので、これまで参加した方から、きっと「あれ、ここ来たことがある!」という声が上がりそうですよ。


二つの白鳥神社、④白鳥神社(田川市猪国)と⑤白鳥神社(田川市伊田)を回ったあと、すぐ近くの⑥田川市石炭歴史博物館山本作兵衛の絵画を鑑賞しましょう。
世界記憶遺産になりました。


ここには⑦セスドノ古墳猫迫1古墳の出土物が展示かれています。これを見学したあと、現地を見学する予定です。

申し込みは「歴史と自然をまもる会」まで。
会費4000円は当日払い。昼食は道の駅です。

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by lunabura | 2020-01-06 19:48 | バスハイク | Comments(0)

2020年1月2月のバスハイクは筑豊と白石町




来年のバスハイクの案内をしておきますね。

1月は八幡、直方、田川。筑豊地方に行きます。

筑豊は日本武尊の伝承が多く、一回では網羅できなかったので、続き編ということになります。
佐賀と筑豊合わせて、壮大なストーリーが完結します。
山本作兵衛の絵も鑑賞しましょう。


2月は今年の台風で被害が大きかった杵島郡白石町に行きます。

歌垣公園はまだ道路が復旧していないということで、
その近くにある五十猛伝承地を訪ねます。

この地は有明海からの上陸ルートがあり、百済王子、空海なども来ています。
和泉式部も当地で捨て子だった話があります。
国際文化の流入地点として、重要な所です。



第14回バスハイク 直方・田川
筑豊の日本武尊伝承地と山本作兵衛
2020年1月24日(金) 


 八幡と直方にある尺岳神社と鳥野神社には香月氏と日本武尊が金剛タケルと戦った話が伝わっています。鳥野神社には天智期の栗前王の名も残されています。須賀神社のご神体は隕石です。

田川市の二つの白鳥神社には、景行天皇、日本武尊の親子二代にわたる土蜘蛛討伐の話が伝わっています。石炭歴史博物館では山本作兵衛の絵やセスドノ古墳の出土品などを見学しましょう。

天神=(八幡西区)尺岳神社=(直方市)鳥野神社=須賀神社=(田川市)白鳥神社=白鳥神社=田川市石炭・歴史博物館=セスドノ古墳・猫迫1号墳=天神




第15回 バスハイク 佐賀県白石町、嬉野市
五十猛、百済王子、和泉式部伝承地
2020年2月28日(金) 


 佐賀県の杵島山に鎮座する稲佐神社は五十猛を祀り、妻山神社ではその妹を祀っています。二神の上陸地は八艘帆崎と言い、そこには百済王子阿佐が亡命し、空海が上陸した話も伝えられています。

須古城は龍造寺隆信の居城です。福泉禅寺には和泉式部が赤子の時に捨てられていた話があり、長者に引き取られて育った所が塩田町で、和泉式部公園があります。

海童神社の裏手には龍王崎古今の森公園古墳群があります。今回は杵島郡と嬉野市を訪ねましょう。


天神=(白石町)妻山神社=須古城跡=厳島神社=稲佐神社・泰平寺=福泉禅寺=龍王崎古今の森公園古墳群・海童神社=(嬉野市)和泉式部公園=天神


申し込みは「歴史と自然をまもる会」まで。

<20191214>



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by lunabura | 2019-12-14 12:49 | バスハイク | Comments(0)

13回バスハイク1220は 鳥栖~小城 風土記と山城と遺跡



次のバスハイクが近づいていました。
来週、12月20日(木)です。

今回は再びの佐賀ですが、佐賀は遺跡がとても多いです。
古墳ばかりでは、アレなので、神社や公園を組み合わせると、結構盛りだくさんになりました。

今日はその概要を説明したいと思います。

①安永田遺跡
は鳥栖市にあり、銅鐸や銅矛の鋳型が出た所です。
鋳型ですよ!
ここは当時のハイテクランドでした。国史跡ですから期待大です。
以前行った田代太田古墳(装飾古墳)のすぐ近くです。

②ヒャーガンサン古墳は①の近くにあります。装飾古墳です。
中には入れません。

③朝日山宮地嶽神社は葛子の砦とも伝わっている所で、この神社にはその子の勝村、勝頼も祀られています。
福津の総本宮の伝承を裏付ける重要な神社です。

山城ですからね、沢山登りますが、石段になっています。
神籠石とは全く違うので、ご覚悟を。
といっても、石段の長さは意外と短いです。

④の千栗八幡宮はみやき町にあります。
この神社には大善寺玉垂宮とそっくりな絵巻があります。

そして「安曇磯良と武内宿禰の関係」が高良玉垂宮とは逆転していて、三つの絵巻の中で最も原型に近いと(私が)評価している絵巻があります。

絵巻を見ることは出来ませんが、その特有の地形を観察しましょう。
いろいろと謎解きのヒントにあふれる神社です。


⑤伊勢崎古墳は神埼町にある前方後円墳です。
道路が真中を貫通していますが、円文があったと伝わっています。
中には入れませんが、磐井の乱の後の時代の人が埋葬されています。


⑥鰐神社と王仁博士顕彰公園。
このワニは千字文を日本に伝えた王仁博士と言われています。
大陸からの上陸ルートとして有明海の存在は重要で、それを体感できる所です。
古事記や日本書紀の文章も訳していますので、読んで確認しましょう。


⑦天山神社
 
ここからは小城市です。三つ並ぶ天山神社の内、一番東にある神社です。
三女神を祀る宮ですが、藤原四兄弟の一人、房前(ふささき)が九郎康弘という名で祀られています。
「ひめちゃご」に登場する神社です。


⑧土生遺跡公園

弥生時代の遺跡で、ここでも青銅器を生産していました。


⑨小城公園
小城藩の鍋島公が造営した名苑です。
そこにある岡山神社は鍋島家の神社ですが、柳生十兵衛なども摂社に祀られています。


⑩須賀神社
風土記には日本武尊が一日で土蜘蛛を討伐した話が載っています。
土蜘蛛の砦をオキといい、それがオギとなり小城市の地名由来となったといいます。

その場所は伝わっていないのですが、唯一の山城があり、そこが砦だろうと考えています。
これもまた「ひめちゃご」で紹介しましたが、長~い長~い石段があります。

この日、二つ目の山城ですが、ここは手ごわいです。
希望者だけで登ります!
ここの石段はいつみても市民の人が登っていて、ちょっとした健康向上スポットのような印象です。

神籠石巡りは勾配がないので楽ですが、本当の山城は登りがきついですね。

ということで、必ずスニーカーで参加してください!(^^)!

申し込みは「歴史と自然をまもる会」まで。

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by lunabura | 2019-12-12 20:46 | バスハイク | Comments(0)

明日1129のバスハイクは大伴旅人編



今日はラジオの収録の日でした。
ちょっと、一息ついています。

明日はバスハイクですね。
詳細な案内をしませんでしたが、次のようなスケジュールです。

天神 8:30
①大宰府展示館 
②大宰府政庁跡
③坂本八幡宮
④観世音寺
⑤戒壇院
⑥二日市温泉・歌碑
⑦基肄城
⑧大宰府客館跡
⑨榎社
⑩水城・水城館
天神

近場なので、歩いての移動が多いです。
特に、基肄城は草スキーの所から歩いて頂上に行くので、スニーカーが必要です。

ここは、大伴旅人夫人が亡くなった時に来た勅使を案内して管理職が登った所です。
旅人らは馬でしたが、私たちはバスでギリギリ行ける所まで登ってから、歩いていきましょう。
大きな石碑があるそうですよ。

お楽しみの「道の駅」は近場に無かったので、大型スーパーで昼食です。

ご参加の皆さん、明日も楽しみましょう。

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by lunabura | 2019-11-28 21:25 | バスハイク | Comments(0)

熊襲タケルが逃げ込んだ真手山へ ここは大和町 神崎~佐賀市 3



『肥前風土記』には、巨大なクスノキが佐賀にあり、朝日や夕陽を浴びると、その影は25キロほど離れた所にも届いていたと書かれている。

日本武尊はその栄えた姿を見て「この国は栄の国というがよい」と言った。
栄(さか)が佐嘉になり、佐賀になったという。

この話には佐嘉川や川上の所に出てくることから、與止日女神社付近の話と考えられた。

與止日女神社の鎮座地は大和町川上。








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この與止日女神社の境内には朽ちたクスノキの巨木の一部が保存されている。
その巨大さには誰もが声を挙げた。

このようなクスノキが聳え立っていたのだろう。











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與止日女神社に隣接した所に実相院がある。
ここも行基が創建した。

地形を見ると、城壁のような崖の上に実相院は建っていた。

青いシートは台風によって崩れた跡で、通行不可になっていた。車道なら行ける。

このような地形を弥生人は好む。高地性弥生集落という。
川の氾濫を避け、敵の襲来を逃れて暮らせる地形だ。
今では確かめようもないが、寺院が建つ前には遺跡があったのではないか。







この地形を確認して次の健福寺に行くとやはり同じ地形だった。
真手山に建っている。
ここに、熊襲タケルが仲間を頼って逃げ込んだ。










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健福寺の前からは佐賀平野が見渡せる。
ここからは誰が近づいているのか、良く見えた。

日本武尊は武内宿禰らと共に船で近づいたが、やはり行軍は出来なかったのだろう。
夜を待って女装し、宴に紛れ込んだ。

日本武尊は一太刀目に「我こそは筑紫野で見参した小碓尊(こうずのみこと)だ」
と名乗った。
二太刀目を振り下ろそうとすると、「まて」と言われた。
それが山の名の「真手山」の由来となった。

熊襲タケルは、殺される直前に、「我が姓は熊襲。九州全土を我が家としていた。
しかし、最期の地名を採って川上タケルと改名する」
と告げ、小碓尊には日本武尊の名を与えた。

もちろん話は潤色されているのだが、ここは「大和町川上」。
ヤマトタケルのヤマトは案外、この地の名前を付けたのではないか。
と、何故か、ふと思った。
古事記では倭(やまと)タケルと記す。

この時のヤマトタケル軍の副大将は弟彦公。鞍手の剣岳にいた。そして、補佐役は武内宿禰だった。

この決戦の前に、熊襲タケルは筑紫の穴倉陣に逃げ込んでいたが、日本武尊らが突き止めて攻撃した。しかし熊襲タケルは既には逃げ、佐賀に来ていた、と健福寺の記録にある。

川上タケルの墓は寺の裏山にあり、近年まで分かっていたが、今は藪になってしまい、もう分からないだろうと住職は語る。
行基はこここそ、一番供養したことだろう。





さて、私たちが訪れた日、この山には黒い雲が広がり、時々雨を降らせていた。

熊襲タケルの事を思ってここに来た人は私たちが初めてだろう。
田油津姫の時も、田川市やみやま市で冷たい雨が降り続いた。
涙雨みたいだね。

そう言いながらも、空には、どこか明るい光が差していた。
こんな時には虹が出そうだよね、と言っていると、本当に隣の山に虹がかかった。








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四十分経って博物館に着いても虹がかかっていた。


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今日の話は⑤⑥⑦のエリア。
⑤與止日女神社
⑥実相院
⑦健福寺

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by lunabura | 2019-10-29 20:03 | バスハイク | Comments(0)

徐福信仰圏と前方後円墳 神崎~佐賀市 2






徐福信仰圏と前方後円墳 神崎~佐賀市 2_c0222861_22433735.jpg

迷い込んだ金立山憩いの里。

前回の久保泉丸山遺跡のそばです。
今思えば、このような山あいの開けた所には古代人が暮らしを営んだ所のような印象があり、現代になってキャンプ場などが造設されたのではないかとも思われました。

この三角山が金立山かどうかは不明ですが、金立山山頂では徐福を祀っています。

金立神社は上宮、中宮、下宮が鎮座しているので、徐福への信仰は大きなものだったのでしょう。







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下宮社に参拝しました。


その近くに銚子塚古墳があります。床屋の右手の狭い路地を歩いていきます。
国史跡ですが、車では近づけませんし、近くに駐車場も無いので、車でのアプローチは難しいです。






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右が後円部で、左の低い所が前方部です。
全長98mで、柄鏡型の古墳は四世紀末と推定されています。


墳頂に立つと中心線の向こうに山が見え、山を基準に測量したのではないかと思われました。

この古墳が造られた四世紀末には、宇土半島や佐賀、嘉麻に同じようなデザインで規模が違う古墳が営まれた事になります。

未発掘ですが、4世紀末ということから、埋葬施設は竪穴式石室と考えられています。

そうですね。宇土の向野田古墳も嘉麻の沖出古墳も竪穴式石室でした。




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両者は舟型か割竹型の石棺でしたので、それに近い石棺でしょう。

同じようなデザインの古墳が熊本、佐賀、福岡にあるのはどう考えたらいいのでしょうか。
デザインは同じでも、主軸の向きはバラバラでした。
地形を利用し、地山を成形して造っていくので、主軸の向きは思想的には不問だと言えます。



以上の金立山憩いの里、久保泉丸山遺跡、金立下宮社、銚子塚古墳はほぼ同じ地域にあります。

徐福は秦の始皇帝(紀元前259~前210)から逃れて来た人なので、古墳の被葬者たちは徐福信仰のことは良く知っている人たちだったことでしょう。

そうそう、佐賀県立博物館にこの地域から出土した舟形石棺が置かれていました。


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これこそ、舟形石棺の原形と思われるような凄い展示物でした。全長4.3m。阿蘇の石です。
しかし、残念ながら半分は寄せ書きに覆われて全容が見えないようにされていました。

この日は常設展示物は完全に撤去されて、高校生の文化祭があっていました。
考古資料は一点の展示も無かったのです。

常設展示物を一つも展示していない事はHPにも書かれておらず、県立博物館として考えられないものでした。

金立神社の徐福の絵巻もこの博物館が所蔵しながら展示していない。

今回は余りにひどかったので記します。

実は、考古学展示物が展示されていないのは武雄図書館もでした。
歴史資料館は狭くなって一応存在はしていたのですが。

朝倉歴史資料館も富士山の画ばかり展示されて、あの豊かな考古資料は展示されていませんでした。

久留米歴史資料館は行っても見学できなかったので、電話で見学依頼をしたら、「何故見学するのですか」と言われました。「地元の資料を見学したいから」と言いましたが、他に理由が必要でしょうか。結局見学しないままです。遠方から出直しはなかなかできません。

残念な話ですが、事実を記しておきます。




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by lunabura | 2019-10-27 22:46 | バスハイク | Comments(0)

日本武尊と行基の足跡は麗しい山里にあった 神崎~佐賀市 1



昨日、10月25日は佐賀方面へのバスハイクでした。

小雨が降ったりやんだり、天気雨だったり。
時雨がちの一日は、本格的な秋の到来を告げていました。

「肥前風土記」を追いながら東から西へと向かうシリーズの一つです。

「風土記」に書かれた日本武尊の行動と、書かれていない事件が佐賀には伝わっています。
後にそれを辿っているのが行基でした。

佐賀と言えば広大な平野というイメージがありますが、そこはかつての有明海。
「風土記」の道は山と平野の「あわい」にありました。

その「あわい」には徐福が上陸した時、ぬかるみに難儀して布を敷いて歩いていった話や地名も伝えられています。

その背後にある急峻な山脈と有明海に挟まれた低山地帯に縄文人や弥生人たちは、かなり洗練された暮らしを営んでいるように思われました。


その古代の集落を伝って異文化の景行天皇や日本武尊が東から西へと戦をしかけながら通り、後の世に、行基がそれを供養しながら辿っています。

一方、反対の西からは船が着き、徐福や遣唐使や僧などによって、中国の最新の文化が届けられて、東へと伝わっていました。

その歴史の一部が神社や寺院の境内に残されているのが佐賀の風景です。
そこには、うっとりとするような美しい山里の暮らしが伝えられていました。








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最初に訪れたのは白角折(おしとり)神社。
吉野ケ里遺跡の西方にあります。
ここで日本武尊が的を射たという。







続けて仁比山神社へ。









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そこには驚くほど大きい仁王像。








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そして、仁比山神社にも行基の名がありました。

仁比山神社の祭神は大山咋神のみならず、鴨玉依姫と日本武尊も祀られていました。


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その勾配のある地形から、古代豪族の拠点だったのではないかと思っていたのですが、ここに賀茂氏の玉依姫が祀られているということは、古代に賀茂氏が金属加工をしていた可能性も伺えたのでした。

日本武尊は、先程の白角折神社が一時、ここに祀られて、再び現在地に遷った歴史の名残でしょう。










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隣接する九年庵では紅葉時の客を迎える準備が進んでいました。









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久保泉丸山遺跡は長崎自動車道に掛かったため移動した遺跡群ですが、
東から500mほど、当時そのままの配置で移されていました。

ここには縄文人から弥生人を埋葬した支石墓群と、5~6世紀の古墳群がまとまって存在しています。

移動された時、並べ変えられたのではなく、当時の位置関係そのままに移されていました。

この古墳群を営んだ民は「合理的」に並べて行く、という思想を持った人たちだということが分かります。

竪穴式古墳に登って覗くと、舟形石棺があったりして、系統的に学びたい古墳群でした。





<20191026>


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by lunabura | 2019-10-26 20:07 | バスハイク | Comments(0)

佐賀の行基、徐福、岡田三郎助もバスハイクで




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赤い番号に日本武尊の伝承があるのですが、⑥の実相院と⑦の健福寺は行基の開基です。
高速道路沿いには肥前風土記の伝承地も重なっています。

肥前風土記には景行天皇と日本武尊、そして神功皇后の伝承が多く出てきます。
そこを行基も通っているので、古代の道の風景がなんとなく見えてきますね。

④は金立神社(きんりゅう)で、徐福も祭神の一柱です。
葦原を切り開き、泥の道を布を引いて通ったようすが地名などになって残されています。

佐賀はこの他の著名人の上陸も伝えています。
百済から、中国から、倭国上陸ルートの一つだったのですね。

金立神社に伝わる徐福の絵巻が佐賀県立博物館に展示されているそうなので、みんなで観に行きます。

その博物館の通路を通ると美術館。
あの岡田三郎助の画が展示されているそうなので、楽しみです。

そうそう、金立神社の近くの銚子塚古墳は国の指定史跡です。
国の指定史跡はどこも草刈りされて史跡保存が良好なので、とても楽しみなのです。

調べてみると、これが前回行った沖出古墳と同じ4世紀末で柄鏡式の前方後円墳なのです。

そうなると、宇土半島の向野田古墳と同じ型、同時代。全長は沖出が68m、向野田が86m。そして銚子塚古墳は98m!!

沖出古墳でも大きいと思ったのに、それ以上に大きい銚子塚古墳。どんだけ楽しみ^^。




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これは沖出古墳。





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岡田三郎助画。



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by lunabura | 2019-10-18 21:51 | バスハイク | Comments(0)

佐賀の日本武尊と武内宿禰と川上タケル 来週、バスハイクで行くよ




今日は10月25日のバスハイクの資料を作っています。




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紹介したいスポットを選んでいると、長崎自動車道沿いに並んでいたので、上のようなコースを辿ります。

佐賀の高速道路は昔の海岸線沿いにあると聞いていますが、やはり、ここに日本武尊と武内宿禰が船に乗ってきて上陸した話が伝わっているんですね。

赤い番号が日本武尊の伝承地になります。

①は白角折(おしとり)神社
⑤は與止日女(よどひめ)神社
⑦は健福寺(真手山)

総合すると、①で軍事訓練?し、⑤では佐賀の地名由来の栄を語り、⑦健福寺で川上梟帥(たける)を討ち取っています。

ここに行基の伝承地が重なってきます。

最澄や行基は神功皇后や日本武尊に滅ぼされた民の供養をするのが旅の目的の一つだったようで、佐賀でも滅ぼされた民の怨霊に苦しめられる人々を行基が救う話があります。

日本武尊は、八幡(やはた)の南にいた弟の金剛タケルを討伐したあと、兄の川上タケルを佐賀で討ち取っています。

佐賀の人も鞍手の人もお互いに伝承が繋がることは知らないと思うのですが、「弟彦公」という武将の名が両地に出てきた時、私は伝承の確実性を確信しました。

「脇巫女」によく出てくる熱田神社が日本武尊の佐賀遠征の出発地であり、帰還地でもあります。
そこにある亀甲は今でも聖地として祀られています。


「ひめちゃご」に、この亀甲が出てきました。
ここで武内宿禰と日本武尊が三つの遠征ルートの中から占ってもらうシーンが出てきます。

これが結願から出て来た時は、とても驚きました。
誰も亀甲の存在など知らないのに、崋山の口から出て来たのですから。



よく、バスハイクの訪問地の内容を後で知って、「行きたかったのに」と聞くことがあるので、紹介しておきますね。


<20191016>




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by lunabura | 2019-10-16 21:50 | バスハイク | Comments(0)

バスハイク10月~12月 スケジュールと行程



気が付くと、来週はバスハイクですね。
10月から12月までの3つのバスハイクのスケジュールを案内します。

「神社と古墳」が相変わらずの必須アイテムですが、
地域によって、テーマが変わるのが面白いですね。

古代史はフィールドワークこそ命ですね!


第11回 バスハイク 神崎・佐賀 日本武尊と徐福伝説の地
2019年10月25日(金)
 

肥前風土記に日本武尊の話が記されていますが、白角折(おしとり)神社、與止日女神社、健福寺にも伝承が伝わっています。

特に健福寺は川上梟帥(たける)との戦いの場といい、行基の開山になります。行基は実相院も創建しました。

金立神社は徐福ゆかりの神社で、その縁起絵巻が県立博物館に収蔵されています。これらと近隣の神社、遺跡を訪れましょう。

天神―(神崎市)白角折神社―仁比山神社―(佐賀市)久保泉丸山遺跡―金立神社下宮―與止日女神社―実相院―健福寺―佐賀県立博物館―天神 





第12回 バスハイク 太宰府・基山 大伴旅人ゆかりの地
2019年11月29日(金)
 

大伴旅人は大宰帥となって筑紫に赴任しました。大宰府政庁跡の横に大宰府展示館があり、令和の典拠となった「梅花の宴」のジオラマが展示されています。その近くの坂本八幡宮は旅人邸の候補地の一つです。

観世音寺は旅人との交友が深い満誓沙弥が完成を担った寺で、戒壇院は鑑真が授戒を行った所です。旅人は二日市温泉で亡き妻をしのび、基肄城に弔問の勅使を連れて登りました。

帰京する時には水城で児島と歌を交わしています。榎社は菅原道真の配所、客館は外国使節の宿泊所です。今回は大伴旅人の歌を読みながらまわりましょう。

天神=大宰府展示館=大宰府政庁跡=坂本八幡宮=観世音寺=戒壇院=二日市温泉=基肄城=大宰府客館跡=榎社=水城・水城館=天神




第13回 バスハイク 鳥栖~小城 肥前風土記と古代遺跡群
2019年12月20日(金)


 鳥栖市の安永田遺跡では九州で初めて銅鐸の鋳型が発見されました。ヒャーガンサン古墳は移転された装飾古墳です。朝日山宮地嶽神社に伝わる戦いの主は筑紫君葛子ではないかと言われています。

千栗八幡宮には大善寺玉垂宮と同じ形式の絵巻が伝わり、鰐神社の神は当地に上陸したという王仁博士ではないかと言われています。その近くに伊勢塚古墳があります。

 小城市は城下町の風情が良く残り、風土記には日本武尊の戦いが記されています。その現場が須賀神社ではないかと思われます。天山神社には藤原四兄弟の房前の伝承があります。

土生遺跡公園は弥生時代の遺跡で、小城公園は鍋島家の初代藩主等が造営した名庭園です。今回は世に出ていない歴史の数々を尋ねていきましょう。

天神=(鳥栖市)安永田遺跡=ヒャーガンサン古墳=朝日山宮地嶽神社=(みやき町)千栗八幡宮=(神埼町)伊勢塚古墳=鰐神社=(小城市)天山神社=土生遺跡公園=小城公園=須賀神社=天神



いずれも出発時間は8:30。
天神の日銀の横にバスが止まります。
食事は道の駅や集合施設です。

申し込みは「歴史と自然をまもる会」
092-408-7140
電話が確実です。(火曜日~金曜日)10時~16時
火曜日で講座があっている日は繋がりません。

参加費4000円。当日集金です。

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バスハイク10月~12月 スケジュールと行程_c0222861_21545322.jpg



バスハイク10月~12月 スケジュールと行程_c0222861_15184581.gif

by lunabura | 2019-10-14 16:24 | バスハイク | Comments(0)

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